第38話:反撃の火蓋
話は、ヒカルたちが老婆と出会う少し前に戻る。
◇
「もう信じらんないっ!! なんで私がこんな目に……!」
フウコは苛立ちを隠そうともせず、グロリア修道院の跡地付近で身を潜めていた。その姿は、誰が見てもヒヨリ本人にしか見えなかった。
――こんなことになったのも、全部、シシンが悪いのよ……!
御前会議で実演された『ミロ考案の作戦』とは、老婆(魔女の使途)に化けたミロ自身がヒヨリに倒されることで、ヒヨリの英雄としての名声を取り戻すというものだった。しかし実際には、これは貴族たちの妨害を警戒したガスポールが、ミロ開発の新魔法“フェルミミック”の能力の一部を伏せて作り上げた『偽の案』に過ぎなかった。
フェルミミックとは、哺乳類ならどんな姿にも自在に変身できる魔法だが、実は『術者本人以外にも魔法をかけられる』という隠された特性があった。
つまり、ミロが本当に考えていた『真の計画』とは、この特性を使い、老婆役だけでなくヒヨリ役も王血部隊・甲種一期生から選抜して演じさせるというものだったのだ。
――だからって、この私にヒヨリ役をやらせるなんて……!
“白月の間”で聞かされたシシンの言葉が、嫌でも脳裏を巡る。
『老婆役は俺がやる。ヒヨリ役はフウコ――お前がやってくれないか? ヒヨリは風魔法で空中に浮かぶのが得意だった。あれ以上に風を操れるのは、この中ではお前しかいない』
――私しかいないとか言われたら、もう断れないじゃん……何なのそれ……!
『ミロの記憶にはフェルミミックの発動方法も含まれている。それが俺に移ったと貴族たちが気づけば、当然、この作戦を妨害しようとするだろう』
『よって、対策の立案と実施にはある程度の準備期間が必要になる。フウコもヒヨリらしい動きに慣れておく必要がある。作戦決行は一か月後、グロリア修道院跡地で行われる慰霊碑の新造式に合わせる』
――シスイもシスイよ!!
『あら、フウコ。楽しそうでよかったじゃない。ヒヨリ語の発音から所作まで、みっちり私が仕込んで差し上げますわ』
作戦実行中にヒヨリが偽物だと知られれば、王家の威信も国家の信頼も崩れかねない。万が一にも偽物だと気づかれるようなことがあってはならなかった。
そのためフウコは約一か月間、シスイによる地獄の特訓を受けることになった。
特訓の第一段階は、ヒヨリ独特の語尾やテンションを徹底的に叩き込まれる『ヒヨリ語集中講座』。
次に、ヒヨリらしい感情豊かな身振りや、風魔法での浮遊姿勢を完璧に再現するための『ヒヨリ式動作再現訓練』。
そして最後に待ち受けていたのが、起床から就寝までを完全にヒヨリとして過ごす『一日ヒヨリ生活』だった。
立ち居振る舞い、目線、まばたきのリズムまで細かくチェックされる日々。フウコは毎日のように「あらフウコ、今のはヒヨリではなく“あなた自身”そのものですわ。やり直しですわね」とシスイから容赦ないダメ出しを受け続けた。
――シシン、この借りは重いんだから……っ!
そして今、フウコはヒヨリの姿のまま、物陰で静かに出番を待っていた。フェルミミックによるヒヨリへの変身はすでに完了している。あとは舞台に上がるだけだ。
――貴族たちの動きは、こちらの予測通りね。これだけ準備したんだもの、失敗するわけにはいかないわ……。
貴族たちが甲種・一期生の動きを警戒していることは、すぐに確認できた。
シシンはその裏をかくため、ガスポールにも計画を伏せたまま、ヒヨリへの面会許可を取りつけると、拘置所の周囲に甲種・一期生たちを交代で張り付けた。まるで日替わりでヒヨリと秘密裏に接触を図ろうとしているかのような“芝居”を続けさせている。
さらに甲種・一期生たちは、『ヒヨリには未来が見える力があるらしい』という噂を意図的に流した。『ヒヨリが未来を知る以上、彼女と接触すれば甲種・一期生が重大な情報を得てしまう』という貴族たちの警戒心を煽ることに成功した。
これらはすべて、敵の注意を拘置所に釘付けにするための綿密な陽動だった。偽の作戦――民衆の前に現れた老婆を本物のヒヨリが倒す――を本命と信じ込ませるために必要な布石だったのだ。
案の定、拘置所周辺では貴族関係者らしき姿が頻繁に目撃され、警備も不自然なほど厳重になり、ヒヨリとの秘密裏の接触は極めて困難な状況となった。それでも、今この瞬間にも、ユラとサラがヒヨリに近づこうとする芝居を演じているはずだ。
この場にいるのは、シシン、フウコ、シスイ、モンド、カイエンの五人。全員が事前にフェルミミックを使い、猫の姿で現場入りするという徹底ぶりだった。
『いいか、お前たち。手筈通りに頼むぞ』
その一言を残し、シシンとシスイは静かにネズミの姿へと変わった。小さな体で慰霊碑のある広場へと走り出す。――現地で老婆とその配下に変身すれば、民衆の目には“突然、何もない場所に現れた”ように映るだろう。
モンドとカイエンも、すでにそれぞれの持ち場に潜んでいる。
シシンとシスイも間もなく配置につく頃合いだ。あとは、それぞれが定められた役割を果たすだけ。
フウコはヒヨリの姿のまま、ひっそりと物陰に身を潜め、空を見上げた。
その瞬間、胸の奥に冷たいものがすっと走る。
滑るように空を舞う二つの影が、静かに慰霊碑の方へと向かっていた。
――……まさか、貴族側に気づかれた?
作戦は続行か、中止か――フウコは判断を迫られる。
迷う暇もなく、二つの影が慰霊碑付近に降り立った。
その正体を確かめようと、思わず身を乗り出しかけるが、フウコはすぐに踏みとどまった。
今はヒヨリの姿。こんなタイミングで民衆に姿を見られでもしたら――その瞬間、すべてが水の泡になる。
直後、フウコが耳に装着したイヤホン型通信機に“一斉通信”が入った。
これは土属性の加護を持つ者が使える汎用魔法で、一方通行――情報はモンドからしか発信できない。
『今降り立った二人の影は敵ではない。ヒカルとモラタだ』
その名が告げられた瞬間、全員に緊張が走った。
想定外の存在。だが判断を誤れば、すべてが台無しになりかねない。
わずかな間を置いて、再びモンドの声が響く。
『シシン、貴様に判断を任せる。貴様が老婆になった瞬間をもって、作戦続行と見なす』
判断はシシンに委ねられた。
フウコは固唾を呑み、その時を待つ。胸の奥で鼓動が激しく高鳴っている。
そして――。
目を射るような鋭い閃光が、広場を覆った。
それと同時に、誰かの悲鳴が響き渡る。
ついに、甲種・一期生による反抗作戦の火蓋が切って落とされた。




