PRをしよう?2
梅雨が過ぎ去り、本格的に夏を感じさせる空を仰ぎ、溜め息を零す。結論から言おう。有志が集まらず放送部の協力の下、俺、天津先輩、柊先輩で動画を撮影する事になった。
なんだよカメラ嫌い多過ぎるだろ。いや、面倒なのが嫌なだけか。おのれ怪奇現象許すまじ。それがなければ面倒なPR動画撮影なんてしなくてよかったのに。でも怪奇現象がなかったら今の縁はなかったかもと思うと複雑である。
「で、結果はどうだったんですかね?」
「さぁ。こればっかりはSNSとかで反応を確認するしかないわね」
夏がやってきたという事で、衣替えが通達され、夏服を着ている天津先輩が答えてくれた。
「どうかした?」
俺の視線に気付いた天津先輩が首を傾げてきた。その後を追うようにして濡れたような黒い髪が揺れる。本当に絵になるなぁ。語彙力が少ないためにそうとしか言えないが、動画映えするに違いない。
「いえ、なんでもないです」
「碧暮君、星那ちゃん、お待たせ!」
「お疲れ様です、柊先輩。それで、結果はどうでした?」
走って部室にやって来た柊先輩に会釈をして本題に移ると、いい笑顔で結果を伝えられた。
「反響はあったよ!」
「マジですか。ん? 反響はってなんですか?」
「星那ちゃんとか私とか、碧暮君へのコメントとかが多いね!」
そう言って携帯の画面を見せてくる柊先輩。ホームページでの動画は動画サイトと連動するようになっているらしく、そのコメントが出ている。
「えーと、『学校より歩いてる女子生徒二人の方が気になって草』、『学校紹介より女の子二人に目が行くんですけど』……」
全くもって別のベクトルに反響があったようだ。違う、そうじゃない。いくら柊先輩や天津先輩が美少女だからといって、そっちについてのコメントをするんじゃねぇ。学校へのコメントをしやがれ。
「あら、八束君へのコメントもあるわね。『不良っぽいけど真面目な後輩君が先輩二人に振り回されてて面白い』、ですって」
「違う、そうじゃない。学校に目を向けてくれ……」
「ある意味反響はあったけど、これじゃない感? が凄いよねぇ」
柊先輩の言う通りである。これではダメだろう。
「学校に体験入学の申し込みが少し増えたって言ってたけど、なんだかなぁ」
「もっとこう……違う方法でのPRを考えないとダメみたいですね」
変な言い方をするが、先輩方をアイドル的になものにしてPRしているようになってしまっている。これはこれでPRにはなっているのだろうが、そうじゃない、そうじゃないんだ。
「とは言ってもねぇ……他にやれそうな事ってあるかなぁ?」
「現状できることってあるのかしら」
農業生物科は全くないと思う。野菜……はまだ収穫できるものがなかった気がするし、牛乳の販売とかは難しいだろうし。米も田植えが終わったばかり。残ってるのはリンゴとかの果物とか……? あと花。
「食物農業科はどうなんです?」
「うーん……味噌は、作ったばかりで熟成が終わってないからなぁ」
「チーズとかは確かあったわね」
「チーズ? この学校チーズも作るんですか?」
牛乳が学校で手に入る時点で何かやってるんだろうなぁとは思っていたが、まさかチーズを作っているとは。
「プロジェクト活動で三年位前から作ってるそうよ」
「結構最近なんですね」
「資料はたくさん残ってるけど、最初の方は失敗ばかりだったみたい」
プロジェクト活動でチーズを作り始めた先輩方の試行錯誤の日々が目に浮かぶ。作るのが難しいとよく聞くし、先駆けの先輩方は絶対に苦労したと思う。
「そのチーズって、どうなってるんです? 残ってたりするんですか?」
「小さい冷蔵庫の中にいっぱい入ってるんだよ。ほら」
そう言って見せてくれた画面には、袋詰めにされた大量のチーズが敷き詰められた冷蔵庫の写真が。こんなにたくさんあって、どうするんだろうか?
「先生と生徒がちょくちょく持って帰ってるんだけど、プロジェクトは続いてるからどんどん増えていくんだよ」
「無限ループ……じゃないですね。需要と供給が釣り合ってないですし」
これでは供給過多というやつだ。こんなにあったら処理しようにも処理できないし、これ以上増えれば廃棄処分という形になってしまう。最近ニュースとかで聞く食品ロスというやつが学校で起ころうとしているわけだ。
「それ、配ればいいんじゃないかしら?」
今まで黙っていた百足様が口を開いた。配る? このチーズを?
「作り過ぎて余った、みたいな感じで配ればいいじゃない。駅の近くで物を売ったりするのでしょう?」
「PRにはならなくないですかそれ」
「SNS、といものがあるでしょう? 前にあなた見てたじゃない」
俺が前に見ていたもの……? 昨日までに見ていたものといえばゲーム情報だったり、料理の動画を出している人の呟きくらい。配布系の呟きなんて見ていないはず。
「忘れたの? ほら、料理を作ってる人の子の……なんだったかしら? トマトケチャップ?」
「トマトパスタですね。それは覚えてますけど、それチーズに関係あります?」
「料理は関係ないわ。関係があるのは、そのパスタの材料を入手した経緯よ」
経緯? 材料を入手した経緯? 多分百足様が言いたいのはトマトを入手した経緯の事。…………そういえば普通に買ったとは言ってなかったな。その人が言うには確か――
「熟れ過ぎて商品にならないからと、知り合いから貰ったとか言ってましたけ、ど……ああ、そういう事ですか」
「やっと気付いたの?」
「何々? 何か思い付いた?」
俺の納得した様子に柊先輩が問いかけてくる。思い出させてくれた百足様の入れ知恵ではあるが、有効に活用させてもらうことにしよう。
「作り過ぎたチーズを配るんです。SNSとかで告知して。学校の公式アカウントありましたよね?」
「あるけど、なんでチーズを配るの?」
「まぁ、あれです。もので釣る感じです。学校見学に来てくれた人とか、駅の近くで物売る時に、SNSで見たって人とかに配ればいいんですよ」
もちろんいらないって人には違うものを渡せばいいし、誰だって何か貰えるなら嬉しい。なお、妖怪からの贈り物とかはろくでもないことが後々やってくるため、絶対に受け取ってはならない。
「何を隠そう、俺は体験入学でリンゴを二ついただいたのが、この学校を受けようと思った理由の一つです」
「もので釣られてるねぇ」
前に柊先輩に話した理由もあるが、確定させたのはリンゴを貰った事だと思う。文化祭も面白かったし。
「でも、そっかぁ……うん、掛け合ってみるね! 今日は活動がないからここで解散! またね、碧暮君、星那ちゃん!」
さっき来たばかりだというのに、通り雨のように走り去ってしまった。というか今日は活動が無かったのか……それなら早く帰れたのになぁ。予定表とか無いんだろうかこの部活。無いなら作ればいいと思うだろうが、そうはいかない。
この妖怪研究会の部長は柊先輩である。変人奇人の柊先輩が部長なのだから、予定表を作ったとしてもそんなの知ったことではないと振り回してくる未来が見える。なんでこんな部活に所属しているんだろう? あ、百足様のせいだった。
「八束君、これから用事はある?」
「帰ります」
「なら、少し付き合ってくれない?」
この人も結構人の話を聞かないな。柊先輩よりかは聞いてくれるけど、五十歩百歩ってところだ。こうなると天津先輩も柊先輩同様に話を聞かないため、諦めて付き合う事にする。用事があるわけでもないし。
「いいですけど、何するんです? 弓道とかに関しては素人ですから期待しないでくださいよ?」
「そこは元々期待してないわ」
ちょっと心に来た。いきなり鏃みたいに鋭い言葉を投げかけてくるとは……陰口を言われて過ごした経験のある俺じゃなければ即死だったかもしれない。
「道着もクリーニングに出してるから弓は引かないわ」
「じゃあ何を?」
「トレーニングよ。走るだけだけどね」
一人では物悲しさがあるからと、ランニングを提案してきた。学校の外周を走るだけらしいが……走るのは苦手だ。疲れるし、背景が変わらないから飽きてくるし、何より走り過ぎると横腹が痛くなる。
「ただ走るだけじゃつまらないから、ゲームでもしましょうか?」
「嫌です」
「即答ね」
だって凄く嫌な予感がするので。具体的には無茶ぶりをしてくる時の百足様と似たような気配がした。回避できるなら回避するに越したことは――
「興味本位で聞くのだけれど、どんなゲームをしようとしたの?」
ないと思っていたのに。
「赤い目……八束君じゃなくて、百足様、でいいのかしら?」
「ええ。体はこの子のものだけどね」
突然体を奪い取るのは凄く心臓に悪いので止めてほしい。彼女に言っても聞かないと思うけど、家に帰ったら進言させてもらうことにしよう。
「それで? どんなゲームをしようとしたの?」
「簡単な話、制限時間以内にどれだけ走れるか、なんてものよ」
百足様に威圧されてるのにも拘らず、物怖じせずに答えている。精神的にも強い人なんだな。……いやでもちょっと震えてるように見えるぞ? というか、百足様はどうして威圧するようなことをしているんだ。
「言っておくけど、この子は私のものよ。手を出すのは許さないわ」
もの扱いは酷くないですか?
「あら、人聞きが悪いわね。神様って寛容なものじゃないのかしら」
挑発しないでくださいます? 今の彼女、どういうわけか滅茶苦茶不機嫌なので。何しでかすか分からないので、挑発しないでくださいお願いします。
「それはちゃんとした神様だけよ。私は妖怪で荒神だから」
「縛り付けすぎるのは良くないと思うわ」
縛り付けようとしてるのはどちらかと言えば、天津先輩ですけどね?
「そもそも、どうして碧暮に執着するのかしら? あなたとこの子、接点はユビキの件でしかなかったはずよね?」
「さぁ、どうかしら? もしかしたら会った事があるのかもしれないわよ?」
絶対嘘だ。全く記憶にないし、昔の俺が天津先輩みたいな人を知っていたら、全霊を賭して関わらないよう徹底的に対策を練るだろうから。記憶に残っていないというのはおかしい。昔の俺の徹底さを舐めるな。……本当に会ってないよな?
「まぁ、嘘だけど。柊に振り回されてる者同士仲良くしていきたいじゃない?」
「ふぅん……まぁいいわ」
吐き気がやってくる。全く慣れないし、絶対に慣れたくない。いつもより視界がぐらついているような気がするが、すぐに治るだろうと高を括って天津先輩い頭を下げた。
「すみま、せん、天津先輩。うぐおぇ……百足様、ちょっと不機嫌ですし、俺もこのザマなので、帰らせてもらいます」
「前に見た時も思ったけど、大丈夫?」
「大丈夫です。滅茶苦茶吐きそうですけど」
「それを人は大丈夫とは言わないと思うわよ?」
確かにその通りなのだが、これが一時的なものである事に変わりはない。頭が痛いし、さっさと帰って寝てしまいたい。夕飯はレトルト製品とかでいいし。両親も多分、今日も帰ってこないだろ。あれ? 両親と最後に話したのはいつだったか……まぁ、いいや。
「んじゃ、失礼します……」
さっきよりは楽になった体を引きずって部室を出る。駐輪場に辿り着く頃には吐き気も収まり、体が言う事を聞いてくれるようになってきた。それにしても今日は一段と百足様が不機嫌だったな。
「百足様、今日はなんか不機嫌でしたけど、どうしました?」
「別に、そういう日もあるのよ。人間だってそうでしょう?」
貯め続けていたお金で買ったクロスバイクで坂を下りがなら問うと、適当な返しをされる。結構な速度を出しているのだが、普通についてくる彼女はさっきの質問がどうでもいいといった感じで口を開く。
「自分のものに手を出されたら、機嫌が悪くなるのは当然でしょう?」
「生憎と、そういう友人はいなかったんで、分からないです」
それはご存知だろうという意味も込めて答えた俺は、ペダルに力を込めて加速した。今日は運がいい……信号にぶつかる事がない。ストレスフリーだ。
「じゃあこれを機に学びなさい」
「はいはい、分かりましたよ、百足様」
「適当に答えるのは許さないわ」
「いででで!?」
頬を思い切り引っ張られる。自分だって適当な回答をしたくせに、許さないというのはどうかと思う。百足様は美人だけど横暴だ。
「そういえば百足様、暑くないんですか?」
「話を逸らしわね。……ええ、別に。日照りとかそんなに気にしないもの」
年がら年中真っ黒い着物を着ているから、そうかもとは思っていたが、暑さはあまり感じないようだ。暑さを体感しないなんて羨ましい事だ。俺なんか夏ほど忌々しい季節はないと思うくらい暑いのが苦手だというのに。
「勘違いしないでほしいのだけれど、別に暑さを感じないわけではないのよ」
「あ、なんだ。そうなんですね」
「ええ、暑すぎるのは嫌」
彼女も暑い時はしっかり暑いのか。……だとしたら暑い時どうするんだろうか? 彼女が着物以外を着ているところを見た事がない。蒸し暑い夏に着物とか拷問だと思う。
そんな俺の心情を察したのか、彼女はにっこりと笑みを深める。
「余程になれば水浴びとかしたりするわね」
「――そういえば百足様のいた神社? 祠? の近くに小さい湖ありますもんね」
思い出すのは彼女が住んでいた場所にある小さな湖。立って腰まで浸かるくらいの深さがある小さな湖は、猛暑日を凌ぐための最適解の一つになるだろう。木陰もあったし、ハンモックとかを設置して昼寝するのもいい。
「あそこの水、冷たくて気持ちいいの。夏休み、でしたっけ? それが来たら行きましょう?」
「……あのー、百足様? それはいいんですけど、水着くらいは、着てますよね?」
「必要ないわ。水浴びするための服はあるけどね」
それは多分あれではないか? 禊とやらで使われるものなのでは? 濡れたら透けるし、水の中で着るような物じゃない。
「百足様、水着、買いに行きましょうか」
「私は気にしないわよ?」
「俺の精神衛生上気にしてください、全然よくないんです!!」
百足様の爆弾発言と共に浮かべてしまった思春期の妄想を消し去るために叫ぶ。家に近付き、人があまり出歩かないド田舎だからこそ彼女と堂々と話せているが、大通りとかでこんな事をしていればただの不審者だ。
自宅に帰ってきてすぐに自室に直行する。そして、制服のままベッドへと飛び込む。制服が皺になるという代償があるものの、疲れた体に安眠を贈ってくれるベッドの誘惑は凄まじい。風呂には入らないといけないが、ちょっとだけこのまま寝てしまおうか……?
「碧暮、あなたそのまま寝るつもり? 汗の臭いベッドに付くわよ?」
「げっ、それは勘弁願いたい!」
汗の臭いが染み付いたベッドで寝ることほど不快なものはない。飛び起きた俺は早々に制服を脱ごうとして、肉食動物のようにこちらを見ている百足様に気付いた。
「――なんですか」
「別に? ただ見ていただけよ?」
「……」
半袖のワイシャツを脱ぎ、薄い生地のズボンをハンガーにかける。そして、視線を感じる。獲物を狙っている捕食者のような視線が俺に突き刺さる。部屋着を取るのと同時に、その視線を向けてきているであろう彼女を見ると――
「やっぱり美味しそうね。……襲っちゃおうかしら?」
とんでもないことを呟きながらこちらを見ている百足様の姿が。
怖い、怖すぎる……あれは普通に冗談じゃなくて本気の目だ。四本の尻尾もこちらをいつでも捕まえられるように揺らめいてるし。生物界でもムカデって頂点捕食者に近しい存在じゃなかったっけ? つまり俺は今、そんな捕食者の射程範囲に踏み込んでいる愚者というわけだ。全く持って笑えない。
「あのー、百足様?」
「何かしら?」
もはや隠そうともしない。ムカデみたいな鋭い牙が見えてますよ。
「そんなに見られてると冷や汗が止まらないのですけど」
「気にしないで」
無理です。俺は不良じみた風貌をしてるけど、臆病な生物なので。力の強い存在にはめっぽう弱い人間……それが八束碧暮という人間なのだ。御子なんかと呼ばれた碧さんとは全く違う。
「指の一本くらい食べられてみない?」
だが、嫌なことには全力で抵抗する気概だけはある。
「痛いので嫌です」
「麻酔代わりになる毒くらいは作れるけど?」
「指失うのは嫌です」
指一本ってなんだよ。人間の指はトカゲの尻尾みたいに生えてくる者じゃないんだぞ?
「これでも妥協したのだけれど?」
「指一本が妥協点ってのはおかしいでしょ」
「じゃあ私の指と交換でもする?」
「カニバリズムなんてしませんって」
妖怪の感性というのは全く理解が出来ない。そもそも、どうして指を食べる代わりに自分の指も食わせるなんて答えに行きつくんだよ。しかも目が本気である事を伝えてくる。
「……首から血を飲むのは? 痛くしないから」
「ダメですって」
食い気味に断るが、百足様の表情に諦めは存在していない。完全に獲物を狙う捕食者の目になっている。
さて、どうしたものか……この状況では、どんな行動をしても彼女を刺激することになるだろう。諦めて彼女の言う通りにすることが穏便に済む最適解なのかもしれないが、どれだけ麻酔みたいな毒を投与されても痛いのは嫌だし、傷跡が残ると水泳の授業で色々勘繰られてしまう。ただでさえぼっちだというのに、更に孤立する理由を作りたくはない。俺は孤独と孤高をはき違えるような愚か者ではないのだ。
いい加減先輩達以外とも交流をしなければとは思っているんだが、体育は個人競技ばかりだし、農業実習は草刈り、畜舎管理、摘花というペアで行うとかがないものばかりで交流する機会が少ない。積極的に行けよとは自分でも思う。だが、こんな人間が話しかけてきたら普通にビビるよ。俺だってビビる。
現状打破をしようとしていた思考がいつの間にか友達がいない寂しい自分を打破するための方法へとシフトしているのに気付き、俺は頭を振った。
「どうすっかなぁ……」
「どうするって、何を?」
「何をって、あなたを刺激しないで風呂に行く方法考案」
「なら指をカッターで切りなさい」
うーん、どうしても血を吸いたいと見た。今まで食わせろとか言ってこなかったのに、彼女の中でどんな変化があったというんだろうか。
「あなた、変わったもの。隠す必要なくなったわ」
「変わった?」
「妖怪への反応よ」
百足様の指摘に驚愕する。俺の妖怪への反応が、変わった? いつから? 分からない。眉をひそめた俺の様子に彼女は呆れ混じりの苦笑を見せる。
「自覚してなかった?」
「全く。いつからですか?」
問いかけると、しっかりと話してくれた。俺が一皮剥けたのはテツバミの事件が終わった後。ゴールデンウィークに柊先輩によって遠野に旅行しに行った時から……らしい。確かに遠野では妖怪にエンカウントしたが……
「以前のあなたなら、出会った瞬間に逃走を選んでいたはず。でも、あの時あなたは対話を試みたわね」
そういえばそうだった気がする。遠野で出会った妖怪はテツバミみたいにファンシーな姿をしていたから話せたと思っていたんだが、言われてみれば昔の俺なら脇目も振らずに逃走を開始していたはずだ。ユビキの時だって、キレて殴りかかるなんてことしなかったと思う。
「変わったわ。本当に」
「……みたいですね。――で、それと俺を食おうとしてるのに、関係あるんです?」
「ええ、だって、今だって逃げようとはしてるけど、拒絶してないじゃない」
それは多分あなたの無茶ぶりになれたからだと思います。
心の中で呟いたところで、リュックの中に入れていたスマホが鳴り響いた。
「電話……?」
連絡先なんて、両親と自宅、学校、先輩方ぐらいしか入れてないから電話してくる人なんて限られてくるのだが……スマホを手に取り着信を見てみると、藤宮柊という名前が。威厳がないとはいえ、先輩は先輩。慌てて通話アイコンをタップする。
「もしもし?」
『あ、もしもーし! こんばんは、碧暮君!』
電話越しにも分かるくらい元気な声が耳元で聞えた。
「何かあったんですか? 俺、風呂に行く途中だったんですけど」
『あー……それはごめんね。すぐに終わらせるから!』
ちょっと恥ずかしそうな声が聞えた気がする。考えてみればデリカシーのない発言だったかも? 以後、女性と話す時には気を付けるとしよう。
『部室で話してくれたのあったでしょ? チーズのやつ!』
「ありましたね」
『簡単に許可下りたよ! 今度の販売実習でもやってみようって事になった!』
許可下りたのか。まぁ、あの量のチーズを消費するとなると相当な労力がかかるし、配って冷蔵庫を空にできるなら願ったりだったんだと思う。
「それだけ、ですか?」
『んーん、まだあるよ。販売実習のメンバーって、クラス学年全部ごちゃ混ぜ抽選なんだよ』
「へー、そうなんですね」
販売実習はホームルームで先生から聞いている。組み分けの仕方は聞いていなかったが、ごちゃ混ぜ抽選によって行われているのか。それを知っているのは生徒会がその抽選を行っているからだろう。
『その抽選はくじ引きなんだけどね? なんと、君、私、綾辻会長となりました!』
メールで送られてきてると思うから確認しておいて、と伝えられて無意味に頷く。
『付き添いの先生も来るから、人数は気にしなくても大丈夫だよ!』
「あ、そこは心配してないので大丈夫です。裏方である事だけは祈ってますけど」
『残念! 裏方作業は全部先生がやるのです!』
「よし、明日休むんでよろしくお願いします」
『そうなったら君の家まで行くからね!』
しまった、この人俺の家を知っているんだった。仮病でサボる戦法は通用しないか……えー、やだなぁ販売実習……地域との交流とかろくなこと起きないじゃん……人の口に戸は立てられないというし、俺の過去の噂とか知ってる人がいたらと思うとゾッとする。
『まぁまぁ繁盛するから頑張ろう! じゃあおやすみ!』
「ああ、はい、おやすみなさ――切れたし」
言い切る前に通話を切られ、通話終了の表示がスマホに映る。ついでに、先輩に言われた通りスマホのメール受信ボックスを確認すると、校外販売実習のお知らせという旨のメールが送られてきていた。時刻は七時を回るが、こんな時間まで仕事があるとは学校職員というのも大変なんだな。
メールの内容を確認――結構長いな。風呂場で確認することにしよう。
「というわけで風呂行ってきますので、冷凍庫に入ってるアイスでも食っててくださいな」
「……アイスにあなたの血を垂らしたら美味しいかしらね?」
「絶対美味しくないので止めときなさい」
残念そうにする百足様に苦笑しながら、風呂場に向かう。面倒な一日になりそうだ。