27 再演
アンナは、ずっと分かっていなかった。もう一度この世に生まれてきた理由を。
それを教えてくれたのは、キールベルフォルマがアンジェリカ王女を捜しているという噂で、けれど、キール・ベルフォルマはギルバート王子ではないという結論に、結局は至ってしまった。
その時の喪失感は、まさに生まれてきた理由の消失だった。
それでもアンナは、気丈に振る舞った。
あの面会の翌日は、さすがに目が腫れてしまって、同僚の何人かに心配をかけてしまったが、いつも通り業務をこなすことは出来た。
胸には、塞ぎようのないくらい大きな穴が空いているのに、いつも通り動いていられたのは、自分の中にあるアンジェリカの部分に蓋をしたから。
地に伏して嘆き続けるアンジェリカを完全に閉ざして、アンナはアンナの部分だけで、日々の暮らしを取り戻すことを意識した。
そうしなければ、二度と立ち直れない気がしたのだ。
ただ、いくら普段通りに振る舞っても、エルシーとクリスタには気付かれているようで、口にするわけではないけれど、折に触れて細かな気遣いを感じた。
そうした2人の助けもあって、旧都市ミラでの日常を取り戻すこと自体はそれほど難しいことではないと思われた。
難しかったのは、これからについてアンナは考えなくてはならないことだった。
キール・ベルフォルマは、ギルバート王子ではなかった。
そうなると、アンナにはもう、旧都市ミラに滞在している理由がなくなる。
一番良いのは、出身の村に帰って、父母の元に戻ることだろう。
しかし、これからどうするのか、考えようとすると自分の中から聞こえてくる声に、どうしても引きずられそうになってしまう。
だからアンナは、たった3ヶ月で仕事を辞めてしまうのは迷惑がかかる、という不実な建前を口実にして、まだこの都市に留まることを選んだ。
問題の先送りでしかないと分かっていたが、毎日のようにアンナを気にかけてくれているエルシーとクリスタに、とにかく自分はまだ、しばらくここで生活していくつもりでいることを伝えておきたかった。
そしてそれは、ここまで何度も力を貸してくれたトムも同じである。
「……そうか。それは良かった…本当に」
お礼も兼ねたアンナの言葉に、トムはそう答えた。
あの面会のあと、トムは一度フォート支部の方に戻ったが、こうしてまたアンナの休日に合わせて会いに来てくれていた。
ただ、密室で男性と会うのはクリスタが良しとしなかったので、従業員部屋のあるホテル別館の中庭で、一緒に散策という会い方をした。
「…………」
トムは、アンナとの軽い挨拶を済ませると、何故なのか、じっとアンナの事を見つめた。
特に、アンナの頭部を食い入るように見つめている。
「……おじ様?」
「――あ、いや……ちょっと、ね」
何やら言葉を濁したあと、トムは考えるような仕草をする。
「変なことを聞くようだけど……君は実家にいた時、黒いリボンを着けていなかったかな?」
「……ええ」
「それは、今もかい? 今も外出する時とかは黒いリボンと、トルア地方の――あの村の服を着ていたりするかい?」
「……はい」
アンナは今、休日ということもあってホテルの制服である、黒のワンピースだけを着ているが、外出する時はトムが指摘した通りの格好をしていた。
けれど、どうしてそんな事を聞かれるのか分からなくて、アンナは首を傾げる。
トムは言いにくそうにしながら、切り出した。
「これを聞くのは、私としても心苦しいんだが……君が会った、あのベルフォルマ様は、本当にギルバート王子ではないんだよね?」
「…………はい」
質問をしたのはトムだというのに、アンナの答えを聞いて、彼はますます問題が増えたような顔をした。
「……あの。どう、されたのですか?」
「ああ、うん……ちょっと、よく分からなくなってしまって……もう少し考える時間をくれないか」
トムの様子がおかしいことは明らかだったが、時間が欲しいと言われてなお言及することはアンナにはできない。
しかし、そうすると会話がなくなってしまって、どうにも気まずい雰囲気が流れた。
それを察してだろう、トムから昼食の誘いを受けるが、アンナが返事をする前に、どこからかともなく口論のような声が聞こえてきた。
何かを言い合う声は2つあったが、その両方に聞き覚えのあったアンナは、声のする方を振り返る。本館の建物から現れたのは、想像通りエルシーとクリスタだった。
「だから、ちゃんと話した方が絶対に良いよ。こんなの隠しようがないんだから」
「でもっ――でもアンナは、今それどころじゃないでしょ。こんな事知らされたら……」
「むしろ、後になって知る方が気分悪いと思うよ。アンナのことだから、余計な気を遣わせたって思っちゃうかも」
「…………」
エルシーの言葉にクリスタは黙ってしまう。
どうやらアンナのことで揉めているようだった。
「……あの、どうされました?」
「あ、アンナだ。良かった、まだここにいて」
先に気付いたのはエルシーで、すると、彼女は手に持っていたモノをクリスタに渡す。
「ほら、クリスタが説明して。私よりずっと上手でしょ。そういうの」
渋々といった様子でそれを受け取るクリスタは、エルシーと一緒にアンナのもとまで歩いて来るが、やはり躊躇いがちに口を開いた。
「……大変なの。あの女が戻ってきたわ」
「……?」
「――あの女よ、アンジェラ・レイトン」
そう言って、クリスタが差し出したのは、エルシーから受け取った1部の新聞紙。
おそらくホテルのサロンから持ってきたものだろう。クリスタはアンナたちの前で広げると、ある広告欄を指さした。
そこには、アンジェラ・レイトンの名前とキール・ベルフォルマの名前。そして、“公開審議”という文字が、扇動的な文面で紙面に記載されていた。
「あの女、旧都市から追い出されたあと、どういう伝手を使ったのか知らないけれど、セントリーズのご領主様に直訴したらしいの。自分は本物のアンジェリカ王女だって」
紙面から顔をあげれば、クリスタから視線を逸らされてしまう。
「……でも、この間、この旧都市で偽物のレッテル張られたばかりでしょ。だから、その真偽を改めてご領主様に確かめてもらうつもりなのよ。それも、わざわざ観衆の前で。要するに……要するにあの女、自分を偽物だと断じたキール・ベルフォルマに、直接対決を挑んできたのよ」
クリスタの言ったことは、広告欄には書かれていない。
ただ、遠回しな表現が使われているだけで、読もうとすれば確かにそうした意味合いに取れる内容が記されていた。
日にちは、セントリーズの領主が来訪される日である、およそ10日後。
場所は、エルサル広場。そこに特設の舞台を設けて、公開審議を行うらしい。
「ご領主様もご領主様よ。こんな見世物のようなこと、まさか認めちゃうなんて」
「……確かに、おかしいね」
アンナから新聞紙を受け取ったトムが、紙面に目を通しながら応えた。
「一度、偽物として追い出しておきながら、領主様の命令で手のひらを返したりなんかしたら、ベルフォルマ様ご本人はもちろん、商会の名にも傷を付けかねない。かといって、彼女を再び偽物だと判じたりすれば、今度は2人を引き合わせた領主様の顔に泥を塗りかねないだろう。どちらにしてもリスクがあるというのに、よく引き受けたものだ」
トムは眉根を寄せて、眉間に困惑を刻ませる。
「第一、ギルバート王子とアンジェリカ王女の生まれ変わりかもしれない2人が、同じ舞台の上で並び立つなんて、見世物以外のなにものでもないよ。こんな広告まで打って、わざわざ広く聞こえるよう宣伝までしてしまうなんて。これでは、自ら事を大きくしていっているとしか思えない。いったい、どうしてこんな……」
彼の困惑は、アンナにも伝わった。
キール・ベルフォルマが、今まで自分をギルバート王子だと名乗ったことが無いのは、事を大きくしないためだと思っていた。
けれど、もし仮にアンジェラ・レイトンをアンジェリカ王女だと認めてしまったら、結局は、自分もギルバート王子だと認めてしまうことになるのではないか。
それとも、それすらも領主に言い含められてしまっているのか。
「本当に、分からない……キール・ベルフォルマという人間が、今ほど分からなくなってしまった事はない」
自問するように呟くトムは、ふと気付いたようにアンナを見た。
「……ただ」
彼はそう続けたが、しかし、それきり黙り込んでしまう。
アンナは、丸眼鏡の奥にある瞳が、答えを探してさまよっているのを見た気がした。
大変 お待たせいたしました。
今日から10話ほど連日更新して行こうと思います。




