31 旧敵
領主の問いに、アンジェラ・レイトンは目に見えてうろたえていた。
「どうした。答えられぬのか? それとも、この宝石箱が誰からの贈り物か、思い出せなかったとでも言うのか?」
「……あ、あの」
「答えられぬなら、次の問いをしてやろう。これならば記憶もはっきりしておるはずだな。アンジェラ・レイトンよ、この宝石箱を今世ではどのようにして手に入れた? 聖女リーズがお前を導いたというなら、一体どこの誰のもとへと導かれたというのだ?」
「――――それは」
それ以上答えようとしない彼女は、返答を拒否するように舞台を後ずさった。
「簡にして要を得た言葉で答えよ。しかし良いか。我が領民の前で、この私を少しでも欺いた発言があれば、それは許しがたい侮辱である。相応の処罰が下ると覚悟せよ」
「――でも、だって。こんな……」
アンジェラ・レイトンのうろたえようは、領主からの糾弾にただ萎縮しているだけのようには見えなかった。
何か、段取りと違う事態に陥ったような、そんな焦燥感を漂わせている。
彼女は、この窮地から助けを求めるように首を巡らせた。
アンナの位置からでは背中しか見えないが、アンジェラ・レイトンの視線は壇上の有力者たちへと向けられていた。
視線の方向にいた人たちは互いに顔を見合わせるが、すぐにある1人の人物へと、皆の視線が集中していく。
それは、アンジェラ・レイトンと同じ馬車に同乗していた、2人の男性の内の1人だった。
「――そこの者、おぬし、このアンジェラ・レイトンと、どのような関係にある?」
「…………」
壮年の男は答えなかった。
「その者を、こちらへ引き立てよ」
領主の言葉に、舞台下の警吏が2人動いた。
警吏は舞台をあがってこようとするが、その前に、壇上の男は自ら動いた。
椅子から立ち上がり、その足で舞台の上まで下りてくる。
「……いったい何の冗談だ」
「冗談とは?」
「とぼけるな。これは取り引きだったはずだ。そこの女がしでかした事を、うやむやにする代わりに、アンジェリカ王女の宝石箱を渡す。そういう契約を、お前と私と交わしたはずだ」
男の思わぬ発言に、観衆は密めき合うようなざわつき方をした。
「ずいぶんと不遜な物言いだな。まず、名を明かしたらどうだ?」
「…………」
「名すら名乗れない身で、お前は私を批難しようというのか」
男は答えない。
男の言う取り引きとやらが事実なのかは分からない。ただ、領主への口の利き方からして、よほどの仲なのか、もしくは、それなりの身分の持ち主なのは推し量れた。
「いいだろう。仮に、私とお前がそうした不埒な取り引きを交わしたとして、それが何だという。私は同じ質問をするだけだ。このアンジェリカ王女の宝石箱を、お前がアンジェラ・レイトンに授けたというなら、お前自身は、これをどこで手に入れたのだ?」
広場に集った人たちの視線が、一斉に男へと集まる。
すると、問い糾されていたはずの男は、ゆっくりと口角をあげてみせた。
「なるほど。このために、私をここへ招待したのか」
とても落ち着いた口調だった。
「調べたのだろう? 私の出自を。そうだよ。そのアンジェリカ王女の宝石箱は、我が家の家宝として代々受け継がれてきたものだ」
流暢にしゃべり出した男は、そうして、アンナが自分の耳を疑う話を語り出す。
「お前が疑っているとおり、私の祖先にはセントリーズ王国へ攻め入った、あの隣国の貴族だった者がいる。その先祖が、王家の宝物を戦利品として手中に収めたのだろう。だがその後、あの国は滅ぼされた。そのため、先祖はこのゼノア王国へと亡命してきたのだ」
観衆たちが息を呑んだ声は、アンナには聞こえていなかった。
「しかし、それは先祖の一人であって、私自身は正当なゼノア王国の貴族だ。そもそも、先祖のしたことにも何の問題があるというのだ。先祖は、戦利品としてその宝石箱を獲得したにすぎない。そこには何ら違法性などないではないか」
違法性はない。
男の――この国の貴族だという男の言葉に、アンナは愕然とした。
彼の主張には、どこにも間違いが無かった。
例え、だまし討ちも同然の戦法で、セントリーズの王国が蹂躙され宝物が略奪されようとも、違法性はないという、たった一言で片付けられてしまったことに愕然とする。
「それともお前は、かつての旧敵だからといって、遠い先祖の業を三百年も経った今になって、私に支払わせるつもりなのか?」
「……そのつもりだと言ったら?」
突き刺すような領主の返事を、しかし、貴族の男は鼻で笑った。
「そうか。それは恐いな。しかし、どうやって?」
「……今こうして、貴様の身分と顔を、衆目のある場所で晒しているだけでも、充分に打撃を与えていると思うが? 少なくともこのセントリーズでは、今後商売どころか、足を踏み入ることすらままならないと思うことだ」
けれど貴族は、それにすら動じない。
「なるほど、確かにな。お前はそういう人間だろうな。何しろ、先祖代々セントリーズ王家を信奉してきた家柄だものな。それを考えると恐いな、本当に」
「…………」
「本当に、恐ろしいよ。貴様の王家への思い入れは」
自らの出自を暴露され、追い詰められているはずの貴族は、ずっと笑っていた。
「さっきの言葉をそのまま返そう。先祖が代々引き継いできた業を、子孫が支払わなければならないと言うのなら、それを真っ先に支払うべきは、お前の方ではないのか? セントリーズ領主、ヒンシェルウッド候よ」
問われた領主は、様子のおかしい貴族を警戒しているのか、彼を睨み付けたまま口を噤んでいる。
「お前はきっと、考えたはずだな。私が――王家を滅ぼした隣国の子孫が、何故、お前に近づいたのか、その理由を。王家の品々を売りつけるため? それとも、レイトン社と組んで商売をはじめるため? 違うな。私は、さる御方から頼まれたのだ。お前の懐へと潜り込み、その動向を探るようにと」
何を―――
言い出すつもりなのか。アンナは全く分からなかったが、不穏な言葉の連続に、嫌でも胸騒ぎを覚えてしまう。
「お前が、私の経歴を調べることは分かっていた。そうすれば、お前は必ず私に興味を示すだろうからな。そしてそれが、何よりのカモフラージュになる」
貴族はまるで、自らの勝利を確信しているようだった。
「それからは知っての通り、私はお前に近づくことに成功し、お前のことを探った。そうして、ついに突き止めた。セントリーズの領主よ、貴様がベルフォルマ商会と共謀し、セントリーズをゼノア王国から独立させ、セントリーズ公国として国を興すことを企んでいる証拠をなっ」
「――なっ」
驚愕の声を発したのは、トムだった。
彼だけではない。アンナも、そして同じバルコニー内の人たちは一様に言葉を失う。
ただ、舞台下にいる観衆のさざめきは、アンナたちの驚愕に反してとても小さかった。
貴族が発した事の重大さを、即座に呑み込めた者は少ないようだった。
「セントリーズの悲恋などというカビの生えた昔話を、さも現代に蘇った奇蹟であるかのように広めているのも、そうすることで、領民たちに自らの出自であるセントリーズの王国の民であるという、選民意識を植え付けていくつもりだったのだろう」
アンナは、領主が反論するのを待ったが、彼はただ事の成り行きを静観している。
「さらには、治安維持だと言って市警の人員に口を出し、私兵の増強をはかったばかりか、王城の再建という恐ろしい計画まであると聞いた。だがな、最も罪深いのは、先ほどの発言だ。我が一族の使命だの何だのとのたまっていた通り、お前たち一族は、この時を虎視眈々と狙っていたのだ。もはや、証拠も充分に出揃った。こうなっては言い逃れなどできはしまい」
貴族は高らかに言い放つと、大仰に舞台を振り返った。
「セントリーズの領民たちよ、聞くがよい。近いうち、ヒンシェルウッド候は、国家反逆の罪に問われるだろう。その罪科は、この旧都市ミラ、ひいてはセントリーズ領全体に及ぶことになる。お前たち領民も、何ら処罰を受けないとは言い切れまい。このままセントリーズに付くか、ゼノア王国へ付くか、今の内にしっかりと考えておくことだな」
今度こそ、観衆は蜂の巣をつついた騒ぎになった。
ばかりか、広場を取り囲む警吏までもが動揺を走らせ、場は騒然となる。
たった今、セントリーズ領に住まう全ての人間は、ゼノア王国と敵対する勢力になるだろうと宣言されたのだ。この場に集った領民たちの狼狽は計り知れない。
やがて、彼らの不安から出た恐慌は、舞台上へと向けられる。
黙したまま何も語らない領主へ、批難の声が上がりはじめようとした時だった。
ぱんっ、と大きな音が、広場中に響き渡った。
発砲音に似たそれに、皆が一斉に押し黙り、音の出所を探し出す。
キール・ベルフォルマだった。彼が両手を打ち鳴らした音だった。
「――もう、やめましょう」
静まりかえった広場に、彼の声はとても良く通った。
「そうやって、ありもしない罪状を謳い上げ、人心の不安をあおり、扇動するつもりだったのでしょうが、貴方の謀略は、すでに暴かれているのです」
勝ち誇っていたはずの貴族から、笑みが消える。
「クリフ・コルベール伯爵様。貴方の本当の目的は、ヒンシェルウッド候ではない。ましてや、このセントリーズ領でも、旧都市ミラでもない」
そう言って、コルベール伯爵と呼ばれた貴族を、キール・ベルフォルマは真っ直ぐと見返す。
「貴方の狙いは始めから、我がベルフォルマ商会です」
じゅ、じゅうまん…




