1話【壁尻転生】
「だーーー……疲れた……」
「何で男性トイレってあんな汚いんだろうね」
「家だと妻に怒られるからかね?イキって外では巻き
散らかすんだろ。誰も見てないとなった途端男はほんと
しょーもねぇな……ほいこれ肉まん」
劇場清掃員として働く私たちは、仕事を終えて外にある小さなベンチに座って一息ついた。
目の前には明るい朱色に塗られた美園座がそびえ立つ。
歌舞伎やミュージカルが上演される開かれる名古屋の
この広々とした劇場は連日満員御礼の盛況ぶり。
1階にはお土産売り場やとちょっとしたカフェも併設
されていて、私達はこの劇場全体の清掃員として働いてるの。
「あ」
タケちゃんが半分こするためにコンビニで買ってきて
くれた肉まんを明らかに3分の2サイズで割ってしまい、交互に見比べながらどちらを渡すか悩んでいる。
この子はタケちゃん、私の1個上の18歳だ。
勝ち気でハッキリキッパリとした嘘のない性格で私の
大好きなお姉ちゃん。
悩んだ末、いつも私に大きい方をくれるところも大好きだ。
「ありがとう。ねぇタケちゃん、それよく似合ってて
可愛いね」
「いや作って貰った分際で言うのもなんだけど……
この服ヨンリオの猫じゃないんだからさー」
「そうかな?キディちゃんみたいで可愛いよ」
「何?じゃあアンタは赤のオーバーオール着てるから、キディの双子の妹で性格のいいミミーって事?交換しようよ」
「やだ」
ぶつぶつ文句を言いながらも、私が作ったジーンズ生地の紺色のオーバーオールを着てくれるタケちゃんが大好きなの。
「はいはいそうですか……って、見てわかちゃん次の
公演ベルハナじゃん!」
「タケちゃんベルハナ知ってるの!?」
知ってるというか少しだけ見たというタケちゃんは、
美園座の壁面ガラスに貼られた公演詳細ポスターを指さした。
『ベルサイユの華』は玉塚歌劇団の大人気ミュージカル作品でフランス革命前後のベルサイユ宮殿を舞台にした物語。
男装の麗人が出でくる美しい世界が現実を忘れさせて
くれる私の大好きな作品なの。
「この金髪は誰?」
「それがオスカール!私が1番好きな人!」
「へぇー…アタシはこれかな」
「アンドレークね!」
ふーん、タケちゃんってこういうのがタイプなんだ。
肉まんを1口で食べたタケちゃんが指差すのは男装の
麗人オスカールの従者アンドレーク。
長い黒髪で大人っぽい雰囲気がセクシーなんだよね。
「わかちゃんて割とロマンチストだよね。ほぇー…これ玉塚歌劇団が演るんだ」
「そう!しかも梓志保様がオスカール様で花橋美月さんがマリーなの!」
梓志保様は玉塚歌劇団の現宇宙組トップスター。
入団からあっという間に上り詰めた、超かっこよくて
素敵なお方。
切れ長な目が吸い込まれそうなくらい大きくて背も高く鋭い眼光にうっとりしちゃう。
そして花橋美月さんは同じ宇宙組のトップ娘役で、梓志保とペアを組むため10年トップの座に君臨するまさに
王女様のような存在だ。
「マリーはどれよ…え、そんなに好きなのに見に行かないの?」
「チケットなんて買えるわけないでしょ?…そもそも
今だって就業時間嘘ついて息抜きしてるんだし」
「あのクソジジイ早く死なねぇかな」
仕事以外の外出はほぼ禁止、家事は全て女がやるもの、暴力当たり前の父親に育てられた私たち姉妹は仕事が終わったらは即帰宅を命じられてる。
就業時間は18時なのに19時だと嘘をついて、この1時間が私達姉妹の唯一の息抜きだ。
コンビニで2人で食べたいものをこっそり買って半分こ
するのが毎日の楽しみだった。
母は早くに亡くなり、私とタケちゃんは最低の父親の
面倒を見続けてきた。
でも、成人したら家を出ようと約束してきたの。
タケちゃんは私が成人するまで我慢して待ってくれて
いて自由を手に入れるまであと数ヶ月。
そうしたら私だって……。
私だって素敵な服を着て、タケちゃんと2人で自由に暮らすのよ。
玉塚歌劇団もベルハナもいつか絶対見に行くんだからとポスターを眺めるけどこの公演は今回限り。
私たちが家を出る頃にはとっくに終わっていて、梓志保様にも会えない……。
………泣きたくなってきた。
「げ、元気出してよ……」
「うん……早く2人で家を出てさ、穏やかに幸せに暮ら
そうね」
無理やり笑うとタケちゃんはよし分かったと立ち上がり、ガラスに貼られたポスターの前でオスカールと同じポーズを取った。
何をするのと首を傾げると、
「私が即興で演じてあげるよ!アンドリュー!愛してる!」
「アンドレークね」
「オスカール!お前は何故胸がGカップもあるんだ!」
「ねぇ全然違う!!即興すぎる!!」
ストーリーを全く知らないタケちゃんの雑すぎる設定に思わず2人で笑い出してしまった。
こうやって場を明るくしてくれるところも大好きなんだよね、と舞踏会をイメージしているのかクルクル回って踊るタケちゃんを見ていると、
「あ、やば」
タケちゃんが足を滑らせ頭からガラスの方に倒れていった。
なぜかタケちゃんの動きがスローモーションのように見えて、このままだと頭からガラスに突っ込んでしまうと手を伸ばせば、
「えっ……え!?」
ガラスに突っ込んで血まみれ……なんてことにはならなかった。
でも、これを言っちゃっていいか分かんないけど、他に表現のしようがないし……。
「か、壁尻になってる」
ポスターのオスカールの股間部分にタケちゃんの胴半分が埋まっていて思わずそのまま呟いてしまった。
見事な壁尻だけど、タケちゃんは抜け出したいのか足をバタつかせているのにどんどんとポスターの中へと飲み込まれていく。
「ま、待って待って待って!?!?」
どこに行ってしまうのかは分からないけど直感で絶対
絶命な気がした。
私は慌ててタケちゃんの残った片足にしがみつくけど、どれだけ踏ん張ってもそのままとんでもない力で一緒にポスターの中へ引き込まれていく。
絶対この足だけは離さない、そう思った瞬間目が開け
ないくらいの眩い光に包まれた。