先生の弟がアイドル!?
「松本先生は二人いるけど……多分、高等部の方の松本先生だな」
一成の言葉に体育教師である松本先生の姿が浮かぶ。確かに、彼の下の名前はそんな名前だった気がする。
一応、アイドルが教職員住宅を訪ねる理由がわかったのである。一成は嫌そうな雰囲気を隠さなかったが、きちんとその道順は教えてあげた。
「……学園から北の道路を挟んで、薄緑の壁の家が見える。その家の前の道を突っ切って行くと同じようなアパートが幾つかあって、そこが教員住宅だ。周りは古い民家ばかりだから見たらすぐわかるだろ」
「ありがとう。何度も兄貴に連絡入れてるけど返信がないから困ってたんだ。助かるよ」
にっこりと笑うアイドルは手を振って足早に去っていく。その姿が見えなくなってから一成は深く息を吐いた。
「……一成、大丈夫?」
きっと私を守る為に前に出て対応してくれたのだろう。
小さい背中に感謝の念を送りつつ、そっと伺うと一成の顔色は驚くほど悪かった。
「ほんと大丈夫!?」
吃驚して大きな声が出てしまったが、それどころではない。血の気のない顔で視線だけを動かして、一成は私を見た。
「……杏香」
「な、なに」
「アイツには関わらない方がいい」
その言葉の真意はわからないが、あの異様な空気を思い出すと頷かずにはいられない。こくこくと首を縦に振る私を確認した後、一成は暫く深呼吸を繰り返していた。
その後、体調の戻った一成と別れて帰宅した時、ふと見えたテレビにはマイク片手に歌って踊る青年がいた。そう、道を尋ねてきたアイドルである。
言われてみれば確かに松本先生と顔立ちが似ている。松本先生も格好良い為、女子生徒から人気があるが、兄弟揃ってイケメンとは。
テレビの中でキラキラと輝く姿はまさに王子様だが、時折見せる切なげな表情は何とも色っぽさがある。歌詞も相まってこれは沼りそうな人が多そうだなと思った。いや、実際に多いのだろう。女子二人もキャーキャー言っていたし。
「…………」
あんなに騒いでいた彼女達が彼の言葉で大人しくなった。彼の意思など無視していた彼女達がだ。しかも知り合いでもないのに彼は彼女達がカラオケに行く予定を知っていた。
……いや、本当に知っていたのだろうか。
それにあの琥珀の瞳、あれは他の者とは違う。吸い込まれるようなあの感覚はそう、私と同じように……。
思考が深く沈んでいくのを感じて私は慌てて顔を上げた。
なんだか、答えに辿り着きそうだったのに、沈めばそのまま上がって来れなくなってしまいそうで私は怖くなってしまった。そのまま頭を振って先程の思考を払い落とす。
一成が関わらない方がいいと言った。
相手はアイドルなのだ。きっと直接会うこともないだろう。だから、今はもう考えるのをやめよう。
足元の影が揺らめくとそこからクゥンクゥンと弱々しい鳴き声が聞こえる。きっと香白が心配してくれているのだ。
「……おいで」
小さな声で呼べば、しゅるんと影から香白が飛び出してくる。
「わっふ!」
どうしたのさ、撫でて撫でてと、擦り寄ってくる背中に顔を埋め、私は暫く動けないでいた。