俺と弓、碧と侍2
「むー……人気者は辛いですな」
「あはは……先輩、滅茶苦茶囲まれそうになってましたもんね」
部室を出た後、件の弓道場に向かっていた俺達は、柊先輩に用事があったらしい生徒に道を阻まれた。そこまで多くはなかったものの、一瞬彼女が辟易した表情を浮かべていたのは意外だった。
「碧暮君こそ大変じゃなかった? 結構にらまれてたような気がするんだけど」
「ああ、それですか? 睨むだけなら別に。慣れました」
「嫌な慣れだね?」
「うーん、まぁ、そうなんでしょうね」
会話をしながら歩いていると、学校の表校門の隣に、小さな弓道場が見えた。存在は知っていたが、初めて足を踏み入れたその場所を物珍しそうに見ながら、ふと、人の気配を感じる。
「……おお」
その気配の正体は、弓を引いている最中の少女。弓道のなんたるかを知らない俺でもわかるほど、彼女の動きは美しいものだった。
限界まで引かれた弓がしなり、そして、矢が放たれる。的の真ん中に突き刺さった矢を回収した彼女が、もう一度矢を放ち、またもや的の中心を射る。
「凄……」
「へぇ……」
俺の称賛と百足様の感心した声が同時に上がる。妖怪研究会の二人が来ていることに気付かないほど研ぎ澄まされた集中から放たれる一射は――
「っ……?」
的から大きく逸れた方向へと放たれた。その光景を見ていた俺は首を傾げ、百足様はスンッ、と能面のような表情へと変わる。
「外した……?」
「……余計な真似をした輩がいるから、当然ね」
百足様の言葉に何かを感じ取った俺は、自身の体質を抑え込んでいる眼鏡を外す。眼鏡越しではなく、直接肉眼から見た世界には、この世のものではない異形が佇んでいた。
「姿勢が乱れておったぞ。直してやろうとしたのに、なぜ動く……?」
ボロボロにはなっているが、よく手入れされた軽鎧を身に纏い、和弓を背負った妖怪が少女の行動の意図が分からない様子で腕を組んでいる。そんな妖怪の様子に思わず俺は呆れた表情を浮かべる。
「自分が原因だと思わないのか……」
吐き捨てるように呟く。その声が微かに聞えたのか、弓を構えていた少女がこちらに気付いて歩いてきた。
「こんにちは。弓道部に何か?」
「あー、まぁ、部活で……」
「部活? 運動部……ではないみたいだし、文化部? 芸術部とかでもなさそうだし……」
ハヤブサなどの猛禽類を思わせる視線を向けてくる少女にたじたじになってしまう俺は、どうしたものかと悩む。妖怪研究会なんて摩訶不思議なものが知れ渡っているはずもないし、言ったとしても困惑されるか変人を見るような表情をされるだけだろうしなぁ。
どうするべきか悩んでいると、その少女が笑う。
「ふふっ、ごめんなさい。八束君」
「へ?」
なぜ、自分の名前を知っているのかと困惑する俺に微笑みかけ、少女は俺の隣にいる柊先輩へと視線を向ける。
「柊に振り回されてる後輩君がいるって、聞いたから。ついついからかいたくなっちゃったの。ごめんなさいね?」
「もー、星那ちゃんっ、碧暮君を困らせちゃダメだぞ!」
「柊、鏡は持ってる?」
「あの、知り合いだったんですか?」
仲がいい姉妹のような二人の会話に割り込むようにして柊先輩に問いかけた。すると柊は少し考える素振りを見せ、その後手を叩いた。
「言ってなかったね。こちら、弓道部唯一の部員にして部長、天津星那ちゃん! 私のクラスメイトで友達です!」
「よろしくね、八束君」
「あ、はい。よ、よろしくお願いします、天津先輩」
男を撃ち抜くような微笑みと共に差し出してきた右手を、恐る恐るといった様子で俺が握ると、柊先輩が噴き出す。
「緊張し過ぎだよ、碧暮君!」
「い、いやだって……知り合いと似てるんで……粗相したら何されるか……」
ちらりと俺が見たのは隣でふわふわ浮いている百足様。その視線に気付いた本人は、にっこりと笑みを浮かべる。
「あら、あなたにそんな知り合いがいたのね?」
あ、やっべ、失言だった。
百足様の笑顔に人間を取って食おうとする魔性のようなものを感じ取った俺は、背中に冷や汗を浮かばせて頬を引きつらせた。そんな俺の様子に握手を求めてきた天津先輩は首を傾げる。
「どうかした?」
「いえ、何も!」
「そう。――それで、ここに来たのは、妖怪研究会の活動?」
その言葉に百足様につつかれている俺と、柊先輩は肯定するように頷く。二人の行動に少々悩んだような素振りを見せた天津先輩は、ややあって口を開いた。
「柊には前話したかもしれないけど、不思議な事が起こるわね」
「弓を射ている時に、何かに触られるような感覚に襲われるんだっけ?」
「ええ。こう……腰とか肩を触れられるような感じね」
普通にセクハラでは? 妖怪は知ったことではないだろうけど。眼鏡をかけている影響で見えていない妖怪への元々ゼロだった好感度が、マイナスへと暴落していく音を聞きながら先輩の話を聞く。
「その感覚と一緒に寒気が来るの。病院にも行ったけど異常なし。気味が悪いけど、大会があるから我慢してる。このくらいじゃ止まってられないから」
「結果を出して、部員も増やしたいんだっけ」
「ええ。だからこんなことに負けてられないの」
強い人だなこの先輩。陰キャには眩しいぜ……! 柊先輩に引っ張られて周りから様々な視線を向けられることにはもう慣れたが、何かに熱中できる人や眩しい生き方をしている人達を見ると目が潰れそうになる。
「ん? どうかした?」
だから、そういう眩しい人が困っているのを見逃したくはない。
「天津先輩、これから俺がやる事は多分、というか確実に奇行に見えると思います」
「奇行?」
首を傾げる彼女そっちのけで眼鏡を外す。黒色の瞳が、視界に異形を映し出した。柊先輩や綾辻会長に協力するとは言ったものの、今までの経験は呪いのように俺の背中にこびり付く。
攻撃したら殺しに来るんじゃないんだろうか、食われるんじゃないだろうか。そう思いながら俺は、
「なぜだ、なぜ……む? むごぉ!?」
異形に助走をつけた全力右ストレートを、鎧を着た骸骨に炸裂させた。
「痛ぇ……あれ本当に骨かよ……蹴れば良かったな」
滅茶苦茶痛い。硬いものを殴りつけたために赤くなり、ビリビリと痺れを訴えてくる拳を押さえながら顔面に拳が突き刺さり仰向けになっている妖怪に近付く。
「いきなり攻撃するとは、何奴だ……!?」
「何奴だじゃねぇんだよおんぼろ骸骨。てめぇの骨全部砕いて畑にばら撒いてやろうか?」
「落ち着きなさい、碧暮」
顔面を兜ごと踏み砕かんとする俺を止める百足様。そんな彼女が助け舟を出してくれたとでも思ったのか、骸骨は百足様に礼をしようとするが、次に飛び出た言葉に絶句することになる。
「そんなもの肥料にしても美味しい作物は採れないわ。事情聴取をしてから私が殺す」
「あ、それもそうですね。流石百足様」
やはり彼女は慧眼だ。
「ふふん。お礼はあのふわふわしてそうなケーキか、シュークリームでいいわ。もちろん手作りね?」
「おっと、個人的にどっちも高難易度なお菓子の名前が」
材料を買いに行かないとなぁ、と思いながら骸骨の顔面をぐりぐりと踏みつけている俺の行動を見ていた天津先輩は目を点にしている。そんな天津先輩の隣にいた柊は見えてはいないものの、状況をなんとなく把握して苦笑。靴裏と熱烈な口付けをしている妖怪の味方は一人もいない。
「えーと、碧暮君……大丈夫なの?」
「あ? 何がですか!?」
「あー、うん。なんでもない」
忌々しいものを踏み潰すかの如く足を動かす俺に柊先輩が何かを言ったが、変なテンションになっている俺は聞く耳を持たない。荒ぶりながらも弓道場を傷付けないように配慮しているのは、神である百足様から修練場の神聖さを説かれていたためか。
なお、妖怪を踏み抜いている時点で汚してしまっているのはご愛嬌である。
「おら、さっさと話しやがれ。なんで天津先輩にセクハラ紛いのことをしていやがった」
「むごぉ!? むぐぐぐ!?」
「あ? 口塞がれようか話しやがれ。妖怪の風上にも置けねぇな」
恩には少なくとも三倍以上で報い、親切にはそれ以上の親切を以って対応し、そして理不尽にはそれ以上の理不尽を以って対抗するというのが俺のスタンス。そして踏み付けられている妖怪は俺の中で理不尽判定となった。つまりギルティ。慈悲はない。
「あー、碧暮君? 星那ちゃんが混乱してるから、さすがにちょっと落ち着いて?」
「……チッ、命拾いしたな」
不良が吐き捨てるようなセリフと共に痙攣している妖怪を開放した俺は、混乱しっぱなしの天津先輩を見て頭を掻く仕草を見せる。
「すいません天津先輩。困惑させちゃって」
「え、あ、うん、それは、いいの。えっと、八束君はその……」
「――まぁ、奇行だと思われて当然ですよねぇ……」
頭に昇っていた血が引いた後、乾いた笑みを浮かべた。大きな溜め息を吐く俺に、星那は問いかける。
「何か、見えてたりする人……なの? その、幽霊とか」
「生まれてこの方幽霊は見たことないですけど……」
言っても大丈夫だろうか? この人は気味悪がったりしないだろうか、という疑問が俺の中で浮かび上がり、天津先輩の隣に立っている部長へと視線が向く。それに気付いた柊先輩は微笑んだ。
「大丈夫、大丈夫! 話せば分かってくれるよ星那ちゃんは!」
「……その言葉を信じます」
数回深呼吸を行い、天津先輩の目を見る。真剣な気配を感じ取ったのか、彼女も猛禽類のような瞳で俺を見据えた。
「……俺は、妖怪が見えるんです。信じられないとは思いますけど……」
「妖、怪? 羊羹が作れるとかじゃなくて?」
「妖怪です。羊羹じゃないです。羊羹は作れません。作ろうとしても失敗しました」
圧倒的な間違いを見せてきた彼女に苦笑しながらも説明する。端折りながらではあるものの、過去についても説明した俺の表情に、嘘偽りがないと感じた天津先輩はしばらく考えて口を開く。
「私ね? あまりオカルトチックな事を好むわけじゃないんだけど……」
「まぁ、信じられませんよね、こんなこと」
苦笑しながら、柊や綾辻が特殊だったのだと心の中で呟く。これが普通の反応なんだと割り切ろうとする。仕方ない。気味悪がられていないだけ、儲けものだろう。
「でも、あなたが嘘を吐いていないのは分かる」
「えっ」
割り切ろうとした直後に言われた言葉に驚愕する。
「嫌な思いをするかもしれないのに、話してくれたあなたは凄いわ。八束君、話してくれてありがとう」
優しく包み込むような笑みを浮かべて俺の手を握った彼女に、泣きそうになりながら頭を下げる。たかが三人、されど三人。三人の理解者ができたことは、俺にとって幸福だった。
「これで三人目だね。どんな気持ち? ぼっちじゃなくなったねぇ?」
「柊、雰囲気台無しよ」
「そもそもこういう雰囲気は、事件解決まで取っておくべきでしょ!」
二年生の誰よりも活発で変人と言われている柊先輩の声が響き、その場にいる誰もが笑う。笑っていないのは今の今まで痙攣していた妖怪だけである。
「ぬぅ……しばらく見ない間に暴れ馬になりおったな碧よ」
「あ? 誰だそいつ」
起き上がった妖怪が自分を見て口にした名前に俺は首を傾げ、俺を碧と呼んだ妖怪も首を傾げた。
「む? 何を惚けておる。お主は碧であろう? このユビキの目を誤魔化せると思うなよ」
「百足様、こいつもう一回殴っていい――すみません、飯の献立でも考えときます」
俺の言葉はその後続かなかった。百足様から放たれる怒りやら殺意やらが入り混じった気配が、今まで見せたことのない氷のような彼女の表情が俺の瞳に映ったから。
「お前、ユビキと言ったな?」
「む、お主は……」
「骸骨だったし、入学式では碧暮に構う方が面白いから気付かなかったが……よくも私の前に顔を見せる事ができるな」
今までにないくらいの怒り具合に、空気が揺れる。その怒気を向けられていないはずの柊先輩や天津先輩すら寒気を感じるそれを、向けられた妖怪は震え出し、ガチガチと音を鳴らし始めた。
……副菜はほうれん草の煮びたしとかかなぁ。あ、でもスーパーでごぼうが安いらしいからきんぴらもありかな?
「お主――いや、あなたはまさか……!?」
「よくも私の御子を殺してくれたな、裏切り者が」
百足の四本の尾が鋼のように固くなり、口からは鋭い牙、彼女の血のように赤い瞳が、四つに増える。長く美しい髪も生き物のように揺らめいており、災厄を振り撒く荒神と妖怪の側面が現れている。
「あー百足様、夕飯は魚と肉、どっちがいいですか?」
誰もが震え上がっている中、唯一震えていなかった俺が口を開いた。
二年以上も百足様と共にいた影響で、触らぬ神に祟りなし、という諺が頭の中から綺麗に消し飛んでいる俺の発言。振り返ってみても度胸があるのかないのか、はっきりとしない俺の行動を見た百足様は、冷や水をかけられたような表情を見せた後、纏っていた気配を霧散させて微笑む。
「……魚でお願い」
「了解です。アジ売ってるといいなぁ」
売ってなかったらアジフライを買おう。冷凍食品って本当に便利。
そんな事を考えている俺の視界に、妖怪が死ぬことはあまりないとはいえ、殺されると直感的に理解していたユビキという妖怪が糸の切れた人形のように崩れ落ちたのが映る。
「凄い怒りようでしたけど、なんか恨みでも?」
「あの裏切り者が生きてた頃に少し、ね」
「裏切り……?」
ゴミを見るような視線を崩れ落ちたユビキに向ける百足様。本当に昔何かあったんだろうなぁ……あ、そういえば。
「先輩方、大丈夫です?」
「――はっ! 碧暮君! 今、ムカデみたいな尻尾が生えた女の人が見えた気がするんだけど!」
俺の声で復活した途端に、いつも通りの興奮状態でブレザーを掴んで揺らしてくる柊先輩。止めてください皺になりますから。そんな彼女の行動を咎めそうな天津先輩は、
「うーん……遠くで死んだお祖父ちゃんが手を振ってる……」
三途の川が見えているような発言をしていた。
「天津先輩!?」
「星那ちゃん待って、それ見えたらダメなやつ!!」
発言に驚き、思わず道着に身を包んだ彼女の肩を掴んでガクガクと揺らすと、目を回していた先輩が復活する。
「ご、ごめんなさい八束君。ちょっと気が動転して……」
「本当に大丈夫ですか? 指何本に見えますか?」
「大丈夫よ。その……服以外は」
服……? そう思って彼女の着ていた道着に目を向けると、大理石のように白く綺麗な素肌が見えていた。
「あら、碧暮って意外と大胆なのね?」
「――大変申し訳ございませんでした」
何が起こったのか理解した俺は顔を紫陽花のように真っ青に染め上げる。そして二、三歩下がった後、滑らかな動作で見事な土下座をしてみせた。
「凄い綺麗な土下座だね!?」
「斬首されても文句は言えないと思っております」
「言葉もなんか丁寧になってる!?」
共働きの両親に代わって百足様が叩き込んだ少しズレた一般常識と、妖怪が見えることを隠すために、社会に溶け込もうとした俺の思考が弾き出した答えによる行動。女性陣は数分をかけてどうにか頭を上げさせてくる。
「本当にすみませんでした……」
いや、本当に申し訳ないです。女性の隠していた素肌を付き合ってもいないのに見るとか最低の一文字だろ……
「怒ってないから大丈夫よ?」
「星那ちゃんもこう言ってるんだし、切り替えて切り替えて!」
立ち上がった後もずっと縮こまり続けていた俺を切り替えさせ、本題へと移った妖怪研究会と天津先輩。眼鏡をかけていない俺は未だに気絶しているらしいユビキと名乗った妖怪を一瞥する。
「見た感じ落ち武者っぽいんですけど……人間が妖怪になるなんてこと、あるんですか?」
「ないわ。葬式があるでしょう? あれで人間は土に還るもの」
俺が抱いた疑問に答える百足様。その姿は先程の恐ろしさが前面に出たような美しさではなく、元の雪細工のような美しい女性の姿。戻った彼女の目は、未だに蔑みを宿している。
「うーん、弓取の妖怪かぁ……伝承だと大ムカデに仕えた御子の事しか分からないなぁ」
「御子……?」
「あら、八束君は知らない?」
「いや、パンフレットで話くらいは見ましたけど……それくらいですね」
天津先輩の問いかけに対し、「伝承とかはあんまり……」と、頬を掻く。その言葉に色々と含みがある事を察した先輩方は詮索しようとはせず、その伝承を軽く語り始めた。
「昔、雲を突き抜けるほど大きなムカデがいて、そのムカデが住む近くの村は忌み子と呼ばれていた子供を生贄として捧げたそうよ」
「へぇ……」
生贄に出された子供はさぞ、村人を恨んだのだろう。いきなり生贄になれと言われたんだから、祟られても文句は言えないぞ……という言葉を心の中で呟いた俺は、天津先輩から話を引き継いだ柊先輩の言葉に耳を傾ける。
「だけど、その大ムカデが人間を気に入り、生贄に捧げられたその人は大ムカデに仕えた御子になったってお話。それが御子と呼ばれて現代まで伝わってるんだ」
「ん?」
首を傾げる。その伝承が、あまりにも自分と百足様の関係に似ているのだ。大ムカデとその御子、俺と百足様……偶然だとは思うものの、あまりにも似ているのが不気味に感じた俺が百足様に視線を向けると――
「私のことね」
自分を妖怪だと話した時と同じように、別段おかしな事を言っていないと言わんばかりにカミングアウトした。
「あんたのことかよ!?」
「昔も大ムカデなんて姿はしてないはずなのだけど……人間が曲解したのかしら?」
自分を大ムカデと言い伝えられたことが遺憾らしい百足様は、俺の絶叫を気にせず頬に手を当てる。
「なんで言わなかったんです?」
「だって聞かれなかったし」
「じゃ、じゃあテツバミとか、あの妖怪が言っていた碧って……」
嫌な予感が頭の中で警報が如く鳴り響く中、問いかけに彼女は頷く。
「あなたのご先祖様。ずーっと昔のお爺ちゃ――ん? あの子って自分のことを女って言っていたわね」
「え、俺のご先祖様ってトランスジェンダーってやつだったの? 凄いな」
昔はそういう人達に理解がある人が少なかっただろうに……
驚きながらも自分の先祖について知った俺は、なんとなく自身の先祖に思いを馳せる。忌み子と呼ばれた理由は恐らく自分と同じだと理解しながら、羨望の感情が芽生えた。
俺がこうして生きているということは、その碧なる人物が誰かと結ばれたから。見えていることを知って、それでもなおずっと傍にいてくれると言ってくれたであろう理解者を得た先祖への羨ましさを抱きながら、疑問符を浮かべる。
「ご先祖様と、こいつ、なんか因縁でも?」
「忌々しいことこの上ないものがあるわね」
随分と嫌われているなこのおんぼろ骸骨……マジで何をやらかせば寛容な女性に嫌われるんだよ……
「えっと、碧暮君。説明お願い!」
「ああ、すみません。えーと……」
今起こっていることや、先輩方が気絶しかけた理由などを説明する。混乱を招かないように碧なる俺の下先祖様については触れないように説明したが、先程の俺の反応で何かを察したらしい天津先輩が口を開く。
「八束君のご先祖様と百足様? って、何か関係があるの?」
「えっ……あーっと……これ話してもいいやつなのか……?」
「何を今更ってやつだよ、碧暮君! 私達は可能な限り信じ――」
「その伝承の御子、俺のご先祖様らしいです」
何を言われたか分からないような反応をした先輩方が、石化したように硬直する。
そして柊先輩が、口を開く。
「ご先祖様?」
「はい」
「誰が?」
「その伝承の御子が」
「誰の?」
「俺のです」
弓道場に烏の鳴き声がやけに響く。
「ぇ――ええええええええええ!?」
柊先輩の絶叫が俺の鼓膜を揺らす。新幹線の通過した音にも負けないのではないかと思う程の声に耳を塞ぎたくなりながら、彼女の驚きを甘んじて受ける。
「御子ってあの御子だよ!? 大ムカデの御子!」
「百足様はそんな姿してなかったらしいですけどね」
更なるカミングアウトには気にする事なく、柊先輩が俺の肩を揺らすと思っていたら、それをやったのは硬直から回復した天津先輩だった。ただし、肩を揺らすというよりも、俺の肩に手を乗せて力をかけてくるだけだが。
「天津先輩?」
「八束君、あなた弓は使えるかしら?」
「ゆ、弓?」
ゲームでしか使った事がない。そのゲームでステータス足りなくてあんまり使わなかったけど。細道で遠くから撃ちまくってきたのは絶対許さないからなあの銀ピカ鎧共……
「すみません、ゲームで使ったことあるくらいです」
そんな私怨を撒き散らしそうになりながら、天津先輩の質問に答えると彼女は少し考える素振りを見せた後、百足様みたいに魅力的な笑みを浮かべた。本当に高校生だよね、この人? 柊先輩の人懐っこいポメラニアンみたいな感じじゃなくて、大人の女性みたいな色香があるんだけど?
「八束君、今からでも弓道部に入部してみない?」
「脈絡もない勧誘が俺に襲いかかる!」
「なんで部長の私の目の前で、堂々と引き抜こうとしてるのかな!?」
突然の勧誘に驚いていると、俺と天津先輩の間に割り込んできた柊先輩。姉に玩具を取られそうになった妹と、妹から玩具を奪おうとする姉という構図に見えるのはなぜなのだろう。やはり身長差があるからか? 俺が百七十ピッタリで、それと同じくらいの天津先輩に食ってかかる百六十とちょっとの柊先輩……うーんこの成長差。これが格差社会かぁ。
「御子が弓の名手だったからって、引き抜こうとするのはどうなのかな!?」
「彼、結構鍛えてるみたいだから、インドアなのは勿体ないと思っただけよ」
鍛えてません。妖怪に追いかけ回されてるうちにこうなっただけです。
先輩方の言い争いがヒートアップしている間に、ある意味の元凶である百足様へと顔を向ける。
「百足様、おんぼろ骸骨のユビキと、俺のご先祖様と何があったんです?」
「――言いたくないわ。思い出したくもないもの」
「俺が、奴を裏切ったのだ……」
気絶していた妖怪――ユビキが起き上がり、口を開いた。……なんだろう、気絶する前と雰囲気が全く違うような……?
「裏切り?」
「ああ、そうだ。碧と瓜二つの人の子よ」
口調も微妙に違う。こっちが素なのだろうか。
「お主の拳と、あの方のあの怒気で、ようやく酔いが醒めた……」
「何が、あったんだ?」
自ら罪状を語るようなユビキの伽藍洞になった目を見る。聞く姿勢へと変わった俺にユビキは苦笑しているかのようにカタカタと骨を鳴らした。
「本当に、そっくりだな、お主は…………かつて、儂は碧の友であった」
そう言って話し始めるユビキの雰囲気は、本当に処刑の時を待つ罪人のように見えた。
「村一番の弓の名手と呼ばれ、天狗になっていた俺の前に旅人として現れた奴は、俺の鼻を叩き折ってくれたのだ」
「旅人……?」
「昔は道路なんてなかったから、ここに来るのにも一苦労だったのよ」
ユビキの話は聞きたくないと言わんばかりの気配を出しながらも、しっかりと話の補足をしてくれる百足様。尻尾と両手を使って俺を後ろから拘束するのは構わないが、ちょっと苦しいのでもう少し力を緩めてほしい。首が締まってますから。
「儂が強くなれば奴も強くなる。そんな奴と切磋琢磨するようになって数年後、弓を置き、教鞭を執っていた碧は儂の村に住んでいた娘と結ばれた。物の怪を見ることができる奴の秘密を知ってもなお、奴と共に生きたいと言っておった」
「勇気あるなぁその人」
ご先祖様と結ばれたら、もしかしたら過去が追い付いてきてご先祖様にもその女性にも嫌なことがあるかもしれないのに、凄いわその人。
「碧もその娘も、幸せそうだった。……疫病や大飢饉が起こるまでは」
「――あー、よく知らねぇけどそんなものあったな……大昔なら仕方ねぇんだろうけど、なんだかなぁ」
飢饉はよく分からないが、病気は今となっては簡単に治るものも昔は治らないで死因になる……なんて事があったという話はよく聞く。ユビキや大変な目に遭ったに違いない。だが、こうして俺が生きているのだから二人はなんとか切り抜けて、晩年まで平和に――
「大飢饉と疫病、その二つが起こった原因を、村人達は余所者であった碧に押し付けた」
平和とは程遠い事になっていた。マジか……過去が追い付いたというよりも、新しい冤罪がご先祖様に降りかかったわけか……
「儂は、反対しようとした。だが、奴は、碧はそれを止め、娘と、生まれたばかりの赤子を逃がしてくれと頼んできた」
「そんな話、私は知らないのだけど?」
「あなた様が奴から渡された酒を飲み、深く眠った後の話ですからな……」
「その後、どうしたんだ?」
続けるように促すと、ユビキは続ける。
「満月が輝く日に、娘と赤子を城下町まで逃がした。その後儂は村に戻り……この手で碧を……」
だから百足様がここまでユビキを嫌ってるのか……多分俺のご先祖様――碧さんを彼女はえらく気に入っていたのだろう。そんな碧さんを殺したユビキを裏切り者と罵ってるわけだ。……あれ? そんな背景があるのならいくつか疑問が出てきたぞ?
「なんでユビキは百足様のことを知ってたんだ?」
「む? ぼやけてはいたものの、儂も見える側だったからな」
なるほどそれなら百足様を知っている理由に辻褄が合う。そう納得して、次の質問に移る。
「碧さんがそうやって死んだのなら、なんで御子なんて形で今の今まで残ってるんだ?」
「私が晩年、碧の武勇伝を手記に残したからだろう。それがいつしか曲解されていった……というのが碧の物語が生まれた原因だ」
「武勇伝だけで碧さんを語れるとか、どんな人だったんだよ……」
少なくとも、俺とは比べ物にならないほどの超人だったに違いない。そんなご先祖様であるらしい碧さんについて考えていると、ユビキが口を開く。
「そうやって戦により死んだ後、目覚めたらこの姿だ。妖になってなお、弓を引くことで儂は現実から目を背けていた」
「それでさっき酔いが醒めたとか言ってたのか」
「ああ。……あの女子が弓を引く姿が、碧と似ていて、それもあったかもしれんな……」
天津先輩の弓を引く姿は、確かに綺麗だった。だが、だからと言って邪魔していい理由にはならない。だからこそ問い詰める。
「ユビキ、お前、なんで天津先輩の腰やら肩やらに触ってたんだ? あれじゃあ天津先輩の迷惑になる」
「姿勢が乱れておったのだ。あれでは当たってもよい弓取とは言えん」
「あれのどこが乱れてんだ? 素人目から見ても綺麗だと思ったんだが」
「ふぅむ……言葉にするより、見せた方がいいな。どれ……ぬううううん!!」
そう言ってユビキが立ち上がり、弓を引く。その姿は天津先輩とは違い、炎のような猛々しさを感じさせるものだった。そしてその構えから放たれた矢は真っ直ぐに飛んでいき、的に凄まじい音を立てて突き刺さった。
「びっくりしたぁ!?」
「い、今のは……?」
言い争っていた二人がその轟音に驚き、こちらを見る。俺もその轟音に驚いて、腰が抜けそうになりながらもユビキを見る。満足気に頷いたユビキは弓を指差し、やってみろと言わんばかりに見てくる。
「俺、弓の初心者なんだけど?」
「む? 碧の子孫は弓を嗜なまなんだか」
「そもそも碧暮にやらせるのがお門違いでしょう。仕方ないわね……貸しなさい」
溜め息交じりの声が聞えたと同時に、自分の体から弾き出される。黒色だった目が鮮血のように赤く染まり、俺の体を操る百足様は天津先輩を見て、彼女に手招きする。
「星那だったかしら? ちょっと来なさい」
「……八束君、よね?」
「そんなこと、今はどうでもいいわ。早く来なさい」
首を傾げながらも百足様の要求に応える形で的の前に立つ天津先輩。その表情には困惑があった。当然ではあるから、戻ったらまた土下座する事になりそうだなぁ。
「弓を構えて」
「いいけど、何をするつもり?」
疑問を口にしながらも弓を構えた天津先輩に対し、百足様は俺の体を使ってとんでもないことをしでかした。
「ちょっと触るわよ」
「え?」
何やってんだ、何やってんですか百足様!? いくらあなたが女性だとしても、今使ってる体は俺の体なんですけど!? ああ、腰とかあんなにしっかり触ってるし……ん? でも触り方に疚しさは感じないからいいのか? ――いやダメだろ。返してもらったらすぐに土下座をするしかねぇ……!
「ふぅん……細い割には結構鍛えてるのね」
「ね、ねえ、くすぐったいのだけれど……」
すみません、それ俺の体だけど俺じゃないんです……本当にすみません。
「あなた、重心が一瞬傾く癖と、肩肘を張り過ぎる癖があるわね。ちょっと癪だけど碧にそっくり」
「碧って?」
「そんなこと、今はどうでもいいから。足、もう少し広げて。……そう、それでいいわ。肩肘あまり張り過ぎない」
お? なんか天津先輩の構えが微妙に変わった? 今までの構えも綺麗だったけど、それが更に洗練された。ユビキの見せた姿とは全くの対極にある構えは、構えている天津先輩も変化を感じているようだった。
「いい感じ……かも?」
「なんか、今までより綺麗?」
少し離れた場所から見ていた柊先輩が呟く。少しフォームを変えただけでこうも変わるんだなぁ。いかにも素人みたいな事を思っていると、天津先輩が矢をつがえ、放った。結果は真ん中から大きくズレた場所に命中するが、天津先輩は何か手応えを感じている。
「慣れるまでは外れるでしょうけど、慣れてしまえば――」
俺の体を操る百足様が弓道場に置かれていた弓を手に取り、構える。その構えは天津先輩よりも洗練されているように見えた。
「こんなこともできるわ」
矢が放たれ、その後またすぐに矢が放たれた。矢継ぎ早に、というのはまさにこの事だろう。しかも全て的の真ん中を撃ち抜いている。まさに神業。
「こんな事もできるようになるわ。まぁ、あなたがやるのは弓道だから、あまり関係ないわね」
その言葉と共に体を返され、船酔いと車酔いのダブルパンチと右手の強い痺れを感じる。吐きそうだし、右手痛いしで泣きそうになりながらも天津先輩に向かって土下座を――
「八束君、本当に弓道部に入らない?」
する前にそんなお誘いの言葉が放たれ、謝罪する機会を失った俺に迫ってくる天津先輩。近い、近いです、離れてください天津先輩。百足様に似てるなぁとか思ってたけど、迫り方も凄いそっくりなんですけど。
「百足様、お助けください」
「あら、お気に召さない? 女の子に迫られるなんて。中々できない体験だと思うけど?」
楽しんでいやがるなこの妖怪! というかユビキは何してるんだ? そう思って彼が立っていたところに視線を向けてみると、蹲っている彼がいた。
「おお、おお……我が友、碧よ……お主の遠き子孫が、お主の技を……技は、受け継がれていく……願わくは、儂に、見守らせてくれ……」
うわ、泣いてる。ああいうのが男泣きって言うんだろうか。というか、本当に碧さんそっくりなのか? 俺。とりあえず今のユビキなら怪奇現象を起こすことはないだろう。多分、これで解決だ。
そんなことを考えるよりも、今は迫ってきている天津先輩にどうやって対応するかを考えねばならない。
「あの、さっきのは俺じゃなくて、百足様が俺の体でやったことなんで……基礎も何もできてないんですけど」
「あら、そんなこと? 大丈夫よ。基礎は私が教えるわ」
「そ、そもそも俺、別の部活に所属していて……!?」
「この学校、運動部と文化部の兼部は許してるわよ?」
近い、近いです。
この人柊先輩とは対極にいる存在かと思ったけど、全く違うわ。方向性が違うだけで柊先輩と同じタイプの人だ。好きなもので熱くなると、周りが見えなくなるタイプ。類は友を呼ぶとは言うが、それに巻き込まれるこっちにとってはいい迷惑だな。
「だーかーらー、なんで碧暮君を引き抜こうとするのさ!?」
「いい人材のヘッドハンティングは基本でしょう? あなたもそうやって入部させたって言ってたじゃない」
「それとこれとは話が違うよ!」
「同じだと思うのだけれど」
また始まった……よく見ればこんだけ言い争っていても、どちらも口角が少し上がっているため、じゃれているだけといった感じだし、普段の仲は良好なのだろう。ちょっと羨ましい。
「兼部させるにしても、碧暮君が成績落とさないようにしないとダメだよ!」
「――それもそうね。八束君、あなた提出物とテスト、授業態度は大丈夫?」
「そりゃ大丈夫ですけど――いや兼部させる体で言い争ってたんですか!?」
柊先輩の行動に振り回され、それに加えて天津先輩の扱きとか、過労死しちゃうんですけど!? と、とりあえず今は断ろう。そしてのらりくらりと躱していこうと決心する。
「あの、俺は兼部しませんからね? 二つやるとどっちかが疎かになって、不義理になると思いますし、俺は妖怪研究会の部員ですから」
「そう……なら、今回は諦めるわ」
今回も次回もないので諦めてください。
「星那ちゃん、あんまり人に執着しないタイプだったと思うんだけど、碧暮君には執着してるように見えるのはどうしてかな?」
「ああ、それ? 八束君、面白いから。下心もないし、気に入ったの」
あるにはありますけど、それを出して引かれたくないだけです。察して――いや、察さなくていいです。
「そっかぁ。でもあげないよ!」
「ふふ、大丈夫よ。結局は彼の意思次第だから」
うーん、口ではそう言ってるけど目がなぁ……獲物を狙う猛禽類って感じなんだよなぁ。昔の俺だったら全力疾走で逃走図るに違いない。俺も成長したんだな、としたくもない成長を実感している俺に尻尾が絡みつく。
「人の子が私のものを奪い取れるとでも思ってるのかしら。面白いわね」
「人を物扱いするのはどうかと思うんですが」
「そう言ってる割には口元が緩んでるわよ? 満更でもないみたいね?」
そんな特殊な性癖持ってないです。勘弁してください。
百足様に囁かれながら、言い合っている彼女達を見て苦笑する。こうして、連休明けの妖怪研究会はまた一つ、怪奇現象を解決? した。