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05 窓辺


 しかし、物事はそう簡単には進まなかった。


 ベルフォルマの御曹司が宿泊するという報せは、直ぐさまホテル中を駆け巡ったが、それから3日後の早朝、各自が仕事場に着く前に、客室係は全員、客室長から呼び出しを受けた。


 「支配人より御言葉を預かりました。皆さん、心して聞くように」


 年配の女性である客室長は、それぞれへと視線を投げるように言った。


 「キール・ベルフォルマ様が、当ホテルに滞在されるのは、ご領主様を旧都市ミラへお招きするために、必要な警備体制の確認をされるからです。あくまでも厳格なその主旨を理解せず、ばかりか、軽はずみな行動を起こし、ベルフォルマ様をわずらわせるような行いがあった場合、その者の処分は厳しいものとなるだろう、とのことです」


 客室長の硬質な声に、集まった客室係たちはしんっと静まりかえった。


 アンナも言葉を失っていた。


 「支配人からの御言葉は、各持ち場の責任者から下の者たちへと伝わっていることと思います。全従業員に戒めの言葉が与えられるのは、私たちは、ベルフォルマ様以外の宿泊客に目を光らせないといけないからです。ベルフォルマ様が宿泊される5日間、西棟は全て貸し切りとなりますが、お客様の中には執拗に興味を示されたり、突飛な行動に出られる方もいることでしょう。西棟の貸し切りに伴い、手の空く者はその対応に回されます。誰がどこに配されるかは、追って報せがゆくはずです」


 淡々とした口調で、一言一言はっきりと述べられていく。


 「よろしいですか、皆さんはホテル側の人間という自覚を持たなくてはなりません。ましてや、お客様と同様に浮かれて過ごすなど言語道断です」


 返事は、という一声が客室長から飛ばされると、はいっ、と客室係たちは、やや不揃い気味に返事を返した。


 すぐに返事が出来なかった者たちを、客室長は目敏く一瞥する。


 その目と目が合ってしまい、アンナはどきりとしたが、客室長は特に何を言うでもなく、皆に仕事へ戻るよう促した。


 動き出す列に流されるようにアンナも歩き出す。

 近づいたと思ったはずなのに、彼との間に立ち塞がる壁は依然高いようで、アンナは足取りは引きずるように重かった。


 その後、新たな情報がもたらされる。


 キール・ベルフォルマが泊まる西棟には、20以上の客室があるが、どの部屋に泊まるかは担当の客室係にしか知らされないらしく、さらに、その客室係にはベテランのみが選ばれるという話だった。


 ここに来たばかりの新人では、もはや西棟にすら近づけない可能性が高かった。


 「で、でもね、顔くらいなら見られるかも知れないのよ、アンナ」


 日々の仕事をしょんぼりとこなすアンナを、見かねたようにエルシーが言った。


 え、と顔を上げたアンナに彼女は続ける。


 「あのね、キール様は、人通りの少ない早朝頃にいらっしゃるらしいんだけど、正面玄関からは入らず、西棟の裏門まで迂回してこられるんですって。だからね、ここの部屋の窓から見えるかもしれないの。ほら、ここからの窓からも見えるでしょ、裏門」


 アンナは言われるまま立ち上がり、示された窓へと向かった。


 「――ほ、本当です。見えます」

 「ね。だから、元気出してね」


 「――ぃ。……はい。あ、ありがとう、ございます」

 「え、ちょ、泣かないで。そ、そんなに? そんなに楽しみにしてたの?」


 慌てふためくエルシーをよそに、アンナは感極まって救いの天使を抱きしめた。


 よしよし、となぐさめる言葉をかけながら、エルシーはクリスタに助けを求めるが、クリスタはくすくすと小さく笑っているだけだった。


 例えひと目だろうと、あの人の生まれ変わりかもしれない人を、ようやく目にすることができる。今は何よりも、そのことが嬉しかった。







 そして、その日はやってきた。


 前日はほとんど眠れなかったため、アンナは早起きする必要がなかった。


 一張羅らしい一張羅はホテルの制服しかないので、いつも通り制服に着替えるが、まだ寝ている同室の2人を起こさないよう、慎重に動き出す。


 寝間着を脱いで、黒のワンピースに着替えたら、その上に白いエプロンを着けていく。


 藍色の髪を櫛でとき、結い上げたシニョンにまとめてピンで固定してから、最後にキャップを被るので、私服の時に愛用している黒リボンは外していた。


 そうして静かに着替え終えると、同じく、静かに椅子を動かして窓辺へと運び、そこへそっと腰掛ける。


 窓から見える空は、東の方が白み始めたばかりで、おそらく到着の時刻までは、まだ2時間以上あった。


 藍色の空に、雲が流れていく様子をぼんやり眺めていると、やがて小鳥の鳴く声が聞こえはじめ、エルシーとクリスタの2人もまた目を覚ましはじめた。


 早すぎるアンナの起床に、2人は呆れながら朝の支度に動き出すが、丁度その時、裏門のあたりに人の動きがあった。


 初老の支配人を筆頭に、客室長や、その他の持ち場の責任者たちが勢揃いするのを見守っていると、それから20分ほどして1台の箱馬車が門前に横付けされた。


 「……来た」


 小さくもらしたアンナの声に、エルシーとクリスタも反応して、左右からアンナに寄り掛かるようにして、窓をのぞき込む。


 台を下りた御者が、一切の無駄なく車体の扉を開いた。

 ややしてから、フロックコートの紳士がゆっくりとした動作で降り立った。


 その後を、従者らしき2人の男が続く。それを確認してから、フロックコートの紳士は支配人たちのもとへ歩き出した。


 支配人一同は、一斉に頭を下げて彼を出迎える。


 一連の様子を見るからに、フロックコートの紳士がベルフォルマの御曹司なのかは分かったが、距離が遠くて、その容姿が判然としない。


 アンナが、彼の横顔に一生懸命目をこらしていると、彼が不意に宿舎の方へ視線を向けた。とたん、小さくない歓声があがる。


 窓の外から聞こえたそれに驚くが、すぐに他の部屋でもアンナたちと同じ事が行われていることを察した。


 客室長が怖い顔をして、こちらを睨んでいた。


 そんな彼女へと、彼が何か言葉をかける。それから、もう一度こちらを振り返り、今度は優しく微笑みを浮かべた。


 「…………」


 ギルバート王子だった。


 白金の髪は、やや色味を増して琥珀色に。金色の瞳も琥珀色になっていたが、けれど、その面差しは、あの頃とほとんど何も変わらない。


 彼の面差しを残したその人は、忍び笑うようなさざめきを背に、支配人たちを連れだって西棟へと消えていく。


 アンナは、自分自身に動揺していた。


 劇場街に飾られていた複製の絵画。

 何故なのか、あの時に感じた感情が思い出されていた。


 あんなに会いたかった人なのに、アンナの心はその程度にしか動かなかった。






次回、キール・ベルフォルマさんご登場

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