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23 悲痛


 アンナたちは、外に待たせてあった辻馬車に乗り込んだ。


 行き先はホテル『シャトー』だと、トムが御者に告げるが、気を遣ってだろう、トムは乗車せず、アンナ、エルシー、クリスタだけで帰路につく。


 馬車の中は、重苦しい沈黙に包まれていた。

 エルシーも、クリスタも、何も言わず馬車道の起伏に揺らされていた。


 だからアンナは、自分から切り出すことにした。


 「……あの方は、ギルバート様ではありません」


 隣の座席にいたエルシーの顔がくしゃりと歪んだ。唇が引き結び、何かを堪える顔だった。


 向かいの座席に座るクリスタが、そんな彼女を見てから、遠慮がちに口を開いた。


 「……聞いても、いい? さっき、キール様に聞いていたのは?」


 「……はい。さきほどの質問は、私とギルバート様が、はじめてセントリーズの古語で交わした言葉です」


 古語、とクリスタが口の中で繰り返す。博識な彼女でも知らないようだった。


 「セントリーズには、古い言語がありまして、セントリーズの成り立ち以前からありましたが、すでに使われなくなった言葉です。私が――アンジェリカが生きていた時代から、もう王族くらいにしか、伝えられていないものでした」


 不意に温かな気持ちが湧き上がった。

 それは、懐かしい記憶だった。


 「ギルバート様が、それを習いたいと仰って。それでまず、さきほどの簡単な遣り取りを、私が直接教えて差し上げて……」


 そのあとは、私が好きだと答えた花を、彼は会うたびに贈ってくれた。

 手紙が届けられる時は、いつも押し花が添えられていた。


 「ギルバート様は、あの難解な言語をすぐに覚えられて。私より、ずっと上達なさってしまったくらいで」


 アンナは笑みを含んでいたが、それは不意に消え去った。


 「ですから本当は、あの方に……キール様には、最初に古語の方で尋ねたのですが……現代の言葉で言い直しても、気付いてはもらえなくて…………」


 また馬車の中が静かになった。


 ―――気づいて、もらえなかった。


 その事実が、ようやく今になって、アンナの心に押し寄せてくる。


 「――――……もう一度、会えると思っていました」


 知らず、声に出ていた。


 本当は、あの人の手を握る前から分かっていた。

 アンナの中にいるアンジェリカが、この人ではないと叫んでいたから。


 あんなに近くにいても、アンナの心はほとんど動かなかった。

 声にも、懐かしい響きなど何一つなかった。


 それどころか、近づけば近づくほど、あの人との違いが迫ってくるようで、だから、確かめてしまうのが恐ろしくてたまらなかった。


 「私、ギルバート様の目の前で死んでしまったんです」


 はっと息を呑むような音が、エルシーとクリスタから聞こえてくる。


 「あと、もう少しでした。後もう少しで間に合ったのに……私、毒を飲んでしまって……」


 こんな、自分が死んだ時のことを二人に話しても仕方がないのに、アンナの口は止まらなかった。


 「あんな姿、見せたくなかった。あんな―――酷い」


 視界が滲んでいた。涙が出ていた。


 今でも脳裏に焼き付いている。

 愕然とした顔。絶望と恐怖に染まる顔。


 「――どれだけ、あの人が傷付いたか」


 自分の目から涙がこぼれそうになって、たまらず顔を覆う。


 「……アンナ」


 エルシーが、いたわるように背中を撫でてくれた。

 彼女の胸にすがっていた。そのぬくもりに、アンナはもう歯止めがきかなくなっていた。


 「も、もう一度、お会い、したかった。……あんな、最期で、終わらせたくなかった。だから―――だから、私は」


 神に願った。


 命尽きるその間際、アンジェリカの胸には様々なモノが去来した。

 けれど、何よりも、目の前で涙を流すあの人が、アンジェリカの全てだった。


 置いていかないでくれと、温かな水滴を降らせ懇願する彼に、必死に手を伸ばして“もう一度を”願った。


 だから、叶えられたのだと思った。


 ギルバート王子がアンジェリカ王女を捜しているという噂を聞いた時、あの間際の願いが叶えられたのだと、そう思った。


 けれど、違った。

 違ったのだ。あの人ではなかった。


 この目と言葉で確かめてしまったキール・ベルフォルマは、アンナがもう一度会いたいと願った、あの人ではなかった。






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