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第36話:泥に咲く魔法陣

 ミロ襲撃の日から一か月が過ぎた。


 ヒカルは王血部隊・乙種へ転属となっていた。

 魔法器を四つも持ちながら“属性解放の儀”で一つも加護を得られなかったためだ。ガスポールの調査でも解放手順に誤りは見つからず、ヒカルはただ『天文学的に運が悪かった』という結論で落ち着いていた。


 ガスポールが生成した子供たちのうち、魔法器を三つ以上持つ者だけを選抜したクラスが甲種であるのに対し、乙種はそれ以外――属性加護の有無に関係なく魔法器が二つ以下の者――を集めたクラスだ。

 当然ながら乙種では、「少ない魔法器でいかに工夫するか」という話ばかり聞かされることになる。魔法器を四つも持つヒカルにとっては、退屈で苛立たしい日々でしかなかった。


 ――魔女と戦えるのは甲種だけだ。

   お気楽な乙種の連中とは俺は違う。そんなレベルにまで落ちてたまるか……。


 今も、「ヒヨリには未来が見える力があるらしい」などと、あり得ない会話が聞こえてくる。そのたびに内心で馬鹿にしてしまうが、そうした態度はいくら隠してもどこかで表に出てしまうものだ。

 そのためか、ヒカルはいつまで経っても乙種の輪に馴染めなかった。自然と一人で過ごす時間が増え、周囲の楽しげな会話すら耳障りになっていた。


 ふと思い浮かぶのは、“属性解放の儀”で次々と属性が解放されていく仲間たちの姿、そして自分だけが取り残されたあの瞬間――。あの時の周囲の反応を思い返すだけで、今でも頭の中が真っ白になり、全身が凍りつくような感覚に襲われる。


 教室に戻った後も、属性解放に沸き立つ仲間たちの間に混じっていると、自分の存在に気づかれるたび、場の空気が気まずく変わるのを感じた。同情の視線やぎこちない励ましを向けられるたび、口元を無理に緩めて「別に気にしてない」と強がる自分が、ひどく惨めだった。


 惨めな気持ちを抱えたまま進んだガスポールの調査――。

 ヒカルは耐え切れず、ガスポールを問い詰めたことさえあった。属性加護が付く保証もないのに、なぜ『ヒカル』などという光属性を連想させる名前をつけたのか、と。


 だが、返ってきたのは単純な答えだった。

 魔力器を四つも持つ子は、ヒヨリに続いて二人目の快挙だったこと。“日和”という光にちなんだ名前をヒヨリにつけたように、ヒカルにも光属性への期待を込めただけ――と。


 そして、エミリの言葉。


 『ヒカル、あなたはきっと、明日の“属性解放の儀”で王血部隊最強になるわ』


 ガスポールやエミリの言葉を思い出すたび、“ヒカル”という名前だけであれだけ浮かれていた自分が、無性に馬鹿らしく思えた。まるでピエロのようだ――。


 一人、そんなことを考えながら王血館の中庭を歩いていたヒカルは、ふと顔を上げると、パオタロたち“ニイニセン”の姿が目に入った。

 最近、甲種の生徒たちが乙種の周囲を警戒するように巡回している姿をよく見かける。


 ミロ襲撃事件以降、乙種の間で囁かれている噂があった。


「乙種の命が狙われているらしい」


 最初は根拠のない噂にすぎなかったが、甲種・一期生や二期生が明らかに乙種を警護し始めると、一気に現実味を帯びた。


 乙種の緊張はピークに達していた。

 いつ襲われるかわからない。次は自分かもしれない――そんな不安に支配された生徒たちの間には、昼間でさえ異様な静寂が漂い、交わされる会話もどこかぎこちなかった。


 そんな乙種の情けない姿を見るたびに、ヒカルの苛立ちは募った。

 だが甲種から見れば、自分もまた乙種の一員に過ぎない。よりによって、あのパオタロにこんな惨めな姿を見られるなんて絶対に嫌だ――ヒカルは逃げるように王血館を出た。


 行くあてもなく苛立ちを抑えきれないまま歩いていると、突然怒鳴り声が耳に飛び込んできた。


「雑魚のくせに生意気なんだよ!」


 見ると、亀のようにうずくまっている生徒を多数が取り囲んで蹴りつけている。

 緑の制服に白の二本線――どちらも乙種・二期生の生徒だ。


 ――マジかよ、この歳でまだこんなことやってんのか。


 ヒカルがため息を吐いた次の瞬間、うずくまっていた生徒が顔を上げ――。


「えっ、何だよこれ!」

「足が動かねぇ!」


 突然悲鳴が響き、囲んでいた生徒たちが次々とバランスを崩し地面に倒れ込んだ。足元の地面がいつの間にか泥状に変化し、彼らを捉えている。その中心には小さな魔法陣が微かに光っていた。


 ――あいつ……うずくまってただけじゃなくて、地面に魔法陣を隠してたのか。

   意外とやるな。


 予想外の抵抗に驚いたヒカルだったが、顔を上げたその生徒を見て、思わず息をのんだ。


「モラタ……?」


 それは、甲種と乙種に分けられる前、最も仲の良かった友人だった。しかし、クラス選抜の際の魔力器測定で、モラタには魔法器が一つもないことが判明した。これでは、魔法陣を描かなければ魔法を使うことすらできない。ヒカルはどう声をかければよいか分からず、そのままクラスが分かれたこともあり、すっかり疎遠になってしまっていた。


 相手を転倒させることに成功したモラタだったが、それは所詮時間稼ぎにすぎなかった。泥の拘束から解放された生徒たちが怒りを爆発させ、再びモラタに襲いかかろうとしている。


 ――チッ、何やってんだよ……!


 ヒカルは苛立ちを込めて舌打ちをし、勢いよく両手を叩き合わせた。同時に風魔法を発動させ、その衝撃音を何十倍にも増幅させる。


「パンッ!」


 突然の轟音に取り囲んだ生徒たちが一瞬怯んだ。その隙にヒカルは迷わず駆け出し、モラタの腕を強引に引き寄せた。


「飛ばすぞっ!」


 モラタが戸惑う暇もなく、二人は強烈な突風に吹き上げられ、一瞬で空中に舞い上がった。


「くそ、待て!」


 背後から怒号が届いたが、もう関係ない。


 ――前にもこんなことあったよな……ヒヨリさんからパオタロと逃げた時か……。


 複雑な思いが胸をよぎったが、隣でようやく状況を理解したモラタが楽しげな声を上げた。


「なんだ、ヒカルじゃん! 久しぶりだな!」


 ヒカルはそんな明るい声に呆れつつも、少しだけ口元を緩めた。

 強烈な突風は徐々に穏やかな風へと変わり、二人を静かに包み込みながら王血館からゆっくりと遠ざかっていく。


「いやお前さ、あの後どうするつもりだったんだよ!」

「ハハ、考えてねえよ。……あ、ヒカル。あっちに行ってみようぜ」


 二人は、いつしか城壁を飛び越え、街の上空にまで達していた。

 ヒカルはモラタが指さした方角へと進路を変える。


「あのなぁ……勝てないならもっと上手く立ち回れよ。またイジメられるだけだろ?」

「それはねえよ。……変わったな、ヒカル」

「は? ちょっと待て、とりあえず着地するから」


 ヒカルは、街外れにある広場を見つけると、風の勢いを巧みに調整しながら速度を落とす。足元で空気を渦巻かせ、クッションのように衝撃を吸収して、静かにふわりと着地した。


「無属性でもそんなに器用にコントロールできるもんなんだな」

「コントロールできても威力が弱けりゃ意味ねえよ……」


 そんなヒカルを見て、モラタは少し間を置いてから、どこかつまらなそうに口を開いた。


「やっぱダサくなっちまったな、ヒカル」

「は? さっきからお前、何なんだよ」


 モラタはその問いを無視するように、先に歩き出した。

 ヒカルは苛立ちながらその背中を追いかけるが、ふとモラタの足が止まった。


「……やっぱりそうか」


 その言葉につられて視線を向けると、大勢の人が集まっていた。新しく設置されたらしい碑の前で、鎮魂のためだろうか、静かな表情で花を生けたり、祈りを捧げたりしている。


 ――ここって、まさか……。


「ここは、ヒヨリさんが襲撃したグロリア修道院の跡地だ」

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