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昔からある喫茶店で

 そこは私が小さいころからあった喫茶店で、年配の方しか来ないような古い古い喫茶店。よくある街の風景の1ピース。


 駅からの帰り、その喫茶店の入口横に貼ってあった紙に「バイト募集」の文字を見つけた。普段は目もくれずに通り過ぎるだけだが、その日はその文字が目に入った。生活が何か変わるかもしれないと思えた。家では両親がずっと言い争いをしているので家に居たくない、逃げたいという理由もあった。


 電話した。

 指定の時間にお店に行った。


 面接では、いつから来れるか、何時から何時まで働けるかとか、時給の説明があった。話を聞きながら「この喫茶店は前を通ったことがあるけども一度も中には入った事は無かったんだなあ」と思い、店内を見渡していた。白熱電球の照明ばかりで、レトロな雰囲気だった。


 最初は、お客さんが注文する内容が本当にメニューにあるのかとか値段がいくらかとか分からない事だらけだった。それどこに書いてありますかと逆に聞くこともあった。年配の方しか来ないような喫茶店なので暇だろうと思っていたが、軽く裏切られた。ランチタイムは体育会系の部活さながらで息つく暇も無いくらいだった。しかしピークを過ぎた頃は平和で、余裕も生まれて好きな時間となった。


 常連のあの人は、いつもランチタイムが終わってお客さんが殆ど居なくなった頃に来て同じ席に座る。注文を取るだけなのに、その物腰の柔らかさが疲れを癒してくれた。重ねた年齢の功なのかヒーラーみたいな人だった。


 今日もその人はそこに座った。私がこの人と同じ年代で、この人が旦那様だったなら、両親みたいな言い争いの無い優しくて幸せな時間を過ごせるのだろうかと考えながら、注文の品をその人のテーブルに置いた。厨房に戻るために振り向こうとした時、その人は一口分のコーヒーを飲んでカップをソーサーに置いて私に言った。


 いいですね、そうしますか。


 えっと思ったその時、店内が歪んだ。目眩だこれ。


 気がついたら車の中だった。寝ていたようだ。横を見ると運転しているのはあの人なのだけど、ずっとずっと若くなっていた。


「目が覚めた?緊張するかと思ったけど、リラックスしているようで何よりだよ」


 そうだった。彼のご両親にご挨拶に行くのだった… あれ、確か私、バイトしてたんじゃなかったか?


 車は田舎道を通り、川にかかる橋を何本も渡り、1軒の大きな農家の前で止まった。その家から年配の女性が出てきて迎えてくれた。


「和志、その子がお嫁さんになる子か?」


 頭が追いついていない


「はじめまして、和志さんとお付き合いさせていただいています」


 まるで今喋っている別の私の中に客観的に見ている本当の私がいて、ストーリーが勝手に進んでいく感覚だ。そのストーリーでは喫茶店の常連さんが若返り、私と結婚する事になっていた。いや、若返っているのではない。私が過去に行っているようだ。


 家の中には和志さんのお父様がニコニコしながら座っていた。この辺りの大地主らしいが、気さくで優しくて声が大きくてよく喋る人だった。お母様はとにかくよく動いて休む暇ないんじゃ無いかというくらいだった。何度もお手伝いしますと言ったが、今日はいいから座っててとか、結婚した後からはお願いねとか言われた。


「ホットサンドを作ってくれた事があってね、玉子とベーコン、チーズも入っていてね、それが一生食べていたいくらい美味しかったからなんだ」


 和志さんはご両親に、結婚を決めた理由をそう話していた。子どもみたいでかわいいと思った。本当の私はそれを作った覚えがないのだが。


 料理が美味しくて沢山食べてしまった。お腹いっぱいになったからなのか、また寝てしまっていた。しかし目が覚めるとそこはベッドの上で、和志さんがベッドの傍から私の手を握って泣いていた。病室のようだった。


「二人とも頑張ったね。頑張ったけどね、僕らの子は…先に行って待っているって。会えるの、遅くなるけどねって」


 ああそうか、そうだったか。会えるのは先になるのか。それから、和志さんと暫く泣いた。


 また目が覚めるとまだ病室で、和志さんはあれから私の手をずっと握っていた。いや、違う。和志さんは随分老けて見えた。優しい顔を向けてくれていたが、寂しげでもあった。握ってくれている私の手は細くてやつれていて皺々だった。


「大丈夫、大丈夫、大丈夫だから。きっとまた元気になるから」


 和志さんは微笑んでいるが、目からは涙が溢れていた。優しい人なんだなと感じた。そしてそれからまた眠ってしまった。


 :

 :

 :


「ちょっと、ちょっと、ぼーっとしてるけど大丈夫? ホールにお客さんいなくなったから軽く掃除しておいて」


 意識が喫茶店に戻っていた。夢だったのか?


「あの、いつもここの席に座る年配の常連さん、いつ帰られました?」


 店長に聞いてみた。


「年配の常連さん?そこにいつも座る常連さんって誰だろう。最近だといない様な。ところで顔色すぐれないようだけど疲れてる?まかない用意するから休憩しなよ」


 玉子とベーコン、チーズのホットサンドとコーヒーが出てきた。


「あなたったら、いつもこれだもんね。気に入ってくれて嬉しいけどね」


 今まで頼んだ記憶が無い。


「私いつも頼んでましたっけ?」


 バイトに来た時から、まかないとしてずっとこれを頼んでいたようで、決まっていつもそこの席に座って黙々と食べていたらしい。


 「そういえば随分と昔になるけど…」と店長が常連の老人の話をしてくれた。亡くされた奥さんの作るホットサンドがこの喫茶店のものとよく似ていたから、いつも注文されていたそうだ。穏やかな感じの人で当時のパートさん達には人気があった。しかしある時からぱったりと来なくなり、パートさん達と「どうしちゃったかねー」なんて話していたそうだ。


「そういえばちょうどあなたのまかないと同じ注文だったっけ。あっそうそう、席もそこだよ」


カレーライスを注文すると、折った紙ナプキンを巻き付けたスプーンも出てきます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 決して派手じゃないが、優しく、ノスタルジックな、きれいな話だと思います。心を打たれました。
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