素直になれない本当の杏香。
「すまんのぅ、彼奴に坊の養育費を出させようと思っていたのじゃが……」
結果として父親との縁が切れて精神的に多少楽になったが、本来の目的である金銭の援助は失敗となってしまった。母親との関係も改善する訳でもないし、一成の生活はこれまで通り苦しいままだ。
それでも一成は首を振ると、ありがとうと礼を言った。
「これで良かったんだ。やっと前に進むことが出来る」
「一成……」
「それよりも!」
「!?」
しんみりしていた空気だったのに、急に大声を出した一成がこちらに向かってきた。
「お前、『杏香』だろ!」
「そうだよ!」
釣られるように奏悟も大声を出して駆け寄ってくる。
「杏香! いつ記憶が戻ったの!」
「うるさいわね、いつだって良いでしょう」
「身体は大丈夫なのか?」
「大丈夫よ、一成。心配してくれてありがとう」
「対応の差が激しい! 杏香だ!」
「……どういう判断の仕方してんのよ」
嬉しそうな二人を見ると、これ以上の毒を吐けなくなってしまう。
前世の私じゃなくて、今の私の帰りを喜んでくれる姿を見て、胸が熱くなる。
むずむずとした嬉しさが駆け巡って緩みそうになる頬を必死で止めた。こんな姿、幾ら幼馴染の二人でも見せる訳にはいかない。
そんなことをしていると翁が声を掛けてきた。
「お主、前の人格と混ざり始めているの」
翁の言葉に奏悟も一成も息を呑んだ。
余計なことを言ってくれる。
内心、舌打ちをして、私は翁を見た。
「あら、確かにその通りだけれど、『彼女』は今もいるわよ。さっきのやり取りも私の目を通して見ていたし……最近は何度も『私』の存在を感じていた。この一件で己が何者なのかも理解したでしょうよ」
そう、前の私は己のことを理解した。
きっとこれからは、何も知らない、守られるだけの存在ではいられない。
徐々に人格は混ざりあい、記憶は混同し、『私』でも『前の私』でもないモノになる。
先の見えないことに恐怖心が芽生える。
「今の私は嫌いかしら?」
弱みを見せる訳にはいかない。
ちっぽけなプライドだとわかっていながら、止められない私は口の端を吊り上げてみせた。
きっと優しい二人は否定してくれるだろう。
わかっていながらこんな質問するのだ。自分でも浅ましいと思う。
それでも今の私は彼等の優しさに縋りたくなった。
幼馴染以外の男なんて滅べばいいと思っている、男嫌いで無駄に自尊心の高い私の、最後に見る景色を、人物を、せめて好きな人で、終わらせたい。
そうすればきっと、前の私と混ざり合って、別の私になったとしても生きていけると思うから。
……杏香は奏悟のことが好きだったんだね。
彼のことを凝視しすぎてしまっていたようで、察した『私』の声が聞こえる。私はその言葉に肯定も否定もしなかった。
この想いは表に出すつもりはない。故にこの感情は存在しないものとして無視をする……つもりだったのに。
「嫌いなはず無いだろ。俺も一成もずっと杏香のこと心配してたんだからな」
力強く抱き寄せられて、奏悟の体温と鼓動が伝わってくる。
「男嫌いで、素直になれなくて、意地悪してはたまに一人で落ち込んでる、不器用なもう一人の幼馴染。俺の大好きな女の子」
その言葉に私の気持ちは溢れてしまった。