38 幕間(エピローグ2)
後日、アンジェリカ王女生まれ変わりである、アンナという少女に謁見するための席が改めて設けられた。
しかし、セントリーズ領主の来訪にて組まれた旧都市ミラのスケジュールは簡単には崩せないため、スケジュール日程にある通り、ホテル『シャトー』での謁見となった。
キール・ベルフォルマが以前滞在した時のように、西棟は全て貸し切ってあり、許可のある者しか通れないため、支配人の許可を得て彼女はここまで来るという。
ただ、キールが言うには、アンナがお世話になった人たちの紹介をしたいとの事で、彼女の知り合いが数人ばかり一緒らしい。
領主が支配人たちとホテルを見て回った後、用意された部屋に下がった夜分に、キールが彼女を連れてくる予定だった。
セントリーズ領主、ルーク・ベルフォルマとネイサン、そしてヨハンもこっそりと潜り込んで部屋に、再び4人が揃った夜分。
扉の前では今か今かと領主がアンナの訪いを待っていたが、やがて扉がノックされ、キールと共に何人かが部屋へと入ってきた。
先頭に立ってキールの隣りに並んでいる少女がアンナなのだろうが、変装のためなのか、何故かホテル従業員の制服を着ていた。
「――アンジェリカ様で、あられましょうか」
扉が閉められた直後、領主の震える問いかけに、アンナが微笑みで応えた。
それを見取った彼は足早に駆け寄るなり、なりふりかまわず膝を突く。
「い、いけませんっ」
慌てて差し出されたアンナの手を、領主は素早く受け取った。
「こうして、貴女様の御前に跪く誉れを、いかように言祝げばよいのか……!」
感極まったその声に、アンナは自分の手を捧げ持つことを許したまま、静かに切り出す。
「…………皆が、見ています。お立ちになってください。貴方はこのセントリーズの領主であり、私は貴方の領民です。これでは示しが付きません」
身分が上にある者が下の者に跪く不調法を、彼女に諫められた領主は、眩しいものを見るかのように目を細めた。
彼女の忠言どおり、領主はアンナの手を放し、おもむろに立ち上がる。その場から一歩下がると、軽い会釈をもって彼女に非礼を詫びた。
「……見苦しいところを、お見せしました」
いいえ、とアンナは答えながら、わずかに首を横に振った。
「……ただ、これから口にするものが、アンナ様の耳汚しになる事をお許しください」
それでも様付けを止めない領主に、彼女は困ったように笑いながら頷いた。
「3百年前、我が先祖は、王家の危機に馳せ参じることがかないませんでした」
アンナが目を丸くする。
「ばかりか、王都は無惨に蹂躙され、その奪還も単独では成し得ず、国という形と誇りすら手放しました。それは、我が一族の拭いえぬ無念であり、免れぬ決断でした。しかし、分からないのです。あの時の判断が……他国に属することが本当に正しかったのか。あれこそ王家への不忠だったのではないか。そう、当代の残した手記には記されていました」
「…………」
「だからこそ、アンナ様に伺いたいのです。この――この“領地”を、再び目の当たりにされて、貴女がどう思われたのか」
アンナは、領主の眼差しを真っ直ぐと受け止めていた。そして一度、何かを呑み込むように喉を上下させたあと、毅然と顔を上げた。
「これまで、良く務めてくれました。国を失い、行き惑う人々と領土を再びまとめ直していくことは、さぞかし険しい道のりだった事でしょう」
格式張ったような口調に、アンナは一転して年相応の笑顔を見せる。
「私の生まれた村では、毎年たくさんのお芋が採れるのですよ。それから、ライ麦や小麦もよく育ちますし、隣の村では、牛や羊を肥やす牧草地に恵まれて、おかげでほとんどの者が飢えることなく、安穏とした日々を過ごしておりました」
「…………」
「それも全て、たゆまぬ治水の整備と新しい農法の導入、広大な開墾事業のたまものだと聞き及んでおります。3百年に渡る、あなた方の献身と忠誠を、私はこの身に受けながら育てられたのです。貴方の父祖は、まさしく正しい判断をされたのです」
領主が目蓋を固く閉じた。彼女の言葉を、噛みしめるかのようだった。
「忠臣の義を尽くしたヒンシェルウッドの名を継ぐ者よ。貴方以上にこの地を治めるべき方はおりません。私たちを守り導く大役を、これからも頼まれてくれますね?」
信を託された請願に、胸に手を当てた目礼が返される。
「――はい。慎んで拝命いたします」
アンナと領主の謁見のあと、部屋に集った面々の紹介に移ったが、ヨハンはそれを遠巻きに眺めた。
この場において、関係者とは言い難いヨハンの見ている前で、この場の主役であるアンナがいの一番に向かったのは、ネイサンの元だった。
「あの、先日は大変な失礼をいたしました」
「…………え?」
アンナの言い様は、まるで以前に会ったことがあるような口振りで、ヨハンも驚いたが、ネイサンはさらに驚いていた。
「先日とはいえ、ひと月以上前のことなのですが……」
「……えーと?」
何を言われているのか分からないからだろう、ネイサンはキールに視線を向けるが、キールは例えようのない笑顔を、顔に貼り付けているだけだった。
「これでも、見覚えありません?」
不意の声に見向けば、アンナと同じホテル従業員の制服を着た少女2人が、アンナを挟むように立っていた。
3人並んだ少女たちを、ネイサンはしばらく眺めていたが、
「――――あ」
と、身に覚えめいた呟きを漏らす。
「え。あ、あれ、でも服が。……ホテルの、いま着て? ――いや、でも確か、姪だと。商会の……そう、トム・カバネルの」
「あ、はい。お呼びになりました?」
割っては入ってきた陽気な声は、丸眼鏡を掛けた男のものだった。何やら楽しそうに、3人の背後から手を振っている。
その顔に覚えがあったのだろう、ネイサンの顔から見る間にも血の気が引いていった。
「キール様から伺いました。これまで大変なご苦労があったこと。その中でも、ネイサン様には多大なご協力をいただいたと。貴方のご助力あってこそ、キール様とこうして再会できましたのに、あのような真贋を試すような無礼を働きまして、本当に申し訳ありませんでした」
そう言って頭を下げるアンナに、ネイサンがますます青くなった。
彼は今、アンジェリカ王女だった人に頭を下げさせている。よりにもよって、キールと領主が見ている目の前で。
ヨハンにもはっきりと、ネイサンの死相が見えた。
「止めて…下さい。違います。気付かなかった俺が馬鹿なだけで、貴女はけっして」
「いいえ、そんな。あの時は、事情がありまして。何から説明すればいいのか……」
アンナは一度顔を上げたが、合わせる顔がないと言いた気に再びうつむいていく。
そのまま何やら事情を説明し出すが、ネイサンにはおそらく半分も聞こえていないだろう。
さっきから、キールと領主が恐るべき不動の視線で、ネイサンを凝視している。
「――――……どうか、顔を上げてください。……本当に、死んでしまいます」
「……死ぬ?」
物騒な言葉に、驚いた様子のアンナが顔を上げた。
「ネイサン、自分を卑下する必要はないよ」
キールだった。アンナとネイサンの間に立つようにして口を出す。
「君はこれまで、とても良くやってくれた。今まで本当に有り難う」
それは、あたかも死の宣告のようだったが、続いた台詞に、ネイサンは目を白黒させることになる。
「まったく君は、なんて人間の出来た人なんだろうね。自分と同じ年端もいかない孤児たちを、ずっと1人で守っていたばかりか、僕の無茶な要求を呑んで、キール・ベルフォルマの身代わりを務めてくれたんだから」
「……あの?」
「しかも、ただの身代わりじゃない。ベルフォルマ商会、それも御曹司の身代わりだなんて、きっと相当なプレッシャーだったと思う。大変だったよね。文字の読み書きから、立ち居振る舞い、一定以上の教養も必要だったし、それをたった5年で修得してみせたんだから、並大抵の努力と胆力なしでは出来ないよ」
正しくは、キールの有無を言わせぬ恐怖支配と、孤児院関連の報酬制によって叩き込まれたからだが、物は言い様だなと、ヨハンは思う。
「そうそう、ボクが従者の仕事を放り出してた時だって、文句も言わずキール・ベルフォルマの役目を果たしてくれていたね。もうホント、君には頭が上がらない」
あの、いえ、と戸惑いを口にするネイサンを、キールは無視して続ける。
「しまいには、ボクからキール・ベルフォルマを乗っ取――じゃなかった。引き受けてくれるとまで言い出してくれてね。あの時は、本当に驚いたよ。そこまで大きくなってくれたのかって。もう彼に任せておけば、ベルフォルマ商会も安泰じゃないかな」
「まあ……」
キールの隣で話に耳を傾けていたアンナは、ネイサンを見る眼差しをすっかり偉人を見るそれに変えていた。
それからも、キールからの称賛は続き、アンナの中でネイサンがどんどん超人的な人間になっていくが、その間、ネイサンには弁解の余地が与えられず、ある種の拷問に耐えているかのようだった。
この場にいる誰よりも凄い人から、凄い人を見る目を向けられるというのはどういう気持ちか、ヨハンは想像して―――ガンバレ、と心の中でエールを送る。
アンナが何を謝って、ネイサンが何に青くなっているのかヨハンはよく知らない。だが、キールが本気で怒っているようには見えなかった。
何か失態を犯したが、責めるに責められない。かと言って、何も言わないでは返って気にしかねないから、こういう形で手を打った。そんな雰囲気だった。
やがて、褒めちぎるネタも尽きたのか、ネイサンはようやく解放される。
アンナたちは、それぞれ他の人への紹介に移ろうとするが、彼女がふとしたようにヨハンを振り返った。
「…………」
視線があって、何がどうというわけではない。
ただ、全身がぞわぞわして、落ち着かない感覚に襲われた。
ヨハンは、彼女の視線から逃れるようにお辞儀を返して、ネイサンの元へと向かった。




