おいでませ、妖怪研究会2
花雲農業高校。かつて、雲を貫くほど巨大な大ムカデに仕えた御子が教鞭を執ったという伝承を持つ歴史ある学校だ。そんな学校の授業は五教科の他にも、農業高校らしい授業がある。
「じゃあ、次回はリンゴの早生、中生、晩生の違いについて。来週、農場に行くので、軍手とか忘れないようにな」
起立、挨拶、着席してから帰りの準備を開始する少し騒がしいクラスで俺は鈍器かと見間違う資料達を片付ける。これのせいで金曜日は荷物が多い。リュックが重すぎると自転車で通うのが一苦労だ。もういっそのこと、学校のロッカーに常駐させておくべきだろうか。
そんな農業高校に入学してから二週間が経過し、畑仕事とか畜舎管理とか草刈とか、まだ慣れないところがあるものの、ある程度馴染んできた。……ただ、慣れないし、慣れたくないことと言えば――
「碧暮君! 部活に行こう!」
黒髪セミロングの活発系女子、二年C組の藤宮柊先輩が昼休みや放課後、こうして教室にまで出向いてきて俺を部活に連れていくことだ。毎度そんな突撃をしてくるものだから、クラスメイト達からの視線が凄い。
「あー……はい、今行きますんで」
「毎日可愛らしい女の子からのご指名を受けれるなんて、男冥利に尽きるわね?」
元凶が楽しそうに笑う。妖怪研究会なんて普通の学校じゃ存在しない部活に百足様の酔狂で入る事になり、柊先輩が話す妖怪の伝承を聞いたり彼女が描いた妖怪の絵を見て、今まで見てきた妖怪達とのギャップが凄まじいことに困惑したりする日々。そんな俺を見て、百足様は酷く楽しそうにしている。
そんな彼女にうっそうとしていると、俺の前の席にいる男子生徒の……えーと……誰だっけ? 斎藤? 佐々木? 忘れてしまったが、男子生徒が声を掛けてきた。
「八束、八束! あの人、先輩だよな!? どういう関係なんだ?」
「ああ、うん……部活? の先輩」
そういえば柊先輩って人気のある先輩らしい。容姿も美少女と言って過言ではないだろうし、性格も明るくて誰にでも元気に接する。学年男女問わず人気があるのも頷ける。だが、スクールカースト上位に位置する人があんな変な部活の部長だとは思うまい。
「ほら、行くよ!」
「引っ張らないでください、今行きますって力強っ!?」
教室まで入ってきた先輩に引っ張られていくと、背中越しにあとで色々聞かせてもらうと言わんばかりの視線を感じる。話しかけにいけるといいな、こんな見た目の人間に。前の席の男子生徒は……うん、あれは教室にいた誰もが思った疑問の代弁者の概念が固まってできた存在だろう。きっとそうだ。
「柊先輩。毎度思うんですけど、教室にまで来る必要あります?」
「せっかくできた後輩だもん、交流したいじゃん?」
廊下で待っていた柊先輩に問いかけると、そんな言葉が返ってきた。
「あー、色々ネジが外れてる先輩に聞いた俺が馬鹿でした」
「ふふ、褒めてもキャラメルしか出ないよ」
褒めてないし、なんでキャラメル常備してるんだこの人。ブレザーのポケットから取り出された塩キャラメルを受け取りながら、部室までの道を歩く。
それにしても遠い。部室まで行くのに第二校舎から第一校舎までの廊下を通り、その後三階まで階段を上らないと部室まで辿り着かない。極端な話、体力のない人間ならそこまでの道のりで息切れを起こすだろう。
「碧暮、キャラメルを食べないならちょうだい?」
「バレないようにやってくださいよ」
周囲にバレないようにしながら百足様が俺のポケットをまさぐり、キャラメルを食べる。俺が動いている状態でなおかつ、片手でキャラメルを取り出すとはなんと器用な……
「碧暮君、何か言った?」
「いえ、何も」
「そう? ならいいけどさ」
小声とはいえ、隣で階段を上っていた柊先輩は俺がボソボソと呟いていたことが気になったらしい。危なかった……妖怪研究会なんてものを設立している彼女の様な変人でも、バレたらきっと――いや、今は止めておこう。
「はー、疲れたぁ……遠いねぇ、やっぱり」
暗い考えが脳内を支配しようとしたところで、部室まで辿り着いた。柊先輩の声で思考がリセットされハッとした俺は、部室に入って早々配置された机と椅子に溶け出している先輩に苦笑する。
「その通りですけど、溶けないでください柊先輩」
「えー……」
「活動が無いなら俺、帰りますけど」
「いやある! あるから帰らないで!」
俺の発言で背筋を伸ばした柊先輩。彼女は先輩としての威厳というやつを粗大ゴミとして捨ててきたらしい。そんな彼女の反応に苦笑しながら用意された席に座った俺は、ふと疑問が浮かぶ。
「そういえば柊先輩、この部活、顧問はいるんですか?」
部活と言う括りで妖怪研究会が存在するのなら、顧問がいるはず。だが、不本意ながら入部して一週間。顧問の先生らしき人を見た記憶がない。
「え? いないよ? 名前を貸してもらってる先生はいるけど」
「……は?」
「え?」
予想外過ぎる返答に俺も百足様も首を傾げる。普通なら顧問がいないと部活は設立できないはずだ。だというのに、この部活は顧問が存在していないのに部活として設立されているらしい。
「あれ? 言ってなかったっけ。この学校、結構自由だよ?」
そう言ってこの学校について説明してくる柊先輩。彼女曰く、この学校は学生としての本分に支障をきたさず、倫理観などに反する事や、問題行動さえしなければ比較的自由が利き、参加者が一人だとしても部活や同好会を設立できるんだとか。
「自由だなぁ……」
「いい学校でしょ? そんな学校が私は大好きだし、潰したくない」
不意に、先輩の表情が真剣なものになる。いつもの活発な変人といった雰囲気ではない彼女を見た俺は思わず背筋を伸ばしてしまう。
「碧暮君、今年の一年生が合計で何人か知ってる?」
「え? えーと……」
柊先輩に問いかけられて考える。花雲農業高校の一年生……俺達農業生物科――A組が十九人で、B組土木環境科が十五人、そして食物農業科C組が十八人だったような気がする。これを合計すると……
「五十二人……ですね、多分」
「少ないと思う?」
「そりゃまあ……少ないと思いますよ。他の高校って大体一クラス四十人とかですし」
他の私立、公立校は大体が一クラス四十人。この学校は一学年合計で他の学校の一クラスと四分の一の人数。明らかに少ない。
「それが何か……?」
「年々、入学する人が減ってるんだよ、この学校」
農業に関心を持つ若い人世代は年々減少傾向にあるといつかの番組で見た事がある。その波がこの学校を飲み込もうとしているということか。ぼんやりと学校が波に呑まれて崩れていくイメージを浮かべながら、先輩の話を聞く。
「農業高校に興味を持ってくれる中学生が少ない――それは確かにそうなんだけど、この学校は他にも問題を抱えてる」
「問題? 経年劣化ってやつですか?」
「ううん、違うよ。前にも言ったでしょ? この学校では怪奇現象が起こってるって」
「ああ、言ってたわねそんなこと」
柊先輩と百足様の言葉を聞いて思い出す。妖怪研究会の説明を聞いた時、彼女は言っていた。この妖怪研究会の活動は妖怪について考察したり、その姿を描いたりすることともう一つ……この学校で起こっている怪奇現象を調べることだと。ただの噂や与太話だと思っていたが……
「マジであるんですね、怪奇現象」
「うん。怪奇現象が起きる学校なんて行きたくないでしょ?」
ごもっともな言葉に頷く。怪奇現象が起こるという噂が流れたことにより、入学する生徒が少なくなっている。なるほど、風評被害というやつだな。小、中学校でいじめられていた俺にとっては分かりやすい。おっと、黒歴史を思い出して目から涙が零れそうだ。
「生徒が減って、怪奇現象も起こってる学校……そんな学校を普通は残してはおけないよね」
「統廃合の可能性があるってことですか」
「歴史ある学校を消すわけにはいかないってOB、OGが奮戦してるから今は大丈夫だけど、いつそうなるか分からないね」
それは、困る。「怪奇現象が起こっているので統廃合する。だから別の高校に行け」、と言われているようなものだ。せっかく入学したのだから入学した学校で三年間を過ごし、卒業したい。
「てことは……怪奇現象をどうにかするために、先輩は妖怪研究会を……?」
「え? ううん。元々妖怪とかオカルトとかが大好きだったからだよ! 好きなものってとことん突き詰めたくならない?」
――ちょっと尊敬しそうになった俺が馬鹿だった。
* * *
桜咲き誇る春だというのに、雪が残る山から運ばれてくる冷たい風を浴びて震える中、柊先輩に連れてこられたのは学校の敷地内にある巨大な農場。学校から歩いて約五分で辿り着くそこは、畜舎の他に田んぼや畑、果樹園などが存在する広大な敷地だ。
「へぇ、昔より綺麗なのね」
百足様の感心した声に心の中で同意する。言い方はあれだが、農場はあまり綺麗じゃないというイメージが俺の中にはあった。だが、そんなイメージは時代遅れだったと痛感させられる。風通しはいいし、畜舎から嫌な臭いが漂ってこない。しかも道がしっかり舗装されている。
「最近の農場って凄いな……」
「結構前からこんな感じらしいよ?」
本当に俺の中にあったイメージは時代遅れだった。先輩の言葉にそう感じていると、倉庫らしき場所から数人の学生が出てきた。……そういえばこの学校のパンフレットに農業部なんて部活があると書かれていたような……
「うん? 藤宮ではないか」
倉庫から最後に出てきたのは、草刈り機を持った背の高い男性。他の学生と同じく作業着を着ている厳格そうな彼は確か……
「こんにちは、綾辻会長!」
「うむ。いつも通り元気そうだな」
やはり綾辻耕哉生徒会長だった。入学式で挨拶してたし、全校集会でも何か話していたのを覚えている。忘れていたが、柊先輩も生徒会の一員なのだから面識があるのは当然か。
「ここで何をしているんだ?」
「妖怪研究会の活動です!」
「ああ、そういうことか。まぁ、怪奇現象が起こっているのは事実だからな。解決してくれることを期待しているが――」
ちらりとこちらを見てくる生徒会長。その生真面目そうな目には少し同情というか、同族意識というか、そんな感じの感情が込められている。
「せっかくできた後輩なんだ。振り回し過ぎるなよ?」
「もう振り回されてます」
「ふっ、ふふ、そうか! それは大変だな」
食い気味に答えた俺に笑う生徒会長。口調や滲み出るオーラのようなものから生真面目が服を着ている人だと思っていたが、そうではなかった。どうやら親しみやすい生徒会長らしい。
「酷いなぁ! そんなに振り回してないでしょ!?」
「どの口で言ってるんですか妖怪マニア」
この人は昼休みが始まるや否や、教室にアクション映画もにっこり笑顔になるくらいの勢いで強襲してくる。一人で昼食を食べながらクラスの会話を聞くのは結構楽しいんだぞ? あと、一人だと購買で人気のライスバーガーを買いに行く時に奪い合いにならない。おや? ぼっちはぼっちでいい面があるな! 自分で言ってて悲しくなってくるのは欠点だが。
「おっと、こっちも部活動があるんだ。ではな」
草刈り機を持って倉庫の隣にある畑へと歩いていく綾辻会長を見送ろうとした俺を、柊先輩が引っ張る。
「なんですか」
「ここで怪奇現象が起こる時は畑で作業をしている時だよ!」
「あ、そうなんですか。……それならここに来る前に説明してくださいよ」
「ごめん、忘れてた!」
バチコーンッ、と効果音が出そうなほどのウィンクと合わせて舌を出した柊先輩。本当に先輩としての威厳が存在しないなこの人。というか本当に力強いな!? おいこら引っ張らないでください、制服が皴になるので。
「で、俺達はどうするんですか?」
「怪奇現象が起こるまでは待機だね」
柊先輩の指示通り農業部の活動を見学する。草刈りしてたり、畑を耕したりと、授業でもやるらしい農業高校ならではの活動内容は、農業なんてものに触れてこなかった俺にとってすごく新鮮なものだった。スーパーに売っている野菜とかが育つまでに、ここまでの労力がかかっているという事実を見て、全国の農家さんに頭が下がる思いだ。
「便利になったものね、人間の進歩って面白い」
百足様の言葉に頷く。昔は歴史の教科書や農業の教科書に載っていた道具しかなかったわけだから、人間の技術の進歩というのは確かに凄いな。
「ん? 部長、鉈が全く使い物なりません!」
そんなことを考えながら見学すること数十分。水路の近くにあった柳を鉈で切っていた農業部の一人が声を上げた。その様子に俺は首を傾げる。
「……切れ味が落ちた? 経年劣化ですかね?」
「んー、違うと思う。あれ、新品のはずだし」
「鉈は小さい薪だって切ることができるのよ? 柳の枝を切っただけじゃ切れ味は落ちないわ」
「へー……」
女性二人からの言葉に納得しながら様子を見ていると、農業部の部員達が次々と道具が使い物にならないと訴え始めた。そんな中、唯一無事だった綾辻会長が草刈り機のエンジンを停止させる。
「むぅ、まただ……草刈り機の刃が鈍になっている……」
その口ぶりからして、新品のものだったのだろう。よく見れば金属特有の輝きが失われているようにも見える。鍬なんて錆びてるんじゃないかと思うくらいくすんでるし……
「これでは活動にならんな……部員に怪我をされてもな……全員、すまないが、片付けてくれ!」
綾辻会長の指示で農業部がてきぱきと道具を片付けて撤収していく。最終確認のために残っていた綾辻会長が倉庫に鍵をかけ、見学していた俺達の方に歩いてくる。
「藤宮は知っているだろうが、あれがここで起こっている怪奇現象だ」
「あれが……? 鈍事件って感じですか」
「新品の金属製品やしっかり研がれたものが、唐突に使い物にならなくなるって怪奇現象だね」
なるほど……確かに怪奇現象だ。鍬なんかは土にすら太刀打ちできないほどのものになってたし。
「さて、どう解決したものかなぁってところなんだけど……」
「うむ、そろそろ生徒会の会議があるな」
生徒会の仕事か……自由な妖怪研究会と違って、こっちは重労働が多いだろうに。部長と生徒会長を兼任するというのは凄いな。
「というわけで碧暮君、今日の活動は以上です! 明日、ここに集合してね!」
嵐のように走り去っていく柊先輩を見て呆けていると、綾辻会長が俺の肩に手を置いてきた。
「知ってるかもだが、藤宮は君のことを気に入っている。仲良くしてやってくれ」
「できる限りは、そうします」
「ああ、頼むよ。――おっと、会議に遅刻はできないので、俺も失礼するよ」
綾辻会長は着替えるために更衣室のある方向へ走っていく。
「俺達も帰りましょうか」
「……」
百足様がなんか不満そう……というか、不機嫌だ。どうかしたのだろうか?
「明日って休みじゃない」
「え? ……あ、そうですね?」
明日は土曜日。課題は出された日に終わらせて、休日は家でごろごろと非生産的な二日間を過ごすというスタイルの俺。そんな俺に合わせていた彼女もそのつもりだったのに、部活動によって予定を破壊されたのが気に入らなかったらしい。
「アイス買って帰りましょうか?」
「いらないわ」
おっと、凄く不機嫌だぞ……大好物のアイスを買って帰ることを拒否するとは……このくらい不機嫌になったのは冬に炬燵から引きずり出そうとした時以来かもしれない。
「というかこうなった原因は百足様にもありますからね?」
「それは分かってるけど、気に入らないものは気に入らないわ」
流石は百足様、自由奔放な妖怪兼荒神らしい主張。うーん……どうやって機嫌を治してもらおうか。……あ、そうだ。
「早く解決して、帰ってごろごろしましょうよ。俺だって面倒事に巻き込まれるのは嫌ですし」
「……仕方ないわね。早く済ませてしまいましょう。ああ、あと」
唐突に彼女の尻尾が腹に巻き付き、強く締め付けてくる。少しだけ苦しさを感じながらも、巻き付けてきた百足様の宝石のような瞳に視線を釘付けにされる。美人に見られているってだけで陰キャである俺は目を逸らしたくなるが、百足様がそれを許してくれるはずがない。
「あとでしっかり埋め合わせはしてもらうから。分かった?」
「……分かり、ました」
「よろしい」
にっこりと笑った彼女の拘束から解放される。前にもこんなことがあったなぁ、とぼんやり考えながら、俺は明日の部活について溜め息を溢すのだった。