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マンホールの怪物 [コメディ(ブラック)]

国民が主体的に政治に参加すれば、国民の意思が政治に反映されやすくなる――そんな政治形態をご存じでしょうか。

総理大臣の荒垣真司は、官邸の執務室で新システムの最終チェックを見守っていた。壁に設置された巨大モニターには“KOKUMIN-NET”のロゴが輝いている。

「ついに完成ですね、総理」秘書官が感慨深げに呟いた。

荒垣は頷いた。彼の政治信条は明確だった。「政治は国民のもの」。だからこそ、このシステムに五年の歳月と莫大な予算を投じてきた。

「これで国民の声を、リアルタイムで、直接聞くことができる。AIが瞬時に分析し、優先度を判定して政策に反映する。江戸時代の目安箱を、21世紀の技術で蘇らせたんだ」

荒垣の目は輝いていた。選挙の時だけでなく、毎日、毎時間、国民と対話できる。これこそが真の民主主義だと信じていた。

「明日からの運用が楽しみですね」

「ああ。国民の皆さんが、どんな声を届けてくれるか……」



“KOKUMIN-NET”の運用が開始された翌朝、主婦の田中佐和子は洗濯物を干しながら、隣の公園から聞こえる奇妙な音に眉をひそめた。

「ゴロゴロ……ドンドン……」

マンホールの蓋の隙間から、薄い蒸気のようなものも見える。工事でもしているのだろうか。でも作業員の姿は見当たらない。

佐和子は家事の合間にスマートフォンを取り出した。

昨日ニュースで見た“KOKUMIN-NET”のアプリは、すでにダウンロードしてあった。

「政府が国民の声を直接聞いてくれるって言うなら……」

彼女は慎重に文章を打った。

『近所の公園のマンホールから変な音と蒸気が出ています。ガス漏れか何かでしょうか。住所は○○区△△公園です。子どもたちがよく遊ぶ場所なので心配です』

念のため、スマートフォンのカメラで動画も撮影して添付した。確かに薄い蒸気と、地下からの低い音が記録されている。

「これで少しでも早く調べてもらえれば……」

佐和子は投稿ボタンを押した。

これが、システムが受け付けた9番目の「国民の声」だった。


大学生の山田智也は、友人とのLINEグループで盛り上がっていた。

「見た?“KOKUMIN-NET”に投稿されてるマンホール動画」

「見た見た。またフェイクでしょ?」

「蒸気って言うけど、ただの湯気っぽくない?」

「音も後付けっぽい」

智也は動画を再生しながら冷笑した。映像制作サークルに所属する彼には、安っぽい演出に見えた。

「フェイクにしても下手すぎ。こんなレベルで騙せると思ってるのかよ。俺ならもっとバズらせられる」

友人が煽った。「智也ならもっと上手く作れるでしょ?」

「当たり前。CGソフトくらい使えるし」

智也は得意のCGソフトを駆使し、ネットで拾ったマンホールの写真を加工し始める。

マンホールの蓋がゆっくりとずれ、隙間からぬらりとした爬虫類の巨大な手が這い出してくる。

合成の爪の質感までリアルに作り込み、影や蒸気も加えた。

三時間後、ハリウッド映画さながらの完璧なフェイク動画が完成した。

「これくらいやれば誰でもフェイクだって分かるでしょ」

智也は得意げに“KOKUMIN-NET”に投稿した。タイトルは「マンホールの怪物、ついに正体現す!?」。

数時間後、彼の動画は各種SNSで拡散され、「#マンホールモンスター」のハッシュタグがトレンド入りしていた。

「まじかよ……みんな冗談だって分かってるよね?」



一週間後、“KOKUMIN-NET”には類似の投稿が数百件に達していた。

水道から出る水が赤い。貯水池で巨大な影を目撃。橋の下から怪獣の鳴き声。

荒垣総理は報告書を前に頭を抱えていた。

「AIの分析では、全国で同様の現象が多発していると……」

「総理、これは明らかに模倣犯的な投稿ですよ」官房長官が進言した。

「しかし、数百件もの報告がある。それも動画付きで」荒垣は資料をめくった。「国民がこれほど多くの証拠を……我々は現実を見なければならない」

その頃、佐和子はニュースを見ながら困惑していた。自分が投稿したマンホールの件が、いつの間にか「怪物騒動」として報道されている。

「え、なにこれ…本当にいるの?」と夫に聞くと、「ネットで本物っぽいのがいくつも出てるぞ」と返された。


一方、智也は自分の作った動画が一人歩きしていることに薄々気づいていたが、もう止められなかった。フォロワーは急増し、新しい動画の制作依頼まで来ている。

「まあ、政府も本気で信じたりしないでしょ……」

悪ふざけの波はさらに広がり、彼以外のユーザーも怪物動画を作り投稿していることを智也は軽く考えていた。


数日後、本物のニュースが流れた。

下水道点検中の作業員が、野生化したワニを発見。別の地方では、貯水池で巨大カミツキガメが捕獲された。

「ほら見ろ、やっぱり怪物はいる!」とSNSは再沸騰した。

無数の嘘は、ごく少数の真実を核にして、真実の皮を被り始めていた。


“KOKUMIN-NET”のAIサーバールームで、システム管理者の鈴木は異常な学習パターンを発見していた。

「おかしい……AIが学習する『怪物』『地下生物』『インフラ』の確率分布が急速に変化している」

AIは膨大なネット上のデータで学習を続けていた。フェイク動画、専門家を装った解説、視聴率目当てのテレビ番組、週刊誌の煽り記事……すべてが「真実」として学習されていく。

さらに深刻だったのは、実際に下水道で捨てられたペットのワニやカミツキガメが発見されたことだった。これらの「事実」が、無数のフェイクを「真実」として補強してしまった。

AIの提言は明確だった:『全国規模の地下インフラ怪物調査の実施を推奨します。予算規模:約2000億円』



荒垣総理は閣議で決断した。

「AIの分析に基づき、全国のインフラ怪物調査を実施する。国民の安全を第一に考えた判断だ」

調査が始まって三週間後、最初の事故が起きた。

佐和子が報告したあの公園のマンホール。調査用のドローンが下水道に入った直後、老朽化したガス管からの漏れに引火し、爆発を起こした。

続いて、各地で老朽インフラの事故が連鎖した。水道管破裂による道路陥没。橋梁の崩落。すべて「怪物調査」の最中に発生した、皮肉な偶然だった。

そう、全国のインフラが限界を迎えていたのだった。


佐和子はニュースを見ながら呟いた。

「私が最初に言いたかったのは、ガス漏れの心配だったのに……」

智也は自分の部屋で頭を抱えていた。

「冗談のつもりだったのに……」

荒垣総理は記者会見で謝罪した。

「国民の皆様の声を聞くことに集中するあまり、その声の真偽を見極めることを怠りました」

しかし、彼にはまだ理解できていなかった。この騒動で失われた2000億円があれば、全国のインフラを整備し、今回の事故はすべて防げたということを。



2000億円かけた地下インフラの怪物調査の結果、怪物を見つけることはできなかった。

当たり前である。

本当の怪物は、悪意を持たない国民のいたずら心そのものだったのだから。


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