第五話
神聖ノアの守り手ソラリス──。
その伝説は、7年前に遡る。
魔王がその圧倒的なまでの破壊力で世界中を席巻していく中、その先兵たちは王都ノアを襲った。
突如、押し寄せてきた魔物の大軍。
空を飛ぶ悪魔、陸を駆けまわる猛獣、水の中からはい出る怪物。ありとあらゆる魔物が町を破壊し、人々を襲った。
ある者は八つ裂きにされ、ある者はかみ殺され、ある者は飲み込まれた。
ノートル地方最強を誇っていたノア騎士団も、その人外の力にことごとく屠られていった。
次々と蹂躙されていく王都の中で、国王が命じたのは騎士たちへの撤退命令。
「余は隣国へ逃げる! 騎士たちよ、余を護れ!」
騎士団は城から脱出しようとする国王の護衛のため、我先にと城へと撤退した。
その姿はあさましく、中には武器を持たない一般市民をおとりにして逃げる者までいたほどであった。
その過程で犠牲になったのがカシムの両親であり、サチャの両親だった。
彼らの両親は騎士団を追いかけてきた魔物たちの標的となり、殺された。騎士たちは魔物の注意をそらすためあえて民家の中へと飛び込み、中で震える市民たちをおとりにしたのである。カシムもサチャも、我が子を隠そうと覆いかぶさるようにして死んだ両親のおかげで生きながらえた。
多くの民が犠牲となった。
国王は、大量の騎士に護られながら国を脱出した。地下水路を抜け、王都を一望できる丘の上までたどり着くと、陥落する王都を眺めていた。
「この国は、おしまいだ……」
絶望に打ちひしがれる最中、奇妙な現象が起きた。
暗雲とした空から巨大な光が差し込むと、城の中心からドーム状の光の結界が出現したのである。
光の結界は徐々に大きく広がり、悪魔たちを殲滅していった。
「な、何事だ!?」
光の結界は、次々と魔物を消し去って行った。悪魔だけではなく、陸を駆けまわる猛獣も、水の中にうごめく怪物も、ことごとく分解し消滅させていった。
その光は、次第に広がっていき、やがて王都全土を包むほどにまで膨れ上がっていった。
「何が起きておる……!?」
王の問いに誰もが答えられなかった。何が起きているのかなど知りようもない。ただ、ひたすら光の結界を眺めるだけであった。
やがて激しい衝撃波とともに、光はたちまち消えた。
国王と、その側近、そして騎士たちは目をくらませた。そして、次の瞬間には、魔物が1匹もいなくなっていた。
奇跡──。
そう呼ぶには、あまりにも無残な光景だった。崩壊した王都と半壊した城、そして傷つき打ちひしがれたノアの人々だけがそこに残っていた。
光の結界で魔物を殲滅したのが、旅の若者ソラリスであった。
彼は、たまたま立ち寄ったこの王都に魔物の軍勢が押し寄せていることを知り、逃げ惑う騎士団に代わり人々を護った。強力な結界でノアの人々を護り、折れた刃で魔物と戦った。
大人数を収容できる修道院に魔法陣を描き、魔物の侵入を阻みつつ、逃げ遅れた人々を捜す。
しかし、いくらソラリスといえども広大なノアの町をくまなく捜すのは至難の業であった。なによりも、魔物の数が多すぎる。彼一人の力では、王都の民すべてを護ることはできなかった。
そこで、ソラリスは賭けに出た。
『スフィア』の発動──。
誰もが成功したことのない、究極の結界魔法である。
ソラリスは、王都の中心部であるノア城の塔のてっぺんで、詠唱を試みた。
とめどなくあふれ出る重圧と、殴られたような痛みが彼を襲う。
しかしソラリスは踏ん張った。
引き裂かれそうになる気持ちを抑え込み、精神を統一させた。
結界で護られた身体も、魔物たちの執拗な攻撃にいつまでも耐えられそうになかったが、彼は最後まで精神を統一したまま呪文を唱え続けた。
やがて、神々しい光が天から差し込むと彼の周りにいた魔物たちは瞬時に消滅した。
そして光の輪は広がり、王都全土を包んだ。それは、人々を救う光であった。
光の輪が収縮するころ、ソラリスは気を失っていた。膨大な魔法量を使い果たしたのだった。
彼が神聖ノアの守り手として讃えられたのは、そのあとのことである。何食わぬ顔で帰還した国王は、彼を匿った。そして彼の功績は、国が全面的に支援した結果であると国民に伝えた。
神に護られし国、神聖ノア。そして、その守り手ソラリス。
彼の姿は国によって隠され、その功績だけが残された。
その名前だけが、伝説として残ったのである。