表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
歌うたいと逆さ虹の森  作者: 月見ヌイ
2/2

歌うたいと逆さ虹の森(後編)

キツネに貸してもらった一枚の古ぼけた紙、それはその昔クマがまだ幼い頃に付けていた日記の切れ端なのだが、コマドリからすればそんな事はどうでも良いらしく、先程からえらくモジモジと気恥しそうに背中を曲げながら歩くクマの肩に居座りながらも、そんなクマの様子に気づく素振りすら見せず

ただひたすらに「宝の地図」を見耽っていた。


そこに書いてあるのはこの森で最も綺麗な虹が見れる、言わば絶景スポット

なのだが、コマドリは自分の探す「逆さ虹」という見れば願いが叶うという伝説の虹がここにあると信じて疑わず、この地図はそれに大きく近づくヒントだと先程からちょくちょく声を上げて喜んでいた


「ねぇ……ねぇ、コマドリさん。やっぱりオンボロ橋に行くのかい……?」


「ん?うん!勿論行くよ、だってそこに逆さ虹があるかもしれない……いや、あるに決まってるんだから!」


コマドリの元気な返事に対してクマのテンションは全くの反対と言っていい程に低く、溜め息まで着いてしまう始末。流石のコマドリもそんなクマの様子が気掛かりだったのか小首を傾げながら、優しい口調で問いかける


「もしかしてクマさん……怖いの?」


「……うん」


コマドリの問いかけにクマは小さく、そしてゆっくりと頷いた。そしてクマは途切れ途切れながらに言葉を、自分の思いを紡ぎ始めた

それは自分が高い所が苦手だという事

オンボロ橋に辿り着くまでの道のりはそれなりに険しく、大変である事

そして何より、自分の存在がコマドリの邪魔になるのではないだろうかという、クマとしてはありったけの勇気を振り絞った精一杯の告白だった。


その一部始終を静かに聞いていたコマドリは、クマが話し終えたのを言外に確認してからゆっくりと口を開いた。


「僕ね、今新しい夢が出来たんだ。クマさん、聴いてくれる?」


「え、あ、うん。良いよ」


「えへへ、ありがとう……あのね、僕、クマさんとお友達になりたいんだ。仲良しになりたいの」


…………、クマは遂に何も言えなくなってしまった。あんぐりと情けなく口を開けきり、何なら呼吸すらも忘れつつある程にコマドリの言葉に驚いてしまった。コマドリは自分で言っておいて照れてしまったのかパタパタと自らの羽根を動かすと、また宝の地図に顔を埋めてそれっきり喋らなくなってしまった


(コマドリさん……あぁ、本当に。僕は……ちゃんとアライグマさん達にはお礼を言わないとダメだなぁ、ふふっ)


クマは思わず笑ってしまった。その声に驚いたのかピクリ、とコマドリは体を揺らし、地図から少しだけ顔を覗かせた。クマはその小さな顔を自分の今出来る最高の笑顔で持って


「ごめんね、僕、もう少し頑張るよ」


君に、僕の事を友達だと言って欲しいからとは言えない恥ずかしがり屋のクマなのであった


▶▶▶


しかし、勇気を出したところで道のりはどんどんと険しさを増していく。

オンボロ橋が高所へと向かわなければならないのだが、その道中に木は殆ど生えておらず、地面は細かい砂利が散らばっていてとても歩きにくい。

クマの体力はやる気に反してだんだんとそして確実に削られていった


舌を出してはぁ、はぁ。と息を荒らげ始めたコマドリが見かねて休憩しようと言ってもクマは全く聞かず、それどころか一歩、また一歩と力強く前へ上へと進んで行く


「ね、ねぇクマさん。本当に大丈夫?無理してない?」


「ははっ、大丈夫だよ。バカな僕だけど体力と力だけには自信があるんだ!だから任せて!」


そうハッキリと言いきられてはコマドリとしても曖昧ながらに頷かざるを得ない。どう見ても無理をしているクマの顔色はみるみる悪くなっていき、もう殆ど真っ青だと言うのにそれでも彼は足を止めなかった。そんなクマを見かねたコマドリは、休憩を求める代わりに声援も兼ねて歌を歌い始めた。


それはコマドリの好む明るいアップテンポの曲調では無く、寧ろとても落ち着いていて、それでいてまるでジャズミュージックのようなトリッキーなテンポにクマは思わずコマドリに合わせて鼻歌で乗っかってしまった。ほぼ無意識での事だったのでクマ自身気付いた時は笑えるくらい驚いた表情を浮かべていた


さて、そんなコマドリの献身的なサポートもあってなんとか砂利道を越えたクマは、突然立ち止まってしまった。遂に限界が来てしまったのかとコマドリは歌を一度止めてクマの横顔を斜め下から見やった。

クマは確かに疲れた顔を浮かべていた

肩も上下に動いているし、脚は小刻みに震えて見える。明らかに限界は近づきつつあった、がそれでも今、クマの表情を埋めつくしていたのは「恐怖」と「驚き」だった。特にその驚きようは見ているこちらすら釣られて驚いてしまう程のものだった


「ど、どうしたのクマさん?この「川」がどうかしたの……?」


そう、クマが足を止めたすぐそこには小さな川が地面を二分するように流れていた。明らかにクマはそれを見つめているのだが、一体何に驚いているのだろうかとコマドリは口を開くが、それよりも早くクマの静かな声が小川のせせらぎと共に聴こえてきた


「ま、前は……ここに橋が架かってたんだ……な、なのに……どうして!?」


「飛び越えたら良いじゃん、今は無理でもちょっと休憩したら無理な話じゃないでしょ?」


「う、うぅ……そうなんだけど、そうなのかもしれないけどぉ……!」


クマはその後もうぅぅ、と低く唸る。もしかしたら傍で聞く動物がいれば遂にキレたのかと畏怖する所かもしれないが、残念ながらここに居るのはクマとコマドリだけで、そしてコマドリはそんなクマの唸る表情をまぁ間近から見ていたから、特に怖がったりはしなかった。何せクマは頬を真っ赤に染め上げ、まるで実りたての赤い果実のようになっていたから


そしてそんなクマがやっとこさ、ポツリと小さく呟いた


「僕、水が苦手なんだ……」


それだけやっと言うと、クマはガックリと項垂れてしまった。聞いた側のコマドリからすればあんぐりと口を開いて唖然とするしかない。


恐らく、彼が以前ここを通る時にはきっとこっちとあっちを繋ぐ小さな橋が架かっていたのだろう、本来ならそれを使って川の向こう側へと行っていたのだ。だが、その実川の幅はクマの普段歩く歩幅と大差ない程で、そんなにも苦心するのかとコマドリも思わず首を傾げてしまうくらいだ


何が苦手なのか、コマドリはそっと聞いてみた。もしかしたら何か水に対して誤解があるのではと期待したからだ。もしそうなら、その誤解を解きさえすればクマの苦手意識は一気に薄れるかもしれないと考えたから……しかし、クマの放った答えは彼の予想を斜め上に超えていった


「だって、冷たいじゃないか……ヒンヤリするし、毛だって濡れるよ?」


「濡れるよ?じゃないよぉ!」


コマドリが思わず声を上げる。小さな羽根をもパタパタと動かし、抗議の意味も込めた声だ。それをすぐ近く、文字通り目と鼻の先で言われたクマはというと、目を閉じて顔をブンブンと振って低く唸る。まるで頭痛に耐えているかのようなその仕草に、コマドリは息を一つゆっくりと深く吐いて、それから意を決して「一羽で」川の向こう側へと飛んで渡っていってしまった。


「コ、コマドリ、さん……?」


「クマさん、勇気を出してこちらにおいでよ!君なら出来る、僕の羽と同じ、その大きな体は目の前の困難を乗り越えるためにあるんだよ!」


「コマドリさん……!」


「何だったら目を瞑って飛びなよ!大丈夫、僕がしっかり受け止めてあげるからさ……って、何さその目」


自信満々に小さな胸を反らしてそう言いきって見せるコマドリに段々とその目を感動から疑わしげなモノに変えていくクマだったが、最後はふふっ……と小さく微笑み、そして言われるがままに目を瞑ってみせた


そして、深呼吸をゆっくりと一、二回


飛んだ。目を瞑ったまま、飛んだ。


(絶対、コマドリさんに見せてあげるんだ!あの、虹を!)


彼の心持ちはそれ一色ぽっきり。たったそれを叶えるためだけに、彼は飛んだ。そして、胸辺りに何でだか小さく、柔らかい感触を感じて、それから確かな地面の固さを足で捉えた。


ゆっくりと、目を開ける


「……?コマドリさん?」


「え、えへへ……受け止めようとしたんだけど、上手くいかなかったよ」


コマドリはクマの胸辺りにガバッと抱き着くようにくっついていて、そこから顔だけ動かして恥ずかしそうに微笑む。どうやら本当に自分を受け止めようとしてくれたらしい、けど重さを支えきれずこうやって宙ぶらりんな状態になってしまった……のだろうか


「……ぷ、ぷふふっ!」


「あぁ!笑わないでよクマさんー!」


そう言ってコマドリはゲシゲシとクマを蹴るが、体格差のせいか大して痛くないクマは笑いを堪えきれない。最初こそ手を口に添えていたが、途中から口を開けて大きな声で笑いだしてしまった。コマドリは頬をプクーっと膨らませて変わらずクマを蹴り続けていたが、段々馬鹿らしく思えてきたのかはたまた初めて見たクマの大笑いに釣られてしまったのか、最後には一緒に笑っていた。彼らの笑い声は森の中を随分の間こだまし、その光景を姿は隠して、苛立ちはその分一切隠さずその様子をこっそり茂みから覗く四つの目、つまり二つの影があった


(おいおいおいおい……!どーなってんだよリスさん!なーんであのクマ野郎は笑ってんだよ……?)


(なんで、って言われても……なんでだろうね?)


その二つの影は大小デコボコで、大きい方が先ず悪態をつき、唾を地面に吐き捨てる。聞かれた側の小さな影は首をこれまた小さく傾げて、半笑いだ。

大きい方の影、アライグマは己が仕掛けたイタズラが不発に終わった事よりも、いつも虐めては泣かせているあの図体だけデカい木偶の坊が楽しげに笑っている事にムカついていた。とてもムカついていた


(……次の罠を仕掛けるぞ。リスさん、何か案はあるか?)


(勿論!あるある、あるよ。とっても凶暴で邪悪なヤツが……それはね)


(ふんふん、ふんふん……なるほどな)


リスの耳打ちを受けるアライグマはしきりに頷き、最後にもう一つ大きく頷いた


(ふむ、そりゃ良い。それで行こう)


(やった!じゃあ早速行こうよ!)


アライグマとリスは互いに顔を見合わせ、ニンマリとクマとはまた違う笑みを浮かべて、そして茂みの奥へと音無く消えていった。


そんな事、露ほども知らないクマとコマドリはその後も一頻り無邪気に笑い合うと、段々そのボリュームを落としていき、最後には息を整えるべく一緒に息を深く着き、そして軽く微笑んで何も言わないまま二匹とも歩き始めた


▶▶▶


「ねぇコマドリさん、肩に乗らなくても良いの?」


「良いの良いの!よく考えたらクマさんばっかり大変な思いさせてたからね。僕もちょっと頑張るよ!」


コマドリは小さな羽をはためかせてクマのすぐ隣をゆっくりと飛んでいた。

クマの顔色が相変わらず悪いままなのを見て、気を利かしたのかそれとも急く気持ちが行動に出始めたのか、それはクマにも、コマドリ自身もよく分からなかった


何にせよ、二匹はこれまた大変な道を歩いていた。崖道だ、それもそれなりに荒れ果てた歩き難い道と来ている。

クマはちらりとコマドリが居る方とは反対の方を見やる。それは無論地面の無い、無駄に景色のよろしい方向


(ゴクリ……)


クマは景色を、主に下の方を見て思わず唾を飲み込んだ。目端に涙が浮かぶ

ビックリするほど高い、もしもここから落ちたら一溜りもない。絶対に死んでしまうだろう

クマは脳裏に浮かんだ恐怖と目端の涙をどこか遠くへと飛ばすべく頭を振り回した。コマドリは少しビックリしたように何事かと聞いてきたが、不必要な心配をしてほしくなかったクマは何でもないよ。と笑って簡単に答えた


オンボロ橋が架かっている山の頂上と続く崖道なのだが、何を隠そうクマは高い所も得意では無かった。むしろ苦手、嫌い、身の毛がよだつ思いだった


何故嫌いか?怖いから


「ね、ねぇクマさん?すっごい顔色悪いけど本当に大丈夫?」


「え、あ、うん……大丈夫だよ。うん」


今のクマからすれば、汗はかかないのが唯一の救いと言えるだろう。それほどまでに今のクマは消耗しきっていた


誰だって苦手な物が続けば精神的に弱ってしまうものだが、クマはそれをコマドリの存在を唯一の命綱にして何とかここまで生き延びてきているのだ。だからだろうか、クマは凄い勢いで眼前に近づいてくる物の正体に素早く気付く事が出来なかった。


その隣でマイペースに飛んでいたコマドリはそれよりもだいぶ早く異変に気付いていた。コマドリは空を行っていたので地面が段々と揺れ始めた事には気付かなかったが、その代わりに音を聴いていた。何でだか坂になっている崖道の上ら辺から謎の轟音が聴こえて来るのだ。段々と音が大きくなる辺り近付いてきているのは分かるのだけど

一体、「何が」近付いてきているのか?


その答えは案外すぐに見えた。

見えた瞬間、コマドリは文字通り飛び上がって驚愕した


「ククク、クマさんっ!クマさん!?」


「……ふぇ?どうしたのコマドリさん……って、え!うわぁっ!?!??」


二匹の目に入ってきたのは、崖道を上手い事降ってくる……それも物凄い勢いで降り落ちてくる「岩石」だった。


「「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?!??!?!!???!!」」


クマもコマドリも、それを視認して理解した瞬間、もう脇目も降らずに崖道を下めがけて走り始めた。疲れも恐怖も関係無い、心からの絶叫と共に全力で駆け下りた。


「コ、コ、コ、コマドリさん!どうしよう!?」


「ど、どうするもこうするも逃げるっきゃ……ん?いや!ある、あるよ!クマさん!」


コマドリは必死に羽を羽ばたかせてつつ、クマへとこれまた必死に自分の案を大声で伝えた。クマも命が掛かっているのでそれを受けてすぐさま行動に移した。何と彼は迫ってくる岩石から逃げるではなく、何故か向かっていった


岩石とはそれ即ち球状。崖道を転がり落ちてくるという事は必ず下の方に「隙間」が生まれるはずなのだ。そこに上手く潜り込む事が出来ればこの難を逃れるのではないかというのがコマドリの出した案だった。出したコマドリは空高く舞って既に回避しているが、必死のクマはそんな事気付かない


命懸けとはいえ、クマが咄嗟にこんな不確定な案を信じ、更に行動に移したのはやはりコマドリへの無条件且つ絶対的な信頼だった。そして


「ひ、ひえぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」


クマは見事成功させた。コマドリの思惑通り、崖道とそれを転がる岩石の間には微妙な隙間が空いていて、そこに大きな体を器用に畳んで押し込めた。

轟音と共にクマを通り過ぎ、岩石は崖道を転がり落ちていき、先ず視界から消え、最後には音も聞こえなくなった


「ク、クマさん!大丈夫だった!?」


「は、はは……飛べるなんって、ズルいなぁコマドリさん……」


クマはその場で大の字に倒れると、力無くヘラヘラと笑ってコマドリにそう言った。言われたコマドリも申し訳なさげに一言「ごめん」、と小さく笑った


もう息も絶え絶えといった様子で、空を暫し見上げていたクマだったが急にスっと体を起こすと、自らの膝に手を着くとそれを支えにゆっくりと立ち上がった


「クマさん、やっぱり一度休もうよ。ね?それからでも間に合うよ、きっと」


「間に合わないかもしれないよ……だって、ほら、見て?」


クマはそう言って今さっきまで自分が見ていた空を指さした。コマドリも釣られて指された空を見上げると、そこにはいつの間にか太陽は随分と傾き、薄らと山の向こうからは暗くなった空がこちらに近付いてきていた。


それはつまり、夢であり目当てである虹が見えるであろうタイムリミットが刻々と迫ってきているという事で……


「ね?」


クマの辛そうな表情を目にしても尚、頷かざるを得ないコマドリだった。


そうして随分と後退してしまった分も取り返し、何とか山を登りオンボロ橋の見える所へと辿り着いた二匹が先ず目にしたのは、えらく不機嫌そうな顔で仁王立ちする大小デコボコの二匹だった


「なんでよぉ……お前はココに来れたんだよ?なぁ、ノロマなクマさんよぉ?」


「ア、アライグマさん……リスさんまでい、一体な、なんの様だい……?」


二匹はオンボロ橋を塞ぐように立っていて、押し通ろうにも今のクマでは自分より小さいアライグマ相手でも簡単に手で跳ね除けられてしまう。


それを受け止め、支えようとしたコマドリだったが、またもそれは失敗し、多少の恥ずかしさを覚えたコマドリはそれを誤魔化す意味も込めてクマに変わって意地悪な二匹の前へと威勢よく飛び出した


「ねぇ君たち、君たちが誰かは知らないけどクマさんにひどい事しないでよ。それに、そこをどいてくれないと虹が見れないじゃんか」


「虹、ねぇ……?あぁ、俺はアライグマだ。」 「僕はリスだよ」


「僕はコマドリ、好きな事は歌う事だよ。よろしく……じゃ、そこどいてよ」


コマドリはクマを乱暴に押し退けたアライグマに対して、今まで見せた事がないような表情を浮かべてハッキリと言い放った。

驚くべきは、対峙するイジワル二匹のリアクションだった。「どいて」と言われた二匹は驚く程あっさりと引き下がり、オンボロ橋への道を開けた


「どうぞ?」


「足下には気を付けてね?」


えらく二匹ともニヤニヤ笑っているのは気になるが、素直にどいてくれたのは嬉しく思ったコマドリは大して深く考えず、よろよろと立ち上がるクマを気遣いつつも、コマドリはゆっくりとオンボロ橋を飛んで渡り始めた。


オンボロ橋と言うだけあって、木の板で出来た足場には至る所に虫食いのような穴が空いていて、何なら今この瞬間崩れ落ちても不思議じゃないほどに揺れていた。手すりもそうだ、ボロボロで不安定、高い所が心底苦手なクマからすれば拷問か何かと比べても大差ない程のモノだった


それでもクマは、コマドリを心配させまいと気丈に振る舞い、震える足を無言で叱咤して一歩、また一歩とゆっくり、且つ確実に進んでいった


「……さて、ほんじゃまぁ行ってくるわ、リスさん。しっかり頼むぜ?」


「おっけー、任せといて」


そんな短い会話を交わすと、アライグマはおもむろにオンボロ橋を渡り始めた。恐る恐るで進むクマとは対照的に迷いの無い足取りでどんどん進んでいき、あっという間にクマとコマドリに追いついてしまった


「よぉ〜お前ら、調子はどうだ?」


「ねぇ君、クマさん頑張ってるんだから、邪魔しないでよ!」


「ははっ、邪魔ねぇ……」


遂に足を止めてしまったクマの背中に体重を預けてくつろぐアライグマはコマドリの言葉を何度も反芻し、それから自らの指を空へと差した


「あれ、見えるか?」


「あれって────────あっ!?」


アライグマが差した方向、言われるままにそちらを見たコマドリが目にしたのは、虹だった。山陰に隠れていてその全貌を見ることは叶わないが、見える部分が例え僅かでも察する事が出来る。それほどに大きく、美しい虹の姿だった


「に、虹が!」


それを目にしたコマドリは急いでオンボロ橋を渡ろうと、思い切り羽ばたく……が、途中で思い直したように空中でその小さな体を急停止させる


「どうしたんだよ、早く行かないと間に合わなくなるぜ?さ・か・さ・に・じ」


「……君が何でそれを知ってるのか分かんないけど、とにかく僕だけじゃ行けないよ」


「ほぉ〜!だってよ、「ノロクマ」」


アライグマがそう大きな声と共に、バンバンとクマの大きな背中を叩くと

クマは手すりを掴んだ震える両手をグッと握り締め、怖さのあまり閉じてしまった目を薄らと開ける。その中にコマドリの姿を認めると、そちらにニコリと笑いかけた


「コ、コマドリさん。僕は大丈夫だから、先に行ってくれないかい?大丈夫僕も後から行くからさ」


「え、で、でも……」


「大丈夫、約束するよ」


クマはハッキリと言いきった。震える足も、手も叱咤し、無理やり抑えつけてそれでも愛しくて大切な「友達」にそっと笑いかけてみせた。

コマドリはそんなクマの笑顔に驚いた

彼の知るクマと言えば泣いたり、怯えたり、驚いたり、大きい体とは真逆の可愛らしい反応を見せてばかりだったのに、いつの間にかこんな笑顔を見せてくれるようになった


「ほら、早く行かなきゃ……ね?」


「う、うん。わかった!先に行って待ってるねクマさん!」


こんな顔を見せられて尚も引き下がってはクマに恥をかかせる事になると思ったコマドリは意を決して、身を翻しオンボロ橋を後にするべく羽ばたいた


徐々に小さくなっていくその後ろ姿を温かく見つめるクマは、遂に我慢が限界に達したのか突然力が抜けたかのように膝から崩れ落ちて四つん這いになる


「はぁ、はぁ……」


「ガッハッハッ!よぉ、よく耐えたじゃないか「ノロクマ」さんよぉ……おい立てよ、じゃないとあの小さな鳥さんの所に何時まで経っても行けないぜ?」


「え、えへへ……うん、そうだね」


「……何笑ってんだよお前」


そう、クマは笑っていた。オンボロ橋の名前通りボロボロな足場から覗くどこまでも続いていそうな奈落、そこすら見えない暗闇。それを見ても尚クマは笑顔を絶やさなかった


「あのね、僕、アライグマさんにお礼が言いたかったんだ」


「はぁ?お礼だと?何のだよ、お前にお礼を言われる覚えなんかないぞ」


「ドングリ池の秘密だよ……えへへ、アライグマさんとリスさんが教えてくれなかったら、あんな素敵な友達に出逢う事も無かっただろうし……」


アライグマはクマの背中を跳び箱の要領で飛び越え、彼の正面へ回るとその顔を実に訝しげに見つめた。何故コイツはこんなにイジメられても笑っているのか、その上相手にお礼まで言うのだから不信感極まりない

コイツ、もしかしたら川の橋を外したり、崖道に岩を転がしたりしたのが俺達って気づいていないのか?

あまりにも普段と態度を変えないクマに、アライグマがそんな疑念を抱いた時だった


突然、突風が吹いた。オンボロ橋が大きく横に揺れる


「ひぇっ!?」


「うわぁぁぁっ!!」


四つん這いになっていたクマの体は大きく揺れ、そのクマを煽るためだけにオンボロ橋の真ん中辺りまで来ていたアライグマの体は簡単に手すりを越えてふわっ……と宙に浮く。


落ちる!アライグマがそう思った瞬間

彼の体は文字通り宙ぶらりんになって静止する。いや、風にあおられて大きく右往左往しているが、何とか落ちずに済んでいた。アライグマの手にはクマの大きな手が繋がれていたのだ


「お、おいっ!」


「ぐぅ……だ、大丈夫……大丈夫だから絶対に諦めないでね、アライグマさん」


「なっ!?お、お前……!」


言葉とは裏腹に、クマの顔色はみるみる悪くなっていく。ただでさえ体力は既に限界へ達していて、アライグマの手を握るその力すらも満足に残っていない。もう無理なのは誰の目から見ても明らかだった


「離せ!お前なんかに助けられたくない!」


「えへへ……酷いなぁ、アライグマ、さん────」


クマの言葉が切れたその瞬間だった。

彼の大きな体がアライグマの重さに負けて、ズルリ。とゆっくり橋の外へと傾き始める。咄嗟にアライグマはクマの手を無理やり離そうと爪を立てるが


それより早く、二匹は橋から真っ暗な谷底目掛けて落ちていってしまった。


▶▶▶


薄れゆく意識の中、酷くぼんやりとしたクマの視界に映っていたのは綺麗な虹だった。オンボロ橋からは山が邪魔で上手く見えなかったが、皮肉にもこうやって橋から落ちてみると悲しいほどに良く見える。


しかし、何かがおかしい。何だろうか

アライグマさんが聞いた事も無い様な悲鳴をあげながら僕のお腹にしがみついている事だろうか?いや、違う

そうじゃない。なんだ……?


(……そうだ、虹だ!虹が「逆さ」なんだ!)


そう、クマの視界に映る見事な虹はなんと逆さ向きに出来ており、今までに見た事も無いほど幻想的で、美しい虹があった。そうだ、これこそがコマドリの言っていた「逆さ虹」なのだ。


だとすれば、僕のやるべき事は一つ


(コマドリさんが、自分のコンサートを────っ!)


クマは、途中で願うのを止めた。何故か……それは、自分に抱き着くアライグマの存在があったからだ。このままでは間違いなく自分諸共死んでしまうであろうアライグマを、このまま見殺しにするかのようなやり方はどうなんだ?と、心優しいクマはギリギリで思い留まってしまった


(……僕は、僕は……僕はっ!)


「ぐぇっ!?な、なんだこの野郎!落ちて死ぬ前に、お、俺を圧迫死させようってのか!これがお前の復讐って訳か!?」


「……違うよ、アライグマさん。でも、ごめんね?その代わり、君の事は絶対に守ってみせるから……!」


「な、何言ってんだよお前!意味わかんねーよ!」


クマは決心した。そう、自分の大きな体はきっとこの時のためにあったのだ

。アライグマさんを抱いて自分が下敷きになれば、例え強い衝撃でも耐える事が出来るだろう。その時を考えるとちょっと怖いけど、それも仕方ない


決心したクマは、下へ下へと落ちていく重力の強さに負けないよう口を大きく開け、力いっぱい叫んだ


「コマドリさんが……自分の、コンサートを……開けますようにぃぃ!!!」


言い切ってスッキリとしたクマは、アライグマの未だ続く抗議なんてものは耳に入らず、代わりにふと下の方を覗くと、そこにはもうすぐそこに迫り来ている崖の底があった。冷たく、暗い崖の底だ


大丈夫、きっと。大丈夫

強くアライグマを抱き締めたクマの意識は、そこで途切れている。辛うじて覚えているのは、聞き覚えのある高くて綺麗な声と、やけに体が軽く感じる、妙な浮遊感だけだった。


▶▶▶


「……、…?こ、ここは?」


「ここは死後の世界だ……なんて言ったら驚くかい?クマさん」


「ほぇ……?キ、キツネさん、な、何でここに!?ま、ま、まさか……君も死んじゃったのかい?」


「君も、って……クマさん、君も僕もだぁれも死んでなんかないさ。ここは皆の住む森だよ、いつも通りさ……それより、あっちをごらん」


あっち、と言ってキツネが指差したのは夕日……いや、そうじゃなく岩場にある一つの岩にちょこんと腰掛ける小さな影だった。クマはそれを見つけるや否や、仰向けに寝ていた自分の体を起こし、そちらへと急いで駆け寄る。

立ち止まったのはそんな影、コマドリのすぐ隣……だが、先に口を開いたのはコマドリの方だった。彼は視線を夕日に向けたまま、静かに話し始めた


「……僕ね、風が吹いた時に飛ばされて、目を回してたんだ。でね、気が付いたらクマさんが落ちそうになってるし……ほんと、あの時はビックリしたよ」


「え、あ、その……ごめんね」


「クマさんが謝るのはそこじゃないよ。……クマさん、君、落ちてる時なんて言った?」


コマドリの視線はまだ夕日の方を向いている。虹は既に消えてしまっていた


「え、えっと……コマドリさんがコンサートを開けますようにぃ、って」


「……あのね、クマさん。僕は君に死んでほしくなかったよ、だって君が居なかったら僕はどんな顔をして歌えば良いんだい?僕の好きな明るい歌を」


「……ぁ」


「ふふっ、それにね……僕知っちゃったんだよ。一人で歌うより、二人で歌う方が楽しいんだ……ってさ、ねぇクマさん?」


コマドリの視線はやっと夕日からクマへと移る。その目には薄らと涙が、それから多少の恥じらいが覗いて見えた


少し、口をモグモグとさせてから意を決したようにコマドリは微笑む


「これからも、一緒に居てくれるかい」


「……うん、うん。うん!」


クマは、躊躇無くコマドリに抱き着く。涙で霞む彼の目には、もう夕日すら見えなかった


その後聞いたのだが、クマが逆さ虹に願い事を言うよりも早く、同じように逆さ虹を見つけたコマドリが「二匹を助けたい!」と願った事により、助けられたのだと、誇らしげに胸を張る「友人」の口から聞いたのだった


▶▶▶


それから数日後


「レディース、エーンド、ジェントルメーン!今晩は森のコンサートに来てくれてありがとう!司会はこの俺、アライグマが勤めるぜ!」


今宵は森のコンサート、森に住む動物たちがこぞって集まり、根っこ広場に造られた舞台へ期待の篭もった視線を投げかけている。そんな視線を受けるアライグマは慣れていないのか、ずっと冷や汗を肉球に感じていた


同様に、舞台裏で出番を、名前を呼ばれるのを静かに待っている大きな動物も緊張で喉をカラカラにしていた。それに感づいた小さな動物が水を勧めるのも何時しか見慣れた光景となった


「さぁ、早速本日の主役でありこのコンサート最初で最後の参加者のご登場だぜ!『コマドリ&クマ!』」


「よし、行こうクマさん!……クマさん?」


「き、緊張で足が……」


先に舞台へと出そうになったコマドリは、クマのそんな情けない言葉を聞いてクスリと笑うと、引き返して彼の大きな肩にとまる。


「大丈夫、なんせ僕ら二匹で歌うんだから。やれるやれる!」


「で、でもぉ〜……」


「でもも何も無い!ほら、行くよ!」


「わっ、わぁ!?」


そうして、森のコンサートが始まった。それは、長い長い森の日常のたった1ページ……しかし、その1ページにもまた、幾つものストーリー、何匹もの動物たちの努力や、友情が詰まっているのです


めでたしめでたし

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ