22 面会
ネイサンは、レーヨン事件の功労者である、ホテル『シャトー』の客室係たちと面談することになった。
客室係の一人が、ベルフォルマ商会上級職員の姪ということもあり、彼の仲介で設けられた席だった。
従者のヴィンセントだけを連れ、ネイサンは応接間に向かう。扉が開かれた先では、ネイサンの到着を待っていたトム・カバネルが、ソファから立ち上がる。
「お待たせしました。キール・ベルフォルマです」
言いながら、ネイサンの方から握手を求めれば、トム・カバネルは直ぐさま応じた。
「トム・カバネルです。この度は、大変なご無理を聞き入れていただき、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。大事なるかも知れないところを、未然に防ぐことが出来たのですから、礼を述べなければならないのはこちらです。それで……そちらの娘さんたちが?」
ソファの背後でずっと控えていた、客室係の制服を着た娘たち3人を、ネイサンは改めて見なおした。
3人とも10代半ばといった年齢だった。
「こちらから、エルシー・プレストン、クリスタ・ラボリー、アンナ・カバネルと言いまして、私の姪はこのアンナという娘です。この子たち3人、それぞれの働きで、あのハンカチーフがレーヨンだと見破ったのですよ」
「なるほど。しかし皆さん、お若くあられる。驚きました。その年齢で、とても高い見識をお持ちのようですね」
ネイサンは、キールから仕込まれた“笑い方”を、いつものように実践するが、3人の反応は、まちまちだった。
茜色の髪に藍色の目をした娘は、どこか期待するような目でネイサンを見つめているし、ブルネットの髪にブラウンの目をした娘は、やけに探るような目でネイサンを眺め回している。
そして、藍色の髪に藍色の目、おそらく一番年下の娘は、何とも言い難い静謐な目でネイサンを見ていた。
「……私の言葉で、どれほど報いられるかは分かりませんが、ひとまず、貴女たちには感謝を。できれば何か、働きに見合ったものを―――」
「あ、はい。じゃあ、今日の記念というか、何と言いますか。握手してもらえると嬉しいです」
エルシー・プレストンという娘が、突然そんなことを言い出した。
「……握手、ですか?」
ずいぶん突飛な提案に、ネイサンは思わず聞き返す。
「みんなも、それでいい?」
「私は、かまわないわ。アンナは?」
「……はい」
彼女たちは、ネイサンを置き去りにして、勝手に話を進めてしまう。
「………本当に、それで?」
ネイサンは、確認のためにトム・カバネルを見た。
彼は、お願いしますと言うように、ゆっくりと頷いた。
「……では、そのように」
ネイサンが承諾すると、3人は我が意を得たりと動き出す。ソファの背を回り込んで、エルシー・プレストンを先頭に、ネイサンの前へと一列に並んだ。
彼女たちが求めているのは、おそらく挨拶を意味する握手ではない。
本物のキール・ベルフォルマでも、ギルバート王子でもないネイサンは、若干の罪悪感を抱きながら手を差し出す。すると、エルシー・プレストンは両手で握り返してきた。
「わあ、ありがとうございます。やっぱり旧都市に来たからには、一度はお会いしてみたかったんですよね。今日のことは一生の記念にして、家族や友達に自慢したいと思います。あ。今日のこと、他の人に話してしまっても支障ありませんか?」
「…ええ、ありませんよ。どうぞ」
何やら、少し変わった子だなと思っている間に、彼女はネイサンの手を放す。
次に、クリスタ・ラボリーという娘が前に出ると、彼女は自ら手を差し出してきた。ただ、そのもう片方の手では、何故かアンナ・カバネルという娘の手を引いていた。
「はじめまして、ベルフォルマ様。お会いできて光栄です。せっかくですし、この場を借りて言わせてください。ご領主様との共同事業として治安維持の向上に努められたのは、何よりの功績だと思います。今後も、御社の発展を心よりお祈り申し上げております」
「…ご丁寧に、ありがとうございます」
これまた、違う意味で変わった子だった。
クリスタ・ラボリーは、ネイサンの手を放すと、3人目であるアンナ・カバネルの後ろに回り、その肩に手をやってネイサンの前に立つよう促した。
ネイサンは手を差し出すが、彼女は緊張しているのか、なかなか動こうとしない。他の2人がそっと声をかけて、ようやく手を持ち上げた。
少し荒れた小さな手を握るが、彼女の手にはほとんど力が入っていなかった。
前の2人のように何か言う様子もなく、無言で握られた自分の手を見つめている。
ややしてから、ネイサンが手を放そうとした時だった。
「――――」
「え。……今、なんと?」
聞き返しただけなのに、彼女の手は微かに震えていた。
「――あの。中庭の、花……どれが、一番、お好きですか?」
今度も消え入りそうな声。けれど、ネイサンの耳には届いた。
「……中庭というと、ホテルの中庭ですか?」
「――わ、わた、しは、白い花と、青い花が、好きです」
「……ええ、私も好きです。中庭に増やしてみるのも良いかもしれませんね。参考にさせていただきます」
ネイサンが答えると、彼女は静かに手を放し、そして、一歩だけ後ろに退いた。
結局一度も顔を上なかった彼女を、先の2人が気にかけるように寄り添う。
先ほどとは打って変わり、彼女たちは葬儀にでも向かうような深刻な顔をしていた。
「……あの、何か失礼なことを?」
「いえ、すみません。姪は、緊張のし過ぎで具合を悪くしたのでしょう」
すかさず割って入ったトム・カバネルが、自らの姪を隠すように前へ立った。
「アンナ、大丈夫かい?」
彼女の顔をのぞき込むように語りかければ、彼女はこくりと頷く。
「どうする? 今日はもう、これまでにした方がいいかな?」
囁くような声に、彼女はもう一度頷いた。
「ベルフォルマ様、申し訳ありません。これ以上、お見苦しいところを見せる前に、引き上げた方が良さそうです」
「え、ええ。もちろんです。どうかご無理をせずに」
「ありがとうございます。来た早々の無礼を、どうかお許し下さい」
トム・カバネルは、言いながらすでに動いていた。
うつむいたままの姪を誘導するように先立ち、他2人の娘たちが彼女を支えるようにして連れて行く。
ヴィンセントが開いていた扉を通って、せわしなく退出していった。
トム・カバネルらが去った後、ヴィンセントに目を向ければ、彼はネイサンの心情をそのまま表したような困惑顔で、ネイサンを見返していた。




