40 幕間(エピローグ4)
「おじさん、本当なら今、死んでたね」
「…………」
ルーク・ベルフォルマの脇腹に押し当てられたヨハンの手は、何も持ってはいなかった。
ただ、ナイフを握ったような形になっているだけ。
「実は、おじさんに言っておきたいことがあったんだ。あのね、ネイサンを殺そうとしたりしたら、その前に俺がアンタを殺すから」
「……本当に、奇抜なことをする子だね。君は」
「公開審議の後、都市のやつらが勝手にお綺麗な物語を作るとか言ってたけど、だったらさ、ネイサンが死んだほうが、よほど綺麗な美談にできるんじゃないの?」
図星からか、それともヨハンの凶行ゆえか、表情がわずかに強張っている男を、じっと見ながらヨハンは言う。
「ていうか、最初からそのつもりだったんじゃないの? この間、キールを切り捨てるって言ったみたいに、何かあったらネイサンも切り捨てるつもりだったんじゃないの? だから、息子の入れ替わりなんてリスクのあること許したんじゃないの?」
ルーク・ベルフォルマはは何も言わない。ヨハンが見るように、じっと見返してくる。
「王女様が見付かるまでは、キールの方が厄介だったけど、でも、王女様はもう見付かった。なら状況は、圧倒的にネイサンの方が不必要だよね。なんか、国に目を付けられてるみたいだし、だったら、ネイサンが死んでいた方が、後でバレてもうやむやにできるんじゃないの?」
ヨハンは、彼の脇腹を押し込む自分の手に、ぐっと力を入れた。
「俺、結構強いよ。アンタの息子にいろいろ教わったから。だから、俺にアンタは殺せるけど、アンタに俺は絶対に殺せない」
それは脅しで何でもなく、単なる事実だった。ヨハンは、不意を突かれたことや、寝こみを襲われたことなど一度もない。
「……君たちには、いちおう“人質”がいるんだけどね」
「ああ、それはもう大丈夫。王女様が見付かったから」
ルーク・ベルフォルマは片眉を上げた。
「殺人犯はさすがに無理だろうけど、チビたちや兄ちゃんは関係ないから、優しい王女様が必ず助けてくれる。キールと領主は、彼女の言いなりだから。ほら、何の問題もない。……でも、おじさんは違うよね。念のためで殺せるよね?」
「……なるほど。まあ、筋は通っているね。いちおう」
次の瞬間、ヨハンに言いしれぬ悪寒が走る。
「だが、甘い」
言うやいなや脇腹に手をやるが、寸前にヨハンは退いていた。
ヨハンの腕を掴み損ねた男は、自分の手をしばらく見ていたが、見ながら事も無げに語り出す。
「正直に言うとね、物心付くか付かないかの息子が、流暢な言葉遣いで旧都市の都市構想をプレゼンしてきた時の興奮は、今でも忘れられない。―――うちの子、超おもしろいって思ったね」
ヨハンを振り向く男の人面には、馬脚を露わした嗤い顔が乗っていた。
「それもさあ、3百年前と現代とじゃ商法に差異があるもんだから、こっちの興味を引くことで、情報と知識を新たに提供させてから、改めて予想される損失と利益を数字化して、純益まで計上してきたんだよ。その後も、修正案を何度も提出してきて、構想の実現身が帯びてきた頃―――己の価値を最大限に高めきった頃、ようやく自分の正体を明かしてきやがった」
笑声の隠しきれない口調は、愉しくてしかたがないと言わんばかりで、距離を取りたくなる異様さをヨハンに突きつけてくる。
あのキールの父親を平然としてられる男なのだと、改めて気付かされた気分だった。
「ただ、旧都市の都市構想を実現するためには、何を置いてもまずセントリーズ現領主の協力が必要だ。謁見までのお膳立てまではしてやるから口説き落としてこいと言ったら、本当に落としてきた。あの時も大いに笑ったね。そこまでされたら、もう引き返せないでしょ。っていうか、あれほどの手札が出揃って、勝負に出ないのは商売人じゃないよ」
そうして機嫌良く思い出語りをしていたルーク・ベルフォルマだが、ヨハンのあからさまな警戒心に気付いたのか、彼は自分の顔を当たり障りのない笑顔に戻した。
「入れ替わりのリスクに関しては承知していたよ。でもね、あの噂と旧都市ミラの宣伝のためには、顔が似ている人間が必要だった。そして、ネイサンの顔では自由に動けないし、逆にキールを自由に動かすためにも入れ替わりは必要だった。もちろん、工作は色々してあるよ。キールの出生登録簿とか、ネイサンの孤児院の経歴とか、その辺の偽造は簡単だったね。なんたって、管理元である領主様を抱き込んでいたからさ。キールの経歴だって、この国では家庭学習するのがまだ一般的だし、ご存じの通り、私は人様には変人に映るようなので、近しいご親戚様には現在進行形で敬遠されていたしね。だから、確固たる証拠と呼べるものは、まず出てこない。……でもね、やはり絶対ではない」
笑顔に戻したが、ヨハンを見る男の目は全く笑ってはいなかった。
「だから、なるべく事を大きくしないようにしていたが、それも今回の件でほぼ意味は無くなった。国まで出てきたということは、すでに勘付かれている可能性だって充分有り得る。というか、領主と我が社の仲違いを狙っていたのも本来はそっちが目的で、しかし仲を割くのは難しいと踏んで、今回は自国の利益を優先させただけかもしれない。言ってなかったけど、彼らとの交渉の席にキールを連れて行ったのは、そっちの可能性を探るためでもある。まあ幸い、それらしい反応はなかったけれど。だがそれも、次回の切り札として使うために、素知らぬ顔をされていただけかもしれない」
次々と捲し立てられる男の弁に、ヨハンはどうにか必死に付いていく。
「そうやってね、勘ぐりをはじめたらキリがないんだよ。だから、ネイサンには死んで貰った方がうやむやにし易いし、はっきり言って楽ちんだ。ゆえに、君が抱いたその懸念はとても正しい。でもね、それをこういう行動に移してしまうのは、浅はかな考えだと言わざるを得ない。ボクを殺してしまった後の事は、考えてあるのかな?」
「…………」
「まあ、順当に考えてベルフォルマの御曹司、つまり跡継ぎだってことになっているネイサンが、このまま会社を継ぐことになる可能性が高い。彼はどうするかな? 自分のために殺人まで犯してしまった君の罪を償うためにも、身を粉にして働くかもね。でもさ、それでも自責の念にかられ続けて、心身共にボロボロになっていくのが関の山なんじゃないの?」
まるで見てきたかのように悲惨な未来を言い当てる男に、ヨハンは負けじと睨み返すが、彼から返ってきたのは苦笑いだった。
「ネイサン君は、とても良くやってくれてるよ。ああいう子を、楽ちんっていう理由だけで殺してしまうのは、さすがのボクでも忍びない。今回の公開審議で、キール・ベルフォルマが一線から退く宣言したのは、こちらにとってもいい機会だ。どのみち、王女は見付かったのだから、彼はお役ご免でもあるしね。ネイサン君の処遇というか、今後については、これから本人とキールも交えて」
「だから、その心配はないんだって」
彼の意見を阻んだのは、ヨハンだった。
「言っても、どうせ信じないだろうけど、この旧都市にあの王女様がいる限り、全てが上手くいくんだよ」
ヨハンは、ネイサンが“そういう話”を好まないから、今まであえてぼかしていたが、この男には、はっきり断言した方がいいと直感していた。
「“復活”を遂げた聖人を、甘く見すぎだよ。インチキの神秘主義じゃないことは、自分で良く知ってるでしょ。そもそも、この生まれ変わり劇を仕組んだのは彼女なんだから」
ルーク・ベルフォルマの目が、驚きに見開かれていく。
「――――……全てが全て、彼女に仕組まれていたとでも?」
「そう言ってる」
分かりきったことである。
けれど、他の人間にはそれが簡単には伝わらない事も、ヨハンはよく知っていた。
「彼女のために造られた都市に、彼女が居るんだよ。きっとそれだけでも相当なものになる。これからも王女様にとって都合のいい方向に物事は回り続けるはずだ。彼女の自覚も善悪もお構いなしにね。だから、王女様に利することから外れない限り、おじさんも、おじさんの会社も彼女が守ってくれる。だから、おじさんの“念のため”なんて要らないんだよ」
ヨハンが言い切れば、ルーク・ベルフォルマは押し黙った。
まるで、何かが目のくもりを拭い去ったかのような、ようやくヨハンの顔が見えたような、そんな奇妙な視線を向けてくる。
「――――……ヨハンちゃん、君はさ……」
「なに?」
「…………」
投げかけておいて、ルーク・ベルフォルマはまた口を噤んだ。
ひとしきりヨハンの顔を眺めた後、つかみ所のない笑顔を浮かべてくる。
「いや、何でもない。……えーと、つまり。エクスマキナだって言いたいのかな?」
「……?」
「…ああ、正しくは、デウス・エクス・マキナって言うんだけど。意味は、そうだな……まあ、反則って事だよ」
馬鹿にされた気がして、ヨハンは顔をしかめた。
「いやいや、商売や駆け引きに絶対はないからね。どれだけ慎重を期しても潰れる時は潰れるし、ギャンブルみたいな綱渡りをかましても成功する時は成功する。言ってしまえば、最後は神頼みなんだよ。その神さまが味方に付いてるっていうなら……うん。その情報は、充分に有効だよ」
そう言って彼は、顎に手をやり、考え込むような仕草を取った。
「そっか。そういう反則技か……オカルト方面は考慮に入れてなかったな。そういえば、うちには“あちらさん”の元王子がいるんだっけか」
言いながら何か思いついたのか、次第ににやにやと笑い出す。
その邪な顔つきは横に置くとして、公開審議後から付きまとっていた、嫌な感じが急速に薄れていくのをヨハンは感じた。
とりあえずほっとして、肩の力を抜いていれば、「あ」とルーク・ベルフォルマが声を漏らした。
「そうだ。反則で言うならさ、君の“反則”は、これからどうするつもりなの?」
唐突な問いかけに、ヨハンは動揺する。
「…………反則なんか、してない」
「そうだね。してるんじゃなくて、吐いてるんだものね。ねえ? ヨハンちゃん?」
意味有りげに名前を強調してくる男に、ヨハンは苛立ちを覚えたが、何も言い返せなくて、それでも精一杯の抵抗として顔をそむけた。
「ちなみに、ネイサン君の部屋は、この下の3つ左隣にあるよ。知ってる?」
「知ってる」
言い捨てて、ヨハンは入ってきたバルコニーから出て行くことにした。
ヨハンは、正確に言うなら孤児院で育ったわけではない。
一番古い記憶の中で、おばあさんと暮らしていた記憶があったが、とても曖昧で、おばあさんが居なくなってしまってからは一人で生きてきた。
十にもならない幼い身でも生存できたのは、生活の大半を盗みでまかなえたからだ。
だからこそ、ひと箇所には長く留まっていられなくて、各地を転々と放浪している内にネイサンと出会った。
たまたま同じ食べ物を盗もうとしたことがきっかけだが、その時、こいつと一緒にいた方が良いとヨハンは何となく思い、それからはネイサンに付いて回った。
ネイサンのいた孤児院は名前ばかりで、孤児たちのほとんど浮浪児も同然の暮らしをしており、孤児院には天露をしのぐ時くらいにしか戻ってなかった。
子供たちが、増えたり減ったりしながら、それでも皆で協力して生き残ってきたが、数年後のある日、行政の――領主の命で突然院長と職員が全員捕まって、子供たちも全員保護という形で連れて行かれた。
その途中、15歳だったネイサンだけ別に移されたり、それを追いかけてヨハンがベルフォルマ邸に乗り込んだりして、そうして今に至るのだが、ただ、ヨハンはネイサンと初めて会った時に、ある嘘を吐いていた。
ルーク・ベルフォルマの部屋を出た後、ヨハンは再びバルコニーを渡ってひとつ下のバルコニーへと降り、そこから3つ左隣に移動した。
仄かに明かりが漏れる窓から覗き見れば、ネイサンがソファに座って何かを読んでいた。
しばらくその様子を眺めていれば、視線に気付いたのかネイサンがこちらを振り向き、一瞬ぎょっとした後、呆れるような半眼を作った。
そういえば、窓からの出入りを昔はよくやったなと思い出しつつ、ヨハンが手を振れば、ネイサンは腰を上げて窓を開けてくれた。
「……何やってんだ」
「うん、ちょっと用事があって」
「いや、普通にドアから――って、お前は居ないことになってるんだっけ」
「そうそう。これでも苦労してるんだよ、俺もさ」
数分前には殺人予告までしていたし。とは言えるはずもなく、ネイサンもいつもの生返事だと言いたげに、それ以上は踏み込んでこない。
それだけ馴れ合うくらいには長い間一緒にいるのだが、彼がヨハンの嘘に気付く気配は全くなかった。
最初にそう言ったヨハンが原因なのだし、何より、ネイサンはこの5年それどころじゃなかったのだろう。
「それで、用事って?」
ネイサンもまた、警戒心なくヨハンを部屋の中に入れてくれた。
「うん。俺さ、実は――」
「……うん? どうした?」
ようやく王女が見付かった。これでネイサンの抱える気掛かりは、ずっと減った事になる。だからこそヨハンの嘘を正すには、きっと今が一番いい機会だった。
ヨハンは軽く深呼吸をしてから、それを口にした。
「……実は…実はね“ナ”が付いてるんだ」
「…………………………………な?」
「そう、“ナ”」
「“な”って……なんだ?」
聞き返してくるネイサンに、ヨハンはひとつ頷いた。
「うん。今日はとりあえず、それくらいにしとく」
言うなり、ヨハンは踵を返して、入ってきた窓からバルコニーを目指す。
バルコニー側から窓を閉める際、「な、って……なんだ」という呟きが再び聞こえてきた。
何の心構えもなく、いきなり明かしてしまったら、きっと思考停止状態に陥ってネイサンはしばらく使い物にならなくなってしまうだろう。
だからヨハンは、徐々に慣らしていくことにした。
ヨハンには“ナ”が付いているんです。
それと、孤児院の設定を変更してあります。




