5話【一旦離乳食を作ろう】
オスカールはアルフォンスさんに説明してやれと言っていたのに、今現在1つも私達がここにいる状況が理解出来ていない。
早くもタケちゃんは順応しているけど、私達がいた世界と何もかもが違いすぎる。
壁も床も全てがベルハナみたいな世界に何故私達がこいるのかを直ぐにでも教えて欲しいくらいなんだけど、
「ぴぎゃあああ!!!!!」
「おーおー、よく泣く、元気な証」
タケちゃんはローズマリーを縦抱きにして泣け泣けとおしりをパンパン叩いた。
……そうなのよね。
ローズマリーがこんな調子じゃ今は聞くに聞けない。
しかもこんな頼りない2人にローズマリーを任せておくなんてできないし、事情なんかよりもやっぱり小さきものが最優先だわ。
ひとまずミルクでもあげて落ち着かせることに集中しようと前を向けば、
「ここが使用人用のキッチンや。ここならミルクがあるはずやねん」
アルフォンスさんが可愛らしい木の扉を開いた。
「ほぇーっ、たかだがキッチンなのに金かかってんね」
タケちゃんの感想はご最もで、貧乏な私達の家と違って調理器具や香辛料がずらりと木の棚にきちんと並べられている。
使用人用とはいえ料理を作る場所というか、見たことない長さの包丁から大きなお鍋まで何でも揃っていた。
それに奥の続き間には何故か赤ちゃんのベビーベッドやおもちゃがたくさん置いてあって、小さなサークルまでちょっとした保育所のようだった。
「こっちが保管庫や」
……保管庫?
扉を開けてもらうと中には今朝取れたばかりのような野菜や果物にミルク瓶、パンに干し肉やソーセージまで山程ぶら下げてあった。
冷蔵庫らしきものなんてのはもちろんなく、聞けば宮殿の裏に王家専用の畑や家畜を飼っていてそこから必要なものを持ってこさせるらしい。
「氷?それは地下の冷蔵室や」
「やっぱさすがにこの仕様で冷蔵庫とか冷凍庫はないのか」
タケちゃんはアルフォンスさんに冷蔵庫の有無を確認するけれど無いと分かってさっさと諦めたようだ。
ローズマリーを片手で抱え直して勝手に保管庫を覗いたタケちゃんは食材が物凄く豊富に揃っているのか嬉しいのか恐ろしく口角が上がっていた。
「ローズマリーってミルク?離乳食?それにこのミルクって飲まして大丈夫なの?」
「そんなん俺は分からへん」
「え?」
保管庫のミルク瓶の中身が何なのかをタケちゃんが尋ねてもアルフォンスさんは首を傾げて眉間に皺を寄せているだけ。
「召使いから朝取ったミルクは瓶に入れてると聞いたけど……」
「そんなんどーでもええからはよ作ってや」
それが牛かヤギなのかは分からなくてと謝る王妃様とは違って、無駄に急かすアルフォンスさんの脛をタケちゃんが思い切り蹴飛ばす。
「___なっ、何すんねん!!」
「味も分からないなんて使えないわね!それに殺菌もせずに飲ませる気!?」
…… タケちゃんの言う通りだ。
ここのミルクが何なのかは分からないけどそれを知ってる人が誰もいないなら一旦は殺菌した方が良い。
赤ちゃん関連のものは煮沸して殺菌するくらいは基本というか……。
ベルハナの世界にそっくりだからそんな理念がまだここでは浸透していないのかしら?
でも王妃様ならまだしもアルフォンスさんまで何のことだか全くピンとこないだなんて、貴族って本当に何もしないのねと呆れてしまった。
「わかちゃん、ミルクは中身分かんないし飲ませるのはとりあえず止めよう」
「そうだね」
「多分このサイズだともう離乳食でいいと思うんだよね。アタシが離乳食作るからこの子任せていい?」
「はーい」
こういう時のタケちゃんは見ていて頼もしく無駄がない。
ローズマリーをタケちゃんの代わりに初めて抱っこしてみるけど良く肥えていて身が詰まっているタイプのずっしり重い赤ちゃんだった。
「マリー、申し訳ないけどそこに座ってて」
王妃様に置いてあった木の椅子を勧めてから、タケちゃんは危ないと言いつつも中身が気になるのかミルク瓶のコルクを外してグラスに移して味見している。
訳の分からない世界に来てよく簡単に口にするなと思うけど、タケちゃんはかなりお腹強いから大丈夫かな。
「ん、高級な味。美味いけどやっぱローズマリーにはやめとこう」
「一応裏の農場で朝1番に女性達が絞ってこして持ってくるんやけどな」
「へー……料理は誰がつくるの?」
「料理は女がするもんや」
アルフォンスさんの言葉にタケちゃんの片眉がピクリと上がるけどしょうがない気がする。
___この国は、多分ベルハナの価値観なのよ。
「ねぇタケちゃん、きっとここでは男性は敵が来たら倒すのがお仕事なのよ。オスカール様も近衛隊長だったもん」
タケちゃんのよく回る口が動き出す前に私がフォローしないとと慌てて間に入った。
「ふーん……」
まだ納得がいかないみたいだけど、タケちゃんはアルフォンスさんを上から下までジロジロと見ている。
タケちゃんが口を開こうとした瞬間ローズマリーがまた泣きだしたので、まぁいいかと舌打ちをしただけで済んだ。
「鍋は……これか。おっさん、鍋でこの野菜簡単に煮込むから火付けといて」
「は?何でや」
タケちゃんは置いてあったマッチらしきものをアルフォンスさんに渡すけど彼は明らかに驚いた顔をしている。
キッチンの薪ストーブみたいなものは上に鍋を乗せる仕様になっていて、タケちゃんはそこに大鍋と小鍋を置いて湯を沸かしたいんだろうけど明らかにアルフォンスさんが不服そうだ。
「何でもクソもないわよ、あんたしか手が空いてないでしょうが」
「しゃーないな……特別やで?」
「特別って……あんた何か勘違いしてない?アタシ達この訳の分からない状況の中手伝ってあげてるんだけど。何の説明もしてくれないしここから今すぐ出てってもいいのよ?」
そう言って思い切り睨みつけるタケちゃんに、慌ててアルフォンスさんはマッチを取り出し着火させようとするものの力を入れすぎたのかポッキリ折れてしまった。
アルフォンスさんが何回か挑戦しても折れてしまう不器用な姿に、タケちゃんは樽の中の水を鍋に移しながら苛立ってるのが丸わかりだ。
「あ、あれ……こうやと思うねんけど……あっ!」
やっとマッチに火がついてストーブ下の薪にそのまま付けようとするけど湿気っているのか簡単に火は燃え移らない。
あっという間にマッチの持ち手のところまで火が回ってきてしまい彼は慌てて火を吹き消してるけど……。
まぁ、ベルハナでこういう裏のシーンは出てこなかったけれど、やっぱり貴族の人は下働きみたいなことをやったことがないのよね。
「私がやりま__」
「早くしてよトロくさいわね!わかちゃん、これここで洗ってみじん切りにしておいて!おっさんはローズマリー抱っこしててよ、ほら早くそこどいて!」
もう本当に短気なんだから……。
水を移し終えたタケちゃんは痺れを切らしてしまい、私がアルフォンスさんにローズマリーを預けると再び大声で泣き始める。
お腹が空いてるのよね、早く離乳食を作らないと可哀想。
私もタケちゃんと一緒にストーブ内を覗き込めば、
「中に松ぼっくりとか入ってない?着火剤のはずなんだけど……」
「あったわ、ほい」
タケちゃんは松ぼっくりを手で掴んでストーブ内の手前に置くマッチで火をつけその上に乗せる。
松ぼっくりが燃え尽きるまでにやっと火が薪に移ってパチパチと音を立てて燃えた。
「お、おい、はよせぇ……めっちゃ泣いとんで?」
「水の中の菌が死にきらずローズマリーが死んでもいいなら適当にやるけど?」
辛辣な言葉にアルフォンスさんも泣いてたローズマリーまでもがピタリと静かになった。
タケちゃんが火を調節している間に私が大鍋で沸いたお湯で食器や調理器具を煮沸する。
それから火の調節をバトンタッチしタケちゃんが手早くキャベツや人参もどきを細かく刻むと小鍋の中に放り込んだ。
小瓶に分けられていた調味料を片っ端から味見したタケちゃんは塩を見つけたのかほんの少量だけ味付けして、
「わかちゃん、これちぎって」
私が言われた通りそこへパンを出来るだけ細かくちぎって混ぜると、美味しそうな離乳食があっという間に出来上がり。
「まぁ……本当に手際がいいのね」
王妃様が物珍しいのかタケちゃんが器に離乳食を移すのを立ち上がって見ている。
「危ないですよー、でもありがとうございます。マリーにそう言って貰えると嬉しいな」
机の上に置いてしばらく冷ましてからあげようとした途端に、
「せやったらこれローズマリー様に食べさせんで」
先程の失敗を挽回したいのかアルフォンスさんが片手で器の中のスプーンをパッと手に取りそのままローズマリーの口の中へ入れようとした。
「こ、殺す気ですか!?」
仰天しそうになった私は思わずアルフォンスさんの頬をビンタしてしまい、その反動で宙に舞った赤ちゃんをタケちゃんが素早くキャッチしてくれた。
「バッッッッカじゃないのおっさん!?あんたも同じ目に合わせてやろうか!?」
アルフォンスさんの首元の黒いリボンを片手で締め上げるタケちゃんの腕の中の赤ちゃんは赤ちゃんの顔は真っ青で固まっていた。
……やっぱりこの子、賢いのね。
高貴な生まれだと頭もいいだなんてと、タケちゃんからローズマリーを受け取りその頬を指で軽くつついた。
「火傷するでしょうが!そんなことも分からないの!?何年生きてんのよ使えない!」
「そないなこと言われても!や、やったことあれへんから__」
「これだからジジイは……何?育児は全部奥さんに任せてきたの?あぁ指輪なし、そらそうだ、こんなのと誰も結婚なんかしたくないわよ」
目ざといタケちゃんはアルフォンスさんの左手を確認すると早口言葉のように捲し立てて器の中の離乳食をスプーンで冷ますようにかき混ぜた。
おっさんからジジイとまで言われてアルフォンスさんは口をパクパク金魚みたいにしているけれど、自業自得だと思う。
しばらくして冷めたことが確認できたのかタケちゃんはローズマリーを抱っこする私と向かい合わせで椅子に座り、スプーンでフーフーしながら口へ運んだ。