第60話:魔法競技祭当日――アーヴィングの叫び
「俺を前にしてその慢心……命取りだ」
その言葉が耳に届いた瞬間、頬を貫くような衝撃が頭を襲い、気づけばアーヴィングの体は宙に舞っていた。
「ぐあああっ……!」
耐えがたい激痛が全身を駆けめぐる。頬を打ち抜かれた衝撃で頭が激しく揺さぶられ、視界は青白い炎で覆われていた。皮膚を焼く凄まじい痛みに意識が朦朧とする中、アーヴィングは直感的に理解した。
――早くこの炎を消さなければ!
必死に水属性の魔法を発動させようと試みるが、青い炎はまるで意思を持つかのように皮膚を灼き尽くしていく。焦りと苦痛に飲み込まれそうになる中、視界の隅にはさらなる追撃を仕掛けようと炎を凝縮させ、腕を振りかぶるカイエンの姿が映った。
絶望が胸を貫く。
もはや消火の余裕などない。もう一度あの攻撃を喰らえば、それこそ終わりだ。
「エレメントリライト!」
アーヴィングは歯を食いしばり、苦渋の決断を下した。水属性を捨て、本来の風属性へと切り替える。属性を切り替えた瞬間、炎の勢いはさらに増した。だが、このまま水属性に固執すれば間違いなく殺される。
――逃げるしかない……ここで死ぬわけにはいかない……!
風を纏い、極限の痛みに耐えながら後方へ飛ぶが、背筋に氷のような戦慄が走った。怒りに歪んだカイエンの顔が、すでに眼前まで迫っていた。
――……母上!
その瞬間、胸元のペンダントが眩い緑色に輝き始める。母から授かった守護の魔法器が共鳴し、風属性の魔力が限界を超えて溢れ出した。
凄まじい勢いで巻き起こった風に体を引きずられるように飛ばされ、カイエンの拳は辛うじて空を切った。だが、まだ安心はできない。全身を蝕む青い炎はなおも猛威を振るい続けている。
「くそぉおおおお……! エレメントリライト!」
再度、エレメントリライトを発動し、風属性から急ぎ水属性へ戻した。体の周囲に激しい水の旋風を生み出し、青い炎との壮絶なぶつかり合いが始まる。辺りは爆発的に発生する蒸気に包まれ、視界が真っ白になる。その激しい攻防の果てに、ようやく青い炎が勢いを失い、消え去った。
「……はぁ……はぁ……」
青い炎は消えたが、アーヴィングの身体はすでに限界を超えていた。全身は焼け爛れ、立つことだけで精一杯だ。だが、ぼやけた視界の先にいるカイエンもまた、立っていること自体が奇跡に思えるほど消耗していた。荒い呼吸を繰り返し、全身からは激しく魔力が揺らめいている。
――な、なんなんだ……あいつは……。
アーヴィングの脳裏に疑問が渦巻く。
――いつも恵まれた環境の中で、何不自由なく育ち、苦労や痛みを知らずに生きてきたはずだ。それなのに、なぜここまでやれる? なぜあれほどの炎を操り、自分の身体を灼き尽くすほどの苦痛に耐えられるんだ?
理解ができない。
だが、目の前の現実は、否応なくアーヴィングに真実を突きつけていた。
カイエンは朦朧とした意識の中、最後の力を振り絞ろうとしている。その右手に再び鮮烈な魔力が集まり始めた。見る者すべてを飲み込み、跡形もなく消し去るかのような威圧的な輝きを放っている。震える腕がゆっくりとアーヴィングへと向けられ、その膨大なエネルギーが放たれる寸前まで高まっていた。
――……ここまでか。
一歩も動けないアーヴィングは、ただ迫り来る死を絶望的な瞳で見つめるしかなかった。
青い炎がアーヴィングに放たれるその瞬間――カイエンの瞳から急速に光が失われた。魔力が底を尽きたのか、それとも限界を超えた肉体が耐えられなかったのか――その青い炎は放たれる寸前で力なく散り、そのままカイエンは崩れ落ちた。
静寂が訪れた。
その場に倒れ伏したカイエンを茫然と見下ろしながら、アーヴィングは目の前で起きた事態を理解することができず、しばし呆然と立ち尽くした。
やがて我に返る。
――と、とにかく急がなければ……。 きゅ、救援が来る前にトドメを刺して離脱を……。
「……エレメントリライト」
敵ながら見事だった。最後くらいは、せめて私の本来の風魔法で葬ろう――
アーヴィングは右手をかざし魔力を集め始めた。だがその表情は、瞬時に絶望に染まった。
胸元のペンダント――母から授かった守護の魔法器が、何の輝きもなく完全に沈黙していた。
「母上……!?」
焦燥に駆られ、震える手でペンダントを強く握りしめる。
脳裏に蘇るのは、いつも穏やかな微笑みを浮かべながら、故郷ダーマンベルクの美しい景色を語ってくれた母の姿だった。咲き乱れる色鮮やかな花々、澄み渡る湖の静かな輝き、風に優しく揺れる広大な草原――実際に見たことは一度もないが、母が懐かしげに語る故郷の情景は、幼い頃のアーヴィングの心に深く刻まれていた。それは、過酷な現実から自分を守ってくれる唯一の希望であり、何より母との大切な絆そのものだった。
だが、その美しい故郷を奪われ、いつか取り戻すことを願いながら無念の死を遂げた母。その母が遺した大切な守護の魔法器は、いつもなら自分を守り、力を与えてくれるはずだった。
しかし、今この時、ペンダントは完全に沈黙している。
母に拒絶されている――。
「母上……私が歩んできた道は、間違っていたというのですか……!?」
胸の内で幾度となく問いかける。だがペンダントは、ただ冷たく無情な沈黙を返すだけだった。
――王国に忠誠を尽くした結果、領地を奪われ、名誉を傷つけられてきた我がテックマン家。それはすべて王家のせいではないのか!? それを支える王血部隊こそ、私たちの敵ではないのですか!?
激情が渦巻き、やがて抑えきれなくなる。
「……あ……ああああああぁぁぁぁっ!!」
胸を突き刺す怒り、それを凌駕する悲しみ、そして耐え難いほどの孤独が絡み合い、耐えきれない叫びとなって口から迸り出た。アーヴィングは空を見上げ、その場に崩れ落ちるように両膝をついた。瞳から溢れ出した涙は止めどなく頬を伝い、静かな音を立てて地面へと吸い込まれていった。
震える手で再びペンダントを握りしめる。
――それでも母上は、ダーマンベルクを取り戻すためには、王血部隊が必要だと、そう仰るのですか……?
絶望したまま顔を上げると、目の前には虫の息で倒れているカイエンの姿があった。
――なぜだ……君はなぜ、そこまでして戦えるのだ?
君が命を懸けてまで守りたいものとは、一体何なのだ……?
その問いかけに答えるかのように、足元に転がる通信機から一斉通信が飛び込んできた。
『甲種部隊長シシンより全部隊へ通達。エドワード殿とヒカルは無実だ。繰り返す――エドワード殿とヒカルは無実である。各隊、エドワード殿と接触次第、その行動を支援せよ』
さらに通信が続く。
『それからヒカル! 新魔法“モラタ”を使用した状態なら、戦闘の支援が可能なはずだ! すぐにニイチセンの救援に向かえ!』
アーヴィングは呆然と通信機を見つめていた。しばらくすると、勢いに満ちた声が飛び込んできた。
『こちらヒカルっ!! 直ちにニイチセンの救援に向かいますっ!!!!』
その必死な声が耳に届いた瞬間、アーヴィングの胸の奥で長い間絡まりあっていた怒りと悲しみの鎖が、静かにほどけていくような感覚を覚えた。
自らの名誉、復讐心――そんなものではない。
ただ誰かを守りたいという純粋な想い。
それに触れた途端、これまで自分が抱えてきた怒りや恨みが、ひどく虚しく、滑稽なものに感じられた。
やがてアーヴィングの口元に、小さな笑みがこぼれる。
――そうか……君もまた、ただ仲間を守りたかっただけということか……。
アーヴィングは静かに立ち上がり、足元に転がった通信機を拾い上げた。
「……エ、エレメントリライト」
アーヴィングは風属性から土属性へと切り替え、一斉通信を起動する。
「だ、第一貴族アーヴィングだ。シングウ城前の広場へと……繋がる内壁通路内にて……カイエンが……瀕死の状況だ……。し、至急、救護部隊を要請する……」
途切れ途切れの弱々しい声は、徐々に焦燥に染まり、アーヴィング自身の後悔や切迫感が溢れ出す。
「ま、まだ間に合う……こ、この男を……は、早く……助けてやってくれ……」
最後の言葉を吐き出すと同時に、視界は急速に闇に飲み込まれていった。
握り締めていた通信機が手から滑り落ち、乾いた音を立てて床に転がる。その音すら、もう遠く感じられた。
そして、アーヴィングの意識は静かな深淵の底へと沈んでいった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
ご案内しておりました物語序盤の改稿が進み、いよいよ現行ストーリーと概ね合流できるところまで到達しました。
その修正作業に伴い、こちらの小説については今後の更新ペースを「隔週更新」とさせていただきます。できる限り安定した形でお届けできるよう努めてまいります。
引き続き楽しみにしていただければ幸いです。




