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第4話:衝突

『魔女の嫉妬』


 その言葉が発せられた瞬間、食堂の空気が再び張りつめた。誰もが息を詰め、一瞬の沈黙が場を支配する。だが、もはや誰一人として思考を止めることはなかった。疑念と不安を宿した視線が交錯する中、エミリが静かな声で口を開いた。


「甲種・二期生9名はガスポール先生からその言葉を聞いています。ただし、その詳細は次の授業で説明を受ける予定でした。また、先生の話によれば、三期生は今初めて耳にしたはずです。――三期生、そうよね?」


「はい、エミリお姉さま。おっしゃる通りです」


 カノンの答えに、シシンがわずかに頷く。その表情から、すでに状況を完全に整理していることが窺えた。部隊員たちの視線が彼に集中し、張りつめた空気の中、シシンはゆっくりと息を整え、静かに口を開く。


「理解した。この事態に陥った以上、俺がガスポール先生に代わって説明するべきだろう。“魔女の嫉妬”とは――」



――朝食後――


 ハルナの事件によって王血専門学校が休校になったこともあり、ヒカルは森へと向かうことにした。

 昨日、『魔女の嫉妬』を目撃したあの森だ。


『ヒヨリさんには気を付けろ』

『魔鳩は飛ばさないでね』


 パオタロとヒヨリの言葉が、ずっと頭から離れなかった。

 何か見落としたことがあるのではないか――そんな焦りに似た感情が胸を締めつけていた。


『“魔女の嫉妬”とは、新魔法を使用した際に稀に発生する未解明の現象のことだ。発生事例は魔女が現れた後にしか確認されていないため、“魔女の嫉妬”と呼ばれているが、実際に魔女が関与しているかどうかすら定かではない』


 シシンの説明を、ヒカルは頭の中で整理していた。


・現象が起きると、使用者は瞬時に消える。

・消えた者が再び現れた事例は一度もない。10年以上前に消えたままの者もいる。

・当初は「行方不明」として扱われていたが、近年は実質的な「死亡」と見なされるようになった。

・新魔法を使ったからといって必ず発生するわけではない。もし発生しなければ、その新魔法は誰でも安全に使用可能となる(新魔法開発の成功)。

・ただし、これらは全て過去の犠牲によって得られた経験則であり、理論的に証明されたものではない。


 ――つまり、ハルナさんは自ら考案した新魔法『ハルナ・ボルケイノ』を使い、『魔女の嫉妬』によって消えた、ということか……。


 しかし、ヒカルの中で、それよりも強く引っかかることがあった。


 ヒヨリの存在だ。


 考えれば考えるほど、胸の奥でざわめくような違和感が強まっていく。

 あの時――ヒヨリは一体、何の目的であそこにいたのか。


『最後に、“魔女の嫉妬”に関する最重要事項を皆に伝える。王血部隊・甲種である我々は、国家戦略上、新魔法の開発が禁止されている。魔女の脅威を排除するという我々の使命と、新魔法開発のリスクを天秤にかけた結果だ』


 ――シシン先輩によると、王血部隊・甲種は新魔法の開発が禁止されている。

   俺たちはずっと一緒に育てられてきた。ヒヨリさんのこともよく知っている。もしヒヨリさんが、“ハルナさんが秘かに新魔法を開発していること”を知ったら……、


「新魔法開発なんて絶対にダメですぅ! ハルナちゃんが死んじゃったら……私、泣いちゃ……グスン、うぇ~ん! ですですぅぅぅぅう!」


 ――絶対にこうなるはずだ。


「いや、そうはならんだろ」


 突然、どこからか声が飛び込んできた。

 心臓が跳ね上がるほどの驚きを覚え、ヒカルはとっさに身構えて周囲を見渡すが、姿はどこにもない。


 ――……上か!


 即座に視線を上げると、木の枝がわずかに揺れ、葉が静かに舞い落ちているのが見えた。直接姿を確認できないほど高い位置――だが確実にそこにいる。


「なんだその動きは。馬鹿丸出しで滑稽だな」

「……」


 ――こいつ……パオタロだ。


「お前がここに来ることはわかっていた。どうせ昨日の現場を調べようとでも考えているんだろう。単細胞だからな」

「あのなー。俺からしたらお前もかなり怪しいんだよ、パオタロ」

「フン、笑わせる。だが、勝手に動き回られても目障りだからな……」


 パオタロがそう言うと、ヒカルの身体を奇妙な圧迫感が襲った。

 全身を見えない鎖が締め付けるような、息苦しい拘束感だった。


『おい、やめろよっ!』


 必死に声を上げた時には、すでにパオタロの姿をはっきり視認できていた。自分もまた、同じ“魔指紋”の潜伏魔法をかけられたのだろう。同じ“魔指紋”を共有すると、互いが潜伏状態にありながら、相手の姿も声も認識できる。いわばラジオの周波数を合わせるようなものだ。


『昨日の警告を忘れたのか? この件は、お前のような単細胞が関わるレベルじゃない。今すぐ館に戻って大人しくしているか、このまま拘束され続けるか、好きな方を選べ』


『警告!? ……ヒヨリさんのことか?』


 パオタロは露骨な苛立ちを顔に浮かべ、鋭い視線でヒカルを見下ろすと、躊躇なく彼の腹部を蹴り上げた。


『っぐ……!』


 ヒカルは見えない鎖に拘束されたまま、無防備に吹き飛ばされ、地面に激しく叩きつけられた。背中に走った激痛が全身を貫き、怒りと屈辱が喉元まで込み上げてくるが、身体は全く言うことを聞かなかった。


『俺は、お前にどちらかを選べと言ったはずだ。お前の質問に答える義務などない。そのまま無様にもがいていろ、単細胞が』


 パオタロに自分を解放する気が全くないことを、ヒカルは悟った。そして同時に、この事件に対するパオタロの覚悟が、自分の想像を遥かに超えていることもようやく理解した。


 ――くそっ! 昨日から一体何なんだ。

   でも、パオタロがそのつもりなら、こっちもやってやる。


 本気で挑む者にとって、半端な覚悟の奴など鬱陶しいだけだ。

 このままでは、まともに取り合ってすらもらえないだろう。ヒカルは、今、ここで自分が本気であることを示す必要があると思った。


『パ、パオタロ……っ、息が、でき……っ! 』


 ヒカルの苦痛に満ちた呻きが、この場を去ろうとしていたパオタロの足を止めた。

 パオタロは冷ややかな視線をヒカルに向け、軽く鼻を鳴らす。


『ち、あの程度であばらでも折れたか。ほんと名前にしか強みのない雑魚だな』


 明らかに油断したパオタロは、侮蔑の笑みを浮かべながらゆっくりとヒカルへと近づいてくる。


 ――よし、そのまま来い……!


 ヒカルはギリギリまで息を殺し、慎重に相手を引きつける。

 そして、パオタロが完全に射程内に入ったその瞬間――地面を一気に蹴り、全身を跳ね起こしながら、その腹部へ容赦ない蹴りを叩き込んだ。


『ガハッ……』

『お前が蹴り入れた分のお返しだ』


 パオタロは苦痛に眉間を歪め、呼吸が詰まったように小さく呻いた。


 ――俺の拘束を……無効化しただと!?


 驚きのまま周囲を見渡すと、ヒカルを拘束していたはずのツル植物が散乱していた。それらは極限まで乾燥させられたかのように、ボロボロになっていた。


 ――あの短時間で拘束具の種類どころか、その弱点まで見破ったのか……。こいつ意外とやるな。


『俺らとは違う“別の魔指紋”で潜伏させたツルみたいな植物で拘束したんだろ? 森だしな。でも、簡単な水属性だけで解除できちゃうとか、パオタロって意外と優しいじゃん』


『黙れ雑魚が。俺を甘く見るとどうなるか教えてやるよ』


 パオタロはそう言うと、ヒカルの潜伏を強制的に解除し、自分だけ再び潜伏状態になった。


「ハハッ、お得意の潜伏かよ! だけどな、目の前で潜伏したって意味ねえんだよ!」


 ヒカルは魔法で生成したカラフルな塗料の球を四方八方にマシンガンのように乱射した。すると、不自然に塗料で彩られた場所が現れた。そこにパオタロが潜んでいることはもはや明らかだった。


「いっけぇぇぇぇえ!」


 ヒカルが攻撃を仕掛けようとした、そのとき――。


「ま、待て!」


 姿の見えないまま、パオタロの切羽詰まった声が響いた。


『俺は、この数日間ずっとヒヨリさんを監視していた。ヒヨリさんは、ハルナさんが消えることを知っているようだった。あの人は王血部隊、いやシングウ王国にとって明らかに危険人物だ』


 ヒカルはその衝撃的な言葉に一瞬で凍りつき、振り上げていた腕が力なく止まった。その目は激しく動揺し、泳いでいた。


「ハハ……何言ってるんだよ……。ヒヨリさんが危険なわけないだろ……?」


『あのな? 俺はさっき、ヒヨリさんをずっと監視していたって言ったよな? それは、お前よりもヒヨリさんのことを知ってるし、見てきたってことだ。わかるな? その上で、この俺が、“ヒヨリさんは魔女の嫉妬に関わってる可能性が高い”と言っている。いい加減理解しろよ、単細胞が』


 ヒカルの顔がみるみる赤く染まり、怒りで全身が震え出す。


「……ふざけんな……っ! もう一度言ってみろよ、パオタロ!!」


 ヒカルの声は震えながらも明確な怒気を帯びていた。荒い息を必死に抑え込みながらも、その努力は限界に達しつつあった。自分が信じてきたヒヨリへの侮辱に、もはや理性など跡形もなく吹き飛んでしまった。


『何度でも言ってやる。ヒヨリさ……』

「うぉおおおおお!!」


 ヒカルは激昂し、怒声とともにパオタロが潜伏していると思われる場所へ向かって一直線に突進した。そして、まさにパオタロへと到達する直前、目の前の空気がわずかに歪んだような気がしたが、それを認識する余裕はなかった――。


「ゴンッ!!」


 鈍い音が森の中に響き渡った。

 ヒカルはまるで見えない壁に真正面から激突したかのように、その場に力なく崩れ落ちた。身体を貫く激しい衝撃に力が完全に抜け、視界がぐにゃりと歪み始め、世界が暗転していく。耳の奥では甲高い音が鳴り響き、意識が急速に遠のいていく。


 何が起きた……?


 薄れゆく意識の中、ヒカルはそれすら理解できなかった。ただ、自分を包む奇妙な違和感だけが、最後まで彼の意識を捕らえて離さなかった。

第4話をお読みいただきありがとうございます。


序盤はじっくりと伏線を張っていきますので、ぜひお見逃しなくご覧ください。


今後ともよろしくお願いします。

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