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29 広場


 公開審議の広告が掲載された新聞紙が出回って、しばらくは街中が騒ぎになっていた。


 一度、偽物とされたアンジェラ・レイトンと、キール・ベルフォルマが舞台の上で向かい合い、セントリーズの領主によってその真偽を問われる。


 それを耳にして、キール・ベルフォルマの考えを疑問に思う人や、観光客がさらに増えるだろうと期待する人、単純に興味本位で楽しみにする人など、様々な反応があった。


 アンナもまた、様々なことを思った。


 彼の考えを疑問に思ったり、逆にして有益性を考えたりもしたが、やはり、アンジェラ・レイトンがしたことを思うと、素直には受け入れ難い。


 キール・ベルフォルマとアンジェラ・レイトンを話題にすることを、クリスタがかなり案じてくれたが、彼女が心配するほど心に負担はなく、むしろ、旧都市ミラがこれからどうなってしまうのか、それを危惧できた自分に、アンナは少しだけ安心していた。


 嘆くアンジェリカを閉じて以来、アンナは自分の心の在りどころが、どこにあるのか分からなくなっており、その弊害なのか、色々な場面に対して感覚が鈍くなっている気がしていた。


 それが、かつての王都である旧都市(ミラ)に、心を傾けることが出来ている。

 自分はまだ、アンジェリカなのだと思えたことが少しだけ嬉しくて、そして悲しかった。


 いくら旧都市ミラの前途を憂えたところで、ただの村の娘にすぎないアンナには、きっとどうすることも出来ない。


 一体これからどうなってしまうのか。その結果をただ待つだけの日々が続いたが、ある日、思わぬ事態が起きた。


 トムから、公開審議に行ってみないかと誘われたのである。


 行けるものなら行ってみたかった。けれど、舞台となるエルサル広場には、かなりの数の観衆が予想されるため、入場制限がかけられると聞いていたし、何より、アンナにはホテルでの仕事がある。


 すると、エルシーとクリスタが協力を買って出てくれた。アンナに振り分けられている休日が、その日に調整できるよう、客室長にかけあうと申し出てくれたのである。


 クリスタは、嫌ならちゃんと言って欲しいと最後まで口を酸っぱくしていたが、自分を慮って、そこまでしてくれる2人の気持ちに応えるためにも、アンナはトムからの誘いを受けることにした。


 そうして、まさか行けるとは思っていなかった公開審議へと、アンナは行けることになり、その日は、あっという間にやってきた。


 セントリーズ領主の、旧都市ミラ来訪。


 その歓迎式典は盛大に行われ、当日の1日目は、キール・ベルフォルマが付ききりになって、領主の都市案内をしていたと、アンナは人伝に聞いた。


 公開審議は、その翌日だった。


 天候に恵まれた快晴の正午過ぎ、アンナは、エルサル広場を見下ろして(・・・・・)いた。


 エルサル広場は、市庁舎や市警隊の本部、市営の銀行などが置かれた行政区にある広場で、祝祭の開催や、式典の執り行いにも使われているという。


 広場の四方を囲うように行政施設が軒を並べており、ほとんどの正面(ファサード)には連なるアーチ柱の回廊という、特徴的な外観をしている。


 3百年前にもよく見られたその様式は、アンナにはとても馴染み深いものだった。


 そうした建築物の中心には時計塔があり、その手前に舞台は設けられていた。


 領主が登られる舞台だからだろう。演劇の舞台のように、背後には精緻な刺繍の入った幕が張られ、とても重厚にしつらえ整えられている。


 舞台中央から奥は階段状になっており、十数脚の椅子が並べられているが、壇上の中心には、一脚だけ他よりも上等そうな椅子が鎮座していた。


 急ごしらえとは、とても思えない立派な舞台造り。


 舞台高もかなりあり、大人の背丈を軽く越えるくらいに高く、舞台上の出来事が観衆からよく見えるようになっている。


 舞台の前には、すでに群衆と呼べるほどの人々が集っていた。


 彼らの身なりを見る限り、労働階級の市民やら、中産階級の観光客やら、様々に入り交じっているように見える。


 トムの話では1万人以上の観衆が集まっているとのことだったが、入場制限をされているため、広場の全体を埋め尽くしてしまうほど隙間なく人が集まっているわけではなかった。


 余剰のある観衆の周りは、市警隊によってぐるりと囲まれており、特に舞台付近は、相当な数の警吏たちによって厳重に警備されている。


 そうして眼下に広がる光景を一望するアンナだが、アンナ自身は、エルサル広場の四方を囲む建物のひとつ、市営銀行の3階バルコニーにいた。


 舞台から見て、右側にそびえ立つ大きな建物になるが、バルコニーには他にも見物人がおり、その中の端っこへと入り込ませてもらっていた。 


 もちろん、トムの口利きによるものである。


 ただ、周囲の人たちが明らかに身なりの良い服装をしている中で、アンナは故郷の木綿服と、いつもの黒いリボンという出で立ちだった。


 是非ともこの格好で来て欲しいと、トムから頼まれたからだが、場違いな格好をしているようで、少し居たたまれない。


 それをトムも察してくれているのか、彼はアンナの壁になるように立ち、彼らの目になるべく触れないようにしてくれていた。


 アンナたちのように、建物のバルコニーや窓には、広場を見物している人が大勢いる。その人たちが、各行政施設に伝手を持った階級の高い人ばかりなのは、一瞥しただけで見て取れた。


 彼らの様子を見ている内に、アンナは彼らとの隔たりのようなものを感じた。


 今、エルサル広場には様々な階級の人間が集っているが、皆の関心を集めているのは、キール・ベルフォルマとアンジェラ・レイトンが、セントリーズの悲恋に描かれるギルバート王子とアンジェリカ王女の生まれ変わりなのか、その一点に尽きるだろう。


 けれど、アンナは知っている。2人とも、ただ顔が似ているだけの別人だということを。


 だというのに、この場でもうすぐ本物か偽物かの真偽が問われようとしており、そのことが、アンナに奇妙な齟齬を生んでいた。


 とはいえ、当人である彼らは、2人とも商売に関わる人だから、当然そういう結末(・・・・・・)を迎えても致し方ないとも思っている。


 いや、思わなければならないのだろうと、思う。その時の心構えがきちんと出来ているよう、あらかじめ自分に前置きしながら、アンナは定刻までの時間を過ごした。


 やがて、時計塔の針が2時を指し、荘厳な鐘の音が広場に響き渡る。


 舞台の回りで関係者らしき人たちがにわかに動き出し、観衆たちもざわめきだした。

 衆目が見守る中、天幕によって仕切られた舞台袖から十数人の男女が現れる。彼らは次々と舞台へ上がり、壇上に用意された椅子へと腰掛けていった。


 市長やその夫人、ベルフォルマ商会のお得意様ほか、この旧都市ミラで重要な役職に就いている有力者たちだと、トムがこっそり耳打ちしてくれた。


 全員が着席し終えた頃、それを見計らうようにして最後に登場したのは、キール・ベルフォルマだった。


 琥珀色の髪と目をした彼は、観衆たちには目もくれずに舞台横の階段をのぼるが、皆のように椅子には座らず、舞台左側の下手で立ち止まった。


 遠目のため、はっきりとは分からなかったが、やや緊張した面持ちで、けれど、観衆のざわめきは彼の一挙手一投足に向けられており、少し動いただけでも反応がある。


 だからなのか、キール・ベルフォルマは、あまりこちらを見ようとせず、ある一点に視線を向けたまま動かない。


 アンナは、彼の横顔を見つめた。心が意図的にそうしてしまっているのか、彼を見ても以前より何も感じていない自分に気付く。


 そんな気持ちすらどう表現したらいいか、分からないくらい本当に何も感じなかった。


 キール・ベルフォルマは、それから一言も発しないまま時だけが経つが、それほど間を置かず、舞台から離れた場所で動きがあった。


 広場へ続く大通りから馬車が一台入場し、洒脱な車体を見せつけるように悠然と闊歩していく。それから舞台横手に設けられていたスペースへと停車した。


 皆の注目がそこへ集まる中、馬車の扉が開き、そこから妙齢の女性1人と、壮年の男性2人が降り立つ。


 女性の方には見覚えがあった。以前と変わらず、自らを美しく着飾ったアンジェラ・レイトン。


 ただ、男性2人ははじめて見る顔で、どちらかがセントリーズの現領主なのかとアンナは思ったが、壇上にいる有力者たちの反応を見る限り、そうではないようだった。


 アンジェラ・レイトンは、男性の1人にエスコートされながら、優雅な足取りで舞台を上がり、キール・ベルフォルマとは反対に舞台右側の上手に立った。そして、彼女のエスコートを終えた男性2人は、壇上の人たちと同じように椅子へと着席する。


 ようやく、キール・ベルフォルマとアンジェラ・レイトンが、舞台の上に揃った。


 劇場街に飾られた絵画のごとく並び立った2人に、観衆は盛り上がりを隠し切れ無いが、2人ともそれには応えず、ただ対峙したまま何も喋らない。


 数分後、馬車がもう一台、広場へと現れた。

 すると、壇上に座していた有力者たちが次々と立ち上がっていく。


 黒塗りの厳かな馬車は、やがて舞台の横に到着し、御者が恭しく扉を開く。


 そこから降り立った初老の男性に、キール・ベルフォルマとアンジェラ・レイトン、そして壇上の全員が一斉に礼を執った。つられるように、舞台下の観衆たちも身を屈め、頭を下げていく。


 彼こそが、セントリーズ現領主、ヒンシェルウッド候なのは明らかだった。


 白髪交じりの髪に、ダブルブレストのフロックコートを身に纏ったその人は、しんと静まりかえった広場を、堂々とした身のこなしで横切って行く。


 舞台へとあがり、壇上の中心にある一等席へと何の躊躇いもなく腰掛ける。

 それを見届けてから、左右に位置した有力者たちも椅子の上へと戻った。


 「では、始めようか」


 低く落ち着いた領主の声は、周囲の建物に反響して広場中へと響き渡った。






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