21 一計
エルシーとクリスタが、連れ立って部屋へと入ってくるので、アンナはベッドから立ち上がっていた。
「――あの、どうして?」
「室長から許可をもらったの。アンナがどこぞの馬の骨とも知れない男と、密室で会っているって。だから客室長に頼んで、今日の担当を変わってもらったの」
「あ、わたしは仮病つかっちゃった」
ホテルの業務に戻ったはずのクリスタとエルシーは、そう言ってここにいる理由を明かした。
「トムおじ様は、父と母も知っている人ですよ?」
「でも身内じゃないんでしょ。アンナ、自分よりすごく年上に見えるからって、油断しちゃ駄目。男はね、どれだけ年齢を重ねようとも所詮はオスなのよ」
「ク、クリスタっ」
とんでもない発言に慌てるアンナをよそに、クリスタはトムに牽制するような一瞥を送る。けれど、当のトムは気分を害した様子もなく、面白そうに笑みを返していた。
「それよりも、さっきの話よ。盗み聞きで悪いんだけど、聞いたわ。アンナがアンジェリカ王女だっていう、貴方たちの会話」
アンナは釈明しようと口を開くが、いい言い訳などすぐに出てこない。
「だと思ったわ」
「…え」
「うん。だと思った」
「…え。え」
「アンナがアンジェリカ王女じゃなかったら、誰が王女だって言うのよ。ていうくらい分かりやすかったわ」
衝撃的な告白に、アンナはそのまま衝撃を受けた。
「ていうのは半分ウソね。確信を持ったのは、シルクを手触りだけでレーヨンだと見破った時と、あの偽王女を真っ正面から返り討ちにした時よ」
「そんな事をしたのかい?」
トムが、驚きの声を上げた。
「したんですよ。貴方がアンジェリカであるものですかって。こう、びしばしっと」
エルシーの身振り付いた表現に、同意するようにクリスタが頷く。
何やら誇張されてしまっているが、それよりも、アンナが元王女だと言うことを、二人があまりにもあっさり受け入れてしまっていることに、アンナは戸惑いを隠せない。
「というわけで、私とエルシーもアンナに協力するわ。アンナが、キール・ベルフォルマに会いたいって言うなら、手伝いを惜しまない」
「ま、待ってください。あの、あの―――」
急展開について行けなくて、とにかく一呼吸が欲しいと制止を入れたが、何を言えばいいのか頭が追いつかず、当然、口も回らない。
そんなアンナを見かねたように、エルシーがアンナの側へと寄った。
「あのね、アンナが戸惑う気持ちはすごく分かる。私も、アンナがアンジェリカ王女かもしれないって思った時、すごくどうしようって思ったもの。でもね、同じくらい、すごく納得もしていたの。そんな自分に、ちょっとだけ笑っちゃった」
ふふ、とエルシーは何でもない事のように笑う。
いつもと変わらないその笑顔は、いつもと変わらない好意をアンナに伝えていた。
「ねえ、アンナ。アンナが、ずっとキール様にこだわってたのは、ギルバート王子様の生まれ変わりかもしれないあの人に、会いたかったからだよね?」
「……はい」
「そっか。だったら、今までと何も変わらないね。私ね、これからもアンナのためにキール様の情報とか仕入れたりしたいなって思うんだけど、ダメかな?」
「エルシー……」
アンナは首に横に振った。心の真ん中から湧き上がってくるものに胸がいっぱいになって、言葉もまともに言えなくて、それでも精一杯の感謝を伝えるべく彼女へ抱きついた。
エルシーは、すっかり慣れた様子で抱きとめてくれる。
やはり天使だと思った。
エルシーだけではない。クリスタも、時に厳しく自分を導いてくれる天からの使い。
アンナは言葉にならない声で、自分の側にいてくれる2人に感謝を捧げていたが、その場を仕切り直すようにクリスタが切り出した。
「それで相談があるのですけれど、トムオジサマ?」
少し棘のある言い方に、アンナはどきりとする。
しかしトムは、とても上機嫌そうに笑いながら「なんだい?」と返事を返す。
「アンジェラ・レイトンは、今日このホテルから追い出されました。彼女が起こした不祥事はすぐに耳に入ると思います。そのうえで伺いたいのですが、アンナがいま、自分をアンジェリカ王女だと名乗り出る危険性は、いかほどだとお考えでしょう?」
「……半々だね。アンジェラ・レイトンが色々やらかしている評判は聞いている。だから現在、ベルフォルマ商会側はかなり気が立っているはずだ。少なくとも、受付といった他者を介して名乗りでる方法は良くないね。……ただ、やはり、ベルフォルマ様が本物のアンジェリカ王女を捜している可能性は高いと思うんだよ」
トムは言いながら、アンナに視線を向ける。
「だからね、受付を通さずに、どうにか直接会いに行けないか。その方法を丁度いま考えていたところだ」
「それに関しては、私の方から良案があります」
クリスタが即座に引き取って、先を続けた。
「ですが、少しだけ待って下さい。まだ解決してない問題があります」
「……問題?」
「はい。そもそも、キール・ベルフォルマが、本当にギルバート王子の生まれ変わりだとは、まだ決まっていません。彼は、自分でそうだと言ったことは一度もありませんから」
「それは……仕方ないんじゃないかな」
「ええ、わかっています。事を大事にしないためでしょうね。けれど、私が言いたいのは、そういう事ではないのです」
クリスタの言葉に、トムは軽く頷くことで先を促した。
「カバネルさんの仰る通り、キール・ベルフォルマが、本物アンジェリカ王女を捜している可能性はきっと高いのでしょう。けれど、もし彼がギルバート王子じゃなかった場合、王女の生まれ変わりであるアンナを、捜し出して一体どうするつもりなのですか?」
「…………」
「キール・ベルフォルマは商人です。どれだけ、この都市に貢献してきた人格者だと謳われようとも、商人です。本物のアンジェリカ王女を商いに利用しないとは言い切れません。もし、言い切れる場合があるのだとしたら、それは、彼がギルバート王子だった時のみです」
そう断言するクリスタの姿は、アンナの身を守ろうとする気概に溢れていた。
「彼は、そんな人ではないと思う……と、私が言っても、それは商会の人間である者の言葉だからね。それでは君は、納得できないのだろう?」
はい、とクリスタが即答するので、トムは困ったように笑う。
「かといって、彼にそのままずばりと聞いて、はいそうです。と答えるとも思えないしな。……だいいち、彼をギルバート王子だと断定できる人間なんて―――」
何か気付いたように、トムはアンナを見た。
それに続いて、クリスタが訳知り顔でアンナを見る。
つられるように、エルシーまでアンナを見るので、アンナは落ち着けなくなった。
「――あ、そっか。アンナなら王子様のこと知ってるよね。二人だけが分かるような、合言葉とかあったりしないの?」
そう投げかけられ、アンナは、ようやく皆がする理由を理解した。
「――は、はい。あります。ギルバート様なら、必ず分かっていただける言葉が」
その声は、喜色を含むあまり、子供のように弾んでいた。




