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悪役令嬢の困惑

作者: 橘霧子

友人たちと、学内のカフェテリアで昼食を摂っている時だった。

クラスメイトのグロリア・ベイカーが声をかけてきた。


「あの……ハミルトン様、ご一緒してもよろしいでしょうか?」


ハミルトン様とは、私のことだ。

私は驚いて、一瞬答えるのが遅くなってしまった。

友人たちも同じだったらしく、会話をやめ、目を丸くして様子をうかがっている。


グロリアの手には、サンドイッチを入れたバスケットがあった。カフェテリアのメニューではないから、母親か自分(グロリア)が用意したものだろう。


「やはり、ご迷惑でしたか?」

「そんなことはないわ。ご覧のとおり席は空いているし、私たちは全然構わないのよ。だけどグロリア、あなたにはすべきことがあるのではなくて? それに、カフェテリアの使用許可はもらっているのかしら?」

「それは……」

「もらっていないのなら、やめた方がいいわ。()()()()()()()()()()()()()()()。ね?」

「わかりました。失礼します……」


ペコリと頭を下げ、グロリアは去った。あからさまに肩を落とし、ガッカリしてます、と言わんばかりにトボトボと。


グロリアの姿が見えなくなると、友人たちが顔を寄せあう。


「ここで声をかけてくるなんて、ビックリね」

「何かしら、今の」

「そういえば、最近、よく声をかけられるのよね……」


私はここ数日、隙あらば声をかけてくるグロリアの話をした。

友人たちは前のめりになって聞いているが、私はそんなことより、昼食を美味しくいただく方が大事だ。

サーモンのミルフィーユを口に運ぶ。

美味い。美味すぎる。あぁ、できることなら、もう1つ食べたい。しないけど!


「私とお友達になりたいのかしら?」

「……あなたって幸せな人ね」


私の名推理は、即座に却下された。ひどい。






私、シルビア・ハミルトンは公爵家の末娘で、第一王子の婚約者だ。

そのため、いつ、どこで、命を狙われているか解らないという、非常に憐れな身の上なのだ。


別に第一王子のことなんかこれっぽっちも好きじゃないから、欲しいっていう殊勝な方がいるなら、リボンをかけてそっくり差し上げますけど。そう簡単にはいかないのよね。


10才になって、正式に婚約者に決定してから、幾度命を狙われたか、解らない。

これ、すっごく迷惑。

こっちはいつでも譲るつもりなのに、突然刃物で切りつけられたり、使う予定の馬車を爆破されたりって、どういうこと!?

お陰で気がついたら籠の鳥。深窓の令嬢ってやつよ。


このまま友人もできず、あの馬鹿でアホで風呂嫌いで足が臭いくせに俺様で良いところは顔面しかないクソ野郎の第一王子の妻になるだけの人生なんて悲しすぎる。

って思っていたら、「行ってこーい」と寄宿学校に放り込まれた。


お陰で念願の友人もゲットできたし、一生無理だと思っていた友人とのランチも毎日できるし。何よりこの学校、安全なの。


このカフェテリアしかり、教室しかり、宿舎しかり、教職員は全員警備員もかねている。

一見のほほんと植木を刈っている用務員のおじさんも、教鞭をとる女性教師も、いざって時は生徒を守り、侵入者を殲滅する戦闘兵器になる。

実際、私は何度も命を救ってもらった。

だからこうして今、私は期間限定の自由を謳歌している。


王族の婚約者っていうのは、貴族なら誰でもなれるという訳じゃない。

貴族には家格というものがあって、高位である公爵家と侯爵家以外はまず無理。例外として、過去に王族が降下したり、婚姻を結んだ家ならば、下位でもあり得なくもないけど。


大人たちの事情がたんまり考慮された結果、同い年の第一王子の婚約者は私に決まったけど、もちろん諸手を上げて賛同されたとは言い難く、それこそ「あわよくば」と思う家もある。

その「あわよくば」って言うのが、私に「もしも」があった場合で、こっちはミジンコほども好きでもない男のために、常に危険と隣り合わせの生活だ。

うわっ。考えれば考えるほど、私ってかわいそう。


「気をつけなさいよ? ただでさえ、命を狙われているんだから」

「わかってる。わかってる。」


ヘラリと笑う私を、友人たちは呆れたように眺めた。

でもさぁ、グロリアなんてどう見ても普通の女の子よ? 彼女が突然暗殺とか? ないない!!






別の日。

教室での授業が終わり、校庭で体育の授業を受けるために、移動しようとした時だった。


「あの、ハミルトン様」


また、グロリアだ。

それに気づいた友人たちが、私の右と左を固めるように立った。

グロリアはモジモジするだけで、なかなか用件を言わない。

困ったな。体育の時間の前には着替えをしなければならないのに。時間がなくなってしまう。


しかたがないから、こちらから尋ねることにした。


「何かしら」

「あの! ラケットをお借りできませんでしょうか」

「ラケットを?」

「はい。私……一度もテニスの授業を受けたことがなくて……受けてみたいなって……」

「そう……。でも私も自分のラケットしか持っていないから、お貸しすることはできないわ。ごめんなさい」


貸してしまったら、私が授業に出られないしね。


「あ、いえ、いいんです。我が儘を言って、申し訳ありませんでした」


泣きたいのを我慢しているような、なんとも言えない表情でグロリアは去っていった。


「何あれ」

「うーん、そんなにテニスがやりたかったのかな?」

「そんなことより、遅れちゃう。急がないと」


私たちは急いで更衣室に向かった。


学校は共学だけど、校舎も宿舎も男女で分かれている。

共有しているのはホール、カフェテリア、校庭や運動場、宿舎の庭といったオープンスペースだけだ。


体育の授業も基本的に男女は別で、例外はダンスとテニス。

ダンスは将来のために必要だから、徹底的に教わる。

テニスは単に男女の交流なんだと思う。実際、テニスの授業でいい雰囲気になる男女はかなり多い。


残念なことに、私にはそういった浮いた話は皆無だ。

なんと言っても、第一王子の婚約者。婚約者以外の男子と親しくなろうものなら、厳しく叱られる。

よって、テニスもダンスもパートナーは毎回第一王子のみ。

テニスはまだましだけど、ダンスなんか体を寄せ合うから最悪。彼の臭さは尋常じゃないの。ダンスの後は食欲をなくすほど、とにかく臭い。頼むからお風呂に入ってほしい。


いいところは顔面だけの第一王子は、運動も苦手だ。

テニスの試合は、ろくすっぽ打ち返せない第一王子ばかり狙われて、毎回負ける。勝ち負けは成績に関係ないから別にいいんだけど、前に置いても後ろに置いても、スパンスパン打ち込まれて見事なものよ。

そのくせ、試合の後にはきめっきめのドヤ顔で、「いい汗をかいた」なんて言うの。

お前はな!! 私は突っ立っていただけだわ!! ウケる!!


今日もお決まりのストレート負けをした後、コートわきに下がったところで私は気づいた。


「殿下、靴ひもがほどけていますよ」


すると第一王子は、「そうか」と答えるだけで、何もしない。

あー、はいはい。私がやれってことね。

しょうがないから、足元にしゃがんで靴ひもを結び直してあげた。息を止めていたのはご愛敬。


「靴ひもがほどけていたから、うまく動けなかったのかもしれんな」

「左様でございますね」


プププッ!! ナニソレ。ウケるんですけどー!!

真顔で靴ひものせいにしていないで、日頃から体を動かせよ!!

その前に、靴ひもを直してもらってお礼もなし!? さすが、選民意識の塊クソ野郎だけあるわ。私のこと、侍女か何かだと思っているでしょ、絶対。


第一王子をヨイショするのも疲れる。

私はさっさと会話を切り上げて、友人の元に向かった。

一人残された第一王子は、所在なさげに立っていたけど、話し相手を求めてどこかに行ってしまった。

いつもなら王子をほっとかないお取り巻きボーイズも、今日は特別の日。王子なんかより、自分の恋愛の方が大切と見えて、誰もやってこない。

一人に慣れていないから、一人になったときに間が持てないのよね、あの人。


「あら、殿下のお相手はいいの?」

「いいの、いいの。さっき一言話したから。それより、今日もきれいに負けたわ。ごきげんよう。少しパートナーをお借りしても?」

「かまいませんよ」

「ありがとうございます」


にこやかに男子生徒に挨拶をして、友人たちを連れ出す。


「聞いてよ! 今日負けたのは、靴ひもがほどけていたからって言ったのよ。笑っちゃう」

「殿下らしくて何よりね」

「一度でも勝ってから言って欲しいわね」

「でしょー!? 本人の前で笑わなかったことを褒めて欲しいわ!!」

「あなたも大変ね……」

「くすん……。代わってくれる?」

「無理。……資格はギリギリあるけど、他の方にお任せするわ。所詮は伯爵家ですもの」

「無理。侯爵家だけど、正直当たらなくてラッキーって思ってる」

「あー、公爵家なんかに生まれるんじゃなかったわ。生まれても、後一年遅ければ……」

「やめてよ、私に当たっちゃうじゃない」


私が婚約者に選ばれたのも、家格と年齢がマッチしたせいだ。それだけなのだ。くそ。

当の第一王子は、あちこちに声をかけながら適当にあしらわれ続け、とうとうコートのすみでボール拾いをしているグロリアに行き着いた。

グロリアは仕事中なのに。邪魔をしたら悪い、とか、そんな考えはないのね、あのクソ王子。


私の前ではオロオロしてばかりのグロリアが、第一王子前では満面の笑みで受け答えしている。

意外にもグロリアとの会話は弾んでいるようで、楽しそうな笑い声も聞こえてきた。

ふーん。






また、別の日。

その日は宿舎で月に一度のお楽しみ、部屋交換の日だった。

宿舎の部屋は二人部屋。違う学年同士で組まされ、一度決まればよほどのトラプルがない限り、卒業まで変わらない。

けど、この日だけは好きな子と同室になれる。

と言っても、寝るためだけに移動するもんだけどさ。それでも楽しいよね!


「あのハミルトン様」


またまたグロリアだ。


「あの、ご迷惑でなければ、部屋交換していただけませんか?」

「え、誰と誰?」

「私とハミルトン様です」


えーっと……それって私がグロリアの部屋に行き、グロリアがここで寝るってこと? いやぁ、それは無理だわ。

これでも私、一応要人待遇だもん。いくら学校公認のイベントでも、警備の関係上、予定外の移動はできない。だから、ごめんなさい。

そう断ると、グロリアは泣きながら部屋を出ていった。えー、何で???


すでに移動していた友人が、イライラと呟いた。


「無理に決まってるじゃん。()()()()()()()()()()()()()()


そのくらい、グロリアも知っているはずなんだけどね……?






またまた、別の日。

その日は学校の定期試験の結果発表だった。頑張った成果が順位に表れて、私はご機嫌だった。


友人たちとカフェテリアに行くと、第一王子とお取り巻きボーイズの一団が、先に昼食をたべているところだった。

その中に、チラチラと見える、明らかに女子と思われる頭。よーく見たら、グロリアだった。


ん? もっとよーく見たら、グロリアと第一王子、隣同士じゃない? ん? ちょっとあれ……「あーん」して食べさせていない?


まずい。あれは、やってはダメなやつだ……。仕方がない。一肌脱ぐか……。チッ、めんどいなぁ。


私は()()()()第一王子の元に向かった。


「殿下、少しよろしいでしょうか」

「何だ」

「殿下のような御身分の、しかも婚約者のおられる方が、他の女子と気安くされるのはいかがなものかと。適度な距離感をお守りください」

「何かと思えば、嫉妬か」


んなわけねーだろ!! 礼節って言葉を知らないのかしら!? 王族なのに!?


「違います」

「よい。私は心が広いぞ」


耳腐ってんですかぁ!? 否定していますけど!?


「これはベイカー嬢へのごほうびだ。今日の試験の結果発表で、学年一位を取ったと聞いたのでな」

「嫉妬では……え? 学年一位を? 何かの間違いでは?」


そんなはずはない。私なグロリアを見た。あ、目が合わないように下を向いた。あのねぇ!?

第一王子がわざとらしくタメ息をついた。


「その様に睨むな。公爵家の令嬢が、このようなことでチマチマ嫉妬など、見苦しいぞ」

「重ねて申し上げますが、嫉妬ではありませんし、睨んでもいません。貴族のルールを申しております。殿下とそのグロリアのためにも、節度をお守りください。それに、今回学年一位を取ったのは私です。グロリアではありません」


私は万年二位が悔しくて、今回はかなり頑張って試験勉強をしたのだ。その結果ようやくもぎ取った学年一位。たとえ悪気が無くても、騙って欲しくないわ。


「あ、あの殿下……私は学年一位ではなく、クラス一位です。ハミルトン様はAクラスで私はBクラスなので……知らないんだと思います」


嘘つけww。あんた、()()()()()、毎日私と同じ教室で授業を受けてるじゃない。


「そうか、ベイカー()()()()は正直で謙虚だな。きっと私が聞き間違えたのだ。すまなかった。勉強に順位は関係ない。むしろ自分のよい成績をひけらかすのは、精神がさもしい証拠だ。シルビア、この純粋さを見習うがいい」


何を言っているんだ、この馬鹿王子。

学年一位と嘘をつき、バレればクラス一だとはぐらかす、それの何を見習うんだ。

あんたの隣にいる女は、嘘ばかりついて、それをあんたにバラされないか今現在ハラハラドキドキで、私の顔もろくすっぽ見られない状態ですよ……。


「グロリア、あなたにどんな考えがあるか解らないけど、身分をわきまえた行動をすべきと忠告しておくわ。後で死ぬほど後悔しないために」


私は言うだけ言って、足早にその場を去った。

あの場でグロリアの嘘を暴くことはできなかった。

この国では王族に嘘を吐くのは許されない。場合によっては死刑もありうるのだ。

ちゃんと解っていると思うんだけど……。


それにしても、うえぇぇ。臭かった。殿下、何日お風呂に入っていないのかしら。

澄ました顔で隣に座って「あーん」までするなんて。なかなかやるわね、グロリア。


私はその日の昼食を食べる気になれず、チョコミントクッキーとチョコミントアイスとミント水だけで済ませた。

あーあ、せっかくのいい気分が台無し。






またまたまた、別の日。

今度は第一王子の呼び出しを受けた。


言われたとおりに、一人で待ち合わせの中庭に行ったら、向こうはお取り巻きボーイズも勢揃い。1対何人だ? ……向こうは総勢6人か。女子一人対男子6人なんて、随分と卑怯な。

と、思ったら、その後ろにやっぱりグロリアが隠れていた。はい、これで1対7。


「貴様、よくもこの間のことを母上に告げ口をしてくれたな!!」

「『この間のこと』ですか?」

「とぼけるな!! グロリアのことだ!! ちょっと他の女と食事をしただけで嫉妬で告げ口など、恥ずかしくないのか!!」


あー、あれか。グロリアとランチして「あーん」してもらった件か。

そりゃ、手紙を書くよね~。色々アウトだもん。

『恥ずかしくないのか』って言いたいのはこっちだわ。つうか、いつの間にか『ベイカー嬢』から『グロリア』呼びになってんじゃん。


「あれは、婚約者である私の役目でございます」

「うるさい!! 貴様のせいで、母上に呼び出されて直々に叱られたではないか!!」


ブッ!! なーんだ。叱られた逆恨みか。器の小さな男ww――と、心の中で大爆笑していたのが悪かった。


「そもそも、私はお前のように男を立てず、平然と対等であろうとするような、図々しい女は嫌いだ!!」


ドン!!


隠しきれない表情を悟られないよう、礼の姿勢のふりをして頭を下げていた私は、殿下に強く突き飛ばされてよろけた。何の防御もできずにしりもちをついてしまった。

見上げた先には、振り上げられた殿下の右手。


――ああ、()()()()だ。


そう思った瞬間、私の左頬に衝撃と熱が走った。生理的な涙で滲む視界に、チカチカ星が飛んだ。口の中に血の味が広がって、無意識に頬を手で押さえていた。少し視界がぐらぐらと揺れている。


「そこまでです」


気づくと、第一王子は用務員のおじさんに取り押さえられていた。


「何だ、貴様は!!」

「校内での暴力は禁じられております」

「馬鹿な!! これはこの女への教育だ」

「なんと言い訳されても、暴力は暴力です。職員権限にて、第一王子ノア殿下、あなたを拘束させていただきます」


それからは何もかもが早かった。

中庭には用務員のおじさんたちが終結し、第一王子だけでなく私以外の他6人をあっという間に拘束した。

第一王子は無駄な抵抗をしていたけど、相手は用務員を兼ねた凄腕の戦闘兵器だ。運動神経が絶滅している殿下に敵う訳がない。


「貴様、一人で来いと伝えたのに、卑怯だぞ!!」

「何がでしょう?」


私は用務員のおじさんの一人に手を借りて、立ち上がったところだった。


「このような伏兵を用意するとは、卑怯ではないか!!」

「何をおっしゃるかと思えば……呆れて反論する気にもなりませんわ」

「何だと!?」

「彼らは私が頼んだのではありません。元々、校内では全生徒の行動は監視されているのです。ご存知なかったのですか?」

「知らん!!」


うわぁ。やっぱり馬鹿だ。

ここに通う生徒は全員貴族だよ? おまけに第一王子と婚約者だよ? 野放しにするはずかないのに。

私だって、監視されていると解っているから、命が狙われている身で、のこのこ一人でやってきたんでしょうが。


7人は拘束されたままどこかに連れていかれ、私は念のために保健室で治療を受けた。

顔を腫らした私を見て、校医は真っ青になり、慌ててバスケットボール大の氷のうを用意した。

いや、そんなの持てないわ。慌てすぎだろ。


普通サイズの氷のうを作ってもらい、腫れた頬を冷やしていたら、校長先生がやってきた。

第一王子の愚行については、校長先生からも王宮に報告を入れたこと、あの場にいたお取り巻きボーイズは厳重注意したこと、グロリアについては厳重注意の上、罰を与えるつもりであることを伝えられた。


「今後はグロリアの授業への参加を禁止と、殿下への接近を禁止といたします」

「そうですか。学問を取り上げられるのは可哀想ですが、彼女のためを思えば、仕方ありませんね」

「若気の至りで済めばよいのですが、どうも彼らには事の重大さが理解できていないようです」

「私もこれ以上、騒ぎが大きくならないように望みます。それから私を助けてくださった皆様に、お礼申し上げます」

「かしこまりました。彼らにはその旨お伝えします」

「よろしくお願いいたします」


本音を言ったら、叩かれる前に止めて欲しかったけどね! それは言わないのが、淑女の嗜み。

あー、痛い。けど、我慢。淑女はつらいよ。






男子部と女子部の活動領域の大半がきっちり分けられているから実感はないけど、殿下は一週間の謹慎、お取り巻きボーイズは3日間の謹慎になったと掲示板に張り出された。


私は顔の腫れがあるうちは、大きなガーゼでそれを隠しながら生活をしていた。見事な腫れっぷりに、直視した同室の後輩がぶっ倒れだからだ。


校長先生の話のとおり、グロリアは教室から姿を消した。

ガーゼで顔を隠している私に、周囲は概ね同情的だった。特に事件の現場にいなかった友人たちは、第一王子の愚行に対して火山の噴火のごとく怒り、私にかいがいしく尽くしてくれた。


殿下のお母様の王妃様からは、大量の見舞いの花をいただいた。部屋には飾りきれなかったので、宿舎の皆に配って歩いた。それでも残った分は食堂に飾ってもらった。


国王陛下からは、丁寧な直筆の謝罪文をいただいた。内容は「息子が全面的に悪い。申し訳ない」だけだったけど、美しい文字と美しい言葉で便箋一枚に、短すぎず、長すぎず、ほどよく書き記す文章力は、さすが国王となられたお方だけある。これはこれでレア物ゲット。


問題の第一王子ご本人からは、こちらも美しい文字と美しい言葉の謝罪文をいただいた。

真っ赤な偽物だけどね。

おおかた、お取り巻きの誰かに書かせたのでしょう。


「我が麗しの姫君。君のその春の柔らかな日差しのような、優しく穏やかな笑顔を…」


馬鹿でアホの第一王子にこんな文章力はないし字が芸術的に汚いから。

こういうところだぞ、殿下。






またまたまたまた、別の日。

私は不機嫌だった。


父に婚約解消したいと手紙を書いたが、「我慢しろ」という返事が届いたからだ。

簡単に『我慢』なんて言ってくれちゃうけど、今我慢したら、一生我慢させられる。それが父には解らない。そのくせ決定権は父にある。やってられないわ。


放課後、私は毎日勉強会に出席する。

将来必要な世界共通語を勉強しながら、世界各国の地理や歴史や文化を学ぶ。


勉強会は、将来官僚を目指す生徒たちが、自主的に図書館の談話室に集まっている、歴史ある有志の集まりだ。

お陰で私は、だいぶ知恵も言語力も身に付いたと思う。


第一王子はもちろんいない。

あの人は勉強が嫌いだし、努力も嫌い。世界共通語どころか、自国の言葉も危ういし、世界各国の地理や歴史や文化以前に、自国の地域ごと風土の多様性さえ知らない。


私は努力せず、遊んでばかりで薄っぺらい、中身のない男のために、そんな奴を将来完全カバーするために、必要以上に頑張っている。

いい加減、馬鹿馬鹿しくなってきた。


馬鹿なのはいい。いや、よくはないけど、勉強していないのだから、賢いはずがない。それは納得できる。

問題は、そこからどう立ち上がるか、だ。国王陛下の嫡子なのだから、将来はこの国を背負う立場になりうるという自覚がないのが、駄目なのだ。


勉強会も、そう。

ここに集まる生徒は、優れた頭脳を持つ逸材ばかりだ。代々、この会の出身者は、トップ官僚までのしあがっている。


その彼らが、学内という今ひとときの自由の中、身分や性差にとらわれない対等な関係で、自己研鑽に励む同志となる意味――ここで今から彼らと信頼関係を築くことが、どれ程重要か、本来なら解っていなければならないのだ。

なのに、あの馬鹿。


私は休憩時間に、勉強仲間と外を眺めていた。

図書館の窓から、ビオトープや野鳥の餌台が見える。ちょうど鳥が餌をついばんでいるのを、微笑ましく眺めていた時だった。


目の前を親しげに腕を組んで歩く、第一王子とグロリアが通りすぎていった。

その先は裏庭で、果樹園になっている。今は実りの季節じゃないけど。何をしに行くのかな。


私と一緒に外を眺めていた生徒たちは、「ぽかーん」とか、「は?」とか、「信じられない!」とか、様々な驚きの表情のまま、時が止まっている。

そうねぇ。それが普通の反応なのよねぇ。私が慣れすぎちゃったのよねぇ。


皆は哀れみの目で私を見る。

「大丈夫ですか? 今日は無理をなさらなくても……」と、声をかけてくれたのは、殿下と同室の後輩、エト君。優しいなぁ。お姉さん、頭を撫でて、イイコイイコしたい!


「はい、問題ありません。頭も適度に冷えたようですし、勉強を再開しましょうか」


にこやかに伝えたけど、カラ元気で無理しているように見えるんだろうな。皆一様に、葬式みたいな顔をしている。

私は全然平気。

だって、所詮は政略結婚。私には塩粒ほどの恋心もない。

浮気でも、横恋慕でも、ご自由にど・う・ぞ。


ただ、相手が彼女ってのは、問題なんだけど……。







またまたまたまたまた、別の日

学年末の夜会の日だった。


貴族の教育のためのこの学校は、義務じゃない。だから、将来のために二年しっかり勉強する生徒もいれば、結婚準備のために一年で卒業してしまう生徒もいる。

学年末の夜会は、卒業生だけでなく、一年で学校を去る生徒への餞でもある。


今日の夜会は特別で、各生徒が自分をエスコートする人を指名できる。おまけに異性であれば、グループでもいい。


それは学校の教職員も含まれるので、人気のある教職員は毎年大勢の生徒を引き連れて参加し、そうではない人は……なんて、ちょっと残酷な一面を持つイベントでもある。

ちなみに、毎年一番人気になるのは、カフェテリアの料理長。解る気もする。


生徒の大半は、テニスの授業で仲よくなったパートナーと参加する。

が、やはり単なるテニスのパートナー以上の関係になれない人たちも必ずいて、グループでの参加が認められているのは、その人たちへの救済なんだろう。

ま、私もその一人なんだけど。


私は一年間お世話になったエト君に声をかけた。

と、言えば聞こえはいいが、実際は第一王子からの連絡を待てども何の音沙汰もなく、困っていたところに、「殿下はベイカー嬢をエスコートするらしい」と、わざわざ教えてくれたお礼だ。


と、言えばさらに聞こえがいいが、実際あらかたパートナーが決まっている段階だったので、無理にエト君に頼んだのだ。悲しい。


だって? 私、第一王子の婚約者だし? そのせいでほとんど男子との交流なんてなかったし?

他に、誰もいなかったんだよおおお!!


で。

婚約関係にある第一王子と私がそれぞれ別のパートナーと出席する、という絶句ポイントはあっものの、夜会は今年も、料理長の一団がにぎやかに登場して、幕を開けた。


生徒のドレスコードは、授業で使用している白のイブニングドレスと、テイルコートと決められている。

ホール一面に純白花々が優雅に舞うその様子は、デビュタントを思わせた。


「さあ、お手をどうぞ」


エト君のエスコートで私達もホールの中央に進み、花の1つになる。

エト君とのダンスは心地いい。

普段、ド下手で臭い第一王子としか踊らなかったからか、パートナーに身を任せることが、こんなに心地よいものだとは知らなかった。


「エト君、上手ね。私、生まれて初めて、ダンスが楽しいって感じてる」

「生まれて初めてとは、随分と大仰ですね」

「だって、私のパートナーはあの人よ? ダンスを楽しむレベルじゃなかったもの」

「それについては、コメントを控えさせていただきます……」


私とエト君は、見つめあって笑った。


授業でみっちり仕込まれたダンスを楽しみ、適度に歓談し、場が和んだ頃だった。


「皆、聞いてくれ! 私はここに公爵令嬢を告発する!」


馬鹿王子だ。

馬鹿王子がおっぱじめた!

私は事前にエト君から「何か企んでいるようだ」と情報を得ていたので、第一王子から付かず離れずの場所にいた。

注目を浴びて人垣になっている、その中心へと急ぐ。


夜会といっても、所詮は学内の行事。

ドレスも着なれているもの、と侮っていたのが悪かった。

ほんのちょっとの距離なのに、人が邪魔して思うように前に進めない。


「シルビア・ハミルトン公爵令嬢は、とある可憐な少女のことを、身分の違いで迫害するような女だ!! よって私は婚約を破棄し……」

「わーっっっ!!!! それ以上は言っちゃダメ!!!!」


私は第一王子の前に躍り出ると、言葉を遮るために口を手で塞ごうとした。なのに! この馬鹿、おもいっきり払いのけやがった。

腕を力一杯ふり払われ、私は転倒する。


ゆっくりとゆっくりと、スローモーションのように感じるその瞬間に、悦に入った表情の第一王子が、ピンクのドレスを纏ったグロリアを抱き寄せた。ふわりと薫る薔薇の香りの中で、グロリアが嗤った。エト君が私を抱き起こし、その肩越しでグロリアが嗤った。


「ベイカー男爵令嬢を、将来の王妃として迎え入れる!!」






沈黙。






「え、私ですか?」


沈黙を破ったのは、壁際でパートナーと談笑していた、()()()()()()()()だった。


野次馬がぱっかりと2つに割れ、第一王子からベイカー男爵令嬢までの花道を作った。


「私と殿下が? 何かの間違いではありませんか?」


私はエト君に支えられながら、頭を抱えた。もうおしまいだ。

私のそんな気持ちなど知るよしもないナタリア・ベイカー男爵令嬢は、パートナーに付き添われてこちらにやってきた。


「大丈夫ですか? シルビア様」

「ありがとう、ナタリア」


ナタリアのパートナーとエト君に支えられて、私は立ち上がった。


「な、なんだ、お前たちは!」

「なんだと仰られましても……呼ばれたので参りました」

「有志の勉強会の仲間とでも申しましょうか、ねぇ? ところで殿下、先ほど『ベイカー男爵令嬢を将来の王妃に』などと仰っておいででしたか、彼女がその、ベイカー男爵令嬢ですよ」


ナタリアは丁寧にお辞儀をした。

()()()()()()()()()()()()ナタリア・ベイカーでございます。父はダグラス・ベイカー男爵、母のマリ・ベイカーは隣国ドナの出身で、実家はセン男爵家でございます」

「馬鹿な! だったら、このグロリアは……」

「さあ? 私には兄と弟はおりますが、庶子も含めて、姉や妹は一人もおりません」

「彼女は、この学校のカフェテリアの、料理長の娘です」


ついでに私が捕捉した。

第一王子は目を丸くしてグロリアを見た。


「私、自分が男爵令嬢だなんて言ってないもの」


はい、出た――――――!!!!

うん、うん。そうだろう、そうだろう。

あくまでも『殿下が勝手に勘違いした』って立ち位置なんだよね。

でもさ、私は見たよ。

カフェテリアで「あーん」していた時、注意した私に殿下が「ベイカー男爵令嬢」と言っていたのを、グロリア、あなたは否定しなかった。

それって、つまり――


「あなたは殿下の勘違いを、自分に都合よく利用しただけだものね」


私の言葉に、グロリアが表情を固くする。


「悪気がない、なんて言わせないわ。私はちゃんと『身分をわきまえた行動を』しろと忠告したし、訂正をしようと思えば、いくらでもできたはずだもの。あなたは敢えて訂正をしなかったの。平民では殿下がちやほやしてくれないと、知っていたから」

「平民、だと?」


第一王子は、目玉を床に落としそうなほど大きく目を見開き、グロリアを抱く腕を解くと、ジリジリと後ずさりした。


「本当なのか、グロリア」

「え~、だから~、私、貴族だなんて」

「こんの、大馬鹿者ぉ――――ッ!!!」


まだグチグチと言い訳をしようとしたグロリアだったけど。

ナタリアが切り開いたのとは別の方向から人垣が割れ、ドドドド、と地響きを鳴らしながら飛び出した真っ赤な何かが、一瞬でグロリアを吹っ飛ばした。


吹っ飛んだ先の生徒に受け止められたグロリアの前に、固く拳を握って仁王立ちする、真っ赤なドレスのマッチョウーマン。え、あの拳で殴られたの!? ひょぇぇ……。


「料理長!?」


誰かが叫んだ。


「皆様、このような晴れの場で、うちの馬鹿娘が大変なことをしでかしたようです。誠に申し訳ございません。私への配慮は不要でございます。どうぞ、この馬鹿娘の処分はご存分に」

「マ、ママ!?」


料理長は震えていた。

目をカッ見開き、グロリアを睨みながら。言葉とは裏腹な、娘の行く末を恐れる母親の思いがみえた。


「なんて馬鹿なことをしたの。貴族相手に平民が身分を偽ることも、婚約者のある方に横恋慕するのも、決して許されない。まして、相手は王族と公爵家のご令嬢だなんて」


そんなに()()()()()?――と問われ、グロリアは初めて事の重大さを知ったように、膝から崩れ落ちた。


「そんな、だって……ちょっとお裾分けさせてもらっただけじゃない。なに? それだけで、私、死ぬの?」


グロリアが、はらはらと涙をこぼす。


「き、貴様ッ! 本当に平民だったんだな!! 下賤の身でよくも、高貴な私に触れたな!? 死刑だ!! 今すぐ首をくくれ!!」


第一王子が唾を飛ばし、グロリアを指差しながら怒鳴りちらす。

そうだわ、こいつはこういう奴だった。ほんと、最低のクソ野郎だわ。


「被害者ぶってんじゃないわよ……」


殴りたい。このクソ野郎のことを、料理長がやったように、ふっ飛ぶほどの力で殴れたら、どれだけいいだろう。

私は自分のへなちょこな拳の代わりに、言葉の剣を奮う。


「大方、グロリアに優しくされてのぼせ上がったところに、『シルビア様が一緒にご飯を食べてくれないんですぅ』とか、『授業を受けさせてくれないんですぅ』とか言われて、いいとこ見せようと思ったんでしょ。そんなの、ちょっと調べれば真実が解ることなのに。仮に本当にグロリアが男爵家の令嬢だとしても、よ? 男爵家では家格が釣り合わないから、王族とは結婚できない。まして、国王が決めた婚約を、無断で破棄を宣言するなど、陛下のお言葉を無視するのと同等。あなたの行動は、貴族社会と陛下を軽んじているのよ。知っていたけど、大馬鹿者ね。まだ立太子されてもいないのに、自ら後ろ楯になってくれる高位貴族に剣を向けるようなことをするなんて」


今度は、第一王子が膝から床に崩れ落ちた。


「まさか、王家で一番先に生まれた王子だからって、問答無用で国王になれるとでも?」


まさか。

国王とは、国の絶対権力者だ。

かの御方が黒と言えば白でも黒になり、「できる」と言えば下々に「できない」は許されず、命をとしてでも「できなければならない」。


そのような立場に、ただその家に生まれたというだけの馬鹿が、立てるわけがない。

貴族だって、いざという時に命をかけるなら、愚王ではなく、賢王に捧げたい。貴族社会を軽んじるような王子を、わざわざ国王に推さない。どれも当然の感情だ。


今さら気づいても、もう遅い。

第一王子とグロリアは、校長の指示で警備員に拘束され、夜会を去っていった。


去り際、通りすぎる第一王子から、薔薇の香りがした。

そのコロン、お前かよッ! 素敵な香りで誤魔化さずに風呂に入れ!!!!






またまたまたまたまたまた、別の日。

私は父と王宮のサロンに呼ばれた。


かいつまんで説明すると、私と第一王子の婚約は王子の有責で解消された。

王命を無視したことも、貴族の序列を無視した行いや発言も許されなかった。

彼の今後は未定だが、今回の件で王位継承レースから脱落したのは明白だ。現在離宮で謹慎中とのことだけど、おそらくそれが生涯解けることはないだろう。


それから。

どうでもいい情報だけど、あの夜会の日。珍しく第一王子は長い時間をかけて入浴し、丁寧に体を磨いていたらしい。どんなに私がお願いしても、面倒がって何週間も入浴しなかったのに。

つまりね、あの場で婚約破棄したら、めでたくムフフな行為をなさろうとしたんじゃないか、と。

国王陛下はガックリと肩を落とされた。うっすらと目元に涙が光っているようにも見える。

まー、同情はしますよ。大事に育てた息子がアレじゃあね。


そして、手渡された、一冊の本。


「『きゅるるん♥ 聖なる乙女は王太子を狙います 悪役令嬢よ覚悟しろ!!』……なんでしょうか、この本は」


何度も読み返したようで、ページを開いた癖がついている。かわいらしい少女や美少年が描かれた表紙。

裏を見れば――


『聖女の力に目覚めたエリカは、特例で王立貴族学園に入学する。平民であるエリカにも分け隔てなく接してくれる優しい王太子に、淡い恋心を抱くも、王太子には公爵令嬢の婚約者がいて――』


なに、これ?


「それは件のグロリアという少女の持ち物です。彼女はそれを繰り返し読むうちに、王太子の婚約者に虐げられている主人公と自分を重ね、同じように王太子妃になる権利があると、思い込んだようです」


たった数日で、以前の溌剌とした美貌を見る陰もなく失った王妃様が、弱々しく説明してくれた。


実際には私はグロリアを苛めていないし、むしろ彼女が道を外さないように気にかけていた。


カフェテリアを使わせなかったのは、許可されていない者が毒殺の可能性のある場に出入りはできず、違反は厳しく罰せられるから。

部屋交換は、私が使用人部屋で寝るなんて、警備上あり得ない。

平民のグロリアが第一王子に「あーん」したあれ、あれもグロリアがムチ打ち100回されてもおかしくない行為だ。

私の行動には全て理由があった。


それに、第一王子はまだ王太子ではないし、グロリアは教職員の子女への、平民であっても学校の授業を無料で受講できるという特例措置を受け、むしろ学費に苦労する下位の貴族よりも、優遇されていた。

その代わり、学校の雑務を命じられていたけどね。


「この本のどこにグロリアが同調する部分があったのでしょう。ざっと見た限り、平民であることくらいしか、共通点がありせんが」

「人間、理解しがたい者を、理解しようとしても無駄です」

「……そうかもしれませんね」

「その本は発行禁止にしました。精神的に不安定な年頃の少女たちに、悪影響を与えるからです。我が国では言論の自由を最大限に認めていましたが、今後は青少年に誤った概念を植え付けかねない書を、厳重に管理していきます」


そうか。作者もとばっちりだな。

私はこの作者のことは知らないが、この先、出版業界で肩身の狭い思いをするのは間違いない。


「その後、グロリアの処罰はいかがなさったのでしょうか」


騒動の後、私はすぐに王妃様に弁明の書を送った。

第一王子とグロリアの行動は若さゆえの誤りであり、今後いくらでも更正の可能性がある。ぜひ寛大なお裁きを、と。


「あの娘には絞首刑か、生涯最果ての修道院での奉仕に身を捧げるか、どちらかを選ぶように伝え、自ら修道院を選びました」

「そうですか」


おそらく、グロリアは詳細を知らされずに、修道院を選んだのだろう。絞首刑に匹敵する修道院での暮らしがどんなものか。


最果ての修道院――今なお小競り合いの続く国境にもっとも近く、その役割は傷ついた兵士を癒す場――実際には、兵士や下位貴族専用の娼館だ。休みなく男たちに体を提供し、挙げ句、病んだり需要がなくなれば荒野に放りだされるという。もっとも神の救済とは縁遠い場所だ。


後味が悪すぎる。

鉛を飲み込んだように胸が重苦しい。


母親である料理長の処分は解雇だが、すでに別の王立貴族学校に再就職が決まっているそうだ。

彼女の優れた料理の腕が、これからも別の場所で存分に奮われることに安堵した。


「して、話は変わるが公爵。そなたの娘には、新たに第二王子のイノアと、婚約を結んで欲しいのだが」


10才は老け込んでしまったであろう国王陛下が、父に声をかけた。


「それはまた、急な話でございますな。それだけこのじゃじゃ馬を買っていただいていると、そういうことでしょうか。しかし、じゃじゃ馬とて、か弱き娘。今しばらくは喧騒を離れて静養させようかと存じます」


そうだ。お父様、いけいけーっ!! しばらくは婚約だの何だのは、ご遠慮したいわ!


「まあ、そう言わず。聞くところによると、シルビア嬢とイノアは、すでに勉強会で仲よくしていると聞いておる。そうであろう?」

「……イノア様ですか?」


はて。記憶にはない。

第二王子は私や第一王子より1つ年下のはず。

1つ年下の男子で仲よく、と言えば、エト君だ。でも、名前が違うから、彼ではない。

それに、第二王子は確か、暗殺を恐れて長らく同盟国に留学しているはずだ。


「いや、イノアは都合により、実名ではなく、仮名を用いて通学していた。まぁいい。控えの間に呼んである。実際に顔を会わせれば解るだろう」


そう言うと、陛下はそばに控えていた騎士に、第二王子を呼びに行かせた。

なぜ騎士が、と疑問に思っていたら、陛下自ら教えてくれた。


その昔、第二王子の優秀さに危機感を持った第一王子派の貴族が、第二王子の排除に乗り出した。

暗殺は失敗したが、同じ王妃から生まれた王子二人が、幼いころから王位継承の争いに巻き込まれたことに心を痛めた両陛下は、泣く泣く第二王子を同盟国に移住させた。

と、いう体で、とある貴族に預けたそうだ。

だから今でも、第二王子の身辺には騎士が控えるのだそうだ。


うーん。確かに、名を変え、髪をそめ、さらに社交もせずに秘蔵っことして大事に育てていれば、成長した姿を突然見せられても、第二王子とは気づかないかもしれない。

私も第二王子には会ったことはあるけど、遥か遠い記憶すぎて、全然思い出せない。


ただ、私が勉強会で仲よくしていた男子とい

えば、エト君だ。これは間違いない。

と、いうことは、第二王子の正体は彼か。

だとしたら、いいな。


この一年間、第一王子がグロリアと心を通わせていたように、私もエト君と心を通わせていた。


私は第一王子の婚約者で、エト君は一介の生徒でしかないから、それは本当に慎ましく、互いの理解者としての領域を出ることはなかったが。でも、確かに私たちは。互いに思い、思われていた――……。


ああ、どうしよう。胸が高鳴る。


「陛下、イノア様がお見えです」

「通せ」

「ごきげんよう、シルビア嬢。勉強会以来ですね」


騎士に連れられて現れたのは、細マッチョの美少年。


――だ、誰ですかーッ!? こんな人、知りませーん!!


「ごめんなさい。あなたが誰か、解りません。ごめんなさい。結婚は無理です!! ごめんなさい!! 仲いいとか、怖いです!! ごめんなさい!!」


――そう捲し立て、私は逃げた。






そして現在。

私は教師になるために、大学に通っている。


第二王子との婚約は成立しなかった。

事前に第二王子から聞いていた話と、実際に見た私の反応にあまりにも大きな乖離があり、別の問題に発展しかねないと危惧されたからだ。


父は私を好きにさせてくれた。

元々、あらかた政略結婚を仕込み終えた後に生まれた、末っ子だ。一人くらい貴族の令嬢らしからぬ生き方をしたところで、痛くも痒くもない。


勉強は楽しい。

勉強は平等だ。


難問を解き終えた時は、手探りでさ迷っていた深い霧がパッと晴れ、1本のまっすぐな道が現れたかのような爽快感がある。

頑張ってつみ重ねた知識や能力は、絶対自分にかえってくる。

何より、学問の世界で、私が公爵令嬢であることが忖度されることはない。それがいい。


社交界では私のことを、結婚できずに頭の中身を磨くことに逃げた令嬢、と笑う者もいるとか。

どうでもいいけど。


私は大学の門に向かった。

今日は来年度の入学者のための祝賀会が行われる。

門の前には貴族の物と一目瞭然の豪奢な馬車と、平民が乗っていると思われる簡素な馬車がごったがえしていた。

門前で揉めているのは、貴族の子女だ。

大学の門をくぐれば身分など関係ない。自分の世話は自分でし、自分の足で砂利道を゙歩き、自分の力で学ぶ。それが大学。


大学内に学生の馬車は入れない。門から学舎までのアプローチが砂利道なのも、学門の世界では誰もが平等であることを示しているそうだ。

普段、玄関を゙出れば馬車が用意されている貴族にとって、この砂利道が大学生活の第一歩で、最初の洗礼なのかもしれない。


礼服に身を包んだ入学生と出迎える学生によって、あっという間に人垣ができた。

どうにかして前に入り込もうとする私の腕を、誰かが力強く引き寄せた。


「エト君!」


それは、エト君だった。

かつて私より少し低かった彼の身長は、私より頭1つ分も高くなり、私をすっぽりと腕の中に閉じ込めてしまえるほど、立派な体躯をした青年に大変身していた。


私とエトくんは、私が大学に進学してからもずっと手紙のやり取りをしていた。だからお互いの近況は知っている。大学の入学試験に優秀な成績で突破したことも。今日の祝賀会のことも。

私はエト君の胸ポケットに、赤いバラを挿した。

これは大学の伝統だ。在校生が新入生に祝福の赤いバラを渡す。誰が誰に渡してもいいのだけど、私以外のバラを受け取って欲しくはなかった。

エトくんは胸ポケットに手を当てて、嬉しそうに微笑んだ。


「入学おめでとう」

「ありがとうございます、シルビア様。これでまた、一緒に勉強ができますね」


ここにきて、まだ勉強か。少し可笑しいけど、それが私とエト君なのだ。


「でも勉強だけじゃないよ。エト君としたいこと、行きたいところがいっぱいあるの」

「はい。それ、全部やって、全部行きましょう」

「うん」

「あと、僕は風呂嫌いではありませんから、ご安心ください」

「うん。それは前から知ってるよ」

「それから、シルビア様。大好きです」

「うん。私も大好き、エト君」


第1王子との婚約破棄騒動の後、私は自分の心に正直になるべくエト君に猛アタックし、晴れて恋人同士になった。

だがエト君は男子部の特例学生で、お父様は難関の教員採用試験をトップで突破した、生粋の平民だ。

一度婚約に失敗した出来損ないとはいえ、さすがの父も、公爵家の娘と平民との交際には難色をしめし、条件をだした。


まずは公爵家の令嬢を嫁がせるにふさわしい後ろ楯をもつこと。

大学に進学し、ゆくゆくは官僚となり、公爵家の令嬢を養うにふさわしい社会的地位と財力を持つこと。

それまでは仮の交際期間であり、手以外の素肌には触れないこと。


大学入学は、その第一歩。


追いついてくれてありがとう――そう伝えて、私はエト君を強く抱きしめた。






ざまぁの定番って修道院かなぁと思ったので、書いてみました。


2023.03.12.

日間ランキング異世界(恋愛)ジャンルで51位になりました。ありがとうございます!

私にはすぎた数字です。

とりあえず、夕食の魚を焼きながら飛び上がって、喜びました。

思いの外高く飛べず、魚は焦げました。


2023.03.13.

日間ランキング異世界(恋愛)ジャンルで15位になりました!

今日はどんなハプニングが!? と身構えていたら、おやつの桜餅を入れ物ごとひっくり返しました。

一瞬、乙女のような声を上げました。


2023.05.01.

一部加筆しました。

第一王子の体臭について、単に風呂嫌いで体質ではないことを加えました。


アルファポリスさんにも掲載はじめました。

<a href="https://www.alphapolis.co.jp/cont_access2.php?citi_cont_id=122924112" target="_blank"><img src="https://www.alphapolis.co.jp/cont_access.php?citi_cont_id=122924112&size=200" width="200" height="40" alt=""/></a>

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