第16話:グロリア修道院にて
今回から第1章がスタートします。
――シングウ中央裁判所――
厳粛な雰囲気が漂う法廷。
静まり返った空気が包み込む中、傍聴席の人々は固唾を飲んで証言を聞いている。視線の先、中央には裁判官たちが威厳を保って並び、左側に検察、右側に被告人とその弁護人が座っていた。
「おいら、見たんだ」
“属性解放の儀”から十日が経過したこの日、被告人席にはヒヨリが座っている。ヒヨリは罪を問われる立場にあった。
現在、証言台には羊飼いのオイラーが立ち、“属性解放の儀”当日の出来事を語っている。
「おいら、羊たちのエサやりを終えて帰る途中だったんだべ。グロリア修道院を少し過ぎたあたりで、なんか変だと思って空を見上げたんだ。そしたら、炎に包まれた大量の岩石が空に浮かんでて、その中にヒヨリ様が浮かんでるのが見えたんだべ。その後はもうおっかなくて……」
証言が途切れると、検察席の検事が穏やかながらもはっきりとした口調で問いかけた。
「その後、被告人が右手を挙げると同時に、炎に包まれた岩石がグロリア修道院へ降り注いだ、ということで間違いありませんか?」
「んだべぇ」
「その時、修道院の様子はどうなっていましたか? 」
オイラーは証言台で小さく息を吸い、声を震わせながら続けた。
「猛烈な風が修道院のほうから吹き上がったかと思ったら、岩石が次々と衝突して建物は全部壊されちまったんだべ。それから火が風に煽られて、あっという間に猛火が広がった。修道院には人がいたみたいで……。悲鳴が聞こえてきたけど、どうにもできんかった。少し経ったら、その声も聞こえなくなったんだべ……」
証言を受け、検事は静かに頷き、まとめるように口を開いた。
「以上の証言から、被告人がグロリア修道院を破壊し、被害者の命を奪ったことは明白であります。証人尋問は以上です」
検事は証言を締めくくるようにそう述べ、一礼して席に戻った。
裁判官が頷き、弁護人に視線を向ける。
「では、被告弁護人、反対尋問をどうぞ」
弁護人が席を立ち、証言台のオイラーを見据えた。
落ち着いた声で問いかける。
「グロリア修道院は10年ほど前から使われておらず、すでに廃墟と化していました。普段は誰も近づかないような場所です。先ほど、『悲鳴が聞こえた』との証言がありましたが、本当に被害者はいたのでしょうか? 聞き間違いの可能性もありますよね。被害者の親族すら、現時点では見つかっていないのですよ」
オイラーは即座に反論する。
「修道院の中に動く人影があったのも見たんだべ。何人かはわからんが被害者がいたのは間違いねぇべさ。親族が名乗り出ていないことについては、おいらがどうこう言える立場じゃねぇべ。何か事情があって言えねえだけかもしんねえ」
弁護人はゆっくりと息を吐き、小さく手元の書類を整えた。法廷に一瞬だけ静寂が訪れ、やがて弁護人の低い声がその静けさを破った。
「では、質問を変えます。上空で被告人を見たとの証言についてですが、かなりの距離があったはずです。その人物の顔を本当に明確に確認できたのですか? 被告人だと断定する具体的な根拠は何でしょうか?」
オイラーは一瞬考えるような仕草を見せたが、すぐに胸を張って答えた。
「おいら、ダーマンベルク出身で視力には自信があるんでさぁ。3キロ先にいる羊の動きも分かるんだから、あの程度の距離で顔を見分けるくらい朝飯前だべ」
その言葉が終わるや否や、弁護人の声が鋭く切り込んだ。
「被告人の様子についてですが、どのように見えましたか? 」
オイラーは証言台で姿勢を直し、一瞬ヒヨリをちらりと見た。その視線には微かな怯えが滲んでいる。
「ヒヨリ様は、ずっと今と同じように無表情だったべ……。修道院が燃えてる間も、ただぼーっとその様子を見てるだけだった。それから野次馬が集まってきて、最終的には憲兵隊が来てヒヨリ様を拘束したんだべ」
弁護人は静かに頷き、表情を崩さぬまま短く告げた。
「……被告側からは以上です」
一礼して席に戻る弁護人の背中には、どこか疲労の色が漂っていた。
その後、被告人質問が始まったが、ヒヨリは一言も発することがなかった。その沈黙は、法廷に漂う緊張をさらに際立たせていた。
この日の公判が終わり、待合室に入ると弁護人はヒヨリの前に座り、慎重に言葉を選びながら問いかけた。
「ヒヨリ様、何があったのか話して頂けませんか? ヒヨリ様の無実を証明するには、どうしても真実を知る必要があります。このままでは殺人の罪で死刑になってしまいます」
しかし、ヒヨリはただ静かに座り、何も答えなかった。
ヒヨリはどんな言葉を投げかけてもピクリともせず、虚ろな表情をしたまま、じっと待合室のコンクリートの床を眺めていた。深い沈黙が漂う。
弁護人は肩を落とし、深いため息をついた。このやり取りは何度繰り返しても同じ結果だった。憲兵隊に拘束されたあの日から、ヒヨリは沈黙を貫き続けているのだ。
その後、ヒヨリは憲兵に連れられ、馬車で拘置所へ戻った。
拘置所に着くと、軋む鉄門が重々しい音を立てて開き、ヒヨリは中へと導かれた。看守が名簿を確認し、手続きを終えると、ヒヨリを独房まで案内する。
「入れ」
ヒヨリが独房に足を踏み入れると、鉄格子の扉がギィと音を立てて閉じられた。その後、看守の足音が廊下の奥へと遠ざかり、独房は静寂に包まれていった。
ヒヨリはベッドに腰掛け、膝の上に置いた手をじっと見つめる。小さく息を吐くと、壁にもたれながらゆっくりと目を閉じた。
薄暗い独房の中、ヒヨリの意識は、あの日の記憶へと引き戻されていく。
◇
――あの日の記憶――
火に包まれるグロリア修道院を、ヒヨリは無表情のまま上空から静かに見下ろしていた。その瞳には、炎に崩れ落ちる建物が映っているだけで、精気は感じられなかった。
修道院からは断末魔の叫びが響き渡り、燃え盛る炎が建物全体を飲み込むと、やがてその声も途絶えていった。代わりに地上には、多くの野次馬が集まっていた。彼らは上空に浮かぶヒヨリを見上げ、怒りと恐怖に満ちた声をぶつけた。
「あれって、ヒヨリ様だろ?」
「国王様の命令でやったってことか!?」
「ふざけんな! 俺たちのことを何だと思ってるんだ!!」
それでもヒヨリは、ただじっと燃え盛る修道院を見下ろしていた。地上から聞こえる罵声や悲鳴は、彼女には届いていないかのようだった。
やがて、遠くから低い唸りのような音が響き、憲兵隊が上空に現れた。
彼らもヒヨリと同じく魔法の力で空中に浮かんでいたが、その動きはぎこちなく、体勢を立て直す姿が何度も見られる。
「ヒヨリ殿!」
一人の憲兵が声を上げた。
「大変申し訳ありませんが、国家反逆罪の嫌疑がかかっております! 逮捕するよう命じられております!」
その言葉にはためらいが混じり、憲兵たちがこの命令に困惑している様子が窺えた。
「……ど、どうして? えっ、私が……?」
その呟きは静かで、どこか無力だった。
「詳しいことは存じ上げておりません。ただ、嫌疑はグロリア修道院を突如襲撃したというものです!」
憲兵の説明を聞いたヒヨリの目がわずかに揺れる。一瞬の沈黙が訪れた後、ヒヨリは希望を込めるように口を開いた。
「ガスポール先生を呼んでくださいっ!すぐにわかるから……」
その声には、かすかな期待が滲んでいた。しかし、次に返ってきた憲兵の言葉は無情だった。
「そ、その……申し上げにくいのですが、今回の命令はガスポール先生からのものです。そして、伝言を預かっています……。“無かったことにするのじゃ”と」
その言葉を聞いた瞬間、ヒヨリの瞳に激しい動揺が浮かんだ。息を飲み、視線が定まらなくなる。わずかに唇が震え、何かを言おうとして言葉が出てこない。やがて彼女は深く息を吐き出すと、諦めたようにゆっくりと視線を下げた。
「……そっかぁ」
弱々しく呟いた声は、まるで力なく宙に消えていくようだった。ヒヨリは無理に笑みを浮かべようとしたが、表情がうまく作れず、瞳にうっすらと涙がにじんだ。
「……うん、わかった……もう……逮捕して……ください……」
彼女の瞳はすべての感覚を失ったようにぼんやりとしていた。そのまま人形のように力なく立ち尽くす。憲兵たちはそんなヒヨリの姿に困惑しつつも、小さく頭を下げながらゆっくりと近づいていった。
「本当によろしいのですか? それでは……失礼いたします! 」
憲兵たちは慎重にヒヨリの腕を掴み、魔力制限のための魔法拘束具を取り付けた。その手つきには、わずかな躊躇と申し訳なさが滲んでいる。
燃え盛る修道院を背に、無抵抗で拘束されるヒヨリの姿は、周囲の喧騒や怒りとは相容れない、どこか浮き上がるような孤独を纏っていた。
◇
――拘置所の夜――
ヒヨリは独房の中で目を覚ました。どうやらうたた寝をしていたらしい。
薄暗い室内には月の光が差し込み、床に細い光の帯を描いている。どれほど時間が経ったのかは分からない。ただ、遠くで虫の声が響いていた。
その時だった。
静けさを破るように、柔らかな気配がふっと近づいてきた。硬い床を踏むその足取りは、ほとんど音すら立てない。
鉄格子の隙間から、ふわりとした灰色の影が滑り込む。
それは、一匹の猫だった。
縞模様の入った灰色の毛並みが薄明かりに照らされ、瞳がまるで宝石のように輝いている。猫は迷うことなくヒヨリの足元へやって来ると、座り込み、じっと彼女を見上げた。
「ネコちゃん、また来てくれたのね……」
ヒヨリの声は、ほんのわずかに柔らかさを帯びていた。
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