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シルバー・ブレット [推理、ホラー]

シルバー・ブレット(銀の弾丸)、レシピ:ドライジン:1/2、キュンメル:1/4、モンジュース:1/4

満月が街を青白く照らしていた。

三人目の被害者が発見されたとき、捜査本部は困惑していた。性別も年齢もバラバラ、接点も見当たらない。ただ一つ、満月の夜に獣の爪痕で引き裂かれたような傷を負って死んでいる。それだけが共通点だった。

さらに、微かな共通点が検死によって判明した。被害者たちは皆、犯行直前にアルコールを摂取していたのだ。


聞き込みを重ねるうち、三人が犯行前に同じバーを訪れていることが分かった。

被害者たちが最後に立ち寄っていたのは、路地裏にひっそりと佇む時代から取り残されたような老舗『BAR 蘆屋』だった。


刑事の田中は部下の佐藤とともに『BAR 蘆屋』のバーテンダーに聞き込みを行った。

カウンターの奥、くもりを磨き上げた銀製のシェイカーが鈍く光っていた。ステンレスが普及する前、上等な道具は銀だったと、老バーテンダーは布でカクテルグラスを磨きながら言った。

「皆さんがお飲みになっていたカクテルは、シルバー・ブレットです。」

銀の弾丸……獣の爪痕で引き裂かれたような被害者には、悪いジョークのようなカクテル名だった。


「シルバー・ブレット?」

佐藤は尋ねる。

「シルバー・ブレットは、ジンが半分、キュンメルが四分の一、レモンが四分の一のカクテルです。最近では、キュンメルを置いている店も少なくなりました。この一帯で、シルバー・ブレットをお出しできるのは、この店だけでしょう」

マスターは手慣れた様子でカクテルを作る。小気味よいシェークの音。

カクテルグラスに注がれた月光のような色のカクテルからは、独特のアニスの香りが立ちのぼっていた。

「皆さん、お一人でいらしていました。他にお客様はおりませんでしたので、よく覚えております」


老バーテンダーには事件当時のアリバイがあり、年齢面からも犯行は困難と判断され、容疑から外れた。

被害者と犯人の接点が途切れた。しかし、被害者と犯人の接点として考えられるのは、このバーしかなかった。

田中は部下の女性刑事、佐藤にバーテンダーとしての潜入捜査を命じた。

そして、佐藤は翌日から「見習い」として店に立つことになった。瓶の埃を拭き、氷を割るふりをしながら、その時を待った。

「シルバー・ブレットを」

佐藤は緊張した。マスターがカクテルを作る音だけが店内に響く。男はゆっくりと酒を味わう。男の吐息からも甘く乾いたアニスが立つ。

男は酒を味わい、代金を置いて店を出た。

佐藤が後を追おうとしたとき、マスターが声をかけた。

「お嬢さん、これをお持ちなさい」

手渡されたのは銀製のカクテルピンだった。

「迷信でも、救える夜がある。これはお守りだ。古い銀はよく効く」

店の外では、同僚が待機している。彼女はジャケットを羽織り、携行を許された拳銃を、その内側で確かめた。

人通りのない路地で、佐藤は男の後を追っていた。突然、男の悲鳴が響く。

角を曲がると、そこには巨大な狼のような生物が男に襲いかかっていた。すでに同僚たちと怪物との格闘が始まっていた。

同僚たちは、両手で構えて引き金を絞った。火花、衝撃。二発、三発――止まらない。弾は肉をえぐっているはずなのに、獣は怯まない。鍛え上げられた同僚たちは、月に濡れた黒い毛並みの獣に難なく倒されてしまう。


狼男が振り返る。赤い眼がこちらを射抜き、喉の奥で低く唸る。獣が一歩踏み出すたび、アスファルトに爪が刻む音が近づく。

距離が詰まる。肩を掴まれ、背中が壁に打ちつけられた。指が首に食い込む。視界が白く爆ぜ、肺が空になる。

首を絞められ、意識が遠のく中、佐藤は必死にポケットの銀のカクテルピンを掴むと、獣の首筋へためらいなく突き立てた。

獣の咆哮。そして静寂。

黒い影がぐらりと揺れ、膝をつき、人間の男の形に萎んでいく。倒れていたのは、三十代の痩せた男だった。

荒い息の合間に、遠くで無線の合図と足音が重なった。彼女は壁づたいにずるずると力なく座り込んだ。

後日の調べで、男の生い立ちが明らかになった。幼少期から父親の暴力に苦しんでいた。酔った父親はいつも呟いていたという。

「銀の弾丸には負けねぇ」


アルコールに混じって漂う、強いアニスの香り。

匂いは記憶を連れ戻す。満月が引力で海を揺らすように、嗅覚は心の古傷を揺り起こす。店を出たばかりの客の呼気と衣服に残ったアニスの甘い香りは、獣の鼻にとって、まっすぐに過去へ通じる道だったのかもしれない。

あの夜、月の下で彼が掴みかかったのは、目の前の人間ではなく、昔の自分を虐待した父親だったのではないか――彼女はそんな想像をしてしまう。


佐藤は『BAR 蘆屋』を再び訪れた。マスターは何も聞かずに、静かにコーヒーを出してくれた。

「あの人にも、きっと辛い記憶があったんでしょうね」

佐藤の呟きに、マスターは小さく頷いた。

外では雲が流れ、月が薄くなっていく。銀のピンは怪物を倒した。けれど、香りが連れ戻した少年の心にまで届くものは、まだ見つからない。

いつか、満月でも吠えない夜が来るだろうか。彼女はコーヒーを飲み干し、扉を押した。ドアベルが鳴る。氷の音に紛れて、甘く乾いたスパイスがほんの少しだけ夜に残った。

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