第46話:一番得意な魔法
エドワードに連れられ、ヒカルは王血館の近くにある森へと足を踏み入れた。やがて二人は、木々がまばらに途切れた、少し広めの開けた空間にたどり着いた。
エドワードはそこで歩みを止め、ヒカルのほうを静かに振り返った。
「この辺りでいいだろう。ではヒカル殿……いや、これからは師弟の間柄だ。ヒカル、と呼ばせてもらうぞ。まずは君が最も得意とする魔法を見せてもらえないか?」
思いがけない申し出に、ヒカルは一瞬戸惑いを覚えた。
「一番得意な魔法、ですか?」
エドワードは真剣な表情を崩さず頷く。
「そうだ。強みというものは、決して弱点の克服から生まれるのではない。得意な部分を伸ばし、それが明確な武器になった時、初めて真の強みとなる。そのためにも、まず君自身の特性を把握しておく必要がある」
ヒカルは少しの間考え込み、やがて以前パオタロと危機を脱した時に使った魔法を思い出した。
――あれでいいか……。
深呼吸をし、魔力を集中させる。次の瞬間、足元から突風が巻き上がり、ヒカルの身体は一気に宙高く舞い上がった。
着地すると、エドワードは感心したように小さく頷きつつも、冷静な目を向ける。
「なるほど、無属性でありながら、その瞬間的な突破力は見事だ。しかし、それでは単なる強風を起こしているにすぎない。“得意”と呼ぶならば、精度と持続性が求められる。例えばヒヨリ殿のように、安定して風を操り続ける飛行術――あれこそが本当の意味での“得意”だと私は思うが、どうだろう?」
エドワードの指摘に、ヒカルは少し考え込んだように頷いた。
「なるほど……」
自分の魔法を客観的に指摘されるのは新鮮であり、また自分がいかに狭い視野で魔法を捉えていたのかを思い知らされた気がした。とは言え、エドワードの言葉に納得はできても、いざ自分自身に置き換えてみると、どれが得意な魔法と言えるのかわからなくなってしまう。
ヒカルが黙り込んだまま考えを巡らせていると、エドワードはじっと彼を見つめ、静かに問いかけた。
「ガスポール殿からは、君は非常に器用な術者だと聞いている。先ほども君は空気を巧みに操って、実に滑らかな着地を見せていたな。あれは誰にでも簡単に真似できることではない。いいか、ヒカル。強力な魔法である必要はない。地味であろうと、自分自身で『これは誰にも負けない』と誇れるものが一つあれば、それが君にとっての真の強みになり得るのだ。――君にはきっと、そんな魔法があるのではないか?」
――他の誰にも負けない魔法……。
そんな魔法あっただろうか。
これまで自分が使った魔法を色々と振り返ってみるが、特別と言えるようなものは何も浮かばない。
だが、もう一つのキーワードである“器用”という言葉を頭の中で繰り返しているうちに、ふとある魔法が思い浮かんだ。
――いやいやいや……まさか、な……。
さすがにあれを得意な魔法だと言って見せるのは気が引ける。
しかし以前、その魔法を目にしたパオタロは確かに驚いていたし、カイトとミヤコたちに至ってはかなり引いていたような記憶がある。
ヒカルは低く唸りつつ、しばらく躊躇していたが、他に思い当たる魔法もない。
やがて意を決したように、慎重に口を開いた。
「……本当に、地味な魔法でもいいんですよね?」
エドワードは穏やかに頷き、静かに促した。
「構わない。見せてくれ」
ヒカルは念を押すように、もう一度口を開いた。
「一応やってみますけど……期待しないでくださいよ?」
ヒカルは小さく息を吐き、慣れた動きで手を動かした。
その瞬間、空気中の水分が温かな霧となってヒカルの髪を優しく湿らせる。同時に心地よい温風が髪を素早く整え、服の着脱、さらには歯磨きまで瞬く間に終わらせてしまった。
一連の動作が終わると、ヒカルは気まずそうに目を逸らし、小さく呟いた。
「これは俺の毎朝のルーチンで……って、こういうことじゃないですよね。すみません、一応、やってみただけで……」
ヒカルが申し訳なさそうに呟きながらエドワードの反応をうかがうと、エドワードは驚愕した様子で目を大きく見開いていた。
「な、なんということだ……!!」
エドワードの強い反応にヒカルはぎょっとし、慌てて謝罪の言葉を口にした。
「す、すみません、ふざけてるわけじゃなくて……!」
だがエドワードはヒカルの謝罪には目もくれず、興奮した表情で一歩前に踏み出した。
「一体どうやってこの魔法を習得したんだ!? どのような訓練を行った!?」
ヒカルは戸惑いながら答えた。
「え、いや、その……俺、毎朝寝坊気味で、少しでも早く準備しようとしてただけで……、いつの間にかこうなってただけっていうか……」
その答えを聞き、エドワードは再び大きく目を見開いた。
「……まったく意識せずにこれができるようになっていたのか?」
「は、はい……」
エドワードは一度、大きく息を吐くと、落ち着きを取り戻し、説明を始めた。
「いいか、ヒカル。君が使った魔法の一つひとつは、確かにごくありふれたものだ。だが君の凄さは、一つの魔力器を、複数の魔法に同時展開させている点にある」
ヒカルはその意味をつかみかね、首を傾げた。それを見て、エドワードはさらに補足した。
「四つの魔力器を持つ君なら、四属性を同時に操ること自体は可能だ。だが通常、一つの魔力器を、同時に複数の魔法で使うことはできない。例えば、空気中の水分を温かな霧にするために火の魔力器を使えば、その魔力器はそこで使用済みとなり、同時に温風を起こすことはできなくなる。ところが君はなぜか、それを同時に実行できているんだ」
ようやくエドワードの言葉の意味を飲み込んだヒカルは、驚きを隠せず黙り込んでエドワードの説明に耳を傾けていた。
そんなこと、考えたこともなかった。ただの便利な日常魔法だと思っていたものが、実は誰にも真似できない特別な能力だったなんて――。
「その力はまったく説明がつかない。四つの魔力器を持ちながら属性が一つも得られなかったことにも、何らかの関係があるのかもしれない。いずれにせよ、それが君の強さの鍵となり、さらには強力な新魔法にも繋がる可能性がある」
エドワードの言葉を聞いているうちに、ヒカルは心の中で絡まっていた不安や疑問がゆっくりと解けていくのを感じていた。“属性解放の儀”で無属性だと告げられたあの日からずっと、自分の進むべき道が見えずにいたが、ようやく希望の光が差し込んできたように思えた。
その新たな可能性を前にして、ヒカルの胸に温かな感情が広がった。
これだけの短期間で、ずっと悩んでいた自分の力の本質を見抜き、明確な道を示してくれたエドワードへの信頼が、はっきりと確かなものになった気がした。
「ありがとうございます……!! 俺、エドワード先生についていきます!」
エドワードはヒカルの勢いに小さく笑った後、すぐにいつもの厳しい表情に戻った。
「ありがたい言葉だが、残念ながらまだ何も成功していないぞ。まずは君が無意識で行っていることをしっかりと自覚することだ。その感覚を意識的に掴み、自分の意志で操れるようになる必要がある」
――自分の意志で操る……?
ヒカルは戸惑いながらも目を閉じ、深く意識を集中させた。
「……やってみます!」
だが、これまで無意識に行っていた『一つの魔力器を、同時に複数の魔法で使う感覚』を意識的に捉えようとすると、途端に頭の奥に強い圧迫感を覚え、それがモヤモヤと広がり、次第に意識を侵食していった。気分が悪くなり、思わず表情を歪める。
――う……なんだこの感じ、気持ち悪い……
ヒカルは膝から崩れ落ち、そのまま地面に倒れ込んでしまった。身体が言うことを聞かず、起き上がることもできない。
「ヒカル!」
エドワードが素早く駆け寄り、倒れたヒカルを抱き起こした。
ヒカルは苦しげに顔を上げ、なんとか言葉を絞り出した。
「意識の中でその力に触れようとした途端、急に頭が締め付けられるように気持ち悪くなって……やっと自分の道が見えかけてきたのに……」
ヒカルが途切れがちに説明すると、エドワードは表情を崩さず、静かながらも厳しい口調で告げた。
「焦るな、ヒカル。新しい道を進むのに、最初から平坦なはずがない。今日はここまでとする。続きはまた明日だ」
ヒカルは小さく頷き、息を整えながら応えた。
「わかりました、先生。ありがとうございます……」
エドワードはヒカルの肩を軽く叩いた後、少し考え込むように付け加えた。
「だが、目標が漠然としていてはよくないな……。よし、数カ月後には『魔法競技祭』が開催される。その場で君の新たな力を披露することを、まずは目指してもらうぞ」
「魔法競技祭、ですか?」
ヒカルが驚いて問い返すと、エドワードはしっかりと頷いた。
「ああ。この国で最も注目される魔法の祭典だ。その場で君の新しい力を示すことができれば、君が望んでいる甲種への復帰も現実味を帯びてくるだろう。何より、この国に新たな希望を示すことになる」
ヒカルは覚悟を決めたように強く頷いた。
「わかりました! その競技祭までには必ず、この力を自分のものにしてみせます!」
エドワードはその反応に満足したように、小さく頷いた。
「うむ、その覚悟を忘れるな」
夕闇が深まり、森は静かに闇に包まれていく。
ヒカルの胸の奥では、ずっと抱えていた不安がゆっくりと薄れ、その代わりに厳しい現実を前にした決意が強く灯っていた。




