プロローグ
夕暮れ時──。
一人の老人が町の広場にある台に立たされていた。
両手両足を縄で縛られ、首には鎖が巻かれている。長い白髪は泥にまみれ、口周りを覆う髭は血に染まっている。
そんな老人の真横には、黒い甲冑に身を包んだ一人の男が立っていた。
「聞け、神聖ノアの人々よ! この男は、畏れ多くも国主様に近づき、狂言をのたまった! その罪、万死に値する」
広場を囲む人々の顔は、憐れみと悲しみで満ち溢れていた。
彼は、この町の長老である。
誰からも尊敬される、聡明な人物だった。
ことの起こりは数日前。
町を取り仕切る騎士団たちの横行があまりにもひどすぎるため、彼は民衆を代表して国王に面会を求めた。
しかし、取りつく島もなく門前払いを受け、仕方なく帰途についた。その際、偶然にも外遊中だった国王に出会い、騎士団たちの横暴ぶりを伝え、改善するように求めたのである。
この時、国王は
「わかった、考えよう」
とだけ答えた。
しかし次の日、なぜか長老は不敬の罪で騎士に捕えられてしまったのだった。
「この神聖なる王都を護る我が騎士団に対し、あられもない嘘の証言をし、あまつさえ国主様に意見する。これは立派な反逆罪である」
黒い甲冑に身を包んだ騎士団長が高らかに叫ぶ。
「今後このようなことがないよう、見せしめのため、この男を処刑する」
悲鳴と怒号が入り混じった声が辺りにこだまする。騎士団長は民衆の叫びを冷静に受け流し、すらりと剣を抜き放った。
「罪人よ、最期に言い残すことがあるなら、聞こう」
その言葉に老人は鋭い眼光で睨み付けるように若き騎士団長に顔を向けた。
「若造よ、いつまでもこのようなことがまかり通るとは思わぬことじゃ。いつかきっと、おぬしたちに天罰が下されるぞ」
てっきり惨めな命乞いや懺悔をするものだとばかり思っていた騎士団長は、思わぬ言葉に大きく目を見開いた。
「ふははは、何を言うかと思えば。神に護られしこの国に天罰だと? バカを言うな」
「いいや、きっと下される。この国に、ではなくおぬしたちにな」
「我が神聖騎士団に神がどんな天罰を下すというのか」
「下すのは神ではない」
老人の言葉に、若き騎士団長は怪訝な顔を見せた。
「神でなければ、誰が天罰を下すというのだ」
「神聖ノアの守り手ソラリス様じゃ」
「はん」
騎士団長は鼻で笑った。
どんな名前を出すかと思えば──。
ソラリスといえば、5年前に魔王を倒したと言われる大賢者ではないか。魔王討伐後、国の最高位に位置する魔術士長の椅子を蹴って、行方をくらましたという。それ以後、彼の姿を見た者はいない。
大陸を渡って別の国の王様になったとか、地獄へと続くといわれる永久ダンジョンに潜り、ひたすら魔物を狩っているとか、根も葉もない噂だけが飛び交っている。
国が長年行方を追い続け、ついには見つけられなかったのだ。いまさらのこのこ現れるはずもない。
「寝ぼけておるのか、老人。この5年間、まったく姿を現さない伝説の大賢者に何を期待しておる。彼はもうこの国にはおらぬ」
「いいや、きっと来てくださる。あの方は、本当に慈悲深きお方。この惨状を知れば、黙ってはおらぬはずじゃ」
「貴様の死を知れば、黙るだろうよ」
騎士団長は剣を構えた。戯言はもうたくさんだ。はやく首をはねておしまいにしよう。
「ソラリス様、どうか、この国を……」
老人の言葉は、騎士団長の一振りで泡と消えた。