第53話:魔法競技祭当日――フウコの決断
エミリは急いでフウコとシスイのもとへ駆けつけたが、シスイの深い傷を目にして一瞬立ちすくんだ。
――なんてひどい傷……。
身体が小刻みに震える。
しかしすぐに強く首を振り、懸命に心を落ち着けた。
「……私が、応急処置をします!」
エミリは覚えたばかりの治癒魔法を発動した。
淡い光が指先に宿り、シスイの傷口をそっと包み込む。しかし初級の魔法では傷を塞ぐのが精一杯で、生命力の維持に必要な最低限の処置しか施せなかった。
フウコは目を見開き、思わず声を上げる。
「エミリ、あなた、治癒魔法まで使えるようになっていたの!? 初級とはいえ、治癒魔法は複雑な魔法構造式が必要なはず……どうやって?」
エミリは顔を赤らめ、少し照れくさそうに答えた。
「……ヒカルが乙種救護部隊に異動になったのに、治癒の勉強を全然していないみたいで……。だから、もし困ったときに私が教えてあげられたらって。それに、イチサンセンでも私、いつも足を引っ張ってばかりだったから。治癒が使えれば、少しは役に立てるかもしれないって思ったんです……」
フウコは驚きのあまり言葉を失った。
イチサンセンへの異動直後からずっと厳しい戦闘訓練に追われていたエミリが、裏で密かに治癒魔法の習得に努力していたことに、まったく気付いていなかった。
そのとき、かすかな呻きとともにシスイがゆっくりと目を開いた。
「フウコ……エミリ……」
「シスイ!」
フウコはシスイの手をしっかり握り、声を震わせた。
「良かった、意識が戻ったのね!」
しかしエミリは厳しい表情のまま、冷静に言った。
「一命を取り留めただけです。まだ安心はできません」
フウコは唇を噛み締め、苦渋に満ちた表情を浮かべる。撤退の決断を下そうとした、そのとき――。
「待って……撤退はダメ……!」
シスイは弱々しくも必死にフウコの手を握り返し、懸命に首を横に振った。フウコは戸惑いを隠しきれず、動揺した声で反論した。
「でも、シスイ……これ以上あなたを危険にさらすわけには……!」
シスイは力を振り絞り、弱々しく口元に微かな笑みを浮かべた。
「あらフウコ……ここの戦いの結果が……戦場全体に影響するってことをお忘れなのかしら?」
シスイは小さく息を整え、さらに強い意志を込めて続けた。
「一刻も早く魔法陣を破壊しないと……王血部隊全員が全滅することだってあるのよ……。フウコ……班長としての判断を間違えないで……」
シスイの言葉が胸に突き刺さる。
『班長としての判断を間違えないで』
頭の中で何度も繰り返されるその言葉に、フウコの心は激しく揺さぶられた。
仲間の命を守る責任を何より重く感じていた。しかし同時に、この戦いが戦場全体に与える影響の重大さも痛いほど理解している。
フウコは苦渋の決断に胸が締め付けられた。
その様子をみたシスイが、力を振り絞りフウコの頬に手を伸ばす。震える手は、戦闘で細かい切り傷のついたフウコの頬を優しく撫でると、シスイは強い意志でフウコにささやいた。
「私なら大丈夫……あなたなら、どうすべきか分かるはずよ」
フウコは短く息を吐き、静かに目を閉じる。
数秒の沈黙の後、自分の頬に触れるシスイの手を握り、決意を秘めた瞳で目の前を見据えた。
「10分……あと10分だけ作戦を続行します。ただし、シスイ、あなたはここで待機よ。絶対に無理はしないで、生きて戻るの」
フウコの決断に、シスイは安堵したように微かに微笑んだ。
「それだけあれば十分よ……実は、考えていた作戦があるの。それは――」
シスイが説明をしようとしたまさにその時、周囲の空気が不気味に揺れ動いた。魔獣が再び動き出そうとしている。
エミリが迷わず一歩前に出た。
「私が時間を稼ぎます! フウコ、シスイ、急いで作戦を!」
エミリの力強い声に、フウコとシスイは思わず目を合わせ、小さく頷くと、素早く作戦の立案に集中した。
エミリは復活しようとしている魔獣に向かい、一直線に突っ込んだ。
「立ち上がれ、ケイオスフィスチェ! その女を八つ裂きにしろ!」
ルードヴィヒが鋭く叫ぶと、魔獣の体が激しく震え、さらに濃密で禍々しい魔力が空間を満たした。
――間に合わない……!
エミリは唇を噛み締め、間合いを取るため急停止した。その刹那、魔獣の一角が不気味に輝きを放ち、凄まじい速度でエミリに突進してきた。
「同じ手は通用しない……!」
右手をとっさに掲げ、爆発魔法を放つ。だが魔獣は爆風をものともせず、そのまま突っ込んでくる。しかし次の瞬間、そこにエミリの姿はすでになかった。
爆発の反動を利用した俊敏な動きで背後に回り込むと、エミリは渾身の業火を放った。
「燃え尽きなさい!」
激しい炎が魔獣を瞬時に飲み込み、黒煙が立ち昇る。魔獣は苦痛の叫びを上げながら丸焦げになっていくが、直後、その尾が予測を超えた速さで振り回された。
――しまった……!
防御壁の展開が間に合わず、直撃を受けたエミリは激しく吹き飛ばされた。地面を転がりながらもすぐに顔を上げ、必死に魔獣を凝視した。
しかし、魔獣はすでに目前まで迫っていた。
黒焦げの皮膚が剥がれ落ち、赤黒い肉が剥き出しになった異様な姿で、エミリへと再び襲いかかる。
――そんな、馬鹿な……!?
魔獣の鋭い爪がエミリに届こうとした、その瞬間――
突如、疾風が巻き起こった。その風の中を滑るようにフウコが飛び込み、間一髪でエミリを抱きかかえる。
「きゃ……っ!!」
しかし、魔獣の爪は容赦なくフウコの背中を切り裂いていた。
「フウコ……!!」
エミリは血の気が引き、目を見開いて叫んだ。だがフウコは苦痛をぐっと堪え、即座に力強く言い返す。
「……大丈夫よ、傷は浅いわ! エミリ、あなたもまだ動けるわね!?」
フウコの真っ直ぐな瞳に勇気づけられ、エミリは力強く頷いた。
それを確認したフウコは、エミリを真剣な眼差しで見据え、迷いのない声で告げる。
「さぁ、一気に決めるわよ!」




