33 真相
ネイサンは、貴族クリフ・コルベール伯爵が、本当の共謀相手を今にも口にしてしまうのではないかと、かなり冷や冷やした。
そうなる前に、舞台の上へあがってきたキールによって、場の空気ががらりと変えられ、事なきを得る。
キールから渡されたのは2通の手紙だった。
その内の一つはネイサン宛てで、ネイサンは領主へと向き直り、開封の許可を取る。
領主が鷹揚に頷くのを待ってから封を開け、文面に目を走らせる。
キールの字だった。
全て予定通りに行ったことが簡潔な一文で記されており、もう一通の書簡を、ある言葉と共に領主へ渡すよう指示されていた。
ただし、手紙を読んでいるふりをするため、5秒数えてから行動すること。と最後に書かれており、ネイサンはきっちり5秒数えてから、領主様のもとへと向かった。
「国王陛下からです」
ネイサンの台詞に、観衆たちが息を呑む音が聞こえた。
貴族も何かを呟いていたが、彼の声はほとんど音になっていなかった。
領主は、椅子から立ち上がって書簡を受け取ると、まったく動じたところのない、ゆっくりとした仕草で封を切り、書面に目を落とす。
それを待つ、短くて長い時間、やけに緊迫感をおびた空気が広場には流れていた。
やがて領主が書面から顔を上げたのを見計らい、ネイサンは口を開く。
「……何が書かれていたか、お聞きしても?」
「ああ、以前にお目通りねがった際、旧都市ミラの王城再建が話題にのぼってな。落成のあかつきには、我が一族の秘蔵品を、是非にご覧頂きたいと招待したのだが、どうやら良い返事がいただけそうだ」
そう言って領主は、ゼノア王国国王がさも、全て承知であったかのような口振りで話す。
「それと、クリフ・コルベール。貴様にも、陛下からのお達しだ」
名を呼ばれた貴族は、もはや蒼白という顔色で立っていた。
「“そこな国賊を捕縛せよ”」
広場中にその声が響き渡ったあと、貴族は崩れ落ちるように膝を着いた。
「警吏、ただちに舞台へとあがれ。クリフ・コルベール、バーナード・レイトン、アンジェラ・レイトンの三名を捕縛し、市警本部へ連行せよ」
舞台下で待機していた警吏たちが、はっとしたように動き出す。十人近い警吏が舞台へと押し寄せ、彼らを取り囲んだ。
アンジェラ・レイトンが取り乱したように父親を呼ぶが、彼は彼女に応えず、押し黙ったまま席を立つ。
そして、貴族クリフ・コルベール伯も、2人の警吏に両脇を抱えながら立たされていた。
彼は、最後まで口にしなかった。
そこまで分別がつかないほど、愚かではなかったようだった。
クリフ・コルベール伯爵。彼と共謀関係にあったのは、他国ではない。
このセントリーズ領が帰属するところのゼノア王国。その国王と、王国議会員である。
全ては、ゼノア王国が陥っている、鉄道事業における1企業の独占状態を是正するための茶番だった。
現在、ゼノア王国で物流のかなめを担うのは、ベルフォルマ商会である。
しかしそれは、鉄道という新たな流通手段の確立以降のことであり、流通ルートが1社に絞られてしまう危険性は、ネイサンが先ほど口にしたばかりである。
鉄道の商業利用化がはじまったばかりの頃、ベルフォルマ商会と並ぶ運輸会社はいくつかあった。だが、鉄道事業で躍進したのは何故かベルフォルマ商会のみで、特にここ10年での進出は顕著で、結果的に1社の独占を許している状態だった。
鉄道の公共性の高さは前々から言われており、鉄道の国有化も見当されているが、ゼノア王国は立憲君主制度の導入に伴い、新しい議会制が開かれるようになったが、王国議会の上院である貴族院と下院の庶民院で、既得権益のぶつかり合いが起きており、議論の進展は各方面で停滞気味らしい。
ことに、鉄道事業の国有化は、新規参入と物流の効率化が阻害されると、商人をはじめとした資本家が母体である庶民院からの反発が強いのだとか。
そうした様々な要因が重なり、ベルフォルマ商会は事業の裾野をますます広げていくことになるが、国は国で1社による独占は避けたいものの、諸外国に後れを取らぬよう鉄道事業は推進したいというジレンマによって、それを看過するしかなかった。
そこに目を付けたのが、貴族クリフ・コルベール伯である。
調べによると、彼の一族はその特権階級にあぐらを掻くまま、父の代には先祖からの資産を食いつぶしていたらしい。
日々の生活にも困窮し、首の回らなくなった彼は起死回生の案を弄した。
表で動くことが出来ないのなら、裏で動けばいいのだと。
それが今回の公開審議に繋がる。
己の祖先にどういう人間が混ざっているのかを知っていた彼は、貴族特有の人脈を駆使し、鉄道国有化の多数派である、貴族院議員と接触したのだろう。
ベルフォルマ商会と馴染みの深い、セントリーズの領主に謀反の疑いをかけ、たった1社が国の物流を担っている危険性を、民衆たちへセンセーショナルに投げかけるつもりだった。
騒ぎになってから、ようやく動き出す。という、どこの国でも使い古された常套手段を用いるために。
しかし、セントリーズ領主に謀反の疑いなど、事実無根である。
クリフ・コルベール伯がのたまっていた証拠とやらも、どれほど信憑性のあるものか知れたものではない。
だが、彼の後ろにいるのが国の中枢ならば、彼の言は小さくない力を持つことになる。
ようは、それらしいモノがあればいいのだ。
セントリーズ領主の王家への思い入れしかり、集められた数々の王家の品しかり。
王城の建設や、果ては治安維持のために増員、再編成された市警隊も、取りようによっては私兵の保持だと言い換えられる。
こじつけや難癖のようなものだが、彼らの目的は、白か黒かをはっきりさせることではなく、灰色であることを民衆たちへ印象づけることである。
危機感ほど人を動かす原動力はなく、さらに言えば、啓蒙思想によって、旧支配体制に変革をもたらした実績を持つ民衆たちであり、声を上げることに躊躇いのない彼らを、どうあっても無視できないのは、言うまでもなく庶民院だった。
そうして首尾よく、世の時勢が鉄道の国有化に傾けば重畳。
少なくとも、既得権益のぶつかり合いをしたまま、停滞で留まることはないだろう。
その後、秘めるべき先祖の業を、領主の謀反や起こりえた惨事を防ぐために明かした男は、各界で確かな支持を得て、新たな社会的地位を手に入れる―――というのが、クリフ・コルベール伯爵が聞かされていたシナリオだったのだろう。
そしてそれは今、共謀関係にあった国から手のひらを返されたことで未遂に終わった。
ネイサンは、静まらない喧騒の中、警吏に引き立てられていく貴族らの三者三様な反応を見ていたが、これまで一言も発しなかった男が、ちらりと見せた表情に背筋が冷えた。
微かに、笑みを含んだ気がしたのだ。
「…………」
貴族クリフ・コルベール伯が計画したと思われる企みは、半分以上がベルフォルマ親子による推測にすぎない。だが、それ自体は寒気を催すものではない。
ベルフォルマ親子は、その後に言ったのだ。
伯爵はおそらく、誰かによってそう仕向けられた可能性があると。
だからネイサンは、黙して語らぬまま舞台を下りていくバーナード・レイトンに言いしれぬ悪寒を覚えた。
そもそも、事の真相に気付いたきっかけがレイトン社だった。
伯爵の目的がもとから商売でなかったのなら、商い方面を見落としたとしても仕方ないのかもしれない。しかし、商売のことを省みていない彼のやり方を、商人であるバーナード・レイトンは、何も言わなかったのか。
立場上口を挟めなかった、と言われれば終わりだが、その引っ掛かりは、ルーク・ベルフォルマが手配し、後日届けられたレイトン社の調査書を、領主が集めていた貴族の調査書と同様に、入念な見直しをするきっかけを与えた。
結論から述べると、バーナード・レイトンという人間は“謎”の一言に尽きた。
調査期間が短かったこともあるが、彼に関する情報は、デパートを建設する以前の経歴を辿れなかったのである。
そのデパート自体も、創業がわずか3年前という日の浅さであり、突如として市場に現れた感がいなめなかった。
家がもともと資産家だったのなら、それも分かるが、一代で財を成したと言うからには、それの前身となる経歴がなければ、おかしな話になる。
しかし、その疑問はすぐに解消された。彼の会社は、元手となる資金を融資という形で得て設立されており、そして、共同出資者に名を連ねるそうそうたる顔ぶれは、ルーク・ベルフォルマを笑わせた。
半分以上が、鉄道国有化の推進派である貴族の名前だったのだ。
あまりにも痕跡を残しすぎていて、逆に罠ではないかと疑ったくらいである。
これではまるで、自分たちが黒幕であると言わんばかりだったが、ベルフォルマ商会が事の真相に気付いて、セントリーズの領主に公開審議を開かないよう進言しても、おそらく構わなかったのだろう。
ゼノア王国にしてみれば、今回のことはただの布石に過ぎない。
要するに、クリフ・コルベール伯爵は、最初からセントリーズ領主を釣るための捨て駒だったのだろうと、ベルフォルマ親子は語った。
知りたくなかったことを知ってしまった、あの時の思いを思い出しながら、ネイサンはただ待つ。貴族たちが馬車に乗せられ、舞台からも、広場からも退場して行くのを、最後まで見送った。
彼らがこのあとどうなるか。それはまだ分からない。
バーナード・レイトン及びアンジェラ・レイトンは、貴族に利用されていただけとして、会社の倒産もしくは買収と共に消えることが予想される。
特にアンジェラ・レイトンは、その様子からするに、本当に何も知らされていなかったのだろう。騒動が落ち着いたら解放される可能性が高いが、“あの顔”を持ったままゼノア王国で生きていくのは、まず無理だろう。
そして、主犯であり国賊として公の場に晒された貴族は、それ相応の調査期間がおかれた後、裁判にかけられる前に、自害したと国から発表されるだろうと、ネイサンは聞いた。
本当に死ぬか、それとも、死んだことにされるかは、彼の出方しだいとも。
「…………」
国に操られていたかは別として、彼自身の意志が全く無かったとは言えないはずだ。
そのうえ、先祖の犯した3百年前の因業を知りながら、その業をあえて持ち出し、このセントリーズに再び害をなそうとしたのだから、同情するつもりなどない。
ネイサンは、そう言い聞かせて頭を切り換える。
終わったことに、いつまでも構っていいような状況ではなかった。
ネイサンの、キール・ベルフォルマにとっての茶番は、むしろこれからだと言っていい。
折り返し地点の開始を告げるように、領主が再び椅子へと腰を下ろした。
「さて、キール・ベルフォルマよ」
「…はい」
「此度のやり方には、どうにも疑問に残るところがある。陛下の許しを得ていたとしても、このような手段を選ぶ必要は、本当にあったのか?」
そう言って領主は、その立場を有効に用いて話の誘導を行う。
「……領主様以下、この場に集われた皆様には、多大なご迷惑をかけたことを心よりお詫びいたします。当然あるべき批難をおしてでも、このような公の場を開いたのは、この場を借りて申し上げたいことがあったからです」
ネイサンは、それまで、なるべく見ないようにしていた観衆へと向き合った。
「今回の騒動を招いたのは、全て私の不手際にあります。キール・ベルフォルマに関して、ある噂が立っていることは、以前より知っていました。私は、それを知っていながら今まで放置していたのです」
1万人を超える視線がネイサンを見返しているが、これから先、彼らからどういう反応が返ってきても、ネイサンは気にしてはいけなかった。
「私個人の手前勝手を通したために、取り返しの付かない事態が引き起こされるところでした。状況をそこまで逼迫させておいて、さらにまだ沈黙を続けていくことなど出来ません。今日、今ここで、あの噂について皆様が疑問に思われていることに答えようと思います」
観衆から、小さくない反応が返ってくる。
「私は――」
台本にあったとおりの“ため”を、ここで入れた。
「……私は、ギルバートではありません」
ただ、その時すでに、舞台の端で控えていたはずのキールが、その場から居なくなっていたことに、ネイサンは気付いていなかった。