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第6話:第三の影

『ぐすん……でも、ごめんねぇ。パオタロ君たちに、それをやらせるわけにはいかないんだぁ……』


 二人はその声に背筋が凍りついた。この声の主が誰なのか認めた瞬間、後戻りできなくなる――その現実に思考が冷たく支配されていく。


『ええっとね、パオタロ君にはあるのかなぁ? 覚悟』


 優しくもどこか悲痛な問いかけに、二人は沈黙を選ぶしかなかった。凍てついた空気が身体を縛りつける。額を伝う冷たい汗が、ぽたりと地面に滴り落ちる。


 世界から切り離され、時間からも取り残された感覚――永遠とも感じられる緊張の後、再び“三人目”の声が響いた。


『……あ、シングウ王国をあの怖~い魔女さんから守るっていう覚悟のこと、だよぉ?』


 二人は答えることができなかった。ただ息を詰まらせたまま、その場に立ち尽くすしかない。


『ッフフ、魔女って言葉だけで、そうなっちゃうんだぁ~。じゃあ、もう私の邪魔はしないってことでいいよねっ!?』


 ――違う。今、俺が怖いのは魔女なんかじゃない。

   あなたですよ、ヒヨリさん……。


 ヒカルは必死に身体を動かそうとしたが叶わず、視線だけがかろうじてパオタロを追った。


 パオタロは完全に固まっていた。

 彼の瞳は鋭く張り詰め、微かな呼吸の乱れが、心の奥底に広がる動揺を静かに物語っていた。


『パオタロ君、聞いてる? 力も覚悟も足りない君たちは、もう何もしなくていいんじゃないかなぁ。安全なところでじっとしてればいいんだよぉ――。だから、この数日で見たことは絶対に誰にも言わないで欲しいんだぁ? ヒカル君なんて、絶対無理なんだし……ね?』


 ヒヨリはパオタロがこれまで監視していたことを、すべて見抜いていた。

 その瞬間、常に冷静さを保っていたパオタロの指先がかすかに震える。ヒカルはその動きを見逃さなかった。


 しかし今のヒカルにとって、それ以上に許しがたい言葉――『ヒカル君なんて、絶対無理』という一言が頭の中で反響していた。


 ――絶対無理? 俺が?


 心の奥で何かが勢いよく弾け飛んだ。その言葉はヒカルを支配していた恐怖を一瞬で吹き飛ばした。


 ――え? ちょっと待って? 俺の評価終わってませんか?

   いつもヒカル君ヒカル君って、あんなに優しかったのに……!

   ていうか、さっきからパオタロばっかり話しかけてませんかぁぁぁ!!


 胸がカッと熱くなり、拳が震え、抑えきれない感情が爆発した。


『ちょっとぉぉおおお!! ヒヨリさんっ! 俺が絶対無理ってどういうことですかぁぁぁ!! 覚悟くらい……ちゃんとありまぁぁぁぁっっす!!!』


 不満が爆発したヒカルを見て、ヒヨリは悲しげに、まるで憐れむような表情を浮かべた。


『やっぱり、これだけお願いしてもダメなんだぁ……。私はここで円満に解決したかったんだけどな、グスン……。じゃあ仕方ないね、最後の手段、使わせてもらうよぉ』


 ヒヨリはそう告げると、冷めた目つきで空に向け魔鳩を放った。


 その瞬間――三人で共有されていた“同じ魔指紋”の潜伏魔法が一斉に解除された。


 パオタロが動いたのだ。


 彼の思考はすでに回復していた。

 ヒヨリが初めて見せた、決定的な“隙”をパオタロは決して見逃さなかった。


『いくぞヒカル! 王血館だ!』


 気づけば、再びヒヨリを除いた二人だけが同じ“魔指紋”の潜伏状態に潜っていた。

 状況を即座に理解したヒカルもまた行動に移る。今朝の“ドライヤー”よりも遥かに強力で濃密な“風の塊”を右手に生成し、同時に左手を勢いよく伸ばして、パオタロの腕をガサツに引き寄せる。


『飛ばすぞ、んぐっ!』

『っぐ!』

「きゃ!?」


 ヒカルが“飛ばす”と言い切った瞬間、右手に凝縮された“風の塊”が激しく炸裂した。その爆発的な衝撃は、ヒカルとパオタロの身体を王血館の方向へと一気に空高く打ち上げ、ヒヨリを真逆の方角へ激しく吹き飛ばした。


 空中で勢いを保ちながら、ヒカルは周囲の空気から大量の水分を引き寄せる。手をかざすと、その水分は一瞬で凍りつき、王血館の方角へ向かって美しい氷の斜面が形成されていく。


 ヒカルとパオタロは、斜面に滑るように降り立つと、その勢いのまま一気に王血館へと滑走していった。


『相変わらず、器用な奴だ』

『……よぉ、パオタロ。どした?』

『ち、殺すぞ。……ップ』

『ハハハッ!』


 二人は先ほどまでの極限の緊張感から解放された反動もあり、思わず笑い声をあげていた。

 もちろんヒヨリの脅威が完全に消えたわけではない。依然として背後には静かな殺意が潜んでいる。それでも、この一瞬だけは安堵と喜びを噛み締めるように笑い合った。


 ――よし、これを滑り終えれば、森を抜けるまでもうすぐだ。


 王血館は、森を抜けたすぐ先にある。これだけ距離を稼いでおけば、さすがのヒヨリでも簡単には追いつけないはずだ。


『それで、王血館に行ってどうするんだ?』


 ヒカルの言葉に、パオタロは氷の斜面が途切れる到達地点を横目に見つつ、早口でまくしたてた。


『まずは戦力だ! 戦力が均衡しないと話し合いにもならない。ヒヨリさんがハルナさんを消した可能性があること、そして今俺たちが追われていることを、王血館内で思いっきり叫びまくれ! シシン先輩がベストだが、モンド先輩やカイエン先輩でも構わない。“イチニセン”の誰かに伝われば、すぐに戦力が整うはずだ』

『わかった!』


 ヒカルとパオタロは氷の斜面から飛び降りると、森の出口に向かって走り出した。

 しかし、疾走するうちにヒカルは奇妙な感覚に襲われ始める。


 ――何かがおかしい……。


 これだけ走っているにも関わらず、森が一向に途切れる気配がない。次第に息遣いが荒くなり、胸を締めつけるような焦燥感が強まっていく。


 頭の中に生じた小さな違和感は、徐々に明確な疑念へと変わっていった。


 ――この木……さっきも見なかったか?


 赤く剥がれかけた樹皮、折れ曲がった細い枝――目印にした覚えのある光景が何度も視界に入っている。


 やがてパオタロが立ち止まった。


『……チッ、どうやら俺たちは嵌められたらしいな』


 低く静かな声で呟いたパオタロの視線の先には、繰り返される光景が無限に広がっている。明らかに同じ木々、同じ茂みが続き、出口への感覚は濃い霧に閉ざされたように曖昧になっていた。


『ここまで来たのに……マジかよっ!! ヒヨリさんと戦うったって、今の俺たちじゃ一瞬でヤられるってお前言ってたよな! どうすんだよ、パオタロ!!』


 ヒカルは心に渦巻く不安と焦りを抑えきれず、そのままパオタロにぶつけていた。ヒヨリに追いつかれるという恐怖が、ヒカルの心を完全に呑み込もうとしていた。


『黙れ雑魚が。すぐに動揺するのは単細胞だからか? 俺たちはこの森に入ったんだ。出られないわけがないだろ』


 パオタロの言葉にヒカルは――もっと分かりやすく言えよ!――と内心で叫びつつ、慌てて右手を突き上げて“風の塊”を生成し、再び上空から王血館を目指そうとした。


 しかし、“風の塊り”は、すぐに消失した。


『もう飛ぶのは禁止だよっ!』


 突然響いたヒヨリの声が、二人を取り囲む空気を一瞬で凍りつかせた。

 パオタロは舌打ちすると同時に潜伏魔法を全て解除した。ヒヨリが同じ“魔指紋”で潜伏していることに気づいたからだ。

 即座に、ヒカルと二人だけに再び潜伏魔法を掛け直す。


 しかし、その潜伏魔法も、すぐに消失した。


 「隠れるのも禁止っ! 」


 ヒカルとパオタロは、自分たちがずっとヒヨリの手のひらの上で踊らされていたことを痛感した。

 これが“一期生・第一戦闘班”、通称“イチイセン”の班長であり、王血部隊最強と言われるヒヨリの実力なのだと改めて思い知らされた。二人との力の差は絶望的なまでに大きく、その底が全く見えないほどだった。


「ッフフ、つーかまえたっ! 二人とも逃げるのすっごく上手だったからびっくりしちゃったよぉ。でも、鬼ごっこはもう終わりだからねっ!」


 ヒヨリは笑みを浮かべながら、一歩また一歩とゆっくり近づいてくる。

 その小柄な身体とは裏腹に、二人を圧倒する存在感を放ちながら、まるで見下ろすかのように迫ってくる。


 ヒカルにはもはや抗う術がなかった。

 パオタロもまた、無言で動くことができないまま硬直している。


 全身に絡みつくようなプレッシャーに、ヒカルは歯を食いしばるしかなかった。


 ――ここで終わるのか……!


 その時だった。

 鈍くうねるような音が遠くから響いてきた。重々しく、それでいて俊敏さを含んだ不思議な風の音だ。その音は次第に大きくなり、やがて激しい強風となって木々を震わせ、葉を舞い散らせながら辺りを包み込んだ。


 ヒカルは思わず顔を上げ、風が吹きつける方向を見る。


 ――何だ……この風は……?


 空気が一瞬にして変化し、鳥肌が立つのをヒカルは感じた。王血館の方角から吹き荒れる猛烈な風は、森の空気を切り裂き、濃く淀んだ空気を一掃していく。


 ヒカルが目を凝らした先、風を割って現れたのは部隊長シシンだった。


 鋭く張り詰めた表情。冷静で澄みきった瞳。風に翻る衣服――

 その堂々たる佇まいは、まさに王血部隊が誇る絶対的守護者の姿そのものだった。


 シシンの鋭い視線が状況を瞬時に掌握するように周囲を見回す。その姿は頼もしさを超え、威圧感すら漂わせていた。


「……シシン先輩!! 」


 ヒカルはその姿を見た瞬間、心の底から安堵と希望がこみ上げ、思わず声を張り上げた。異変を察知して現れたのだろうか。いずれにせよ、この危機的状況でこれほど心強い味方は他にいない。

 ヒヨリは動きを止め、じっとシシンを伺っている。


 ――“イチニセン”なら誰でもいいとパオタロが言ってたけど、その中でも“ベスト”のシシン先輩がまさか駆けつけてくれるなんて、本当に助かった。


「お前たち、大丈夫か。一体、何があった?」


 シシンの冷静な問いかけに、パオタロが素早く反応した。


「ヒヨリさんがハルナさんを消した可能性があります! それを俺たちに知られたことで、口封じに動いている状況です。シシン先輩は最大限の警戒態勢を! 俺が後方から援護します! ヒカル、お前は――」


 パオタロの言葉を遮るように、ヒカルが勢いよく叫んだ。


「もう魔鳩は出した! シシン先輩は俺が援護するから、パオタロは潜伏に集中しろ!」


 ヒカルが放った魔鳩は、王血部隊・甲種の全員に向けて一斉に飛び立った。

 その瞬間、ヒカルの胸の中で勝利への確信が芽生える。


――よし、これで勝っ……


 しかし、その直後だった。


 視界の端で何かが閃いたかと思うと、一羽の魔鳩が弾かれるように無惨に地面へと墜落した。


「――!?」


 驚いて空を見上げると、魔鳩たちは目にも止まらぬ速さで飛んできた何かに次々と撃ち抜かれ、羽を散らしながら力なく地面に落ちていった。


 ――ヒヨリさんは、シシン先輩が牽制しているんじゃないのか!?


 慌ててヒヨリの動きを確認するが、魔鳩を撃ち落とした気配はまったく見られない。

 混乱しながらヒカルは周囲に視線を巡らせる。するとそこには、絶望的な表情で硬直しているパオタロの姿があった。


「……パオタロ……?」


 パオタロの視線の先を追ったヒカルの目に飛び込んできたのは、右手の指先から淡い魔力の余韻を漂わせ、狙い撃ちした姿勢のまま静かに佇むシシンの姿だった。


 ――そ、そんな馬鹿な……。

   俺の魔鳩を全て撃ち落としたのは……!?


「魔鳩を飛ばす必要はない」


 シシンの冷徹な声が、重い沈黙の中で森の静寂を鋭く切り裂いた。

 ヒカルは混乱のあまり息を呑み、その場で全身が硬直する。視界が一瞬歪み、足元から力が抜けていくのを感じた。


 ――何だ……何が起きているんだ……!?


 その疑問に答えるように、ヒヨリの甘ったるい声が響いた。


「てゆーかぁ、シシン君聞いてよぉ! 私、さっきからお話しをしてるだけなんだけどねっ、もうプンプンだよぉ! なんで逃げたりするのかなぁ……。もう逃げるのは禁止だからねっ!」


 シシンは少しも表情を変えず、淡々と応じる。


「それでヒヨリ。俺はどうすればいい?」


 ――ま、、まさか……。

   ヒヨリさんが魔鳩を飛ばした相手って……シシン先輩……?


 ヒカルはその瞬間、自分たちが再び絶望の淵に立たされていることを理解した。

 全身が恐怖で震え、呼吸することさえ苦しくなっている。


 「シシンくぅん、ごめんねぇ。実はハルナちゃんが“魔女の嫉妬”で消えちゃったとき、私も一緒にいたんだよぉ。それをパオタロ君たちに見られちゃったから、内緒にしてほしいってお願いしたんだけど、全然聞いてくれなくてぇ……ぐすん。だから、もう最後の手段を使っちゃお~って、それでシシン君を呼んだんだよぉ~」


 ヒカルが恐る恐る顔を上げると、シシンの鋭い眼差しは真っ直ぐ自分たちを射抜いていた。彼の視線は氷のように冷たく、感情を読み取ることは不可能だった。


 「……理解した」


 その瞬間、ヒカルの胸には逃れようのない絶望と恐怖が冷たく広がっていった。

第6話までお読みいただきありがとうございます。


まだまだ地固めの途中ではありますが、今後の展開に大きく響いてきますので、ぜひ7話以降もご一緒に楽しんでいただけると嬉しいです。


今後ともよろしくお願いします。

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