第1話:魔女の嫉妬
「ここはシングウ王国・王血専門学校。この学校に通えるのは王血部隊に所属している生徒だけです。先の大戦では、アルグランド王国を率いる魔女によってシングウ王国の領土の半分近くが奪われました。その魔女を討伐し、領土を奪還するために創設されたのが『王血部隊』なのです」
ヒヨリは木造三階建ての校舎の廊下に立ち、緊張した面持ちでカメラに向かって話していた。
建物は比較的新しく建てられたもので、廊下にはまだ新しい木の香りが漂っている。
「本日は、そんな王血部隊をご紹介するため、私、ヒヨリがやって参りました~」
息を吸い込み、緊張をほぐそうとしたのか、小さく肩を上下させる。
「それでは早速、甲種・二期生クラスの教室に向かってみましょう!」
ここまでは順調だったが、話が進むにつれてヒヨリの緊張は徐々にほぐれすぎてしまい、言葉が舌足らずになっていく。
「えっとぉ、王血部隊って一期生から三期生までの三世代だけで構成されてるんですよ~。だから、それより上とか下の世代とかがないんですぅ……すごく特殊だよね~」
普通なら即座に撮り直しが指示される場面だ。しかし、周囲のスタッフたちは誰一人慌てる様子がない。むしろ「また始まったか」とでも言いたげに、苦笑混じりにカメラを回し続けている。
ヒヨリの収録で撮り直しを要求しても、結局何度やっても同じ結果になることを、彼らはすでに十分理解しているのだろう。
そのまま撮影が進み、ヒヨリが甲種・二期生クラスの教室前に立った時、一人の男子生徒が颯爽とヒヨリの横をすり抜け、教室内へと入っていった。
教室のドアをくぐる直前、彼はちらりと通り過ぎた人物に視線を投げ、初めてそれがヒヨリだと気づいた。
――どうやらメディアの取材には間に合ったようだが……。
あのアナウンサー……白の制服? 甲種・一期生の専用制服じゃないか。
それにあのピンクの髪色……まさかヒヨリさん!? なぜこんなところに……?
彼の表情に明らかな動揺が走った。
――馬鹿な……! この俺があれだけ念入りに監視していたんだぞ。
いったい何が起こっているんだ……?
一方、ヒヨリや撮影スタッフたちは、そんな男子生徒に気付く様子もなく、相変わらずマイペースに撮影を続けている。
「ッフフ、そうなりますよね~。実は、“甲種”っていうのはですね……。
えっ? ここの説明いらないです? それより三世代しかいない理由のほうを……?」
ヒヨリは少し困ったように目を泳がせた。
「……えーん、でもその辺って政治とか絡んで難しいじゃないですかぁ……ぐすん」
ヒヨリは困りながらも、急に目を輝かせて教室の中を指さした。
「……あっ、でもほら! ガスポール先生ですよっ! ちょうど今、近代史の授業中ですし、このまま授業風景に入って、先生に近代史を説明してもらう感じにしちゃいましょ~!」
――……グダグダ過ぎんだろ。
まぁいい。とりあえず俺も席に戻るか。
男子生徒は念のため周囲を軽く確認すると、誰にも気づかれないまま、ごく自然に自分の席へと滑り込んだ。
「じゃあ、いきますね! コホン……失礼いたしました。“属性解放の儀”を明後日に迎える甲種・二期生クラスでは、ガスポール先生が近代史の授業を行っているようです! さっそく覗いてみましょ~!」
ヒヨリは明るい笑顔を浮かべつつ、迷いなくすべてをガスポールに丸投げしたのだった。
◇
――甲種・二期生クラス――
甲種・二期生クラスの教壇には、立派な白髭を蓄えたガスポールが立っている。
講義を受ける生徒は九名。
彼ら全員が、甲種・二期生専用の“青の制服”を身にまとっている。
「……っんでな、シングウ王国は“大結界”のおかげで三十年間、滅亡を免れることになったわけじゃ。っんじゃが、何度も言う通り、魔女の脅威が完全に消え去ったわけではない。つまり、大結界が張られて十九年経った今を基準にすれば――」
ガスポールはそこで言葉を切り、生徒たちを鋭く見渡した。
「――あと十一年しか猶予はない。つまり、それほどまでに魔女の脅威は目前に迫っておるということじゃ」
講義を受ける生徒たちの中で、一人だけ明らかに退屈を隠せない少年がいた。
金髪の少年――ヒカルだ。
――ぐああああああああ、ガスポール先生! 授業マジでつまんないっす!
そんなのいいからさぁ、魔女がどんな魔法を使うとか、どのくらい強いとか、そういうのが重要なんじゃん!?
実際に魔女と戦うのは俺たちなんだからさぁ……そういう実践的な話が聞きたいわけですよぉ。
ヒカルは両肘を机について鼻と口の間に挟んだ鉛筆をぶらぶら揺らしながら、足で軽く床を叩いていた。
「……っと。ちょっと、ヒカル! ちゃんと授業聞いていないと、先生に怒られるわよ!」
隣からエミリの小声が聞こえた。
昔から正義感がめちゃくちゃ強くて、ちょっとめんどくさいところがある。でも、エミリは可愛いから、そのめんどくささなんて霞んでしまうというか、もう見えない。
「はいはい、分かってますって……」
ヒカルは軽くため息をつきながらも、ついちらりとエミリを見た。
――あれ? 髪切ったんだ。いつもより少し短いけど……うん、赤みがかった茶色の髪によく合ってて、これはこれで可愛い。
やっぱり、かわいいは正義! 正義はエミリ! エミリはかわいい! かわいいは正義! 正義は……あ、これ無限ループのやつだ。
じっと見つめられていることに気付いたエミリが、小声で抗議する。
「ちょ、ちょっと! そんなにじっと見ないでよ……先生の話に集中しなさ――」
「そこ、うるさいぞ! ……ん? エミリ君かね? 授業中の私語はいかんの!」
エミリは小さく頬を膨らませてヒカルを睨みつけると、すぐに立ち上がって先生の方へ向き直り、スカートの裾を軽く摘まんで丁寧にお辞儀した。その横でヒカルは慌てふためきながら、「ごめん!」というジェスチャーを必死に繰り返している。
「ごめんなさい、ガスポール先生」
「ふむ、気を付けるように。せっかくじゃからエミリ君に問題じゃ。大結界が三十年後に消えることを知った先王ガンモン様は、『三十年後を実際に生きる者たち自身が政治を行うべき』とご隠居なされたわけじゃが、その後を継いだアモン国王が行った政策を説明できるかの?」
エミリは深く息を吸い、すぐに表情を引き締めて流暢に答え始めた。
「はい。アモン国王が行った政策は、大きく三つあります。一つ目は国家財政を立て直すために貴族の権利を制限する法律を制定したこと。二つ目は土地を奪われた人々の生活を守るために、屯田兵政策を実施したことです」
――はー、エミリ天才だわ……。
でもさ、国王が隠居した理由とか経済政策とか、正直どうでもいいんだよな。
結局、魔女に勝てば全部解決すんじゃん?
ていうか、あれって……カメラ!? よく見たらヒヨリさんもいるじゃん。ふわふわしてて色っぽいよなぁ。年齢が一つしか違わないとは思えないくらい、なんか優しいお姉さんって感じ……。
ヒカルが心の中で余計なことを考えている間にも、授業は淡々と続いていた。
「……これらの政策のおかげで、シングウ王国は領土を奪われ、諸外国との貿易も絶たれた状況にあっても飢餓を回避し、経済的にも一定の安定を得られたわけじゃ。しかし、『魔女の脅威』にどのように対抗するのか、この点についてはまだ答えられておらんようじゃが……どうかの?」
ガスポールは穏やかな視線をエミリへと向けた。
エミリは小さく息を吸って気持ちを整えると、明瞭な声で答え始めた。
「はい。アモン国王が三つ目に実施した政策は、『魔女の脅威』に対抗するための軍事強化です。具体的には、大賢人の予言に従い、魔法と科学を融合させました。そして『属性加護が付きやすい遺伝子』を持つ王族から子供を生成する研究を進め、その成果として創設されたのが私たち王血部隊です」
――おっ、ようやく俺たちの話になってきた!
てことは、このあとは甲種クラスに光属性がいるとか、光属性はやっぱりヒカル君である可能性が高いとか、そういう話になるんじゃないかな!? かな!?
「その通りじゃ。じゃがエミリ君。一つだけ大事なことを忘れておるの。先の大戦では、我々は魔女が使用した未知の魔法に圧倒され、敗北したわけじゃ。じゃからアモン様は、王血部隊の創設だけでなく、新魔法の開発を奨励する政策を講じられておる」
エミリは少し戸惑ったように眉をひそめ、小さく首をかしげて質問を返した。
「けれど先生、私たちは新魔法の開発を禁止されていると教わっていますが……」
ガスポールは一瞬黙った。
教室内が静まり返り、生徒たちの視線が一斉にガスポールへと集中する。ガスポールは重々しく息を吐くと、“ついにこの話をする時が来たか”とでも言うような、厳粛な表情を浮かべた。
「君たちも知っての通り、未熟なまま強い魔法を使えば、魔力の成長が止まることもある。じゃから十歳の時点で『魔力器』を三つ以上持つ者を『甲種クラス』に選抜し、属性封印を施しておる。君たちはまさに、その選ばれた者たちというわけじゃな」
教室に沈黙が広がる。
ある者は無言で視線を落とし、またある者は手をぎゅっと握りしめた。生徒たちは今さらながら、自分たちが特別な存在として選ばれたという重圧を再確認したかのように、緊張した面持ちで先生の次の言葉を待っている。
ガスポールは教室をぐるりと見回し、生徒たち一人ひとりの表情をゆっくりと確かめてから、再び口を開いた。
「じゃから、国家戦略上、王血部隊の甲種である君たちには、新魔法の開発を許可しておらん。とは言え、“属性解放の儀”を終えていない君たちには、そもそもまだ新魔法を開発するのは難しいのじゃがな……」
“属性解放の儀”――それは封印された魔力を解放するための儀式であり、シングウ王国では十四歳の成人時に執り行われる。
甲種・二期生クラスの生徒たちは、まさに二日後にその儀式を受けることになっていた。
どこか核心を避けるようなガスポールの説明は、教室に再び静かな緊張をもたらした。
エミリはわずかに唇を震わせ、一瞬のためらいを振り切るように口を開いた。
「……つまり、なぜ……私たちは、新魔法を開発してはいけないのですか?」
教室が静まり返る。生徒たちは息を呑み、じっと先生の言葉を待つ。
ガスポールは深いため息をつき、険しい表情で言った。
「……それはな、“魔女の嫉妬”じゃ」
第1話をお読みいただきありがとうございます!
序盤(第1話〜第10話)は世界観や伏線をじっくり描いているため、進行がゆっくりに感じられるかもしれません。
第11話から『属性解放の儀』が始まり、第12話からは物語が一気に動き出します。
今後の展開をぜひ楽しみにしていただけると嬉しいです!