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15 人絹


 キール・ベルフォルマは、商人。


 その事が、アンナに胸に重くのしかかる。


 たとえ、商売のためにセントリーズの悲恋を利用したのだとしても、ベルフォルマの御曹司が、旧都市ミラに尽くしてきた貢献を思えば、この地に住む人たちにとっては、まぎれもなく恩人である。


 アンナ1人の心が苦しいからといって、彼の邪魔をする権利はアンナには無かった。


 アンジェラ・レイトンの件もそうである。

 彼女は自分が身に纏った服飾品を、自社のデパートで買えるのだと銘打って広めているが、きっと間違ってはいないのだろう。


 アンナが、アンジェリカだった時、王族や高位の貴族が率先して新しいファッションを身に纏い、ドレスや髪型の流行を生み出すのは当然だった。


 そうして、服飾や宝飾の制作に関わった職人たちは仕事を得て、技術と文化の発達にも貢献していたことも知っている。


 何が正しくて、何が間違っているか。

 そんなことは、アンナ1人に決められることではない。


 だからいま、アンナが出来ることといえば、ベルフォルマの御曹司が彼女をどうするのか。それをただ、待っていることぐらいしかなかった。


 しかし、そうして待つことしかできないアンナの前に、アンジェラ・レイトンは幾度となく姿を見せた。


 アンナが働いているホテルの東棟に宿泊しているうえ、彼女は自分の姿を衆目に晒すために、よく出歩いた。


 廊下ですれ違ってしまったことも、すでに2度あった。

 だからその日も、出くわしてしまった。


 今日の業務を終え、自分の部屋へ戻ろうとしていた時だった。


 「あら、貴女。運が良いわね」


 アンナが歩いていた、廊下の角から現れたアンジェラ・レイトンは、アンナを認めるなりそう言った。


 彼女は今日も、2人の侍女を連れ、自らを美しく着飾っていた。

 金の髪を結い上げて、華やかなボンネット帽を被り、その腰元を強調したドレスは、バッスルスタイルというものらしい。


 どうやら、どこかへ出掛けた帰りのようだった。


 「今日配る予定のものが一枚余っていたの。貴女にも差し上げるわ」


 そう言って、アンジェラ・レイトンが目配せすると、侍女の1人が動いて、アンナに例のハンカチーフを差し出してきた。


 「…………」


 躊躇うことではなかった。


 彼女には、おそらく他意はない。自社のデパートを宣伝するため、不特定多数にしていることを、アンナにもしているだけにすぎないのだろう。


 けれどアンナは、受け取りたくないと思ってしまった。


 自分の目の前で、アンジェリカを名乗っている彼女から、それを受け取ってしまうことに、どうしても抵抗感があった。


 「どうしたの? もしかして、もう渡していたかしら?」


 「……いえ」


 それ以上、言葉を続けられずにいれば、誰かがアンナの横を通り過ぎた。


 客室係の格好をした、その後ろ姿に見覚えがあった。茜色の髪をしたエルシーだった。

 彼女は、アンジェラ・レイトンの侍女の前に立つと、アンナを振り返る。


 「アンナ。コレ、私が貰ってもいいかな?」


 こともなげに言うエルシーに、アンナは一瞬反応が遅れたが、こくりと頷いた。

 エルシーは、にこりとした笑顔を浮かべると、侍女からハンカチーフを受け取る。


 「うわー。ありがとうございます」


 はずんだ声でエルシーは礼を言い、アンジェラ・レイトンたちへお辞儀を返す。それから、彼女はアンナを振り返った。


 「さあ、アンナ。行こう」


 そう言って、アンナの手を引いて行く。


 エルシーに手を引かれながら、もしかして、自分が受け取りたがっていないことに気付いてくれたのだろうかと、アンナは思った。


 「――あ、あの、ありがとうございます」


 「ん? 何が?」

 「……いえ。何でもありません」


 エルシーが何事も無かったように笑っていたから、アンナも笑みで返した。







 アンナたち部屋には、すでにクリスタが戻っていた。

 エルシーは、貰ったばかりのハンカチーフを彼女へと掲げてみせた。


 「えへへ、貰っちゃった」


 はにかむように言うエルシーに、けれど、クリスタは冷めた視線をよこした。


 「……節操のない子ね」

 「えー。だってシルクだよ。ほらほら、つやつやで、さらさらなんだよ」


 触るようにクリスタへ差し出すが、クリスタは受け取らない。


 「――あの。クリスタ」


 「アンナ。いいんだって。本当に私が欲しかっただけなの。ほらアンナも触ってみて。気持ちいいよ」


 今度はアンナに向き合い、シルクのハンカチーフを差し出す。


 差し出されるまま手に取ったアンナは、畳まれたハンカチーフを広げ、ひと撫でする。

 彼女の言うとおり、艶のある生地で、さらさらとした触感があった。


 「…………シルク、でしたよね?」

 「うん。シルクのハンカチーフだって。みんな言ってたよ」


 「…………」


 記憶にあるシルクの感触と、確かに似てはいるのだけれど、アンナの中で何かが重なり合わない。


 「……シルク……でも、音が…………」


 言いながら、生地と生地を擦り合わせていた。

 ハンカチーフからはやはり、新雪を踏みしめたような音がしない。


 「――絹鳴り」


 はっ、としたようにクリスタが言った。

 そして、アンナの手にしたハンカチーフを同じように摩擦する。


 「……これ、レーヨンだわ。前に見たことがある。人造絹糸よ」

 「人造――…絹糸は、人間にも作れるものなのですか?」


 「なに言ってるの。絹糸を作れるのは蚕だけよ。つまり絹の偽物ってこと」


 偽物。その言葉に室内が静まりかえる。


 「……え。あの人のお店、偽物を売ってるって事?」


 「違うわね。デパートにあるものは、きっと本物よ。でも、私たち庶民には見分けなんて付かないと思ってるから、こうして平然と偽物を配ってるのよ」


 「……なにそれ」


 エルシーの呟きに、アンナの胸がツキリと痛んだ。

 アンジェリカを名乗る人に向けられた批難は、アンナにも突き刺さった。


 その一方で、クリスタは依然ハンカチーフを睨んでいた。


 「もしかしたら、ものすごくマズイことになるかもしれないわ……」

 「……どういうこと?」


 「レーヨンは化学繊維で出来てるの。だから、燃えるのよ。すごく。レーヨンで作った衣服に火が燃え移って、人が火だるまになったっていう話があるの」


 脳裏をよぎった恐ろしい光景に、アンナは青ざめた。






※現代のレーヨンは、きちんと改良されています。

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