第37話:変わらぬ想い
「ここは、ヒヨリさんが襲撃したグロリア修道院の跡地だ」
モラタの言葉に息をのんだ。
ヒヨリによって破壊された修道院は、もはや見る影もない。壊れた壁の一部を残して瓦礫はきれいに撤去され、今ではただの広場のようになっていた。
「実は俺、襲撃から少し経った頃、一度だけここに来たんだ」
モラタは口元を緩め、ヒカルに視線を合わせた。
「ヒヨリさんを助けるための証拠がないかと思ってな……。でも結局、何も見つけられなかった」
「何でお前がそんなことしてんだよ。ガスポール先生と憲兵隊に任せておけば……」
ヒカルの言葉を遮り、モラタははっきりと言った。
「俺がやりたかったんだ」
そのあっさりとした答えに、ヒカルは思わず言葉を失った。
「なんだよ、それ……」
「ヒカル、お前ほんとダサくなったよな。今のお前って、何を理由に動くか決めてんだ?」
――俺が動く理由……。
改めてそう問われると、答えに詰まった。最近の自分の行動に、明確な目的なんてあっただろうか。
一人でいるのは、乙種の連中と一緒にされたくないだけだ。惨めな思いをしたくなくて、無理に強がったり、ガスポール先生を責めたりもした。
けれどそれは、周囲の目を気にしているだけではないのか――自分自身が本当はどうしたいのか、その気持ちすら掴めずにいるような気がした。
モラタは静かな口調で問いかける。
「お前、このまま無意味な日々を送って、その先に何があるんだよ?」
何も答えられない苛立ちを、ヒカルはモラタにぶつけた。
「うるせえ! 乙種の連中に俺の何がわかんだよ!」
吐き出すように叫んだが、モラタのまっすぐな視線がさらにヒカルの感情をかき乱す。
思わず問い返していた。
「じゃあ、お前は何がしたいんだよ!」
「俺は……」
モラタが答えようとした瞬間だった。
目を射るような閃光が広場を覆った。
それと同時に――
「キャー!!」
悲鳴が響いた。
献花が置かれた慰霊碑のほうだ。
二人は急いで慰霊碑のほうへと駆け寄った。
そこには、一段高くなった慰霊碑の台座の上に立ち、両手を広げて空を仰ぐ奇妙な老婆の姿があった。その背後には配下らしき者が控えているのが見えた。
「ふふふ……あの女に先手を取られ、一度は倒されたが、こうして再び蘇ったぞ」
老婆はそこから群衆を見下ろし、その顔に歪んだ笑みを浮かべた。
「皆の鎮魂の祈り、そしてこの慰霊碑のおかげじゃ。礼を言うぞ、皆の者」
慰霊碑の新造式で集まっていた群衆は、予想外の光景に凍りついた。
沈黙の中、一人の男が震える声を上げた。
「お、お前は何者だ!」
その問いかけに、老婆は目をぎらつかせて答えた。
「ワシか? ワシは魔女様の使徒よ」
その一言が放たれた瞬間、広場には重苦しい静寂が広がった。
人々は一斉に老婆を凝視し、誰もがその意味を理解できず、混乱が芽生え始める。
老婆はゆっくりと群衆を見渡すと、深く刻まれたシワに狂気の色を滲ませながら、突如けたたましい笑い声を響かせた。
その笑い声がきっかけとなり、広場の空気は一瞬で恐怖に染まった。
我に返った群衆は、恐慌状態に陥った。
後ずさりして倒れる者、恐怖のあまり動けなくなる者、叫び声を上げながら出口を探して駆け出す者――。パニックは瞬く間に広がり、やがて収拾がつかなくなった。
そんな状況の中、一人の男がヒカルたちを見つけると、必死の形相で声をかけてきた。
「あ、あなた方は王血部隊の方ですよね? どうか、早く助けてください……!」
ヒカルたちの制服から王血部隊だと気づいたのだろう。だが彼らが着ているのは、非戦闘部隊であることを示す“緑”の制服だった。
「いや、俺たちは乙種なので――」
ヒカルの言葉を遮り、モラタは力強く叫んだ。
「大丈夫です! ここは僕たちに任せて、皆さんはすぐに避難してください!」
「お、お願いします……!!」
ヒカルはモラタに苛立ちを隠さず詰め寄った。
「おい、カッコつけてんじゃねえよ! あんなの、どうやって俺たちだけで対処すんだよ」
モラタは静かな、それでいて真剣なまなざしでヒカルを見つめ返した。
「ヒカル……、お前は散々嫌ってた乙種を、こういう時だけ逃げるための理由として使うのか? それがお前のやりたいことなのか?」
ヒカルがその言葉に唖然としたまま動けずにいると、モラタは低く、だがはっきりと言った。
「俺はな、小さい頃――お前と一緒にいた頃から、やりたいことは何も変わってない。いいぜ? 逃げたきゃ逃げろよ」
言い終えるなり、モラタは慰霊碑へ向かって走り出した。そして制服から一枚の紙を取り出すと、老婆に向けて刃のように投げつける。その紙が老婆の肩に突き刺さった瞬間――
爆発が起こり、老婆は激しい爆風に飲み込まれた。
――まさかお前……今でも魔女を倒そうとしてるのか!?
だけど、そんな子供騙しの攻撃じゃ通用するはずないだろ……。
ヒカルは幼い頃、モラタと一緒に魔女を倒すことを夢見て過ごしてきた。どちらが先に倒せるか、どう倒すのか、倒した後の決め台詞は何か――。そんな未来を妄想しながら幼少期を共に過ごしたのだ。
――でも、お前には魔法器が一つもないんだぞ……!!
無茶だ。どう考えても、そんな攻撃じゃあいつには通用しない――。
しかしモラタは動きを止めなかった。その間にも、もう一枚の紙を取り出して地面にたたきつける。すると、紙から一羽の魔鳩が現れた。
魔法器がなくても、予め用意した紙の魔法陣を使って爆風を起こす。老婆の注意を自分に引きつけ、民衆の安全を確保した上で、その爆風による死角を利用し、さらに別の紙を使って救援を呼ぶ――。
ただの無鉄砲ではない。
強大な相手に勢い任せに挑む蛮勇でもない。
戦力差を冷静に認めたうえで、緻密な戦略を実現している。その鮮やかな動きに、ヒカルは思わず目を見開いた。
あれだけの戦略と動き、そして予め重ねてきた準備――。
一朝一夕でできることではない。魔法器を持たない自分でもできることを考え、そのために絶えまぬ努力と鍛錬を続けてきたことは、容易に感じ取れた。――モラタは、本当に今でも魔女を倒そうとしているのだと理解した。
だが……それでも魔法陣を展開するその一瞬が致命的に遅かった。
紙の魔法陣を使う分、どうしても動きが鈍ってしまう。
老婆は鋭い旋風を巻き起こして爆風をかき消すと、モラタが放った魔鳩を冷徹に撃ち落とした。
しかし、モラタの口元はわずかに緩んだ。
視線の先――上空には、数多くの魔鳩が一斉に舞い上がっていた。
ヒカルが放った魔鳩だった。
――モラタの動きをさらに俺が囮に使えば……!
モラタの鮮やかな動きを目にして、ヒカルは考えるより先に体が動いていた。
気付いたときには、大量の魔鳩を空に向けて飛ばしていた。
同時に、ヒカルは老婆を睨みつけて牽制した。
老婆は、“何か”を一斉に狙い撃とうとするかのような姿勢で立っている。
――まじかよっ!! でも待て、あの独特な姿勢には見覚えが……。
それに、もう一人の配下っぽいやつ、あいつ、いちいち大袈裟に動いてるだけで、さっきから何もしてない。なんか怪しい……。
空を見上げると、ヒカルが飛ばした魔鳩たちが次々と墜落している。
だがその向こう、空中には長い髪を風になびかせ、一人の人影がゆらりと浮かんでいた。
「もぉ、せっかく倒したのに~。復活しちゃうなんてダメなんだよぉ? プンプンなんだからねっ!!」
――あれは……ヒヨリさんっ!?
だが、ヒヨリは今も拘置所に拘留されているはずだ。
こんなところに来られるわけがない……。
瞬間的にヒカルは混乱したが、すぐにある可能性に思い至った。
「モラタ、あいつはヒヨリさんに任せて、俺たちは民衆たちの救出に移るぞ!」
「……わかった!!」
決然と駆け出す二人を老婆は静かに見送りながら、口元に微かな笑みを浮かべた。




