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08 廊下


 ベルフォルマの御曹司が、ホテル『シャトー』の西棟に宿泊して、2日ほど経った。


 同じ建物内にいるというのに、アンナはその影かたちすら目に入れられず、御曹司の姿を見たとか見ないとか、そんな人伝でしか彼の気配を感じられなかった。


 なんでも彼は、あまり部屋から出てこないという。


 移動する時は、話し合いやホテル設備の確認ばかりで、軽い所用がある場合は、まず間違いなく従者の人が言伝をやっているらしい。


 だからなのか、キール・ベルフォルマ本人ではなく、従者の話題も多かった。


 2人いる従者のどちらも16か17くらいで、容姿も良いらしく、どちらが好みかで話題に花を咲かせる声が、アンナの耳にもよく聞こえてきた。


 とはいえ、新人でしかないうえ、東棟に配属されているアンナには、その従者にすら会う機会はない。


 仮に会えたとしても、お客様である彼らに、気軽に話しかけていく事など出来ないし、だいいち、沢山の人目のある場所で、下手な事を言えるはずがなかった。


 そうして、どれだけ思い悩んでいようとも、日々の業務はやってくる。


 アンナは、担当客室の掃除をいつも通り終えてから、古参の指導係に頼まれたシーツを取りに、各フロアにあるリネン室へ向かっていた。


 客室のない廊下は、とても静かな場所だった。


 「すみません、ちょっといいですか?」


 不意に飛び込んできた呼びかけに応じれば、そこには簡易なシャツにベストを着た男性が立っていた。


 「お仕事中に、すみません。ベルフォルマ様の、従者をしている者なのですが……」


 アンナは、思わず息を呑む。


 「灰色の髪と目をした男を見かけませんでした? こちらに行ったと聞いたんですが……ああ、そいつも同じ従者で、私と同じ格好をしているのですが。ちょっと、捜してて」


 「…あ、あの」


 彼が捜しているという人物を、アンナは見ていない。


 だから、「いいえ」と答えればいいだけだったが、そう答えてしまったら、おそらく彼はアンナの前から立ち去ってしまうだろう。


 またとない機会と、いきなり遭遇してしまった。

 しかも、何の偶然か、まわりに注意すべき人目は居なかった。


 ただ、こんな機会に恵まれるなど思ってもみなかったアンナは、何を言ったらいいか分からなくて慌てた。


 とっさに、自分はアンジェリカだと言ってしまおうか、そう思った。


 けれど、突然とそんなことを言い出す人間がいたらどう思われるか。それに気付いて思いとどまった。


 そんな人がいたら、普通は一歩距離を置いてしまうだろう。少なくとも、アンナだったらそうしてしまう。


 何も答えられないアンナを、キール・ベルフォルマの従者だという彼は、不思議そうに見ている。


 アンナは、焦った。


 自分を王女だと言うよりも、本当にアンジェリカ王女を捜しているのか。もしくは、彼は本当にギルバート王子の生まれ変わりなのか、聞いた方が良いのかもしれない。


 だがやはり、答えてくれるとは限らなかった。

 むしろ、初対面の人に、己の主人を詮索するようなことを言われたら不快に感じてしまう気がした。 


 客室長に言われた、軽はずみな行動を起こすなという言葉にも反してしまう。

 そうなったらもう、ホテル『シャトー』で働けなくなってしまうかもしれなかった。


 様々な思考と抑制が、アンナの頭の中を駆け巡っていく。


 早く何か答えなければ、不審に思われてしまうと危惧した時だった。


 「――あ、ネイサンっ!」


 張り上げられた従者の声に、アンナはビクリとする。


 「ああ、すみません。探していた奴、見付かりました。では、これで」


 彼は、固まったままのアンナに一言かけると、横を通り過ぎて行ってしまう。


 アンナは動けなかった。絶好の機会を逃してしまったことに愕然として、後ろを振りかえることすら出来なかった。


 「どうした、ヴィンセント」


 「どうしたって、東棟までわざわざ捜しに来てやったのに……キール様が俺たちをお呼びだよ。今日はここの食堂で食事会だろ。相手方の人物確認と話題確認」


 「分かっている。いま戻るところだ」


 言葉を交わしながら、遠ざかっていく声にアンナは耳を澄ませた。


 「しかし、キール様も仕事人間だよな。せっかく久しぶりの外泊なのに、ああも部屋に篭もりきりじゃ、かえってお体に悪いんじゃないか?」


 「ああ、いいんだよ。あの人は――本当は、目立つのがお嫌いな方だから。デスクワークの方が、よほど性に合ってるって零していたこともある。それに、そもそも今回は遊びじゃないだろ。今だって仕事中だ」


 「まあ、そうなんだけどな。でも、たまには俺も息抜きしたいというか……主が生真面目すぎると、こっちも肩が凝りそうにならないか?」


 「なるほど。君の貴重な意見は、慎んでキール様に申し上げておくよ」


 「待って! い、いやあ、キール様ってばつくづく出来た御仁だね。旧都市(ミラ)をここまで発展させた立役者だし。街中の人たちから慕われている人格者だし。あの方にお仕えできる幸せを、俺たちは日々噛みしめないといけないな!」


 「そうだな。とても良い心がけだな、ヴィンセント」


 「…お、おう」


 そのまま数歩、黙ったまま歩いていくが、片方が思い出したようにぽつりと言った。


 「……言うなよ」

 「言わないよ」


 笑みを含んだ微かな声を最後に、彼らの会話は聞こえなくなった。

 やがて、廊下を歩いていく彼らの足音も聞こえなくなる。


 しん、と静まりかえった廊下。


 それでもアンナは、まだ耳を澄ましていた。






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