16 詭弁
ハンカチーフの件をどうするか、3人で話し合った。
直接本人に言って止めさせる方法も持ちあがったが、やはり事を荒立てるような手段は避けるべきだという意見に落ち着いた。
もちろん、このまま放っておけるはずもないため、アンナたちの客室係の責任者である、客室長へと相談する。
客室長ははじめ、すでに色々と目立った行動の多いアンジェラ・レイトンへの苦情ということで、いい顔をしなかったが、ハンカチーフの件とレーヨンの燃焼性をクリスタから説明されると、すぐに顔色を青くしていた。
早急に支配人へと報告すると言ってくれ、この件はそこでアンナたちの手から離れた。
次の日には、従業員たちに配られたハンカチーフの回収がはじまっており、アンナとエルシーと安堵の息をつく。
しかし、クリスタだけは、まだ何か起こると言いたげな顔をしていた。
そして、彼女の予感はすぐに的中することになる。
それは、従業員部屋のある別館とホテル本館をむすぶ、中庭の渡り廊下へと向かっている時だった。
「違うっ! 私じゃないっ!」
突然、悲鳴のような声が、アンナの耳に届いた。
急いで渡り廊下のある中庭へ出れば、そこには小さな人集りが出来ていた。
その中央では、アンジェラ・レイトンと、その侍女2人が、客室係のお仕着せを着た女性1人と向かい合っている。
「あら、やだ。そんなに大きな声を出さないでちょうだい。はしたないわよ」
「そうよ。それに、たった今、アナタが言ってたんじゃない。シルクの偽物だって」
「だからね、何を根拠にそんな言ってるのか聞いているのよ? もし、何の根拠も無しにそんな風評を流したのなら、レイトン社はとても甚大な被害を被ってしまうわ。その場合、アナタにも責任が生じるの。賠償金……いいえ、刑罰だってありえるわ」
「ち、違うっ――知らない、あたしっ」
客室係を問い糾す侍女2人の後ろでは、アンジェラ・レイトンが、黙って事の成り行きを見ていた。
「あら、じゃあ誰が、支配人にでまかせを吹き込んだのかしら? もし、アナタ以外で見付からなければ、アナタに全ての責任がいってしまうのだけれど」
アンナは歩き出していた。
無言のまま静かに歩き、濡れ衣に怯える客室係の隣に立った。
「……何? アナタ」
「ハンカチーフの件を支配人へお伝えしたのは、この方ではありません。私です」
集まっていた3人の視線が、一斉に目の色を変えた。
「ですが、でまかせなど申しておりません。聞けば、レーヨンという人造絹糸だと言うではありませんか」
「まあ、人造ですって? アンタなに言ってるの? 私たちが配っていたのは、シルクのハンカチーフなのよ。レーヨンなんて聞いたことも無いわ」
侍女の1人が主人を差し置き、そのうえ自分ではしたないと言った大きな声で言い放つが、アンジェラ・レイトンはやはり黙って見ていた。
「いいえ、あれはシルクではありませんでした。ばかりか、ちょっとした火元から燃え広がる、とても危険なものだと聞きました」
「聞けばって、それ誰から聞いたのかしら? その人が嘘を言っていない保証はあるの?」
「そうよ。専門家からでも聞いたの? まさか同じ使用人の言葉じゃないでしょうね?」
さらにもう1人の侍女が加わった。
「……私に、レーヨンのことを教えてくれた方は、とても高い見識を備えた聡明な方です。嘘など仰るはずがありません」
「はずがありませんって、ただの推測じゃない。そんなの全然あてにならないわよ」
「しかも、やっぱり使用人仲間の言葉なの? もうお話にならないわね」
2人がかりで責め立てるように、侍女は交互に述べ立てるが、いちいち声が大きいせいで、どんどん聴衆が集まってきていた。
そのほとんどはホテル内の従業員だったが、中には宿泊客らしき姿まであった。
すると、それまで静観していただけのアンジェラ・レイトンが、ちらりとそちらに目をやり、それからようやく侍女たちを諫めた。
「お止めなさい、貴女たち。2人がかりで責めてしまうのは良くないわ」
「でも、アンジェラ様……」
「そうですよ。アンジェラ様はただ、お父様のために頑張っていただけですのに」
「いいの。ここは、わたくしが収めてみるわ」
そう言って、アンジェリカ王女の顔をした女が、アンナへと微笑みかけてくる。
「貴女、あのシルクのハンカチーフが偽物だと仰ったそうね」
「…ええ。そうです」
「そう。でも、不思議ね。貴女は見たところ……その、あまりシルクに触れる機会のある方には見えないのだけれど、どうして偽物だなんて言えたのかしら?」
「……手で触れさえすれば、本物か偽物か分かります」
「まあ。それはすごいわね。じゃあ、これのどこが偽物か教えてくれるかしら?」
彼女は微笑みながら、ハンカチーフを差し出してきた。
アンナは言いしれぬ違和感を感じていたが、言われたとおりに受け取った。
この前の時と同様、生地と生地同士を擦り合わせる。しかし、渡されたハンカチーフからは、以前はしなかったはずの絹鳴りの音がした。
目を見張ったアンナに、侍女の1人がすかさず口を挟む。
「さあ、どうしたの? 偽物だって言う証拠を見せてくれるのでしょう?」
「ああ、アナタたちが勝手に回収したヤツはだめよ。わたしたちを陥れるために、誰かが入れ替えた可能性があるもの。偽物と」
「ほら、そこに刺繍が入っているでしょ。それはお養父様が経営するデパートの名前。つまり、こちらが本物なのよ」
極めつけとでも言うように、アンジェラ・レイトンがハンカチーフに指をさす。
「本当に、酷い誤解だわ。どうして偽物なんて……これはホテル側に、調査を依頼する必要があるかもしれないわね。これは1人だけで出来る犯行ではないもの」
「――――」
アンナは全てを察した。
偽物だと指摘された時に備えて、はじめから本物も用意されていたことを。
用意されていたその詭弁を触れ回るために、わざと騒ぎを起こして衆目を集めたことを。
何より、3人の女の中で最も下劣なのが、アンジェラ・レイトンであることを。
「ちょっと、何してるのっ」
その時、割って入る声があった。エルシーの声だった。
クリスタと一緒に、聴衆かき分けて駆け付けてくれようとするが、アンナはそれを手で制した。
「分かりました。では、お見せしましょう」
アンナの発言に、3人は驚きに瞠目するが、かまわず白エプロンのポケットに携帯している、裁縫用の小鋏を取り出した。
何をするつもりかと動揺する彼女たちの目の前で、ハンカチーフに切れ目を入れる。
「――なっ」
非難の声を無視して、アンナは鋏をしまい、ハンカチーフをアンジェラ・レイトンへ見せつけるように掲げると、何の躊躇もなくそれを引き裂いた。
縦20センチはあろう生地は、悲鳴のような音を上げて真っ二つに分かたれる。
「不思議ですね」
ゆっくりと口を開く。
「織物の頂点とあろう絹が、まさか女の力で容易く裂けてしまうとは」
言って、無惨な姿になったソレを、さも無価値な物のように床へと放り捨てた。
沈黙が落ちていた。
本物だったはずなのに、どうして。アンジェラ・レイトンを含めた3人は、そういう顔を貼り付けていた。
彼女たちがどう出るか、その様子をアンナは見つめていたが、どうやら、さらなる詭弁を弄する必要はないようだった。
やがて周囲がざわついていく。やはり偽物かという声が、圧倒的に多かった。
「――っ」
「貴女のような恥知らずは、見たことがない」
うろたえはじめた3人へと、アンナは言い放つ。
「――そ、そのような無礼な物言いは許さないわ。わたくしを誰だと思っているの、あのアンジェリカ王女なのよっ」
「貴女がアンジェリカであるものですか」
しんっ、と再び聴衆が静まりかえる。
切って返された言に、異を唱える者は誰もいないようだった。
アンジェラ・レイトンは、周囲から向けられる視線に怯んだ。
「――し、支配人を呼びなさいっ。こんな無礼な使用人を雇っているなんてっ」
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