第64話:魔法競技祭当日――背負うべき光
「こちらヒカルっ!! 直ちにニイチセンの救援に向かいますっ!!!!」
一斉通信でそう告げると、ヒカルは迷うことなく王血館へと走り出した。
「モラタ!」
一つの魔法器を複数の魔法で自在に操れる“モラタ”の特性を駆使し、全身に幾重にも風を纏わせる。ヒカルの身体は勢いよく宙へと浮かび上がった。
――この感覚……行ける!
さらに集中を高め、火属性の魔力を風に何度も重ね合わせていく。すると、風は熱を帯びて赤く揺らめき、炎をまとった暴風となってヒカルを押し進めた。もはや無属性とは思えないほどの猛烈な速度となり、視界は後ろへ流れ、周囲の景色はぼやけて捉えられないほどだ。
「す、すげぇ……!」
だが、その代償はすぐに現れた。呼吸が乱れ、肺が焼けつくような痛みに襲われる。魔力を消費するたびに身体は軋み、心臓が張り裂けそうなほど強く脈打った。
「さすがに何重も魔法を重ねると魔力消費が激しいか……」
それでも、ヒカルは速度を緩めない。
早くも視界の先には王血館の建物がはっきりと見えてきた。だがその瞬間、心臓が大きく跳ね上がった。
――煙……!? 墓地のあたりだ……!
脳裏にカイトやミヤコの姿が浮かび、胸の奥に強烈な不安が広がる。
――間に合ってくれ……!
ヒカルは歯を食いしばり、魔力の消費を無視して速度を維持したが、視界は徐々に霞み、息苦しさは一層強まっていった。
王血館の上空を抜けると、眼下ではヒヨリとカイトが鋭く対峙しているのが見えた。
カイトは魔力を限界まで高め、強固な防御壁を必死に展開しようとしている。
一方のヒヨリは、虚ろな瞳のまま右手を冷たく突き出し、膨大な魔力を容赦なく収束させていた。
「カイトォォオオオオ!!」
ヒカルが絶叫した瞬間、ヒヨリの手から凄まじい爆炎が放たれる。
圧倒的な火力の前に防御壁は無残に砕け散り、激しい爆音と共に炎がカイトを無慈悲に飲み込んだ。その光景を目の当たりにし、ヒカルは呼吸すら忘れるほどの絶望に囚われる。
だがその刹那、ヒカルの脳裏に奇妙な違和感が走った。
ヒヨリから放たれた爆炎は、防御壁を破った直後、まるで意図的に抑制したかのように急激に勢いを弱めてから、カイトに襲い掛かったのだ。
――まさか……、手加減しているのか……?
ヒカルは混乱を抑え込みながら勢いを殺さず、そのままカイトのもとへ飛び降りた。即座に水魔法を発動し、熱に灼かれたカイトの身体を急速に冷却する。
「大丈夫か、カイト!?」
「っ、ああ……」
その反応に、ヒカルは肩で大きく息をしながら安堵して胸を撫で下ろした。カイトは激しい衝撃で意識が朦朧としているようだが、致命傷ではない。苦痛に顔を歪めているミヤコにも目をやると、こちらも出血は少なく、深刻な負傷ではないと見て取れた。
ヒカルは呼吸を整え、静かに立ち上がってヒヨリと向き合った。
ヒヨリは虚ろな瞳でヒカルをじっと見つめている。その瞳は冷たく感情がないように見えたが、微かに震え、まるで涙を堪えているかのような、深い悲しみが秘められている気がした。
張り詰めた沈黙の中、ヒカルは意を決して口を開いた。
「ヒヨリさん……本当は精神の支配なんて受けてないんじゃないですか?」
ヒヨリは何も答えず、ただ静かに視線を向け続けている。
「複数の属性を重ねた魔法がどれだけ凄まじいか、俺にはもうわかります。それなのに、ヒヨリさん、今、カイトを殺さないよう直前で威力を抑えましたよね?」
その瞬間、ヒヨリの瞳が大きく揺れ動いた。氷のように固まっていた無表情が徐々に溶け、その目には再び意思の光が宿り始める。
ヒヨリはやがて、小さく息を吐いた。
「……ふふ、ヒカルくんにはバレちゃうかぁ」
自嘲めいた笑みを漏らす。その声はどこか投げやりで諦めを帯びていたが、同時に隠しきれない疲れと哀しみがにじんでいた。
「ちょうど強力な精神攻撃を受けてたから……このまま支配されたフリをしていれば、きっと誰かが楽にしてくれるって……そう思ったんだけどね」
淡く儚げな笑みを浮かべながら、ヒヨリはぽつりと呟く。
「ヒカル君がこのまま、私を殺してくれたらよかったのに……」
その言葉を聞いた瞬間、ヒカルの胸に激しい衝動が湧き上がり、思わず叫んでいた。
「何言ってるんですか、ヒヨリさん……っ!」
ヒヨリは穏やかな表情のまま静かに続けた。
「ヒカルくんは知ってるかな? 光属性は実は私で、その力を使って過去に戻っていたってこと」
「えっ……!?」
ヒカルは驚愕に目を見開いた。過去に戻れる能力があるという噂自体は耳にしたことがあったが、まさかそれが本当だったとは思わなかった。動揺と困惑が胸の奥で渦巻いていた。
「あ、知らなかったんだ……。そっか、まだ上層部の人間しか知らない秘密にされてるんだね」
ヒヨリは力なく笑ったが、その瞳にはひどく寂しげな色が宿っていた。
「でもね、私はもう過去には戻れない……。私のせいで、光属性の力は消えちゃったんだよぉ……」
ヒヨリの声は徐々に震えを帯び、隠し切れない自己嫌悪と深い悲しみが滲み出ている。
「光を失った私なんて、もう何の価値もない……。存在しているだけでみんなを傷つける……。最初から、生まれてこないほうがよかったんだよぉ……」
最後の言葉は震えとともに途切れそうになり、ヒヨリの瞳には諦めと深い孤独が入り混じっていた。
その姿を目の当たりにして、ヒカルの胸に鋭い痛みが走った。胸が締めつけられるような苦しさと共に、あの森でヒヨリと交わした会話が鮮やかに蘇る。彼女は確かに、誰にも言えない秘密を抱えていた。仲間から疑いの目を向けられながらも、それでも必死に王血部隊を守ろうとしていた――。
その記憶が、ヒカルの胸を熱く締め付ける。
ヒカルは強く拳を握りしめ、まっすぐにヒヨリを見つめると、抑えきれない想いをぶつけるように叫んだ。
「俺は、ヒヨリさんのことを信用しています!! それに、尊敬だってしてます!! あの森で話したときから、その気持ちは一度も変わってません!!」
ヒヨリは目を丸くして小さく息を呑んだ。一瞬だけ瞳に光が戻ったように見えたが、それも儚く、すぐにまた悲しげな微笑に戻ってしまった。
「光属性はね……魔女を倒すことが責務なの。それなのに私のせいで光を失った……。大賢人が予言した『世界を救う光属性』に、私なんかがなったせいで、みんなの希望を壊しちゃったんだよぉ……」
ヒカルはその言葉に、拳をさらに強く握りしめる。ヒヨリの悲痛な叫びが胸を深く刺した。彼女が背負ってきた責任の重さを、本当に理解しているとは言えないかもしれない。だけど、これ以上彼女が苦しむのを放っておくことなど絶対にできなかった。
一瞬、ためらいと恐怖が胸をよぎった。自分が彼女を本当に救えるかどうかはわからない。それでも――。
「じゃあ、俺が光になります!!」
ヒカルの迷いのない声が響き渡った瞬間、ヒヨリの表情が一変した。
穏やかだった瞳に激しい怒りと苛立ちが浮かび、鋭くヒカルを射抜く。
「軽々しく言わないで!!」
叫んだ瞬間、ヒヨリの脳裏には光属性として耐え続けてきた壮絶な日々が鮮烈に蘇っていた。
魔女を倒すという使命。それは同時に、誰にも理解されない絶対的な孤独だった。
失敗も弱音も許されず、歩みを止めることすら許されない道のり――。
痛みと孤独に押し潰されそうになりながら、それでも必死で進み続けてきた。。
なのに――。
目の前のヒカルは、まるで簡単なことのように、それを背負うと言っている。
「だったら、その力を見せてよぉ……!」
光属性とは、自分の意志だけで背負えるほど甘いものではない。
魔女に立ち向かい、絶望に沈む人々を救い、未来への道を示す。
そんな宿命を背負うには特別な資質が必要だ。希望という言葉に込められたすべてを、たった一人で背負うだけの覚悟と強さが求められる。
――本当に、ヒカルくんにそんなことができるの……?
ヒヨリは冷静さを取り戻し、悲しみと諦めを帯びた瞳で、ヒカルを真っ直ぐに見据えた。
「ごめんね、ヒカルくん。でも……無属性のあなたに、本当にそれだけの力があるの? 光属性を背負うっていう重責がどれほど重いか、本当に分かってるの……?」
ヒカルはその問いを受け止め、静かに、だが揺るぎない瞳でヒヨリを見返した。
「わかりました。さっきの言葉を撤回させてみてください。でも、俺はあなたが認めるまで、絶対に諦めませんから」
言い終えると同時に、ヒカルは火属性の魔法を発動させた。
一瞬にして全身が炎に包まれ、赤い輝きが身体を覆う。ヒヨリはそんな初歩的な魔法を見て眉をひそめる。
――どういうこと……? こんな単純な魔法で何を証明しようっていうの……?
しかし次の瞬間、ヒカルを覆う炎がさらに一段強く輝きを増した。そして幾重にも、幾重にも炎が積み重ねられていく。
「……え?」
ヒヨリの表情に困惑が浮かび始めた。炎は激しく赤々と燃え上がり、ヒカル自身の輪郭すら霞ませてしまうほどの勢いに達した。
魔力の消耗が急激に増え、ヒカルの呼吸は荒く乱れ始めた。肩で大きく息を繰り返すが、吸い込む空気さえ熱に焼かれ、もはや自身の放つ炎の熱に耐えることも限界に近づいている。それでもヒカルは歯を食いしばり、狂ったように炎を重ね続ける。
――まだだ……まだ特別なんかじゃない……!
炎は幾重にも絡み合い、徐々にその密度と熱を増していく。鮮やかな紅色だった炎は深紅へ、やがて禍々しい赤黒色へと変貌を遂げ、空間すら歪ませるほどの凄まじい熱気を放ち始める。もはやヒカルの姿を視認することすら困難になっていく。身体が限界を超えていることは明らかだった。
ヒヨリの瞳が、はっきりと不安に揺れ始めた。
「ちょ、ちょっと……ヒカルくん! もう十分だよぉ! やめて!」
しかしその声が届いていないかのように、ヒカルはさらに炎を重ねていく。その燃え盛る炎の圧倒的な激しさと彼の狂気じみた覚悟に、ヒヨリの胸は畏怖と恐怖で張り裂けそうになった。
「ヒカルくん! もうわかったから! お願いだからやめてぇっ!!」
ヒヨリの悲痛な叫びが響き渡ったその瞬間、ようやくヒカルの放つ炎が弱まり始めた。
炎は徐々に収束し、その中から姿を現したヒカルは、ゆっくりと両膝をつき、そのまま崩れ落ちるように地面に倒れ込んだ。
静寂が場を支配し、ヒカルの荒い呼吸だけがかすかに聞こえてくる。
その姿を目の当たりにしたヒヨリの瞳は大きく揺れ動き、唇が微かに震えた。胸が締め付けられるような罪悪感と激しい後悔が、一気に押し寄せる。
――ヒカルくん……っ!




