35 手向
キール・ベルフォルマは、ギルバート王子ではない。
ネイサンの口から、公に向かってそう発言されると、観衆は様々な反応を見せた。
目に見えて戸惑う者。失望めいた声を上げる者。眉をひそめて押し黙る者。
だが、この先どのような反応が返ってきても問題はないと、ネイサンはキールから聞いている。
ならば、それを信じて話を進めるしかない。
「……今日、この日だけでも、どれだけアンジェリカ王女の死が侮辱されたことか」
その一言に、ざわついていた観衆が、次第に静まっていく。
今この場で騒いでいることに、後ろめたさを感じたようだった。
「……もちろん、この舞台を開くと決めた時から、それは分かっていたことです。ですが、たとえ今回の騒動を未然に防いでいたとしても、遅かれ早かれ同じような事態を招き寄せていたことでしょう。だからこそ、それは指弾されるべき私の過失です」
台詞を間違えないよう、きちんと脈絡を呑み下しながら口にする。
「全てが、私という原因によって引き起こされた結果なのです。……どうすれば、この過ちに報いられるのか、ずっと考えていました。だからこそ、こうして」
「待て」
制止を入れたのは、領主だった。
昨夜に行った、読み合わせ通りのタイミングだった。
「今回の一件に責任を感じるのは分かるが……本当に、それで良いのか?」
「…はい。私のすべきことは、二度とこのような事が起きぬよう、どのような形であれ、はっきりとした終止符を打つことだと考えます」
「…………」
「ただ、いくら私がギルバートではないと言い張っても、このような見た目ではやはり、誤解を生むことは避けられないでしょう。こればかりはどうしようもありませんが、少なくとも、今までのような軽率な行いは改めようと思います。まず何よりも、人目に触れる場所へ出向くことは、今日で最後にするつもりです」
ネイサンは、観衆がざわつき出す前に、先を続ける。
「いえ、少しだけ訂正を。領主様がこの都市に滞在される間は、最後まで同伴を務めさせていただきます。この都市から事業を撤退しようという事でもありません。旧都市へ貢献できることは、今後も続けていくつもりです。それでも、こうした公の場や表舞台へ立つことは、できうる限り控えさせてもらいたく思っています。……どうか、ご理解ください。これ以上、過ちは繰り返されるべきではありません」
ネイサンが喋り終えると、広場は静かになった。
どことなく、しんみりとした空気がただよっていたが、観衆の多くは領主を見ていた。
おそらく、この舞台の進行役は領主だと、漠然と理解しているのだろう。彼がどのように判断するのか待っているようだった。
それを承知しているはずの領主は、長い沈黙を落とす。
顎に手を置き、深く思考を巡らせている。
ネイサンの目から見ても、本当に考え事をしているように見えた。
だが、次の台詞は決まっているはずである。
「……王女の名が貶められたことは、私とて遺憾に思っている」
「はい。領主様のお心を害してしまったことにも、深くお詫びいたします」
「そうではない……」
重い溜め息をつく領主からは、苦悩の色が滲んで見えた。
その表情の作り方に、ネイサンは素直に驚く。
アンジェラ・レイトンと貴族を相手にしていた時といい、彼らに場をもっていかれないよう、とにかく会話を避けていたネイサンとは違い、相当な役者だと思う。
それとも、領主ともなると上辺を装うことに長けていて当然なのか。
ともあれ、舞台の成り行きを、舞台の上で最大の味方に仕切られているというのは、何よりも心強かった。
「――いや、そうだな。分かった。お前自身が言うなら、お前はギルバートではないのだろう」
観衆が再びさざめき出した。その中には不服の声も混じっていたが、先ほどよりはずっと少ない気がした。
「では、もうこれ以上、この場にて申し述べたいことは無いのだな?」
「はい。皆さまには、私の言葉に耳を傾けていただき、感謝の言葉もありません」
「そうか。ならば、アンジェリカ王女へ――いや、彼女とギルバート王子の2人へと“手向けの言葉”を献花と変えて、この場は終いとしよう」
「…………」
ネイサンは、何のことかと、さも聞きたげな間を置いて領主に説明を促す。
「どうした? 準備してあるはずだろう。明日の王城跡地の訪問の際、追悼としてお前には披露してもらうと、私が直々に申し付けたではないか」
「それなら……はい」
「どうせなら、この場の方が相応しかろう。公の場に出ることを、今日で最後にするというのなら尚更だ。ここで言うと良い。私が教えてやったセントリーズの古語だ。お前の口から、失われた古の言葉が紡がれるのを、とても楽しみにしていた。是非に聞かせてもらおうか」
「……はい」
「皆にも傾聴してもらいたい。セントリーズより古くから伝えられる、とても美しい言葉だ」
領主の言葉に、観衆の面々は、何が始まるのかといった顔をしている。
やや強引な流れだが、ここはどうしても必要な場面になるため押し通すしかない。
ネイサンは、みたび観衆へと体を向けた。
少しだけ躊躇いを入れてから。台本にそう書かれていた記憶を手繰り寄せていた時、ネイサンの視界に、2つ人影が入ってきた。
観衆の誰もが舞台に目を向けている中で、その2人だけが動いており、警吏の列を抜けてエルサル広場を足早に駆けている。
1人は身覚えのある背格好に、すぐにキールだと気付いた。
けれど、もう1人。キールが手を引いている方はどう見ても少女で、藍色の髪に黒いリボンをした―――
ネイサンの、呼吸が止まった。
呼吸どころか心臓も神経も止まりそうな衝撃に、けれど、とっさに目を背ける。
顔に出そうになる動揺を、誰にも悟られないよう奥歯を噛みしめ、ゆっくりと俯いた。
心臓が激しく脈打っている。頭の中が真っ白になりそうだった。
それでも自分の置かれている状況にとどまっていられたのは、1万人を超える観衆たちの目があったから。
途端、自分の異変に気付かれていないかが気にかかる。
そっと見てみれば、観衆たちは変わった様子はなく、気付いている様子もない。
ネイサンの異変はもちろん、広場を横切っている2人にも気付いていない。
“あの2人”が、この地で、この場所で、出会っているのに観衆たちは誰も気付いていない――――誰も、見ていない。
それは、とても奇妙な光景で、舞台上のネイサンに何とも言えない感慨を与えてくる。
誰も知らないことの落胆と、誰も知らないことの喜悦。
性質の違う2つのものが、次々と入れ替わっていくような不思議な感覚。
しかし、そんな一時の感情に流されたせいで、ネイサンは大事なことを見失いかけた。
違うのだ。
誰も見ていない、ではない。
誰にも観られてはいけないのだ。
観衆の目をこのまま引きつけておくことが、自分の役目であることを思い出し、ネイサンは、崩れかけていた目的意識を立て直す。
キールが、“彼女”を連れていた。
ならば、アンジェリカ王女を捜すために用意された、“手向けの言葉”は、もう必要ないのだろう。
だが、ネイサンはまだ舞台の上に立っている。
まだ、この茶番劇の幕引きが、終わっていない。
ネイサンは顔を上げ、ゆっくりと口を開いた。




