おいでませ、妖怪研究会3
雲が多い晴れの日……せっかくの休日である土曜日の朝に、俺は外にいた。
「というわけで、百均で買ってきました磁石!」
「どういうわけですか」
「どういうわけなのかしら?」
「しっかり説明はしてくれ、藤宮」
場所は花雲農業高校の農場、農業部の使っている比較的大きな畑。そこにいるのは困惑している俺、自信満々に『磁石セット十個入り』と書かれた箱を掲げる柊先輩、俺と同じく困惑している綾辻会長、俺以外には見えない百足様。三人と一柱のうち、二人と一柱が疑問符を浮かべている状況である。
「ふっふっふっ……この怪奇現象では金属が事件の要! その原因は金属で誘き寄せられると思ったのです!」
「なるほど……考えたな」
囮作戦ということか。磁石を鈍にされたとしても痛くも痒くもない。最近の百均は凄いな。磁石セットなんてものがあるのか……
「じゃあ早速設置して、私達は待機!」
箱から取り出した磁石を畑の一か所にばら撒き、畑を一望できる場所に座る。倉庫の中にあったらしい青いシートの上に座った俺は、畑をぼんやりと見つめる。……怪奇現象さえなければいい場所なんだろうな、ここも。
「そういえば碧暮君、どうしてこの学校に来たの?」
「はい?」
突然過ぎる質問に呆けている俺を無視して、柊先輩は続ける。
「ほら、君、ここら辺の学校の人じゃないでしょ?」
「……まぁ、そうですね」
そういえば、昼休みにどこの学校出身とか話した事があったな。どうして地元の高校じゃなくて隣の市のこの学校に来たのか気になった……というところか。
「……まぁ、ほら、俺はぼっちなので……俺の黒歴史を誰も知らないところで再スタートしたいなーって」
「へー……碧暮君って結構冒険好きな人?」
「いや、違いますって。本当に偶然、この学校のパンフレットを見かけたので、それで」
本当は、進路希望を全く書いていない俺を見た百足様にここはどうかと言われて、進路とかそんなに決めてなかったから、それに乗じただけだが。
「ほう、凄い勇気だな」
俺の言葉に綾辻会長が反応する。尊敬にも似た声音と表情を向けられて、苦笑しながら口を開く。
「いや、そんな事ないですよ。黒歴史を言いふらされるのが嫌で逃げただけですし」
「謙遜するな。新天地に飛び込む事には勇気が必要だからな」
称賛される事に慣れていないから調子が狂う。手放しで称賛された事が小恥ずかしくて頭を掻いている俺は、ふと疑問が浮かんだ。
「あの、そういえば綾辻会長はなんでここに……?」
「うん? ああ、それはな、一応ここは農業部の畑だ。だからことの顛末を見届けるべきだと思ったのだ」
「柊のお目付役って面もありそうだけどね」
百足様の発言が的を射ていそうで乾いたような笑みが浮かぶ。そんな時だった。
「ん? なんか音が聞こえたような……?」
柊先輩が首を傾げる。
「音?」
「うん。こう……カランって音。金属の落ちるような音」
「風で何かが倒れたのではないか?」
彼女の言葉に首を傾げた俺達。綾辻会長と会話をしていたから、音なんて聞こえなかったんだが……
カラン。音が、聞こえた。
「……マジで聞こえる……」
「でしょ!?」
「ふむ……比較的軽いものが硬いものにぶつかったような音だな。だがそんなものは――」
農場にあまり多くはない、そう言いかけた綾辻会長は、いや、と言って畑の中心――磁石がばら撒かれた場所を見る。そこで磁石が少し浮かんでは落ちてカラン、カランと音を立てていた。
「いや……マジか」
俺がその光景に表情を引きつらせ、乾いた笑みが浮かぶ。
「おお!? 作戦成功!?」
作戦考案者の柊先輩が目を輝かせ、作戦の成功に喜ぶ。
「む……まさに怪奇現象だな……」
そして綾辻会長が驚きながら冷静に呟いた。あんな怪奇現象を行える存在がいるとすれば、俺の隣でふわふわと浮いている彼女と同じ妖怪のみ。
「……」
その彼女の視線は磁石以外何もない畑の真ん中に注がれており、あそこに普通は見えない何かがいることは明確だった。何か嫌な予感がする中、眼鏡を外してみると――
「けふっ」
大きなぬいぐるみのような何かがいた。なんだあれ……いや本当になんだあれ。白と黒で構成された四足歩行生物らしい見た目は、獏にも見えるが……いや、あれは獏なのか……? いや、もしやパンダ? とにかくよく分からないファンシーな風貌をしたナマモノを観察していると、そのナマモノと目が合う。
「ん~……?」
……なんだろう、この気が抜けるようなヘンテコは。
「あ~、入学してきた子だね~。僕のこと見えてるの~?」
でっちでっち、と効果音が付きそうな歩みでこちらに近付いてくるそれは、間延びした声で俺に問いかけてくる。その声は凄く気が抜けるようなものではあったが、危害を加えてくる可能性を感じ、警戒心剥き出しで口を開く。
「お前誰だよ。というか人様のところでタダ飯食ってんじゃねぇ」
「え?」
「む?」
「……あ」
そういえばこいつ妖怪だ! 畜生、計りやがったなこのゆるふわナマモノめ!
「碧暮君――」
不味い、不味いぞ……入学早々幻覚が見えている変な人判定されるのはダメだ! 変な噂を流されても困る! 俺は厨二病とか妄想癖があるような人間じゃないんだ!
「もしかして君、何か見えるの!?」
「――へ?」
予想外すぎるぞ、その発言は。
「見えてるの、見えてないの!?」
「い、いや、見えてますけど……」
俺の手を両手で掴んで目を輝かせる彼女の勢いに流されて、思わず見えていると答えてしまう。
「やっぱり見えてるんだ!?」
「妖怪……本当に実在しているとはな……」
「ビビッと来た私の勘に狂いはなかった」、とぴょんぴょん飛び跳ねながら興奮している妖怪やオカルトが大好物らしい柊先輩はともかく、綾辻先輩まで真剣な表情で頷いている。
「し、信じるんですか……? こんなの」
普通なら信じてもらえず、気味悪がられるか変人奇人、狂人判定されて排斥されて終わりなのに、今俺の目の前にいる二人は俺の言葉を信じていた。今まで経験した事がない反応に、俺の思考が停止する。
「普通なら信じないかもしれないが、この学校では、怪奇現象が起こっている。信じる要素はあるだろう」
「そ、それだけ、ですか……?」
「この学校にいれば、大体のことは寛容になる」
「ええ……」
自信満々といった様子で笑みを浮かべる綾辻会長。この学校ってもしや、変人奇人の巣窟と呼ばれるものなのでは……?
「うーん……信じてくれる人は見つかったけど、どうしてかしら、何か認められないわ」
二人の反応は百足様も予想外だったのか、凄く意外そうなで釈然としない表情を浮かべている。それもそうだろう、彼女と共に二年近く過ごしてきて、信じてくれる人は誰もいなかったし、こんな反応されるとは思っていなかったのだから。
「それで、ここにいる妖怪はどんな姿してるの?」
「ああ、確かに。どんな姿をしているんだ?」
未だ興奮が冷めない柊先輩と、怪奇現象を起こしているであろうそれに興味が湧いたらしい綾辻会長に問われた。俺につぶらな瞳を向けてくるそれを見ながら、その姿を表すであろう言葉を口にする。
「獏のぬいぐるみみたいな、パンダみたいな……ナマモノ?」
「獏……?」
「パンダがなぜ金属の怪奇現象を……?」
それは俺だって知りたいです。よく分からないから、とりあえず獏としてみるが、獏の妖怪なんだから夢を食べるものじゃないのか?
「お前、なんで農具を鈍にしてたんだ?」
「ん~? お腹が空いたからだよ~?」
間延びした声で返してきた。腹が減るなんて概念、妖怪にあるのか。百足様は食べることも寝ることも娯楽の一つでしかないって言っていたから驚愕してしまう。
「鉄を、食うのか?」
「食べるよ~。ここはいいよねぇ~座ってればご飯が来るんだ~」
「ここは回転寿司じゃねぇぞ?」
この妖怪、この畑で作業するための農具を食べ物だと思っていやがる。いや、鉄を食べるのなら食べ物だと認識していてもおかしくはないんだが……いや、それでも迷惑がかかっているのだから止めてもらわないと困る。
「ねぇ碧暮君、私達にも説明してよー」
そういえばそうだった。柊先輩の言葉に自分と百足様以外今の状況が分かっていない。さっきこのナマモノと会話したことを要約して説明すると、少し考えた後に綾辻会長が口を開く。
「つまり……そこにいる妖怪は、空腹にならないためにいると?」
「端的に言えば、そういうことになります」
「なるほど……それは、困ったな……」
ここにずっと居座られても困るため、立ち退いてもらうための解決策を見つけなければいけないのだが、何も浮かばない。
「そういえば獏って夢を食べるんじゃなかったっけ?」
「ああ、獏枕なんてものがあるくらいだからな」
確かに先輩方が言っている通り獏は夢を食べるとよく聞く。学校は居眠りする生徒や昼休みに昼寝をしている生徒もいる。校舎に来てもらえばそれは解決するはずだ。そう思ったのだが、話を聞いていたナマモノの耳が垂れ下がる。
「夢って味に当たり外れあるんだよねぇ~」
「夢に当たり外れとかあんの!?」
「あるみたいね。夢を喰う獣と言われる獏の妖怪が言うのだから。私も初めて知ったわ」
今日一番の衝撃に思わず叫んでしまう。その驚きは百足様もだったようで、少しだけ驚いた表情を浮かべている。
「あるよ~。いい夢は美味しくなくて~、悪い夢、嫌な夢は甘くて美味しいんだ~。だから人の子にはず~っと悪夢を見ててほしいな~」
「間延びした声で性根が腐った発言してる自覚あるか?」
「あるよ~」
こいつ、性根が腐ってる事を自覚してるタイプの妖怪か。人の不幸は蜜の味という言葉があるくらいだからもしやとは思ったが……ゲスい、さすが妖怪ゲスい。欲望に忠実すぎるんだよなこいつら。
「うーん、振り出しに戻っちゃたなぁ……」
「他の鉄……鉄か……」
この学校で金属類があるとすれば理科室に置いてある銅線とかステンレスのたわしとかしか思い浮かばない……鉄……学校で手に入る、農具とか以外の鉄……? ダメだ、思い付かない。
「学校で簡単に金属が手に入る場所……うーん?」
先輩方も頭を悩ませており、いいアイデアが浮かんでいるようには見えない。
「あら、この風車、面白いわね」
「こんな時に何をやってるんですか百足様」
俺を含めた人間三人が思考を回している中、ここで考え続けている俺達を見る事に飽きてきたのか、畑の近くに突き刺さっている風車に興味を示した百足様。カラカラと音を立てている銀色の風車は、アルミ缶によって作られているようで――ん? アルミ缶……?
「あー!」
思わず大声を上げた俺に驚愕した二人の視線がぶつかった。
「アルミ缶って……金属でしたよね?」
「ん? そうだよ。アルミは金属の一種だけど、どうしたの?」
「いや、その……鉄ってアルミと同じように金属だなぁって思いまして」
その発言に、先輩方は俺が何を言いたいのか理解したようで、柊先輩は手を叩き、綾辻会長は思い出したように頷く。
「そういえば代わりの鉄って考えてたけど、うちの学校、農具の大体は鉄じゃないよね」
「ああ、鉈など鉄製のものもあるが、アルミやスチール、ステンレス製のものが多い」
そして被害に遭っていた農具は鉄製のものだけではなく、アルミなどで作られた農具も含められる。つぶらな瞳をこちらに向けてくるナマモノは雑食のようだ。
「だったら話は早いな」
「うん。あれがあるもんね」
「ですね。そういえばあれがありました」
この学校にはあれがあるじゃないか。海外から来た人達が驚愕するらしい飲み物が入った機械……ペットボトルジュースの他に缶ジュースも入っている自動販売機という代物が。色んなところで手に入るものだから忘れていたが、この学校にはそんな代物があるのだ。ナマモノの食料となる金属はゴミ箱から手に入る。
「なぁ、えーと……名前がねぇと不便だな……」
「テツバミって名前があるよ~」
テツバミ……鉄を食べるから『鉄食み』ってわけね。名は体を表すとは言うが、これほどそれが当てはまる存在は中々いないだろう。さすが妖怪。ぬりかべとか火車とか、安直な名前を付けられているだけのことはある。
「テツバミ、お前、鉄以外は食うのか?」
「ん~……青銅じゃなければ食べるよ〜?」
よし、言質取った。というか青銅っていつの時代だよ。
「学校の廊下に自販機――デカい長方形の箱があるのは分かるか?」
「色がたくさんあるやつ〜?」
たくさんの色……ジュースの入った容器の事だろう。こいつらからすれば、そう見えているらしい。
「そう、それだ。それの隣に小さめの箱があるだろ?」
説明するのは学校の二か所に設置されている自販機、その場所とその隣にある空き缶を捨てるためのゴミ箱……その中身。
「あの風車あるだろ?」
「あ〜、鉄より美味しそうだよねぇ〜。食べていい〜?」
「あれはダメだ。あれの材料が、そのデカい箱の隣にある箱に入ってる」
「それは食べていいの〜?」
気の抜けるような風貌と口調にそぐわず頭の回転が早い。……多分食べ物に関してだけだろうが。
「緑色の箱の中に入ってるやつはな」
「ん〜じゃあ、行ってみよ〜」
四本の足でのそりのそりと学校へ向かっていくテツバミ。そんな彼? を見送りながら、俺は先輩方の方へ顔を向ける。俺を見てくる目は変わらない。変わらず、俺を見てくれている。
「テツバミ――獏みたいなナマモノの名前ですけど……そいつが学校に行きました」
「話を聞く限りだが、ゴミ箱の空き缶を食べてもらうことで、農具の被害をなくそうと考えたというわけか」
綾辻会長の言葉に頷く。あとはテツバミが空き缶を気に入るかどうかという問題はあるが……多分大丈夫のはずだ。あの妖怪、アルミ缶が美味そうだとか言ってたし。アルミが美味そうならスチール缶も美味いんだろう。どうかは知らんが。
「結果は……学校に戻ったら分かると思いますけど、どうします?」
「行く! 戻るよ碧暮君!」
「分かりましたから引っ張らないでください!」
「俺も同行しよう。ダメだったら違う手段を考えねばならないからな」
暴走機関車と化した柊先輩に腕を引かれながら学校へと戻る俺達。運動部の活動があるからか鍵が開けられている渡り廊下に配置された自販機に向かい、眼鏡を外してみると、アルミ缶やスチール缶を美味そうに貪り食っているテツバミがいた。
「めっちゃ食うじゃねぇか」
「美味しいからね〜君も食べる〜?」
誰が食うか。そもそも人間が鉄を食うわけがないだろ。そんな意味を込めて首を横に振ると、咥えていた空き缶を飲み込む。咀嚼もしないとは……詰まらせたりしないのだろうか?
「というか、農具とか磁石は形が残ってたのに、なんでこっちは跡形もなく消えるんだ? ゴミ箱透過してるし」
「え〜? 僕も知らな〜い」
自分のことなのに知らないのかよ。ゴミ箱の中にある空き缶を食べ進めるテツバミの言葉にツッコミたくなってくるが、相手は妖怪。忌々しいことこの上ないが、人間の常識が通用する存在ではない。
「あそこよりもたくさんあるね〜。気に入った〜」
食べることに飽きたのか、箱座りになるテツバミ。大きな熊のぬいぐるみくらいのサイズがあるそれは、大きな欠伸をして口を開く。
「ここならずっといてもいい〜?」
「バレないようにやってくれるんなら、いいんじゃねぇの?」
多分、大丈夫だよな……? そう思いながら綾辻会長に視線をやると、
「ああ、問題ない。バレないようにしてくれるならな」
許可が下りたため、圧をかけるようにテツバミに迫る。
「だ、そうだ。約束できるか? というかしろ」
「わ〜、強引だね〜。……でも、いいよ〜。碧の頼みだしね〜」
「碧……? 誰だそれ。俺は碧暮だぞ? 八束碧暮」
「ん~? …………そっか~、もういないもんね~。まぁいいや~、約束は守るよ~」
テツバミの言葉に首を傾げていると、柊先輩が声を上げた。
「とりあえず、解決したってことで、いいのかな?」
「多分、そうだと思います。こいつが約束を守るなら」
「大丈夫じゃないかしら。多分、約束は守るはずよ」
のんびりとしている目の前のそれが、約束を破るようには見えない。会って数十分ほどではあるが、マイペースなこの妖怪はおそらく約束を守るだろう。百足様のお墨付きもいただいたし。
「じゃあ解決ってことで! それより……君に聞きたいことがあるんだけど!」
柊先輩の発言に全身が強張る。俺にとっては怪奇現象を解決するよりも大変な事が、俺を待ち受けていた。妖怪が見えるという体質に、柊先輩が興味を示さないわけがない。
「おい藤宮、無理に聞き出す事ではないだろう。あの様子を見ていなかったわけではあるまい?」
「む、それは分かってますけど……」
「彼が鍵になるかもしれないのは、俺も感じている。だが……」
綾辻会長の気遣うような視線と表情が、俺に向けられる。大丈夫です、お気遣いなく。この体質は疲れるくらいで、最近は俺を食べようとしてこないと分かるやつを見るくらいなら慣れてるんです。眼鏡のお陰で妖怪も基本は見えてないですし。
「お気遣い、ありがとうございます、綾辻会長。でも大丈夫です」
「碧暮、大丈夫なの?」
さすがの百足様も心配になったのか、声をかけてきた。心配してくれた彼女に笑みで返答すると、百足様は溜め息を吐いて俺の頭を撫でる。
「無理はしないこと。いいわね?」
「はい、大丈夫です」
「テツバミちゃん……の他にも何かいるの?」
「そこも含めて、お二人に話しますんで、部室に行きましょう。さすがにここで話したくないです」
元々部室で話してもらうつもりだったのか、快く承諾してくれた柊先輩。彼女が階段を上るその少し後ろから追いかけるように上る俺に、綾辻会長が声をかけてきた。
「本当にいいのか? あの時の反応からして君は……」
「いいんです。怪奇現象が本物なら、遅かれ早かれ、こうなってたと思いますし」
どうせバレて話さなくてはいけないのなら、早い方がいい。そう考えた結果だ。
「そうか……なら俺からは何も言わない」
「ありがとうございます」
そこから軽く話をしながら部室に着いた俺達は、作戦会議をするかのように椅子に座る。
「じゃあ、話してくれるかな?」
「……えーと……どこから話せばいいんですかね? やっぱりこれのことから?」
俺の近くで四本の尻尾を揺らす百足様に視線をやり、眼鏡に触れる。
「この眼鏡、妖怪からもらってるものなんです。妖怪を見えないようにしてくれる、荒神様の加護? みたいな感じで」
「そのちょーっと寒気がする眼鏡って、度が入ってないんだ」
「そこではないだろう。八束、その眼鏡はいつ受け取ったんだ?」
いつだっけ? 中学校の頃だから……二年半くらい前? そのくらいだったような気がするなぁ。正確な日数とか全く覚えてないけど。
「ざっと二年くらい前ですかね?」
「そうね。付き合い的には……六年くらいかしら?」
俺があなたを人間だと思っていた時期ですね。周りの人達が何も言わないから勘違いしていたけど、今思えば周囲が俺の行動を訝しんでいた時点で疑うべきではあったよなぁ……
「じゃあ、それまでは?」
「妖怪に会ったら逃走が基本でした。特に見るからに人を食いそうな見た目のやつからは」
「テツバミとやらに対話を持ちかけたのは?」
「見た目がファンシーで、警戒心が薄れてました。つまるところ油断ですね、はい」
百足様が妖怪だと知って、常時一緒にいるようになってから変わったな、俺。そう思いながらも過去の話を披露する。
妖怪との追いかけっこをし続けていたり、その追いかけっこをしているうちに、偶然辿り着いた神社で人間に擬態していた百足様に出会ったこと。何年も逃げて神社に転がり込む生活を過ごしていたある日、家で待ち伏せていた妖怪に襲われて、正体を明かした百足様に助けられて眼鏡をもらったことなど、若干や端折った場所はあるものの、大体のことは話終えた。
「――まぁ、そこからずっと、妖怪としての百足様との付き合いが続いているわけです」
今まで誰にも話した事がない過去を話した俺の視界には、語られたことをどうにか纏めようと頭を悩ませている柊先輩と綾辻先輩が映っていた。
「えっと、君の体を使わせる代わりに、妖怪を見えなくする道具を……?」
「にわかに信じがたい話ではあるが……」
まぁ、普通はそうだろう。妖怪が見えるなんて本来なら異常なのだから。俺の中では受け入れることと信じることは全くの別物だ。だから受け入れられたからと言って、信じてもらえるとは思っていない。
「無理に信じなくても――」
「いや、信じるけど」
「同じく。俺達が知らない、未知の体験談の情報量に困惑していただけだからな」
「……マジですか」
いくらなんでも寛容過ぎないか? いや、怪奇現象が起こっているこの学校が先輩方に寛容さを与えているのかもしれない。疲労の対象である妖怪が引き起こしていることが俺の体質を信じてもらえる要因になるとは、なんとも皮肉な話だ。
「碧暮君さ、入学式で百面相披露してたでしょ? 色々呟いてたし」
「見てたんですか!?」
「だって司会だったもん」
そういえばこの人、入学式で司会やってたな。来賓とか先生とかからは変人判定されただろうなぁとか思ってたけど……うわぁ、入学早々黒歴史作ってた……
「俺も見てたぞ。生徒会だから席は前の方にあったしな」
「殺せ、いっそ一思いに殺してください」
ちょっとしんみりしていた俺を羞恥の水底に叩き落してくれる先輩方。陰キャぼっちが高校デビューなんて、夢のまた夢だったという事か。俺が羞恥で悶えていると、柊先輩が笑みを浮かべる。
「それを見て、久しぶりにビビッと来たんだ。君と私、相性がいいかもってね」
「それは褒め言葉として受け取っていいものですか?」
「君は私を何だと思ってるの!?」
「変人」
「ありがとう!」
誰も褒めてないです。あ、キャラメルは貰いますありがとうございます。
「百足様、食べます?」
「あなたが食べないなら食べるわ」
キャラメルの包み紙を外して彼女に渡すと、キャラメルを口に入れてコロコロと転がす百足様が見えていない先輩方には、キャラメルが虚空に消えたように見えたようで、目を見開いている。
「信じてないわけじゃなかったけど……」
「いるんだな、そこに」
「あ、そういえば見えてなかったわねあの二人」
「はは……それで、本当に信じてくれるんですか?」
眼中にないと言いたげな反応に苦笑しながらも、俺は先輩方を見た。しつこいかもしれないが、やっぱり信じられないのだ。人間の知り合いって、学校の先生や共働きで家に帰ってくることが少ない両親くらいだったから。
「信じるよ。その方が面白いし」
面白いって。それだけで信じますか普通。
「うむ。現に怪奇現象が起こり、八束はそれを解決してみせた。信じるに値するだろう」
なんかすごく適当だなこの人達……もしかして、このくらい考えが柔らかくないとこの学校で楽しく青春を謳歌できないのだろうか? ……それはそうと、この学校で生活するに当たって、思い出したのは統廃合の話だ。
「あの、怪奇現象がなくなったら、学校は、なくならないですかね?」
「んー、怪奇現象がなくなっただけじゃ難しいんじゃないかな?」
それもそうだ。風評被害がなくなっただけで、根本的な解決には至っていないわけだから。
「だが、防ぐ一手にはなる。入学希望者を増やさないといけないがな」
それでも、一時的に凌ぐことはできると綾辻会長は口にする。
「……俺、協力しても、いいですかね? 怪奇現象の解決くらいは、できると思います」
怪奇現象に、見るのも嫌だった妖怪に関わる。小学生の頃なら絶対に思いもしなかった考え。昔の俺が見たら愕然とすること間違いなしだな。
「少しのきっかけだけで、人間ってこんなに早く成長するのね」
「チョロいだけかもですけどね……ほら、俺って陰キャですし」
百足様の驚きと安心が入り混じったような言葉に少し苦笑する。我ながらチョロいとは思ったりするが、自分の命の危機を感じないお祭り騒ぎな雰囲気は嫌いじゃないし、
「よーし、忙しくなるぞー! 妖怪研究会、本格始動だ!」
「生徒会も忙しくなるな。期待しているぞ八束」
だから、この人達の信頼に、可能な限り応えてみたいと思った。
風が、開け放たれていた窓から通り抜けていく。まだ冷たいその風が、俺の一歩を祝福しているような、そんな気がした。