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第26話:監視者と異端者

――準備室――


 静寂が支配する準備室。

 ガブリエウは淡々と専用防具の装着を進めていた。

 同じ“ニイサンセン”に配属されるケイトやメイナとは別室のため、今、この部屋には彼一人しかいない。


 しかし、その静けさの中で、ガブリエウはふと目を細めた。

 ごくわずかに、空気の流れが変わった気がする――。


「……パオタロ君だね?」


 誰もいないはずの部屋に向けられた言葉。

 次の瞬間、空間がわずかに歪んだ。


 淡く波打つように揺らぎ、やがて輪郭を持ちはじめたパオタロの姿が、ゆっくりと浮かび上がる。

 パオタロは自らの潜伏にガブリエウを潜らせ、互いに姿を認識できるようにした。


『……よくわかったな』


 表面上は平静を装ったが、胸の奥では驚きと戸惑いが急速に広がっていた。

 潜伏には自信があった。それなのに、いとも容易く気づかれた――。


 ――何をした?


 五感を研ぎ澄ませると、わずかに揺れる不自然な空気の流れを感じ取った。


 ――気流の変化……。

   まさか、空気の流れを常に監視し、侵入者の有無を探っているのか……!?


 ガブリエウの並外れた警戒心と観察力に驚愕を覚えるが、ここで動揺を悟られるわけにはいかない。


 パオタロは何食わぬ顔で、試合後に不要となった専用防具を手に取ると、“使用済み”と書かれた籠に無造作に放り投げた。

 防具が鈍い音を立てて転がる。その時、パオタロの目には一瞬だけ何かを確かめるような鋭さがよぎったが、静まり返っていた部屋の空気がわずかに揺らいだだけだった。


 しかし、ガブリエウはその動きを一瞥すらしなかった。

 黙々と専用防具の装着を続ける。その仕草は無駄がなく、一切の隙も感じられない。

 パオタロは、そんなガブリエウの様子を観察しながら、何気ない調子で言葉を投げかけた。


『……前に言っただろ? 今度、俺の潜伏に潜らせてやるって』


 ガブリエウは、装着していた専用防具の袖を軽く払いながら、ふと口元をわずかに上げた。


『そう言えば……そんな約束してたね。でも、この程度の潜伏じゃ、実戦では使えないんじゃない?』


 思い出したような口調だったが、その声色は明らかにパオタロを蔑んでいた。興味のカケラすらない。


 パオタロはガブリエウの見下した態度に動じず、視線を細めて軽い口調で問いかけた。


『お前、性格悪いって言われんだろ?』


 冗談めいた言葉だったが、その裏側には相手の真意を探る慎重な緊張感が漂っていた。

 ガブリエウは動きを止め、パオタロを見つめると、ふっと微笑んだ。その微笑は冷淡で、まるで相手の反応を楽しむような色を帯びていた。


『気を悪くしたなら謝るよ。ボクは思ったことをつい口にしてしまう悪い癖があるんだ』


 そう言いながら、ガブリエウは淡々と専用防具の装着を終えた。

 肩を軽く回して防具の感触を確かめると、そのまま静かに部屋の出口へと歩き出す。

 出口付近で立っていたパオタロとすれ違う瞬間、ガブリエウはふと口元を上げ、静かに言葉を投げかけた。


『キミの潜伏に潜らせてくれてありがとう。楽しかったよ』


 その言葉とともに、ガブリエウはパオタロの肩に軽く手を置いた。


 しかし――

 その刹那、パオタロの姿は形を崩し、まるで零れ落ちる水のように、その場で滴となって消え去った。


 ――……水分身。


 ガブリエウはわずかに目を細める。


 その時、背後から不意に声が響いた。


『おっと、防具の紐が緩んでるぜ』


 ガブリエウが振り向くと、そこにはパオタロが立っていた。

 飄々とした様子で、ガブリエウの装備を指先で摘まんでみせる。


『せっかくの専用防具なんだ、ちゃんと締め直さないとな』


 ゆっくりと防具の紐を締め直すパオタロには、どこか余裕が滲んでいる。

 そんなパオタロをじっと見つめながら、ガブリエウは淡々と問いかけた。


『キミ、性格悪いって言われない?』

『そりゃ、性格悪いからな』


 パオタロは軽く肩をすくめながら、悪びれる様子もなく答えた。


 ――気流を使ったボクの監視を、どうやって掻い潜り、いつの間に室内に侵入したのか。


 パオタロが紐を締め直している間、ガブリエウは静かに思考を巡らせる。


 もし、自分がパオタロの立場なら、どう動くか――。

 行動手順を、一つずつ冷静に思い浮かべていく。


 まず、水分身を潜伏させた状態で侵入……これは確かなはずだ。


 ――次に、何をした……?

   ボクが気流の変化で潜伏を見破った、あの瞬間――。

 

 ……パオタロも、ボクが生成していた空気の流れを察知していた?

 まさか、それを逆手に取ったか?


 ――……あのときか!


 パオタロが防具を雑に放り投げたとき、確かに気流は乱れた。

 その光景が鮮明に蘇る。


 ――いや、あれは「乱れた」んじゃなくて、「乱した」んだ。


 意図的に気流を攪乱し、ボクが変化を掴めなくなった一瞬で、二段階目の潜伏を行い、室内へと入り込んだ。


 ――そういうことか。


 ガブリエウは静かに息を吐くと、肩をすくめながら愉しげにパオタロを見据える。


『ハハ、前言撤回するよ。君の潜伏魔法、思ったより面白いね』


 パオタロはニヤリと笑う。


『もっと面白いこともできるぜ。例えば、怪しいやつを四六時中監視し続ける、とかな』

『それは楽しそうだ』


 ガブリエウは淡々と答えた。

 パオタロはガブリエウの防具の紐を丁寧に締め直すと、最後にしっかりと結び目を整え、満足げに軽く叩いた。


『ほら、これでバッチリだ』


 ガブリエウは腕を軽く動かして防具の感触を確かめたが、その動作は妙に機械的でぎこちなかった。


『すまないね。でもいい感じだ』


 声は静かで穏やかだったが、その瞳の奥には抑えきれない何かが張り詰めている。


『じゃあ試合に行ってくるよ』


 その言葉を聞いた瞬間、パオタロは潜伏を解いた。


「ああ、応援してるぜ」


 パオタロを背に、ガブリエウは戦闘訓練場・弐へと歩き出した。

 しかし、その背中からは、普段の余裕が完全に消え去っていた。


 歩みを進めるごとに、ガブリエウの表情は次第に歪んでいく。

 瞳は限界まで大きく見開かれ、焦点が揺らぎ、抑圧された狂気がゆっくりと解き放たれていく――。


 息を吸い込み、強く噛み締めた唇の端から、じわりと赤い雫が滲み出た。

 それはゆっくりと流れ落ち、専用防具の胸元を静かに赤く染めていった。


 一方、準備室に残されたパオタロは、静かに考えを巡らせていた。


 ――ガブリエウの行動……あれは明らかに怪しい。


 空気の流れを常に監視し、侵入者の有無を探る――そんな人物を甲種・二期生クラスに所属させた理由は一体何なのか。

 ガスポール先生や、シシン先輩たちは、本当に何も気づいていないのか。


 ――それとも、知っていて泳がせているのか……?

   ……まぁ、どちらにせよ。


 これだけ忠告しておけば、当分ガブリエウが軽々しく動くことはないだろう。

 パオタロはそう結論を出した――その時だった。


 突然、獣のような咆哮が鳴り響く。


 地を揺るがす轟音とともに、凄まじい風が吹き荒れた。


 壁が軋み、床がわずかに震える。

 激しい衝撃波が広がり、訓練場の方からざわめきが起こる。


 パオタロは即座に準備室を飛び出した。


 向かう先は、戦闘訓練場・弐――。



――戦闘訓練場・弐――


 訓練場に到着したパオタロの目に最初に飛び込んできたのは、怯えきった表情のケイトとメイナだった。

 二人とも小刻みに震え、周囲には未だ魔力の余韻が渦巻いている。


 すぐそばには、氷のドームが生成されていた。

 属性や位置関係から考えて、メイナがケイトを守るために展開したものだろう。

 しかし、そのドームの中心には無惨にも大きな穴が空き、何か強烈な力で貫かれた跡が鮮明に刻まれている。


 だが、二人の身体には幸いなことに傷一つない。専用防具の表面には魔力による激しい攻撃を受け止めた痕跡が残り、それが彼女たちを守りきったことを物語っていた。


 ケイトの目は涙で潤み、メイナの唇は血の気を失って青白くなっている。二人がとてつもない恐怖を味わったことは明白で、今にも膝から崩れ落ちそうなほどに、精神が限界に達しているようだった。


 その衝撃的な光景に、訓練場は異様な沈黙に包まれていた。

 監視役の一期生たちは、警戒を露わにしながら、ガブリエウをじわじわと取り囲むように距離を詰めていく。


 やがて、その沈黙を破るように、ガスポールの静かな声が響いた。


「ガブリエウ君、基本魔法以外は、使用不可と言ったはずじゃが?」


 先ほどの恐怖がフラッシュバックするかのように、ケイトとメイナの肩がびくりと大きく跳ねた。

 ガブリエウはゆっくりと顔を上げる。


「ハァ……ハァ……つい失念しておりましたぁ……」


 荒い息遣い。

 肩を大きく上下させながらも、ガブリエウはまだ熱に浮かされたように震えている。

 しかし、それ以上に異様なのは、その瞳――。


 大きく見開かれた瞳には焦点がなく、まるで何か別のものを映しているかのように揺らいでいた。


 彼の両手は細かく震え、拳が痛々しいほどに握り締められていた。

 まるで、自らの内側で渦巻く破壊的な衝動を、必死に押し留めているかのように。


「君は、これで失格じゃの」


 ガスポールの落ち着いた声が訓練場に響いた。

 静寂が支配する中、ガスポールの視線がゆっくりとケイトとメイナへと向けられる。


「君たちも、大丈夫かの?」


 ケイトとメイナはまだ震えが止まらないまま、怯えきった瞳で小さく頷いた。


「……まぁよい。これにて“ニイサンセン”の試合は終わりとするかの」


 そう言いながらも、ガスポールの鋭い視線は、再びガブリエウをじっと見据えている。


 戦闘訓練場・弐には、依然として異様な空気が漂っていた。

 誰もが、まだその場に残る魔力の余韻と、常軌を逸した気配に圧倒されているようだった。

第26話までお読みいただき、ありがとうございます!


次回以降、また視点が変わりますので、ぜひここまでのお話について、♡や☆、感想などで教えていただけると嬉しいです。


引き続き、応援よろしくお願いいたします!

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