24 封鎖
レーヨン事件の功労者と面会してから、数日後。
未だアンジェリカ王女は現れず、キールもまた彼女の捜索に出て行ったままろくに戻らない。
やはり、アンジェラ・レイトンの一件で、この地を離れてしまったのか。しかし、決定的な要因が分からない状態では、どうすべきかも対処できず、ただただ膠着状態が続いていた。
キールとヨハンは、毎日かかさずベルフォルマ商館と商工会議所の受付に通い、藍色の目と髪に黒いリボンをした少女が、訪ねてきていないかを確認している。
ベルフォルマ家の親戚が行方不明ということで、周囲からは市警隊に届けを出した方がいいのではと、声が上がってきていた。
ネイサンは、それも致し方ないように思えてくる。多少事態を大きくしても、それで解決するならば、そうした手段も考慮すべき段階にある気がした。
しかし、その判断を仰ぐべきキールと、ほとんど会話ができていない。
朝や早くに出掛け、夜遅くまで帰ってこないのは当然で、帰ってきたとしても、心ここにあらずと言った様子で、まんぞくに会話が成り立たなかった。
ただ、キールがいなくても、キール・ベルフォルマには仕事がある。
セントリーズ領主の来訪まで、あとひと月を切った。
ネイサンは、決められたスケジュール通り、旧都市ミラの市長と面談を行うため、従者のヴィンセントを連れて市庁舎へ移動していた。
領主来訪時に備えた、各要所の経路や市警隊などの配置に、最終調整の確認を入れたあと、ベルフォルマ商館へと戻る。
しかし、執務室へ向かう途中、ネイサンを待っている者がいた。
下働き姿をしたヨハンだった。
「――あの……話が………」
ネイサンに向かって語りかけてくるヨハンは、ひどく顔色が悪いうえ、追従しているはずのキールの姿がどこにもない。
不躾なヨハンの行為を、ヴィンセントが咎めようとしたが、ネイサンが止めた。
ヴィンセントとは、適当な理由を付けてから別れ、ヨハンを連れて商館と隣接している居館の方へと向かった。
ネイサンの自室へと急ぎ、部屋の扉を閉めると同時に、ヨハンは切り出す。
「どうしようっ。あの人、連れて行っちゃったっ」
「何? どうした、ちゃんと説明してくれ」
ヨハンは、珍しいほどうろたえながら頷いた。
「わかったんだ。王女様が現れなかった理由。門番だった。アイツが彼女を追い払ってた。だから、ここを訪ねることが出来なかったんだ」
ヨハンが言うには、いつも通り、受付で件の少女が来てないか有無を確認したあと、門の外へ向かう途中、門番の男2人に引き止められたらしい。
そして、藍色の髪と目、黒いリボンに村娘の格好という特徴を持った少女を追い払ってしまったことを話したらしい。
だんだんと事が大きくなって言うに言い出せなくなったこと、けれど、同僚に説得されて、ようやく口を割るに至ったことを、キールたちの前で打ち明けた。
「そうしたら、あの人、詳しい話を聞かせてほしいって言って、それで、辻馬車捕まえて、そいつだけ連れ行っちゃって。オレ、止められなかった。邪魔したら、あの場でアイツを殺すって言われて」
殺す。
そんな言葉を吐くキールが、男に何もしないはずがなかった。
「――どこだ、行き先はっ」
「わ、わかんない。でも、たぶん……たぶん、あっちの私邸だと思う」
ネイサンは、ヨハンの腕を引いて駆けだしていた。
市街地からやや離れた場所にある、キール・ベルフォルマの私邸へと馬車を走らせた。
馬車を降りてから、門とアプローチを突っ切って、玄関の戸を乱暴に叩いたネイサンとヨハンを出迎えたのは、青ざめたヒルダだった。
彼女は、ネイサンたちが何も聞かずとも、「浴室におられます……」とそれだけを呟いた。
急く気持ちはあるものの、忌避したい気持ちも抱えながら、浴室のある廊下へと向かえば、水の音が聞こえてきた。
一瞬、足が止まる。それを奮い立たせて、開いていた浴室の扉から中へと入った。
聞こえていた水の音の正体は、蛇口から止めどなく流れる水が、洗面台へと流れている音のようだった。
様子がはっきりしないのは、洗面台の前に立っている、灰色の髪をした男が邪魔になって見えないからだ。
男は――キールは、手を洗っているようだった。
シャツの袖口を肘までまくり上げ、石鹸を直接、腕に擦り付けていた。
ネイサンは、浴室を見渡した。けれど、キールが1人いるだけで、浴室のどこにも別の男の姿は見えなかった。
視線をキールの後ろ姿に戻すと、洗面台の上、壁掛けの鏡に表情のないキールの顔が映っていた。鏡越しにネイサンを見ていた。
隣にいるヨハンを見て、もう一度ネイサンを見ると、彼の視線は再び手元へ落ちる。
「そんな顔をしなくても、殺したりなんかしていない」
石鹸で指先を洗いながら彼は言った。
「少し脅したくらいで失神とか、今の奴らはこらえ性がないな」
「…………」
少し脅しただけというなら、どうして手を洗っているのか。
そう問いかけたい衝動にかられたが、ネイサンはその先を知ってしまうのが怖くて、口を開けなかった。
水の流れる音だけが、痛いほど耳に付く。
そうして、ただ無駄に時間が流れるのをネイサンは待ってしまった。
キールは、石鹸で洗っていた手を、蛇口の水ですすぎはじめる。
「……あの男」
ぎくり、とした。
キールが今、“あの男”について口にすることほど、恐ろしいものはなかった。
「どうやら、彼女に余計なことを吹き込んでくれたらしい。それで彼女は、ボクを訪ねるための手立てを、ほとんど失った」
鏡にキールの顔は映っていない。
声にも抑揚がなくて、彼の感情が一切見えてこなかった。
「しかもそれは、3ヶ月も前のことだそうだ」
―――3ヶ月。
ネイサンは耳を疑った。
彼女の捜索をはじめたのは、およそひと月半ほど前だ。なら、そのさらにひと月以上も前から、彼女は旧都市ミラにいたことになる。
その間、ずっと、キールと会う方法を探していたのだろうか。
無茶だと思った。何の伝手も持たないだろう少女が、旧都市ミラでおそらく最も接見するのが難しいベルフォルマの御曹司と、どうやって会おうというのか。
下手をしたら、捕縛だってありえたはずだ。
よほど強い、それこそ執念と呼べるものでもなければ、いつ諦めてしまっても可笑しくない気がした。
「ネイサン、旧都市を封鎖するぞ」
「――――え」
「旧都市を封鎖する。そして、一人余さず片端から調べて、捜す」
「な、何を、言って―――」
水音のせいで、聞き間違えたのだと思いたかった。
けれど今度は、応えてはくれなかった。
「……そんなことをしたら、暴動が起きます。それに……それに、そんな大事件を起こしたら、旧都市の評判は地に落ちます。王女を見付けられたとしても、そのあと住民たちはどうやって暮らしていけば……」
しかし、旧都市ミラに暮らす何万人もの生活は、次の一言で斬り捨てられた。
「知るか」
「――――」
「アンジェリカのためにならないなら、こんな場所、もう要らない」
本領発揮