表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/60

第7話:目に見える真実と目に見えない真実

『理解した』


 この言葉は、シシンの口癖だった。

 ヒカルにとって、それは頼もしさを象徴する言葉だったはずだ。だが今は、背筋が凍りつくほどの恐怖に感じる。まさか、この言葉にこれほど怯える日が来るとは、夢にも思っていなかった。


 ヒカルは、この絶望的状況から抜け出す方法を必死に模索していた。戦闘ではなく、対話こそがこの状況を打開する唯一の手段だと直感していたからだ。


 シシンの言葉が脳裏をよぎる。


『それでヒヨリ。俺はどうすればいい?』


 ――もし、この状況で仕掛けてくるとしたら、動くのはシシン先輩だ。

   だとしたら、それを止められるのは――。


 ヒカルの視線は自然とヒヨリへと向けられた。

 必死に言葉を探り、彼女に向けるべき説得を頭の中で組み立てていると――隣で沈黙を守っていたパオタロが、まるで覚悟を決めたように短く息を吐き、口を開いた。


「ヒヨリさんと話がしたい」


 ヒヨリは目をぱちくりと瞬かせ、楽しげに微笑んだ。


「当たり前だよぉ~、パオタロ君っ! 私は、ず~っとパオタロ君たちとお話ししたかったんだよぉ?」


 ヒヨリのあまりにも軽い反応に、ヒカルは『結局、直球でよかったのかよ』と内心ぼやかずにはいられなかった。


 ヒカルはこのまま曖昧に会話を進め、場を穏便に収めて、一時的にでもこの絶望的状況から距離を取ろうとしていた。王血館に戻りさえすれば、態勢を立て直せるはずだ。


 しかし――。


 パオタロはヒヨリの軽い口調に呑まれることなく、静かな、揺るがない様子で問い詰めた。


「ヒヨリさんは、あの時、ハルナさんが“魔女の嫉妬”で消えることを知っていましたか?」


 ――あああああ、踏み絵みたいな質問しやがって……!!

   これじゃ、もう曖昧にできないじゃん、どうすんだよ!


 パオタロの考えは、ヒカルとは全く異なっていた。

 そもそも彼は、この状況でヒヨリとシシンが自分たちを素直に見逃し、王血館に戻って態勢を立て直すような猶予を与えてくれるなど、あり得ないと考えている。もし突破口があるとすれば、それは王血部隊の仲間として――さらには、シングウ王国の平和を願う者同士として、“共通の思い”を見いだすことだけだ。そのためには腹を割った話し合いしかない――パオタロは、すでにそう確信し、覚悟を固めていた。


 ヒヨリはパオタロの問いに少しだけ視線を逸らし、頬にかかる髪を指先で軽くいじりながら、曖昧な笑みを浮かべて答え始めた。


「知ってた……になるのかなぁ? あの新魔法、私もちょっとだけチャレンジしてた時期があったんだけどね……。でも、なんていうのかなぁ、あれ、すっごく嫌な感じがして、“魔女の嫉妬” が発生しちゃうのかなって思ったんだよねぇ……。ハルナちゃんには何度も危険って言ったんだよぉ!? だけど、全然聞いてくれなくって……」


 ――もういい、パオタロ。「なるほどですー」とでも言っておけ!

   あとは俺が話をまとめてやるから!


 しかし、覚悟を決めているパオタロが、こんな曖昧で適当な答えに引き下がるはずがなかった。むしろ彼の目には、ヒヨリのごまかすような態度への明確な苛立ちが浮かんでいる。


「なぜ新魔法開発をしていたのか、俺にはまったく理解できないんだが。禁止されているんじゃないのか?」


 パオタロの苛立ちは、そのまま強い語気となって現れた。

 指摘された矛盾に気づいたヒヨリは、困惑したような、どこか気まずげな笑みを浮かべる。


「……あっ! ほんと私ってドジだなぁ。そうだよね、実はね……うぇーん、もうダメだぁ……。シシン君、もう私……どうしたらいいのかなぁ? ぐすん」


 ――このバカタロ!!

   シシン先輩に話を戻しちゃっただろ……どうすんだよ……。


 シシンは無言のまま一歩踏み出した。その足音はやけに重く響き、ヒカルの鼓動を速める。鋭い目つきでゆっくりとヒカルとパオタロに近づくシシン。その瞳に浮かぶ感情は怒りなのか、それとも別の何かなのか――ヒカルにはまったく読み取れなかった。


 一瞬の静寂の後、シシンが口を開いた。


「パオタロ、ヒカル、俺からも一度だけ確認しておきたい。『ヒヨリに関してお前たちが見てきたことを他言しない』――お前たちは、たったこれだけのことを受け入れられないのか?」


 このシシンの言葉が、ヒカルの心を激しく揺さぶった。


 ――“受け入れる”と答えれば、全てが終わる。

   見なかったことにすればいいだけだ。

   でも、それは……それは、命を懸けて魔女と戦うために、ずっと一緒に育ってきた王血部隊の仲間たちを裏切るってことだろ……!?


 ヒカルの身体が震え始めた。怒りと悲しみが胸の奥から溢れて止まらない。


「今朝の食堂での話は、なんだったんだよ!!」


 抑えきれない感情が、叫び声となって迸る。


「『平和を守る』って、なんだったんだよ!! 結局、仲間を裏切って、後ろめたいことを隠そうってことなのかよ!? それを『たったこれだけのこと』だと? ふざけんのも、いい加減にしろよ!!」


 ――あーーーー。

   パオタロ、ごめん……言っちゃった……。

   でも、俺はどうしても仲間を裏切りたくない。本当に……ごめん。


 ヒカルは荒い呼吸の中で、自分を見つめるパオタロの視線に気づいた。その顔は、これまでに見たことがないほど真剣で、どこか戸惑いを隠しきれないようにこわばっていた。いつも冷静なパオタロが、こんなに複雑な感情を見せるのは初めてのことだった。


 パオタロはヒカルと目を合わせ、小さく頷いた。それはヒカルの言葉を後押しする強い意思表示に見えた。そしてゆっくりと右手に胸を当てると、大きく見開いた目でシシンを射抜いた。


「“属性解放の儀”がまだ終わっていない俺たちは、ただの無属性に過ぎない。まともにやれば先輩たちには絶対に敵わない。だが、封印されている属性をここで無理やり叩き起こすことくらいは、できますよ。この意味……分かりますよね?」


 パオタロは一か八かの勝負にでた。その声には、隠しきれない決意が込められている。それを見て、ヒカルは自分の胸に熱い何かがこみ上げるのを感じた。


 ――……パオタロ!!

   さっき、バカタロとか言ってすまん。


「しかも、俺には光属性が眠っている可能性がある。まあ一応、ヒカルも光属性かもしれないって話はありますけどね。名前だけのヤツと違って、俺の場合は実力も伴ってますから」


 ――こんな状況で張り合ってんじゃねーよ!

   ……でもまぁ、案外いいヤツだったんだな、お前。

   しゃーねーな……最後まで付き合ってやるよ。


 ヒカルは深く息を吸い込んだ後、覚悟を決めたように一歩踏み出し、確かな足取りでパオタロの隣に立った。

 二人の表情を見れば、もはや迷いがないことは明白だった。


「未だ十分に解明されていない属性を、封印状態から無理やり叩き起こしたらどうなるか……。たぶん、俺たちだけじゃ済まないでしょうね。この辺り一帯が吹き飛ぶとか……そんな可能性だってゼロじゃない」


 パオタロのこめかみを、一筋の汗がゆっくりと伝っていく。

 ヒカルもまた、静かに右手を胸に置いた。


「あのさ、丁寧に言わないとわかんないスか? ……俺たちはもう覚悟決まってんだよ! 王血部隊から今すぐ去るか、それとも一緒にここで死ぬか、早く決めろ!!」


 パオタロは本来、冷静沈着な男だ。

 しかし今、彼は明らかに激高し、王血部隊・甲種としての強い覚悟を露わにしている。

 ヒヨリとシシンを前にして、これが今のパオタロにできる最大限の行動であり、唯一の選択だった。


 その姿を目の前に、シシンは驚いたようにパオタロを見つめていた。その瞳には、懐かしむような――あるいは、かつての自分を重ねるような――複雑な感情が浮かんでいた。


 張り詰めた静寂がその場を支配するなか、やがてシシンはゆっくりと息を吐いた。

 鋭さを帯びていたシシンの目元は徐々に和らぎ、やがて穏やかな笑みへと変わった。


「ハハッ……まだまだ子供だと思っていたが……そうか。明日には、お前たちも“属性解放の儀”だったな」


 ヒヨリは、少し不安そうな顔でシシンを見つめる。


「シシン君……」


 ヒカルとパオタロは、未だに「少しでも変な動きを見せてみろ」と言わんばかりの警戒した視線をシシンたちに向けていた。

 そんな二人を横目に見ながら、シシンはヒヨリにゆっくりと目をやると、穏やかな声で言った。


「ヒヨリ、すまない。だが、何も問題は生じていない。安心しろ」


 シシンはいつものように眼鏡に手をやり、“間”を取った。

 これは彼のルーチンだ。この“間”は、思考を整理し、感情をコントロールするための大切な手段だった。


「パオタロ、ヒカル。俺が間違っていた。すまない。言い方を間違えたんだ。理由も伝えず、小さな子供を諭すように、ただ黙って従わせようとしてしまった。それが、お前たちの不信感を招いた……俺の責任だ」


 しかし、最初に放たれたシシンの言葉は、ヒカルを到底納得させるものではなかった。ヒカルは心の奥底から抑えきれない怒りと悲しみが再び込み上げてくる。


「……誤解なんかじゃない! シシン先輩は、仲間を裏切ることを『たったこれだけのこと』って言ったんだ。その時点で、あなたを信用できるわけがないでしょう!」


 ヒカルが声を荒げると、シシンは静かに片手を挙げ、落ち着かせるような仕草をした。


「ヒカル、少し落ち着いて聞いてくれ。俺が言っている『誤解』は、そこじゃない。それよりも前のことだ」


 シシンの落ち着いた口調と真剣な眼差しに、ヒカルは戸惑いを感じた。


 ――それよりも前……?


「お前たちは、ヒヨリが仲間を裏切るような“後ろめたいこと”をやっていると思っているんだろう? そこに誤解がある。この結果、誤解が誤解を生み、取り返しのつかないほど大きな誤解になってしまった」


「じゃあ隠さずに全部話してくださいよ! なんで矛盾するようなことを言うんですか? おかしいじゃないですか!」


 ヒカルの厳しい追及から、シシンは決して目を逸らさなかった。

 数秒の沈黙が重苦しく流れた後、彼はゆっくりと口を開いた。


「……すまないが、それはできない」


 シシンの言葉には苦しげな響きが混じっていた。


「……なぜなら、俺自身もまた、ヒヨリが抱える真実のすべてを知っているわけではないからだ」


 ――シシン先輩も知らない……?


 ヒカルは耳を疑った。

 ここまで来て、そんなことが言えるなんて信じられなかった。あれほど信頼し、尊敬していたシシンが、なぜ今さらそんな見え透いた言い訳を口にするのか――ヒカルの胸に複雑な感情が渦巻いていた。


 シシンは静かに息を吐いた。

 その瞳には、隠しきれない痛みがにじんでいる。やがて、彼は何かを決心したかのようにゆっくりと口を開いた。


「あれは、去年の――俺たち世代の“属性解放の儀”が終わって間もない頃だ」


 シシンは苦みを含んだ声色で、過去の記憶を辿っていく――。


「俺たち“イチニセン”は、ヒヨリに真実を無理やりにでも吐かせようとしていた。ちょうど今のお前たちと同じようにな……。ヒヨリが抱える矛盾や隠された事実が、この先王血部隊にとって致命的な問題を引き起こしかねないと考えたんだ」


 シシンは苦しげに眉を寄せ、視線を少し伏せた。


「あの頃の俺たちは未熟だった。ヒヨリが一人になるタイミングを見計らい、一斉に飛び掛かったのだが、あっけなく返り討ちにされた。それでも俺は諦めきれず、ヒヨリを魔法で拘束しようとした。だが、焦りのあまり呼び出した俺の鉄鎖は、ドロドロに溶けた高温の失敗作になっていた……」


「その“失敗作”は、事もあろうに、モンドの頭上、わずか10センチほどの場所に出現した。それを見た俺たちは、恐怖のあまり、一歩も動くことができなかった」


 ヒカルとパオタロは言葉を失ったまま、シシンの告白を聞いていた。


「だが、その時ヒヨリだけは違った。一瞬の迷いもなく、顔面蒼白のままで駆け込み、あの巨体のモンドを必死に突き飛ばしたんだ。二人は間一髪でそれを避けたが、床に落ちた“失敗作”の一部が跳ね返り、ヒヨリの首元に付着した」


 シシンの指先がわずかに震えている。


「そのときのヒヨリの悲痛な叫び声は、今も耳から離れない。俺は慌てて魔法を解き、水で患部を冷やしたが、すでに皮膚は焼けただれていた。震えるヒヨリの姿を目の前にして、激しい自責の念と後悔が俺の胸を締め付けた。そして問いかけずにはいられなかった」


『死にたいのか!! お前を襲った俺たちを……、モンドを、なぜ助けた!?』


「その問いに、ヒヨリは震える体を必死に支えながら弱々しく、しかしはっきりと答えた」


『シシン、モンド、カイエン……、“イチニセン”の三人は、これから絶対に強くなると思うから……。本当にごめんね……私、一人でも欠けたら……魔女さんに勝てる自信がないんだよぉ……』


「その瞬間、俺たちは悟ったんだ。仲間の信頼を裏切ったのは、他でもない俺たち自身だったのだと。ヒヨリの心に、首の傷よりも深い傷を刻んでしまったのだと。

  だからこそ、俺たちは誓った。ヒヨリを守れるほど強くなることを。そして何があってもヒヨリを信じ抜くことを」


 シシンはヒヨリに目を向けた。

 ヒヨリの白い首元には、いつもと同じ黒いチョーカーが巻かれている。


「あの日ヒヨリは、裏切った俺たちをそれでも必死に守ってくれた。ヒヨリが見せたくないと言うのなら、それで俺は構わない。だが、見えていないだけで、ヒヨリは今も俺たちのために戦い続けている。俺は――そう信じている」


 シシンは一歩ヒヨリに近づき、穏やかな声で続けた。


「だがなヒヨリ、これだけは言わせてくれ。お前が何を背負っているのかは分からないが、お前は独りではない。二度と独りで戦わせたりはしない。俺たち“イチニセン”は、何があってもお前の味方だ」


 風が優しく吹き抜け、ヒヨリの髪が静かになびく。

 長い髪に隠れたヒヨリの表情を、ヒカルはうかがい知ることができなかった。


 しばらくして、ヒヨリの指先がためらうようにゆっくりと首元のチョーカーに触れた。

 その仕草は、彼女の抱えている過去の痛みと、ヒヨリがずっと求めていた少しの安堵とシシンへの信頼を、静かに物語っているようだった。


 やがて、ヒヨリは小さく頷いた。


「……ありがとう、シシン君」


 かすれた小さな声だったが、ヒカルにははっきりと届いていた。

 そして、風に小さく揺れる長い髪の隙間から頬を伝う涙がヒカルの目に映った。


 涙に濡れた頬にわずかに浮かんだ控えめな微笑み――それは今まで見たことのないほど繊細で、温かなものだった。


 その一瞬の表情を目にしたヒカルは、胸の奥に深く沈み込んでいた不安や疑念が、ゆっくりと溶け始めていくのを感じていた。


 やわらかな陽光が差し込み、ヒヨリの髪を温かく照らしていた。

第7話をお読みいただきありがとうございます。


少しずつ謎が明かされていきます。長めではありますが、ぜひ第11話の『属性解放の儀』までお付き合いいただけると嬉しいです。


今後ともよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ