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第27話:ヒヨリぼっち

「飯だ。食べ終わったら食器はいつものところに置いておくように」


 看守が無機質な声でそう告げ、金属製のトレイを独房に差し入れる。

 ヒヨリは無言のままトレイを受け取り、椅子に腰掛けた。


 いつも通りのパンとスープ、そして薄切りの肉。

 何の変哲もない、淡々とした夕食。


 何も感じない。

 心が動かない。

 ただ、無感情のまま、機械的に口へ運ぶ。


 ふと、あの猫の姿が頭をよぎった。


 ――デカいやつな!


 そういえば、あの猫が“デカいやつ”を持ってくると言っていた。

 得意気に笑いかける猫の姿を思い浮かべ、思わず頬が緩む。


 しかし、猫に淡い期待を抱いていることに気づいたヒヨリは、すぐに頬の緩みを押し戻した。


 ――もぉっ……全然楽しみなんかじゃないのにっ!


 期待なんてしたらダメ。

 あんな正体不明の猫に、何か期待するほうが間違ってる。


 どうせ、また利用されるだけ。

 もうこれ以上、誰かの手のひらの上で踊らされるのは嫌だ。


 夕食を食べ終え、食器を片付ける頃には、もう何も考えないようにしていた。

 しかし、廊下を通る足音に、つい耳を澄ませてしまう。


 けれど、それは、ただの食器回収で訪れた看守の足音だった。


 ――ネコちゃんがあんな足音のわけないのに……私の馬鹿馬鹿……。


 期待なんてしないと決めたはずなのに、猫のことばかり考えてしまう。

 廊下の気配を気にする自分が情けなかった。


 ……この繰り返し。終わらない葛藤。


 しかも、こういう日に限って、いつもの時間になっても猫は現れない。


 いや、もう三日も来ていない。

 あの日、話し出すまでは毎日来ていたのに……。


『今、君にとって最も信用できる人は誰なのかを知っておきたいと思って』


 突然、あの日の猫の声が頭に響いた。


『ま、心配しなくてもいるハズだよ。ほら、僕とかね!』


 あんなことも言っていたのに。


 ――このまま、もう来ないのかもしれない。


 結局、嘘だったんだ。

 ヒヨリは、膝を抱え込むようにして小さく息を吐く。


「信用できる人なんて……私にはいない……」


 ぽつりと落ちた声が、虚しく独房に響いた。


 最初から、誰もいなかった。

 これまでも、これからも。


 ――私はずっと“ヒヨリぼっち”だったんだから……


 なのに、どうしてこんなに息苦しい?

 何も考えたくない。

 思い出したくもない。


 ヒヨリは目を閉じる。


 けれど、静寂の中で、まぶたの裏に浮かぶのは――。


 薄暗く湿った地下倉庫。

 仲間から突きつけられた疑念や不信感に襲われた、あの日の出来事。

 その記憶が、容赦なくヒヨリの心を締め付ける。



――地下倉庫での出来事――


 それは、ヒヨリが十四歳になり、“属性解放の儀”を終えた直後のことだった。


 未来で発生したテロ事件を阻止するために過去へ戻ったヒヨリは、ガスポールの指示を受け、事件の証拠を集めていた。

 その任務を終え、地下水路を抜けて、シングウ城の地下倉庫へと繋がる扉を開けたとき――。


 不穏な気配を感じた。


 シングウ城の地下倉庫は最低限の灯りしかなく、暗く湿った空気が漂っている。

 冷たい闇の中に潜む何か――それは、人の気配に他ならなかった。


 ヒヨリは慎重に歩を進めた。

 石造りの壁に反響する自分の足音が、思いのほか耳に障る。

 ポツリ、ポツリと天井から滴る水が、石畳を打つ音となって静寂を切り裂き、ヒヨリの心に不安を忍び込ませた。


 そして、倉庫の中央に辿り着いたその瞬間だった。


「……えっ!?」


 闇の中から現れたのは、“イチニセン”の三人――シシン、カイエン、モンドだった。


「悪いが拘束させてもらう」


 ヒヨリは今でも忘れない。

 三人の目に混じっていた、あの疑念と敵意を。


 しかし、火、風、土の属性加護に加え、時空を操る能力を持つヒヨリは、まだ未熟だった“イチニセン”の三人を圧倒した。

 勝負は決したかに見えた――だが、そこから思いも寄らない悲劇が訪れる。


「……そこだ!!」


 シシンは、無理な体勢から咄嗟に鉄鎖を呼び出し、ヒヨリを拘束しようとした。

 しかし、呼び出されたのは、高温でドロドロに溶けた“失敗作”だった。温度管理を誤った鉄鎖は制御を失い、暴れ回った挙句、その一部がモンドに直撃――彼の命を奪ってしまった。


 「モンド!!」


 シシンとカイエンはモンドの元へ駆け寄り、その体を抱きしめながら泣き叫んだ。

 彼らの嗚咽と悲鳴が、地下倉庫の冷たい空気を切り裂いた。


 一方で、ヒヨリはその場から少し離れた位置で、独り立ち尽くしていた。

 体は小刻みに震え、視線は床に落ちたままだった。


 ――あれ……なんで涙が出てきちゃうのかなぁ。……グスン。


 熱いものが、頬を伝っていく。

 それが涙だと気づくのに、少し時間がかかった。


 視界が滲む。

 モンドの倒れた姿がぼやける。

 シシンとカイエンの叫び声は、どこか遠くから響いているようだった。


 ――時間を戻せばいいだけなのに……。


 時間を戻すだけで、モンドを救うことができる――それは分かっている。


 なのに、涙が止まらない。

 胸が押しつぶされるように苦しくて、喉がひりつく。

 呼吸がうまくできない。


 仲間たちから襲撃を受けたという事実が、ヒヨリの胸を容赦なく締めつける。

 モンドの死よりも、それが痛くて辛かった。


 信じてもらえないどころか、疑われ、拒絶され、攻撃される――。

 それは、ヒヨリにとって幼少期にミロたちから受けた仕打ちを思い起こさせるトラウマそのものだった。


 涙が頬を伝い、冷たい床にぽたり、ぽたりと落ちていく。


 ヒヨリは心のどこかで、淡く、でも確かに期待を抱いていたのかもしれない。

 いつかきっと、誰かが自分を見てくれる。

 いつか必ず、誰かが自分を信じて、受け入れてくれる――。


 しかし、“イチニセン”からの襲撃は、その期待を無情にも打ち砕いた。

 彼らの行動は、幼い頃から抱えてきた孤独が、決して消えることのない現実であると突きつけるものであり、今後も変わらないのだという絶望をヒヨリに刻み込んだ。


 それでも、ヒヨリはモンドを助けるために過去に戻らなければならなかった。

 それは、仲間であるはずの“イチニセン”の三人から再び襲撃を受けるということ、つまり、過去のトラウマを完全に再現する場面に戻るということを意味していた。


 体が震える。


 戻りたくない。


 でも戻らなくては――。


「私だけが我慢すればいいんだよぉ……。

 私だけが我慢すればいいんだよぉ……。

 私だけが我慢すればいいんだよぉ……。

 私だけが……我慢すれば……。

 私さえ……私だけが……」


 ヒヨリの呟きは小さく、儚い響きを伴っていた。

 その声には、疲れ切った諦めと、行き場のない悲しみが滲んでいた。


 自分さえ我慢すれば、誰も傷つかない。誰も悲しまない。

 それが、自分の役割――。


 「私にしか、救えないんだから……」


 諦めの混じる声で、そう呟いた瞬間、ヒヨリの姿がゆっくりと滲むように消えていった。


 水音だけが、冷たく響く。

 まるで、ヒヨリの涙の続きを奏でるかのように――。

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