30 手箱
広場には、これだけ沢山の人がいるのに、誰もが一言一句聞き漏らさないようにしているのか、驚くほど静けさに満ちていた。
その中で、朗々とした領主の声がアンナの耳に届く。
「この旧都市で起こった、アンジェラ・レイトンに関するいざこざは聞いている。何でも、自らをアンジェリカ王女の生まれ変わりだと名乗ったそうだな」
上段から投げかけられた領主の言葉に、アンジェラ・レイトンは臆することなく答えた。
「はい。ただ、あの頃の記憶を思い出したのはほんの先頃で、そのためギルバート様が――いえ、キール・ベルフォルマ様が、わたくしを探していると知っても、すぐには名乗り出ることが出来ませんでした」
「なるほど。だがそなた、聞けば、由々しき事件を引き起こしたとも聞いたが?」
「いいえ、領主様。すべては誤解なのです」
身振りを交えて否定を口にする彼女は、本当に悲愴の色を帯びて見えた。
「こちらで調べてみたところ、運送を手配した者に不手際がありました。レーヨンという処分予定だった危険な布地を、間違えてこちらに送付していたのです。本物のシルクとの判別が出来なかったことは、ひとえにわたくしの勉強不足ですが、そのために、皆さまにはあらぬ誤解を与えてしまったことを、この場でお詫びいたします」
言いながら、アンジェラ・レイトンはこちらを振り向いて、目線よりやや下にいる観衆たちへと頭を下げた。
アンナと一悶着あったことは無かったことにするつもりなのか、軽いお辞儀だけで済ませた彼女は、すぐさま領主へと向き直ってしまう。
「ですが、一度でも疑念を与えてしまった以上、それをすぐに払拭することは難しいでしょう。どれだけ言葉を重ねようとも、疑う人間は必ず現れるものですから……。ですから、わたくしはこれからの働きによって、皆さまに自らの正しさを証明していきたいと存じます。領主様とキール様には、是非ともその機会を与えていただけないでしょうか?」
「……これからとは言うが、実際に何をしようと言うのだ?」
「はい。この身の不名誉をそそぐためにも、アンジェリカ王女の生まれ変わりであることを証明するためにも、わたくしはこの先、セントリーズ王家の宝物を本来あるべき場所である、この地へ戻していくことを皆さまにお約束いたします」
衆人環視の中、そう言い切ったアンジェラ・レイトンに、しかし、観衆たちはどう反応したらいいか分からない、そんな様子だった。
彼らの戸惑いを代弁するかのように、領主が続ける。
「戻すとは、また漠然とした物言いだが、どのように?」
「それが……言葉には、とても言い表し辛いことなのですが、わたくしには何故か分かってしまうのです。そうした、アンジェリカ王女に縁のある品物の在処が」
「……そなたには、そのような能力があると申すのか?」
「もしかしたら、聖女リーズ様のお導きなのかもしれません。かつてこの地に華開いていた文化や芸術を、この地に戻そうとされているのやも」
「…………」
領主は口を閉じると、顎に手をやった。熟考するような素振りでアンジェラ・レイトンを見つめ、それからゆっくりと、反対側に立っている人物へ目を向ける。
「キール・ベルフォルマよ」
「はい」
「もし、アンジェラ・レイトンの言い分がまことなら、それが事実か否かを確かめるためにも、いま一度、汚名返上の機会を与えてやっても良いのではと私は思うのだが、おぬしはどう考える?」
「……領主様がそう仰るのであれば、こちらに異存はありません」
ざわざわと、観衆が嫌なざわつき方をした。
領主の言いなりになるのかと、不満や不安の声のようでアンナも胸がざわつくが、キール・ベルフォルマは、ざわめき声をものともしていないようだった。
「しかし、アンジェラよ。そうまで言い切ったからには、王家の品と呼べるものを、すでに所有しておるのであろうな?」
「ええ、もちろんです。実は、今日この日のために持参してきております」
そう言って背後へと目配せすると、彼女たちが乗ってきた馬車の御者が動き出した。
広場に集ったほとんどの人がそちらに注目していたが、不意をつくようにアンジェラ・レイトンの声が広場に響き渡った。
「キール様」
良く通る声に振り向けば、呼びかけられた当人は、わずかに驚いていた。
話しかけられるとは思っていなかった、そんな雰囲気がうかがえた。
「嬉しい。ようやく、こうして言葉を交わせる時がきたのですね」
「…………こちらこそ、お会いできて光栄です」
返ってきた常套句に、アンジェラ・レイトンは悲しそうな仕草を見せる。
「まるで他人行儀のような振る舞い……ですが、これまでの行き違いを思えば、それも致し方ないのでしょうね……少しだけ、悲しいです」
「…………」
彼女の言い様は、暗に責めているようにも聞こえた。
だからだろう、キール・ベルフォルマは返答に困ってるようだった。
どうするつもりなのか、心配しながら見守っていれば、彼は思いの外すぐに答えた。
「貴女の仰った通りです。一度、抱いてしまった疑念がきっと私の中にはある。それが、こうして距離を置かせているのでしょう。だからこそ今度は、きちんと自分の目で貴女の真意を見極めたく思っています」
「……ええ。わたくしも、一日でも早くキール様の信頼を取り戻せるよう、誠心誠意尽くさせていただきたいですわ」
言葉とは裏腹に、2人の間にはよそよそしい空気が流れていた。だがそれも、馬車の御者が持ってきた、布に包まれた王家の品らしき物によって消え失せる。
アンジェラ・レイトンは何事もなかったようにそれを受け取って、壇上の領主へ側近く寄ると、覆っていた布地を解いて品物を差し出した。
「どうぞ、お受け取り下さい。この品に限っては、今日この場に釈明の機会を与えていただいた感謝のしるしとして、領主様に献上したく思います」
アンナは目を見開いた。
どれだけ遠い場所からだとしても、見間違えようがなかった。
返してっ、と思わず叫びそうになっていた。
「領主様は、たいへんな目利きとお聞きしています。これの真贋については、是非とも領主様にお願いできますでしょうか」
領主は何も答えなかったが、それを手に取り受け取った。
アンナの胸の内など、誰も知りようがないまま話は進んでいく。
その非情さに眩暈がしそうになって、バルコニーの手摺りに掴まっていた。
隣りに付き添っているトムが声をかけてくれるが、アンナはそれに応えられなかった。
「……ここに紋章がある。十字と百合の紋。アンジェリカ王女のものだな」
領主の肯定に、歓声に近いどよめきがあがった。
アンナはもう、舞台のそれを見ていなかった。
見なくても分かる。精緻な透かし彫りを施された、その彫金細工の手箱には、確かに十字と百合の紋章があった。アンジェリカに与えられた、セントリーズ王家の紋章。
けれど、そんな見かけの意味など、アンナにとっては何の意味もなかった。
「残念ながら、中の宝石は残っておりません。ですが、その美しい彫金細工は今も健在です。これを見付けた時は嬉しくて、その懐かしさに思わず声を上げてしまいましたわ」
「……ああ。美しいな、とても。これは、確かに王家の品だ」
再び、どよめきのような歓声。
アンナにはそれが、自分を打ちのめす音に聞こえた。
あの宝石箱が、こんなことに利用されている。そのやるせなさに打ちのめされる。
「皆も知っているだろうが、我が一族は――この地を治めてきた代々の領主は、セントリーズ王国時代より続いてきた家系である。だからこそ私は、セントリーズの歴史を語るうえで欠かすことの出来ない王家の宝物を、ひとつでも多くこの地に戻したく思っている。そしてそれは、我が一族の使命だとすら考えている」
アンナは必死に言い聞かせた。
自分はもう、王女ではないのだから、あれももうアンナの物ではないのだと。
「宝物だけではない。各地に残っていた、当時の書物や王家の記述が残る資料は、どんなものでも蒐集してきた。そうして蓄えていった見識によって、私はこの宝石箱がどういった経由でアンジェリカ王女の手に渡ったのか、それもよく知るところにある」
アンナは、領主の言葉に顔を上げていた。
見れば、領主は自らの手のひらにある宝石箱を、慈しむように撫でている。
「この宝石箱は、アンジェリカ王女の母。アリシア王妃が生まれて間もない愛娘への贈り物として、金工工房に依頼したものだ」
はっきりとはしなかったが、アンジェラ・レイトンが「え?」と呟いた気がした。
「乳母の手紙に記述が残っている。この宝石箱には、王妃が手製された布人形が入れられるはずだったそうだ。だが、それが叶えられる事はなかった。……完成を見る前に、アリシア王妃は流行病に罹り、崩御されたからだ」
ざわついていた観衆が、しだいに静まっていくのをアンナは聞いていた。
「答えよ、アンジェラ・レイトン」
領主の声音には、隠しきれない感情の高ぶりがあった。
「アンジェリカ王女の生涯で、ただの一度しかない母からの贈り物を――母の形見とも呼べる品を、キサマは私に献上しようと言うのか?」




