楔(くさび)
曲から物語を綴るのは初めてなので、温かい目で読んでくださると幸いです。
楔
「ボクちょっと出かけてくる、行ってくるねー」
それが……ボク――お嬢様の、最後の言葉だ。
そう言って数時間、いつもこっそり帰ってくる時間になっても、お嬢様は帰ってこなかった。
夕食の時間になっても、帰ってこない。不審に思った俺は、屋敷を抜け出しお嬢様を探した。
探して、探して……そして……見つけた。見つけてしまった……既に息がない、穏やかに眠るお嬢様を。
お嬢様は横断歩道の真ん中で、穏やかな表情をして、スヤスヤと眠るように、そこにいた。近くには警察と男性がいて、男性は警察と会話をしている。男性はかなり焦っているように見える。
状況的に交通事故……の様だ。遠くから聞こえてくる男性と警察の会話から、男性の居眠り運転が原因で起こった事故だと分かった。その瞬間、俺は男性に怒りを覚える。怒りを覚えて……そして、消えていく。
俺は既に息のないお嬢様に近づき、その身体に触れる。警察の静止の言葉が遠くから聞こえてくるが、構わず俺はお嬢様の側にいた。
俺の目から雫が零れ落ちる。零れ落ちた雫は、お嬢様の服を濡らした。
……涙だ。俺は今、泣いているのだ。大好きな主が、お嬢様が目の前にいるのに、もう会話も出来なくて……。
俺は、静かに泣き続けた。涙が枯れるまで、泣き続けた。泣き続けて……突如、肩にポンッと、手が置かれた。
「……辛いわよね、留魔」
そして背後から聞こえてくる、聞き慣れた声。すごく寂しげで、悲しい声色。
……従者仲間の、十六夜咲夜の声だ。恐らく、警察から屋敷に連絡が入ったんだろう。
「……ああ。目の前にいるのに、もう……話すら、出来ねぇ……」
「そう……ね。大好きだったものね、貴方」
咲夜のその言葉を紡いだ声は、どこか虚無感が漂っていて。
お前も俺と同じく、大好きだったくせに……と、思わず思ってしまった。
咲夜は、静かに言った。
「……今日は、帰りましょう……留魔」
「……ああ」
俺は短くそう返事をして、お嬢様の前に跪き……小さく、言った。
「俺は……ずっと、これから先もお嬢様の従者だ。もう、声も聞けないが……」
無意識に、拳を固める。
「大好きだったぜ、お嬢様。今も大好きだ、女性として……な」
「……留魔……」
ポツリと、咲夜が俺の名前を呼ぶ。
……もう、俺は行かなきゃいけねぇみたいだ、お嬢様。
俺は立ち上がって咲夜の方へと歩いてゆき、一緒に歩き出す。穏やかに眠っているお嬢様から、少しずつ遠くなっていく。
もう二度と、お嬢様の声を聞く事は出来ない。その名前を呼ぶ事も……もう、無い。それでも――
――大好きだ、お嬢様!
「……満足、したかしら?」
隣から、咲夜が質問を投げかけてきた。
「……ああ。気持ちの整理は、ついた」
「そう……」
質問に対する俺の答えに、咲夜はどこか安心している様に見えた。けど、その声色は寂しげで。それ以上、会話が続く事はなかった。
俺らは黙々と歩き続ける。そして、一台の車の前で止まり、乗り込む。
屋敷からの、迎えの車だ。
俺らは車に乗っても、会話をする事はなかった。俺は、流れゆく景色を、ただただボーッと眺めていた……。
そして、屋敷に着いた。
俺は、夕食は要らないと断った。自分の部屋に向かい、ベッドに横になり、目を閉じる。視界が闇に染まる。闇の中に、お嬢様と過ごした楽しい記憶が映る。そして……
「ボクも大好きだよ、ルー君」
お嬢様が映り、そう言って、微笑んだ気がするのだ……そんなわけ、ないのに。もう……話せるはずが、ないのだから……
「何言ってるの?」
そう考えていると、そんな声が……聞こえてきた。もう聞けないはずの、愛しい人の声。何故……?
その疑問は、言葉に出ていたらしい。お嬢様がは優しい笑顔で……
「大好きだから出来た……じゃ、ダメなのかな?」
そう、言った。
ダメじゃない。確かに説明には、なっていないかもしれない。それでも……
「ダメなわけ、ないだろ?お嬢様」
俺はそう言って、跪く。
もしかしたらこれは、幻想なのかもしれない。俺の妄想なのかもしれない。あるいは、ただの夢なのかもしれない。例え、そうであったとしても……
「また声が聞けて、嬉しいぜ……お嬢様」
……嬉しかった。ただただ、嬉しかった。
「たまには、名前で呼んでよ、ルー君」
無邪気な笑顔で、お嬢様はそう言った。
「分かったよ……夢呂」
「ふふっ……名前で呼ぶ時は呼び捨てって約束、覚えててくれたんだ」
無邪気に、とても嬉しそうに、お嬢様はそう言って微笑んだ。
それから、沢山お嬢様と話をした。
もう会話出来るはずがない人と、会話が出来ている。その事に対する疑問なんか、今はもう俺にとってはどうでも良くなっていた。
俺とお嬢様は沢山会話をして……そして、少し寂しげに、お嬢様は言った。
「……もうそろそろ、時間みたい。また会おうね、ルー君」
そう言って、お嬢様はスッと消えてしまった。
俺の視界は再び、闇に染まり……
「……なさい!……起き……さい!……起きなさい!留魔」
聞き慣れた声が聞こえてきて、俺は目が覚める。
目が覚めた場所は俺のベッドではなく……病院だった。
隣を見れば、心配そうな顔をした十六夜咲夜がいた。
咲夜は俺が起きた事を確認すると、衝撃の事実を口にした。
「……ようやく起きたわね。全く……貴方、一週間も寝ていたのよ?」
心配と呆れが入り混じった様な声色で、咲夜はそう言った。続けて……
「貴方、この一週間、生命活動維持に必要な行動を全て拒否していたのよ?それなのに、何故か貴方は生きている。何でなのかは、お医者様すら分からないらしいわ……」
理解できない……と言った感じで、咲夜はそう言った。
「不思議な……夢を見ていた」
俺は、ポツリポツリと言葉を紡ぐ。
「夢?」
「……ああ。お嬢様と会ったんだよ、夢の中でな」
俺の言葉に、咲夜は目を丸くして驚き……
「夢呂……様と、会った?」
そう、呟いた。
俺は、そんな咲夜を見ながら……
「まっ、ただの夢だ。けどな、夢から覚める前……言ってたんだよ、お嬢様」
「……なんて?」
「「また会おうね、ルー君」ってな」
「……そう、良かったわね」
そう言った咲夜の表情は、とても嬉しそうで。
「じゃあ、私はお医者様に貴方が目覚めたって言ってくるわね」
咲夜はそう言って、病室を出て行った。
この後、俺は何故か幽霊になったお嬢様と会話できる様になっていたが、それはまた、別の話だ……
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