28 茶番
ネイサンは自分を落ち着かせるため、深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
それから、めまぐるしく過ぎていった、このひと月近くを振り返る。
キールの父、ルーク・ベルフォルマの登場は、あの時の状況を一変させた。
彼がもたらした情報と、言外に匂わせた助言を、いち早く理解したのはその息子であるキールである。
キールははじめ、父親が言わんとしていることに、そんな遊戯に興じている場合ではないと反発していたが、ルーク・ベルフォルマはその反発ひとつひとつを、実に楽しげな様子でなだめていった。
主語やら主題やらが抜けた親子の会話は、打てば響くような速さで交わされていき、いったい何の話をしているのか、ネイサンはしばらく置き去りにされていたが、次第に自分の名前が乱発されていることに気付いた。
彼らの会話の中で、自分が最も重要な立ち位置にいることに気付いた時には、もう手遅れで、彼らが口頭だけで組み手立てていった下書きは、ネイサン一人が口出したぐらいでは崩せるようなものではなくなっていた。
何より、暴走しかけたキールに対して別の方法を考えるべきだと、偉そうに述べ立てた手前、彼らの企て以上の案を出せるはずのないネイサンは、2人からようやく説明が入る頃には、やります、と二つ返事で頷くほかなかった。
それからは、本当に目の回るような日々だった。
わずかひと月で、やらねばならないことが有りすぎた。
まず、セントリーズ領主と連絡を取る必要があった。
もちろん当主からの情報にあった、消えたという、バーナード・レイトンと養女アンジェラ・レイトン。そして、彼らの後援者であり、セントリーズの領主に、ある取り引きを持ちかけたという貴族についてである。
貴族の要求は、実に単純なものだった。
セントリーズの領主に、衆目のある場所でアンジェラ・レイトンをアンジェリカ王女の生まれ変わりだと認め、彼女が起こした一連の不始末は、全て誤解であったことを公表することと、さらにもうひとつ、ベルフォルマ商会に己が後援しているレイトン社との事業提携を働きかけることの2つだった。
その条件を引き替えにして、領主が長年求めていた、アンジェリカ王女の遺品を譲り渡すのだという。
あまりに安易すぎて面食らってしまったくらいだが、領主と事前に話を通して、貴族の提案に乗ってもらうことにしたのである。
それに伴い、領主来訪のスケジュールを大きく変更させねばならず、関係各所への通達も必要になり、責任者たちへ一言入れるためにネイサンは奔走するはめになる。
急遽もうけられた公開審議を広範囲に宣伝するため、新聞に広告を打つことになったほか、領主来訪に際して、配備される市警の警備配置追加と変更の指示。
さらには、エルサル広場に特設舞台を緊急手配する必要もあり、ネイサンはもちろん、その周辺はてんやわんやしていた。
領主様の意向という建前によって変更されたイベントに、興味を示す者は多かったが、やはり不満の声も少なくなかった。
もちろんベルフォルマ商会からも、そうした声はあがった。
しかし、ミラ支部にひょっこりと顔を出した、商会当主ルーク・ベルフォルマによる鶴の一声が、あっさりと収めてしまった。
あの時、皆が見せた顔が一様に同じだったのが、とても印象深かった。
ちなみに、キールが手を下してしまった門番の件も、いつの間にか当主が話を付けていた。
彼によれば、会話が出来る状態にまで回復したあとは、とても素直に口止め料を受け取って、速やかに辞職していったらしいが、その日の内に旧都市ミラから逃げ出したところを見ると、いったい何を言われたのか、ネイサンはあまり考えたくなかった。
そもそも、人の事を気にかけていられる余裕がない。
ネイサンには、スケジュール変更の一報を入れる以外にも、しなければならないことがあった。
“台詞”を、覚えなければならなかったのである。
ただ“台詞”を覚えること自体は、面談や商談などで何度も実践してきているため、それほど難しい問題ではなかったが、しかし今回、その台詞を披露することになるだろう相手は、特定の人物ではなく、およそ一万人はのぼるだろう観衆たちだった。
領主主催のこの催し物には、すでに台本があった。
台本を書いたのはキールであり、そして、その台本通りにネイサンが演じる予定になっているのである。
台詞を読み直す度に、その時の光景を想像してしまっていた。
まさか、自分が本当に舞台役者の真似事をすることになるとは思いもよらなかった。
ネイサンは、外に聞こえる、かなりの数になりつつある人の声に耳を傾ける。
ここは、エルサル広場に設けられた舞台の裏側にある、時計塔の中。
エルサル広場は、祝祭の開催や、式典の執り行いなどに使われている広場である。
そのため、催し物の度に特設の舞台が建てられる場所でもあった。
舞台の建てられる箇所は常に決まっていて、建造群のおよそ中央にある尖塔をもった時計塔の前。塔とは言っても、左右に吹き下ろしのある建築物で、催し物のたびに関係者の控え室として利用される場所だった。
関係者以外は立ち入れないためか、ネイサンに用意された控え室からでも、外の喧騒は伝わってくる。
今日がその、ネイサンの人生初舞台となる、本番当日である。
いやがうえにも高まる緊張を、何度目かになる深呼吸で紛らわせようとするが落ち着かず、やはり何度目かは分からない台本の読み直しをすることにした。
この日までに、内容の差し替えが幾度かあったし、何より“台詞”以外にも、丸暗記しなければならないモノもあったため、読み直しは何度してもし足りない。
だが、いくらそうやって前準備をしてみても、台本通りに行くとは限らなかった。
これから対することになる相手は、こちらに台本があることなど知りはしない。
とどのつまり、半分以上がぶっつけ本番なのである。
コンコンコン、とドアをノックする音が聞こえてきたのはそんな時だった。
従者のヴィンセントには、1人で集中していたいからと席を外してもらっている。
彼だろうかと、ネイサンが扉に向かって応えるとに、わずかに開かれたそこから顔を出したのは、義弟のヨハンだった。
中にネイサン1人しかいないことを確認すると、するりと中へ入り込んでくる。
「あれ、まだ本読みしてんの?」
「……何かしてないと、落ち着かないんだよ」
「ああ、なるほど」
言いながらヨハンは、ネイサンが腰掛けていたソファの前へと歩み寄ってきた。
「よく入って来られたな」
「うん、まあ。そういうアレコレのは、いつものことだしね」
悪びれた様子のないヨハンだが、ネイサンも咎めるつもりは全くない。
「それはそうと、今日は気合い入れていかないとね。兄ちゃんの頑張り次第で、セントリーズの未来が決定しちゃうようなもんだし?」
「…………なんで、余計なプレッシャーかけてくるんだ」
「うん、叱咤激励ってヤツをね。で、肝心のあの親子は? もう帰ってきてんの?」
「……まだだよ。今朝も手紙は届いているけど、帰宅の報告はまだ無い。でも、あの人たちのことだから、実はすでに帰ってるんじゃないかって気がしてる……」
「やりそう、やりそう。特にオトウサンの方」
そう言ってヨハンは、けらけらと笑う。
ベルフォルマ親子は現在、とある事情によって旧都市ミラを離れている。
とりわけ、ルーク・ベルフォルマが都市にいたのはひと月の内の半分だけで、あとの半分はとある人物と会いに、とある場所へと息子を連れて出掛けてしまっていた。
公開審議に向けての段取りは、毎日届けられる手紙によって指示を受けており、台本の内容に細かな差し替えはあったものの、その大筋は基本的に変わっていない。
そして今朝の手紙には、全て予定通り敢行する旨が指示されており、なおかつ、今日ネイサンが食べた朝食と同じメニューが、味の感想と共に何故か綴られていた。
もし、帰ってきていることをワザと報せていないなら、それだけつつがなく事が運んだ―――のだと、ネイサンは思いたい。
「しっかし、たったひと月で、よくまあ間に合ったもんだね。もう奇蹟に近いんじゃない? あ、これもアンジェリカ王女様のご加護的な?」
「…………」
冗談のつもりだろうが、ネイサンはひとつも笑えなかった。
黙ってしまったネイサンに、ヨハンは苦笑しながら後ろ頭を掻く。
「……あのさ、そんなに大仰に構えなくても、領主様っていうこれ以上ないくらいの味方も居るんだし。何より、兄ちゃんは何だかんだで似たような場面って言うか、場数は踏んできてるんだから、自信を持っていいと思うよ?」
「…………」
ネイサンは、黙ったままヨハンを見上げる。
自分の義弟がここまで何しに来たのか、だいたい察しが付いてしまった。
「……お前は、何だかんだで俺を操るのが上手いよな。昔から」
「あ、バレてた」
へらりと何故か嬉しそうに笑うヨハンにつられて、ネイサンも笑ってしまった。
ヨハンの口車に乗せられたわけではないけれど、義弟の励ましが嬉しくないはずもなく、ネイサンはわざとらしくため息をつく。
「……まあ、味方というなら、ヨハンと領主様の他に、あの親子もいるしな?」
「そうそう。何だよもう、兄ちゃん恐いもの無しじゃん。ついでに王女様も味方に付けちゃえば、地上最強だよ。やったね」
励まし方がよく分からない方向に行っているうえ、ヨハンはネイサンの肩をぽんぽんと叩くと、
「――あ。じゃ、そろそろ行くね。誰か来るかもしれないし。初舞台、ガンバって」
そう慌ただしく、入ってきた扉から出ていってしまった。
ヨハンのことだから、本当に誰かがこの部屋へ来る気配がしたのかもしれない。
手元の懐中時計を開いてみれば、もうすぐ時刻が迫っていることを告げてくる。
「…………」
覚悟を決めなくてはと、ネイサンは胸中で独りごちた。
全てが終わった時、今日ここで起こったことは大きく取り沙汰されるだろう。
それこそ、ゼノア王国中に知れ渡るといっても過言ではない。
それが目的なのだから、そうなって貰わなければ、逆に困ってしまうくらいだ。
これから行おうとしていることは、今まで避けてきた、“事を大きくする”ということの、まさしく真逆をいく行為だった。
もちろん、事態を大きくするからには、それなりの理由を伴っている。
まず、バーナード・レイトン及びアンジェラ・レイトンの裏で糸を引いているという貴族を、その要求通り、衆人環視のもとへとおびき出すため。
次に、本物のアンジェリカ王女の存在が明らかになった以上、二度とアンジェラ・レイトンのような偽物騒ぎを起こさせないようにするため。
そして、その偽物騒ぎや例の門番によって、おそらく事実を誤認してしまっているだろう本物の彼女へ、キール・ベルフォルマの言葉を届けるためである。
現状、彼女が旧都市ミラに留まっているのかすら分かっていない。
できれば、宣伝用に打った新聞の広告欄が彼女の目に留まり、今日の公開審議を観に来てもらいたいが、新聞紙の普及率と、エルサル広場にかけられる入場制限を鑑みると、その可能性は高いとは言えないだろう。
だが、必ずしも今日この場に居てもらう必要はなかった。
こちらの目的は、どこに居るとも知れない彼女へと、ある方法で呼びかけを行い、もう一度彼女の方から、こちら側へと訪ねて来てもらうことである。
それが、やはり最も効率の良い方法だった。
旧都市ミラどころか、セントリーズ領、ひいてはゼノア王国全土にかけて、1人1人闇雲に捜すなどというのは、どう考えても時間とコストがかかりすぎるのである。
ただし、守るべき一線もあった。
キール・ベルフォルマは、あくまでもギルバート王子だとは名乗らない。
その一線を守りつつ、最善の結果を出すことが最大の目的だった。
セントリーズの悲恋。それから3百年後に続いてしまった、この生まれ変わり劇には、終止符が打たれねばならない。
そのための茶番が、今から始まる。
書き忘れましたが、しばらくは22時頃に更新を予定しています。




