第65話:魔法競技祭当日――光を継ぐ者
「ヒカルくん……っ!」
ヒヨリは震える声でヒカルの名を呼び、迷わず駆け寄った。急いで水魔法を発動し、熱に灼かれたヒカルの身体を必死に冷やす。まだ熱を帯びたままのヒカルを抱き起こした時、ヒヨリの胸は激しく高鳴った。自分が彼をこんな状態まで追い込んでしまったという強烈な罪悪感と、彼がまだ生きているという抑えきれない安堵感が混ざり合い、息苦しいほどだった。
その後、ヒヨリはミヤコの腰から通信機を借り、専用回線を起動すると、作戦本部へ救護部隊を要請し、戦闘の結果を簡潔に報告した。
そんな中、ヒカルは荒い息のまま静かに口を開いた。
「俺は、一度絶望を味わいました……」
ヒカルは唇をわずかに噛み締めた。胸の奥に突き刺さった過去がじりじりと痛む。それでも静かに、はっきりと言葉を続けた。
「光属性かもしれないって散々もてはやされて……それで蓋を開けてみたら無属性だった。それだけじゃない――俺のせいで親友が死んだんです。いや…‥俺が殺したようなものです」
自嘲するような小さな笑みを浮かべる。
胸の奥には熱く苦いものがこみ上げてくる。
「本当は俺が死ぬはずだった……。でもあいつは、俺が魔女を倒すことに賭けるって……無属性の俺にそんな訳わからないこと言って……結局、俺の身代わりになった」
震える拳をさらに強く握りしめる。その痛みが、ヒカルの決意をいっそう鋭く研ぎ澄ませていく。
「俺は魔女を倒さなきゃいけないんです。そうしないと、あいつが死んだ意味がなくなる……。そこに光属性の重責が加わろうと、俺のやるべきことは変わりません。だから、人々の命も、希望も、未来も――全部、俺が背負ってみせます!」
ヒカルはまっすぐヒヨリを見つめた。その瞳に迷いはない。
「そのために作り上げた力――それが新魔法“モラタ”です。これは、あいつの名前でもあります。……俺は、“モラタ”と共に、前に進み続けると決めたんです」
言葉を口にした瞬間、ヒカルの脳裏にモラタの最期の姿が鮮明に蘇った。
魔法器を持たず、最初から諦めるしかなかったモラタが、自らの命を犠牲にしてヒカルを生かしたあの瞬間――。
風穴へと身を投げるように飛び込みながら、モラタは微かに微笑んでいた。
『だから俺たちはこれからもずっと、“ひたすら前に進み続ける最強のコンビ”なんだ』
その言葉は、いまもヒカルの胸に深く刻み込まれている。
「ヒカルくんは、すごく強いんだね……」
ヒヨリは静かに目を伏せ、小さく呟いた。
その言葉に穏やかな余韻を残し、ゆっくりと顔を上げる。
「その力が光属性なのかどうかはわからないけど……さっき、確かに私は、ヒカルくんの中に光を感じたよ」
ヒカルの胸にじんわりと温かいものが広がった。同時に、ふと疑問が頭をよぎる。
「……あの、ひとついいですか?」
「えっ?」
少し考え込むような表情で、ヒカルは静かに口を開いた。
「消えてしまったヒヨリさんの力って、本当に光属性だったんですか? 実は違っていた可能性って、ないんでしょうか?」
ヒヨリはその言葉にハッと息を呑んだ。
――そんなこと、考えたこともなかった……。
「そっかぁ……。確かに、その可能性もあるのかぁ……」
ヒヨリの表情がわずかに和らいだ。胸の奥でずっと抱えていた重苦しい何かが、ほんの少しだけ軽くなったような気がした。
二人の間に静かな沈黙が流れた。
やがてその静寂を破るように、遠くから複数の足音とざわめきが聞こえ始めた。
救護部隊が到着したのだ。
「三名とも命に別状はありません。ただちに本部へ搬送します」
隊長らしき人物がヒヨリに短く報告し、深く頭を下げる。ヒヨリは小さく頷き、隊員たちが慌ただしく動き出す様子を静かに見つめていた。
担架に乗せられたヒカルは苦しそうな息遣いだったが、意識ははっきりしているようだった。ヒヨリと目が合うと、小さく微笑んだ。
「ヒヨリさん……また話を聞かせてください」
かすれた声でヒカルが言うと、ヒヨリも小さく微笑み返した。
「うん……またね」
その言葉を聞いて安心したように、ヒカルはゆっくりと目を閉じた。
ヒヨリは、ヒカルたちの姿が視界から消えるまでその場を動かなかった。風が静かに吹き抜け、彼女の長い髪をそっと揺らす。
「……ありがとう、ヒカルくん」
誰にも聞こえないような小さな声で呟くと、ヒヨリは一人、ゆっくりと墓地へと向かった。ヒヨリが足を止めたのは、ミロの墓の前だった。
ヒヨリはルドルフの精神操作を逆手に取り、その記憶や思考を掴んでいた。そして知ってしまったのだ。拘置所に来てくれていた猫の正体――それが、幼い頃、自分をいじめていたミロだったということを。そしてミロが、ヒヨリを助けようとし、魔女の嫉妬で消えてしまったという真実を。
ヒヨリの唇が小さく震えた。
「ミロ君……ごめんね。私のせいで……本当に、ごめんね……」
そして今もまた、自分が精神操作を解かなかったばかりに、ニイチセンの三人を傷つけてしまった。その責任を取らなければならない。
――これ以上、王血部隊の迷惑になるわけにはいかない。
そしてこの国の“光”は、もうヒカルにあるのかもしれない。自分の役目は終わったのだと思うと、ヒヨリはこれまで感じたことのない、穏やかな感覚に包まれていた。
ヒヨリは静かに目を閉じ、自分の周囲に美しくも冷たい結晶をゆっくりと生成した。その透明な輝きは、孤独を照らす灯りのようでもあり、心を切り裂く刃のようでもあった。
そして震える右手をゆっくりと掲げる。
「これで……やっと終われる……」
囁くように呟き、小さく微笑んだ。
輝きを放つ無数の結晶がためらいもなくヒヨリ自身に殺到する――その瞬間だった。
凄まじい風が巻き起こり、ヒヨリの身体は力強い腕に強引に引き寄せられた。激烈な風が吹きすさぶ中、鋭い音を立てて結晶が次々と弾かれていく。それでも、そうしてヒヨリが守られるなかで、いくつかの結晶が誰かの身体に深々と突き刺さる、鈍く重い音が響いた。
全てが終わり、静寂が訪れた。ヒヨリが恐る恐る目を開けると、そこは誰かの胸の中だった。その腕は温かくて力強く、張りつめていた身体の緊張がゆっくりと解けていくのを感じた。
「大丈夫か、ヒヨリ」
その声を聞いた瞬間、ヒヨリの瞳から涙が溢れ出した。見上げると、そこにはヒヨリにとって最も信用できる人物、シシンの顔があった。
「なんで……なんで助けるの……っ? やっと楽になれると思ったのに……! また大切な人を傷つけちゃったよぉ……もう、誰にも迷惑かけたくないのに……!」
ヒヨリの声は震え、涙は止まらない。シシンは静かに彼女を抱きしめたまま、ただ黙ってその涙を受け止める。
「私なんて迷惑しかかけてない……誰にも必要とされないんだよぉ……お願いだから、もうシシン君が殺してよぉ……!」
ヒヨリは震える声で必死に懇願した。胸にこみ上げる悲痛な感情に耐えきれず、小さな身体を激しく震わせながらシシンの胸にすがりつく。
シシンは深い溜息をつき、一瞬だけ目を伏せたあと、抱きしめる力を優しく強めた。
「ヒヨリ、よく聞け」
シシンの声は穏やかで、しかしはっきりとしていた。
「俺のことは信用できるか?」
ヒヨリは小さく、だが確かに頷いた。シシンもそれを受けて静かに頷き返す。
「俺は、何があってもお前の味方だ。何があってもだ」
ヒヨリは小さく震えながらも、もう一度しっかりと頷いた。その瞳には、かすかにだが確かな安堵が浮かんでいた。
「だからヒヨリのことを迷惑だとは思わない。助け合うのが味方だからな。だから、もっと俺を頼れ」
「ありがとう、シシン君……。だけど……それだと私が頼ってばかりになるから申し訳なくって……」
「……俺がヒヨリを必要としているのだから、それでいいんだ」
「えっ……?」
ヒヨリが驚いて顔を上げると、シシンはわずかに顔を背け、気まずそうに視線を逸らした。
「そ、その……当然、王血部隊の戦力としてだ。お、お前がいないと困るからな……」
シシンの耳元が微かに赤くなっているのを見て、ヒヨリの胸がふっと温かくなった。
――あぁ、私……シシン君に必要とされてるんだ……。
誰にも必要とされていないという恐怖が、ゆっくりと溶けて消えていくのを感じた。
胸の奥に残っていた冷たく重いものが、少しずつ温かな何かに置き換わっていく。
完全に癒えたわけではないけれど、もう一度前を向けるような気がした。
ヒヨリは静かに息を吐き、小さく微笑んだ。
その表情は、まるで長い冬が終わりを告げ、春が訪れたようだった。
ふとヒヨリはそっと頬を赤らめ、小さく口を開いた。
「あの……シシン君、もう一度だけ言ってもらえないかな……? その、私が必要だってこと……」
シシンは一瞬驚いたように目を見開き、わずかに言葉を詰まらせた。しかしすぐに落ち着きを取り戻し、照れ隠しのように視線を逸らしながらも静かな声で言った。
「……ヒヨリが必要だ」
「あのぉ、えっと……誰が私を必要としてくれてるんだったかなぁ……?」
ヒヨリが照れ隠しのように少しだけ茶化すと、シシンの表情が微妙に引きつり、耳元まで真っ赤になった。
「……調子に乗るな」
ぶっきらぼうに言うその言葉に、ヒヨリの胸はさらに温かくなった。
――まだ私、頑張れるかもしれない。
やがて二人はゆっくりと立ち上がり、穏やかな足取りで作戦本部へと向かっていった。
温かな陽射しが、そっと彼らの背中を包み込んでいた。




