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02 帰郷


 アンナは、荷馬車に揺られながら、3百年前の建築デザインを模した街並を眺めた。そこを行き交う人々の多さに圧倒される。


 この地からは、さしたる産物も採れないし、鉄道という鉄と木で出来た道が引かれて、まだ間もないはずである。


 むしろ、3百年前の略奪者によって荒らされた王都は、数百年の間にずいぶんと寂れてしまったのだと聞いていた。


 一番の要因は、セントリーズ旧王都であるミラが破壊された都市機能をすぐに回復することができず、王都の次に大きかった領地へと施政権が移されたことにある。


 だが、その時の領主が政変後のセントリーズ領主として立ち、行き惑う人と国土を見事に治めてくれたのだから、アンナは感謝こそすれ、不満などありはしない。


 旧都市ミラの復興も少しずつ行われていたらしいが、かつての繁栄とはほど遠い有り様が数年前までは広がっていたらしい。


 それが今では、大改修された真新しい建物が立ちならび、沢山の商いと沢山の人で賑わう都市が幌馬車の窓からでも充分にうかがえた。


 この発展に大きく貢献したのは、ベルフォルマ商会という一介の商人だという。


 ベルフォルマ商会とは、いくつかの輸送会社と私営鉄道を有し、ゼノア王国全土に鉄道事業を広げている大商人の一族で、10年ほど前からこの旧都市ミラにも、その裾野を広げにきているらしく、セントリーズの現領主と共に、この地の活性化に力を注いでくれているらしい。


 ただ、めぼしい産物のない旧都市ミラに、多くの人を集めている理由は、セントリーズ王家の終焉を飾った『セントリーズの悲恋』だという話だった。


 アンナは、実際に目の当たりにしても、未だに信じられなかった。


 『セントリーズの悲恋』の舞台となった地を一目見るために、沢山の人が訪れているのだという噂を聞いた時は半信半疑だった。


 この地に何のゆかりもない人たちが、わざわざ足を運んで来てくれるなど、とても想像できることではなかったのである。


 こういうのを『観光』というらしいが、アンナは初めて聞く言葉だった。


 3百年前にも旅行の概念はあった。けれど、それは王侯貴族といった特権階級の人間が物見遊山するもので、まるで祝祭の日のように人々が集まって賑わうものではない。


 それが今の時代、商人や上級役人といった中産階級を中心にして、博覧会や海水浴を目的に遠地へ足を運ぶ娯楽が流行っており、この観光という小旅行もその一種だという。 


 もちろん皆が皆、観光客であるはずはなく、今なお開発途中だというこの旧都市ミラには、労働者も多くいるはずだった。


 アンナが都市の活気に呆然としている内に、幌馬車は目的地である商工会議所の裏門へと着き、アンナは積荷と共に馬車を降ろされた。


 「ほら、お嬢さんたちはあっち。あっちに従業員宿舎の事務室があるから、そこで諸々の説明を受けて」


 御者のおじさんが、積み荷を降ろしながら指をさす。


 アンナは、自分以外のお嬢さん3人と一緒に指定された宿舎の事務室まで赴くと、おじさんに言われたとおり、諸々の説明を受けた。


 それからすぐに女性用の4人部屋まで4人とも案内され、今日はひとまず旅の疲れを癒した方が良いと、自由時間を与えられた。


 確かに、慣れない蒸気機関車の旅で疲れていた。けれど、アンナはじっとなどしていられなかった。


 ここまで一緒に汽車と馬車に揺られてきたお嬢さん3人も同じだったようで、4人で街へ出かけするお誘いを受けるが、アンナはお礼を述べながらも丁寧に固辞した。


 アンナには行かねばならないところがある。だから、軽い手荷物以外の荷をベッドの上に置くと、一人で街へと繰り出した。







 街へ一歩踏み出すなり、アンナは右も左も分からなくなった。


 おろおろと、高い建物群の合間をうろつくが全く目処が立たない。


 アンナの目的地は、ベルフォルマ商会の商館なのだから、商工会議所で誰かに聞けば良かったのだと、すぐに気付いたが、もう後の祭りだった。宿舎への帰り道をも分からなくなっていた。


 とりあえず落ち着こう、とりあえず道を尋ねやすそうな人に聞こう、と自分に言い聞かせ、人通りが多い方へと歩いていけば、いつの間にか目抜き通りへと出ていた。


 幌馬車の中で感じた驚きが再び眼前に広がるが、雑踏のただ中に立って見れば、また別の驚きが、そこかしこに見受けられて目を瞬く。


 ちらほらと、身なりの良い格好をした男女が、護衛もなく出歩いているのだ。若い女性が日傘を差しながら一人で堂々と横切っていくのを見付けた時には、不躾にも目で追ってしまった。


 アンナは怖いもの見たさで歩き始めた。

 しかし、数歩といかぬ内に、この通りに立ち並ぶ建物が何なのかに気付いた。


 ほとんどが劇場なのである。

 小さなものから大きなもの、演劇場から歌劇場まで数多く揃えられている。


 古典文学や歌劇、活劇を興行している劇場が軒並み続く中、当然のように『セントリーズの悲恋』を演目にしているものを見付けた。


 その正面玄関には、ギルバート王子とアンジェリカ王女の肖像画が飾られていて、アンナは目を奪われる。かつて王宮にあった物にそっくりだった。


 よくよく見てみれば複製だったが、アンナはそのまま立ち止まって彼女を眺めた。


 16歳になったばかりの頃に、王宮に招かれた画家によって描かれたそれには、額縁の中で微笑みをたたえる、透き通る翠の瞳に、輝く金の髪のお姫様がいた。


 アンナはかつての自分と対面し、奇妙な感覚にとらわれる。

 今の自分は、藍色の髪に藍色の目をしていて、おそらく顔立ちも似ていない。


 そもそも、服装からして違った。ドレスや宝飾品などはなく、村で普通に着ていた木綿(コツトン)の服で、飾りといえば、髪に細帯の黒リボンがひとつだけ。


 以前との違いに、何も思わないわけではないが、それよりも、もっと重要なことがアンナにはあった。物心ついた時から自分の半分を占めている、特別な記憶である。


 華やかな王宮の暮らしと、毎日山のように降ってくる習い事。けれどそれは、やがて攻め落とされる城中の争乱に変わり、最愛の人が流す涙で終わる、長い長い人一人の記憶。


 アンジェリカ王女だったという、前世(かつて)の記憶。


 しかし、“だった”の表現は正確ではない。

 アンナにしてみれば、恐るべき怪奇現象に近かった。死の際に意識を失って、次に目覚めた時には子供になっていたのだから。


 赤ん坊の頃にも、ぼんやりとした記憶はあった気がした。それが、ある時点を過ぎてから急速に定まったような、言葉では形容しがたい、感覚のひどく曖昧なもの。


 何が起こったのか、すぐには理解できなかったが、それでもアンナがまずしたことは、セントリーズ王国が存続しているか否かの確認である。


 幸か不幸か、王国が辿った顛末は、大人ならば誰もが知るところだった。


 だからアンナは――アンジェリカは、目覚めてすぐに王国の滅亡を、そして父王とギルバート王子の死を知ることになった。


 追い打ちをかけるように、あの時からずいぶんと時代が流れ、自分の知っている人は、誰一人生きていない事実まで突きつけられる。


 押し潰されそうな悲しみと孤独に襲われ、毎日を泣き伏して暮らした。


 そのせいで、今の両親をひどく心配させてしまったが、アンジェリカは母を早くに亡くしていたため、ほとんど初めて知る母の温もりにはとても慰められた。


 どうにか気持ちを立て直し、少しずつアンナであることを受け入れていったが、どうしても子供らしく振る舞えないアンナは、村の人たちからよく奇異の目で見られた。


 ただ、それも10年以上続くと、アンナの性格なのだろうと周囲から受け入れてもらえ、アンナ自身も、アンジェリカである部分と、アンナである部分との折り合いを上手く付けられるようになっていた。


 転機が訪れたのは、アンナが14歳の時。いつも村を訪れてくれる行商人がもたらした噂話によって、全てが一変した。


 旧都市ミラで流れているという、その噂を知った瞬間からアンナは居ても立ってもいられなくなった。今すぐに旧都市ミラに行きたいと父にせがんだが当然許されず、かといって諦める選択肢などなかったため、それから2年間、父を説得し続けた。


 もちろん、ただお願いを繰り返しただけではない。


 ゼノア王国では、15歳で成人であることを認められる。だからアンナは、旧都市ミラへ働きに出ることを計画した。


 計画には、行商人のおじさんも協力してくれ、旧都市ミラでは現在、ベルフォルマ商会が中心になって労働者の募集をかけているという情報を掴んでくれた。


 特に女性の働き手を求めているらしい。一見いかがわしく聞こえるが、その実は、観光に訪れる人たちは女性客が多いため、その対応に追われているとのことだった。


 そうやって色々と下調べをしてから父に相談したのだが、それでも折れてくれず、なら16歳になったら家を出ていきますと宣言したら、ようやく態度が軟化され、ひとまず父が旧都市ミラまで下見に行くことで、その場は収まった。


 その後、父は約束通り一人で旧都市ミラまで出掛けていく。


 村から一番近い町には、ベルフォルマ商会が運営している私営鉄道の支部があったため、父は商会の人に娘が働きたがっている仕事場の下見がしたいと、直接申し出たらしい。


 すると、運賃さえ払ってくれればと許可を出されるが、もともと旅客輸送にもなっていたらしく、そのうえ運賃も融通してもらったようだった。


 一週間ほどで父は帰宅した。しかも、乗車の許可を出してくれた商会の人と一緒に。


 その人は名前をトム・カバネルといい、なんでも、いくつかある仕事場の案内までしてくれたそうで、その際、父と友好も深め合ったらしい。父は散々娘自慢をしたらしく、そんなに素晴らしい娘さんなら一度会ってみたいと言われ、それでもし、彼の眼鏡に適ったのなら紹介状を書いて――つまり、保証人になってくれると申し出てくれた。


 ベルフォルマ商会の勢力がさかんな場所で、ベルフォルマ商会の人が保証人になってくれることほど心強いものはない。


 アンナは彼を前に緊張したが、彼がアンナに質問を浴びせかけることはほとんどなく、むしろ、旧都市ミラの発展や治安について説明してくれた。


 旧都市ミラは現在、観光業を主に発展しており、女性客が多いらしい。そのため治安維持には、現セントリーズ領主の手も借りて厳しく取り締まっており、今ではセントリーズ領地で一番安全な場所だと教えられた時、アンナは涙が出そうなくらい嬉しかった。


 ベルフォルマ商会の事も、恐る恐る聞いてみれば、トムは快く教えてくれた。


 ベルフォルマ商会は、もともと商品の仲介業から成り上がった会社で、商用鉄道の開始に伴い、今ではゼノア王国を拠点にした鉄道の整備と、物と人の輸送が主な事業らしい。


 セントリーズ領においては、領主と独占に近い契約を結んでおり、わずか10年ほどで旧都市ミラに大きな物流を生み出したのだという。


 そして、全ての立役者である、ベルフォルマ商会ミラ支部代表キール・ベルフォルマは、まだ年若いベルフォルマの御曹司なのだと教えてくれた。


 キール・ベルフォルマ様。アンナは彼の名前を、その時心に刻んだ。


 それからも、とりとめのない話は続き、しかもトムはアンナの家に数日泊まっていった。


 本当に何をするでもなく過ごしていたが、滞在する最後の日になって、アンナはトムからどうして旧都市ミラに行きたいのか、その動機を質問される。


 アンナは答えられなかった。すると、トムはそれ以上追求することをせず、そのまま別れの挨拶だけを残して帰ってしまい、アンナは当然落ち込んだ。


 しかし、さらに数日後、どういうわけかトムからの紹介状が届いた。


 やけに分厚い紹介状には、すでに手続きの済まされた旅行許可書と、アンナ宛ての手紙も同封されており、そこには、アンナの手作り料理が美味しかったから、そのお礼だという一文が添えられていた。


 トムの紹介状のおかげで父もついに折れ、それから2ヶ月ほどして、16歳になったアンナは生まれ育った村を旅立った。付いてこようとする父は母によって止められた。


 ベルフォルマ商会支部のある町まで行き、そこで蒸気機関車に乗った。はじめて見る、巨大で黒い煙を吐く乗り物におっかなびっくりだったが、同じ労働目的の女性たちと一緒だったので、それほど手間取ることもなく、段差の高い車両にも乗り込む事ができた。


 汽車での旅は丸1日かかったが、アンナはこうしてセントリーズ王国旧王都の地を再び踏むにいたった。


 3百年ぶりの帰郷は、色々な驚きをもってアンナを出迎えてくれた。

 それどころか、今、アンジェリカ王女の肖像画と対面まで果たしてしまっている。


 「…………」


 アンナは、アンジェリカ王女の隣りに飾られている、ギルバート王子の肖像画に視線を移した。


 白金の髪に、金色の目。

 絵画に描かれた彼は、記憶にあるそのままの姿で、アンナは少しだけ切なさが募る。


 アンナが旧都市ミラまではるばる足を運んだのは、噂を聞いたからだ。


ギルバート王子とアンジェリカ王女の最期をつづった『セントリーズの悲恋』が、旧都市ミラで話題になっているということを。


 そして、ベルフォルマ商会の御曹司であり、ベルフォルマ商会ミラ支部の若き代表キール・ベルフォルマの容姿が、ギルバート王子の生き写しであることを。


 噂によれば、彼がセントリーズ領主と共に、旧王都であるミラの発展に力を注いでいるのは、彼がギルバート王子の生まれ変わりで、アンジェリカ王女の生まれ変わりを捜しているからなのだという。


 それを聞いた瞬間、アンナは行かなくてはと思った。


 キール・ベルフォルマという人が、ギルバート王子だという確信は全くない。けれど、行かなくてはいけないという強い焦燥感にかられ、アンナはここまでやって来た。


 ベルフォルマ商会の商館には、彼の居館が隣接されていると聞いた。ならば、まず商館に行って、面会の手続きなどが可能なのか確認しなくてはならない。


 ギルバート王子の肖像を見つめながら、アンナは決意を新たにすると、再び雑踏の中へと踏み出した。







近代風。風。風。時代考証は多少前後しとります。

商館、商工会議所もオリジナル設定なカンジです。

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