第58話:魔法競技祭当日――劣勢の炎
『こ、こちらイチゴセン。ち、地下牢付近で敵と遭遇。そ、それとは別に、ち、地下牢内から声が聞こえてきました。こ、これより戦闘に入ります!』
作戦本部に届いたイチゴセンの専用通信を受け、カイエンはモンドとともにイチゴの援護に向かうべく地下牢を目指し、市街地を駆け抜けていた。市街地には精神操作を受けた多数の民衆が徘徊していたが、乙種諜報部隊の巧みな誘導により、二人は一瞬たりとも速度を緩めずに先を急ぐ。
内壁を通り抜けるための通路――内壁通路の入り口が視界に入った頃、カイエンの心の隅で引っかかっていた疑問が頭をよぎる。彼は走りながらモンドに視線を送り、小声で問いかけた。
「あの専用通信……、国王陛下は地下牢にいると俺は見るが、モンド、貴様はどうか?」
モンドは即答を控え、一瞬だけ周囲を素早く警戒すると、冷静な声音で返答した。
「確証はない。だが、敵が即座に殺さず捕らえている以上、そこにいるのは国王陛下か、それに匹敵する重要人物の可能性が高い。当然、現状では朗報と捉えるべきだろう」
その言葉にカイエンは頷き、小さく息を吐いて気を引き締め直した。
「ああ……どちらにせよ、急ぐしかない」
二人は地面を蹴り、さらに速度を上げて内壁を抜け、ついにシングウ城前の広場へと飛び出した。
「このまま城内に突入し、地下牢まで一気に駆け抜ける」
モンドの声にカイエンが力強く頷いた。
――……だが、何かがおかしい。
カイエンの視界に飛び込んだのは、すでにざっくりと抉られ、鮮血を噴き出すモンドの腹部だった。
後方から襲ったと思われる風の刃が前方へと高速で通り過ぎていくのが見えた。
勢いよく走っていたモンドの巨体は完全に制御を失い、そのまま激しく地面に叩きつけられた。
「モンド……っ!?」
驚愕するカイエンの目の前で、すり抜けていた風の刃は鋭く軌道を変え、180度高速ターンして再びモンドを狙った。そのスピードは凄まじく、視認すら困難なほどだ。
カイエンは咄嗟にモンドを包み込むように炎のドームを生成するが、風の刃はそれを見越していたかのように90度の急激なターンを決め、カイエンを切り裂くようにして一瞬で通り過ぎた。
「うぉおおおおお!!」
その刹那、カイエンは体中を炎で覆い、風の刃のダメージを最小限に抑えると、そのまま炎のドーム内に転がり込む。荒く息を吐きながら顔を上げると、内壁の上からこちらを不敵に見下ろす敵の顔が一瞬だけ視界に入った。
――あれは……第一貴族エドワード殿の長子、アーヴィング……!
「こちらイチニセン、モンド……。シングウ城前の……っぐ……はぁっ、はぁっ……広場……敵からの奇襲……受け……っぐ……ぶはっ……奇襲……」
ドームの内部ではモンドが必死に本部への通信を試みていたが、その身体からは尋常ではない量の血が溢れている。右手で必死に抑えようとしている腹部は大きく裂け、内臓が露わになっていた。
「モンド、もういい! 俺がやる、通信機を渡せ!」
カイエンは焦るように素早く通信機を奪い取り、震える手で怒鳴るように叫んだ。
「本部、聞こえるか!? こちらイチニセン、カイエンだ! モンドがやられた! 場所はシングウ城前の広場! 乙種救護部隊を至急派遣してくれ! 救護部隊は市街地側から内壁通路に入り、そこで落ち合う! ただし敵の攻撃が激しく、通常の救護では脱出困難だ! 脱出用のトンネルを生成可能な術者を含めて編成してくれ、頼む!」
報告している間にも、強力な風魔法が絶え間なく炎のドームを襲い続けている。カイエンは炎を幾度も再構築し、必死に防ぎ続けていた。
――おかしい……なぜだ!?
属性ではこちらが有利なはずだ! 耐久の低いドームとは言え、なぜ俺の炎がここまで押される……!?
疑問を抱きつつも状況は待ったなしだ。
カイエンは唇を噛み締め、血の気を失いつつあるモンドの青白い顔を見やった。
なんとしてでも、モンドの命を救わねばならない。
「モンド、耐えろ……! 一旦内壁まで退くぞ!」
カイエンは広場一帯に数えきれないほどの小爆発を一斉に生成した。そして、意識が薄れ始めたモンドを強引に抱え上げると、とめどなく繰り返される爆発によって煙に覆われ、視界と音が完全に遮られた広場を内壁へと向かって進み始めた。
だがそれでも、煙の中では風の刃が執拗に彷徨い続けている。
カイエンはその位置を慎重に察知しつつ、時には小爆発を火の防御壁に切り替え、巧みに刃を防ぎながら前進を続けた。
そのとき、モンドの通信機に、作戦本部から一斉通信が飛び込んできた。
「イチイセン、イチヨンセンは遭遇した敵を速やかに撃破せよ! それとカイエン、聞こえるか!? そちらに乙種救護部隊を向かわせた! これより総指揮権はカエイに移譲し、俺が救援に向かう! それまでモンドを頼む!」
その通信を耳にしたモンドは、専用通信を立ち上げようと試みるが、魔力を安定させることができずに失敗した。やむを得ず、辛うじて一斉通信を起動する。
「イチニセン……モンドだ。すまない、専用通信を使う余力がなく……一斉通信を使わせてもらった……」
しかし、その声を聞いたカイエンは再び通信機を奪い取り、強い口調で叫んだ。
「もう喋るな、モンド! こちらイチニのカイエンだ! 相手は第一貴族テックマン家のアーヴィング。ここは属性的に俺のほうが有利だ、一人でなんとかしてみせる! シシン、貴様は王家の方々の安全確保を優先しろ! すなわちイチゴセンの救援に向かってくれ!! ……すまない、モンドの容態が深刻だ。イチニセンは通信から離脱する!」
激しい攻撃を掻い潜りながら、カイエンはなんとか内壁通路までたどり着き、慎重にモンドを床に降ろした。間髪入れず広場側の通路入り口へと振り返り、強力な業火を放つ。瞬く間に通路は灼熱の炎に包まれ、敵の侵入を阻む高温の防壁が形成された。
直後、カイエンは急いでモンドのもとに戻り、その腹部に両手を押し当てた。しかし、指の隙間から滲み出る血は止まらない。
「モンド! しっかりしろ! もうすぐ救護部隊が来る……それまで耐えるんだ!」
必死の叫びに応じるように、モンドの瞼が微かに震え、かすかに目を開けた。だがその瞳はすでに虚ろで、浅い呼吸とともに意識が薄れかけているのは明らかだった。
――その瞬間だった。
背後の通路入り口で突如轟音が響き渡り、巨大な水の竜巻が業火を一瞬にして飲み込んだ。激しい蒸気が通路内に噴き出し、視界を奪っていく。
「なんだと……!?」
眼前に突如現れた強力な水魔法に、カイエンの胸は激しく鼓動した。
――ありえない……! アーヴィングの属性加護は風だけのはずだ……!
まさか、他にも敵がいるというのか……!?
絶望的な予感が彼を支配しようとした、その時――市街地側の通路から別の足音が響いてきた。緊張が走り、望みをかけて振り返ると、乙種救護部隊が応援に駆け付けていた。
――間に合った!
しかし安堵も束の間、咄嗟に広場側の入り口へと再び目を向けると、そこには壁上からスライムをクッションにして余裕を持って着地したアーヴィングの姿があった。
――まさか、奴は水の属性加護まで持っているというのか……!
カイエンは額に滲む汗を拭うこともなく、右手に全神経を集中し、魔力を限界まで高める。
その時、背後から救護部隊の声が響いた。
「脱出用のトンネル生成を開始します!」
「治癒も急いでくれ!」
その声を聞いたアーヴィングの瞳に、さらに焦燥の色が濃くなった。
――ここでモンドを逃せば、もう二度とチャンスはない。
アーヴィングは、生まれながらにすべてを与えられ、この国を支えていると自負する王血部隊を心底憎んでいた。
――モンド、お前だけは絶対に殺す……!
心の奥底で渦巻く憎悪が、アーヴィングを突き動かした。彼は猛然と激流を操り、モンドを守るカイエンとの距離を一気に詰めていく。
「ここまで追い詰めておいて……逃がすものかッ!」
一方でカイエンは歯を食いしばった。
ここで食い止めなければ、モンドだけではなく救護部隊までも危険に晒してしまう。
「消え失せろ!!」
叫びと同時に、カイエンは限界まで練り上げた魔力を一気に解き放つ。
通路全体を埋め尽くすほどの凄まじい爆炎が、アーヴィングの操る激流ごと猛烈な勢いで吹き飛ばした。アーヴィングは咄嗟に水の防御壁を展開し、直撃こそ防いだものの、圧倒的な爆風まで耐えることはできず、大きく弾き飛ばされていく。
「モンドォオオオオッ!!」
激しい憎悪と、仕留めきれない悔しさが入り混じった悲痛なアーヴィングの叫びが、虚しく通路に響き渡った。
とりあえずの危機を脱したことを確認したカイエンは、その場に膝をつき、肩で大きく息をした。だが、カイエンは何か違和感を覚えたようにゆっくりと顔を上げる。通路の奥に視線を投げると、僅かに眉をひそめた。
カイエンの様子を察した乙種救護部隊の一人が、慌ててこちらに駆け寄ってくる。
「脱出用のトンネルの準備が整いました! すぐにモンドさんを搬送します。カイエンさんも一旦退避を! 敵は水属性です。あなたにとって不利すぎます……!」
カイエンは息を整えると、毅然とした口調で答えた。
「俺が離脱すれば、アーヴィングは地下牢を狙うだろう。そうなればイチゴセンは前後から挟撃され、壊滅を免れない。すなわち、俺がここで止めるしかない……水など、気化熱に変えてやる。急いで離脱しろ」
救護部隊の隊員は短く敬礼した。
「……了解しました。ご武運を!」
救護部隊は即座にモンドを抱え、生成されたトンネル内へと消えていく。その際、一人がカイエンの傍らに通信機を置いていった。
「土属性がなければ一斉通信を立ち上げることはできませんが、一斉通信を拾うことはできます。ここに置いておきますので……どうかご無事で」
トンネルが閉じられようとしたその瞬間、微かに、しかし確かに、カイエンの耳にモンドのかすれた声が届いた気がした。
「……カイエン」
その声に振り向こうとした時には、トンネルは完全に閉じられ、再び通路内には静寂が戻っていた。
カイエンの背後には、もう誰もいない。
「これでようやく一対一だ……本気で行かせてもらうぞ」
カイエンが灼熱の眼差しを向けた先、通路入口には、不敵な笑みを浮かべたアーヴィングが静かに立っていた。




